将門記(一)





6、 天邪鬼(あまのじゃく)




清和天皇は、御年24才の若い帝である。
わずか9才で即位、以後15年に渡り、
藤原良房・基経父子の操り人形であった。
端正な顔立ちながら線が細く、体も虚弱で、
およそ勇ましいこととは縁がない。
「高子よ… 今日な、私の子が生まれたそうだ… 
ええと、6番目の皇子になるか」

「なぜ、そんな日に私のもとへ? よりによって、
1番お嫌いになってる私のもとへ」
皇后の高子(たかいこ)は、人形のような顔に
浮かべた柔らかい笑みを崩さない。
「お前は嫉妬すら感じないのだろう、
他の姫が皇子を生んでも…
私に対して、ひとかけらの愛情も感じていないのだから… 
だが、それがいい」

帝は、乾いた笑みを唇に刻む。
「お前に対してなら、遠慮なく胸の内を吐き出せる。
どうせ、お前は私の言うことなどまともに聞いては
おらぬし、私もお前の心など、一切気にかけぬしな」
「では、吐き出しなさいませ」
高子は微笑むが、目は氷のように冷たい。

「なんか… 疲れたよ。これだけ種馬のように子を
作ったのだ、お前にも第一皇子の貞明(さだあきら、
後の陽成(ようぜい)天皇)を授けてやったしな…
子作りが唯一の仕事の私だが、いいかげん身を引きたい… 
お前の兄(基経)に、それとなく伝えてくれないか」

「数多(あまた)の女人を抱いて、たくさんの
子を授かる。めでたいことではありませんか」
「子供なんて、どうでもいいよ」
現在「宿下がり」している第六皇子の母親が
聞けば、泣いてしまいそうなセリフ。
ちなみに、この第六皇子は後に貞純(さだずみ)と
名づけられるが、鎌倉幕府を開く源頼朝や、
足利将軍家のご先祖さまである。

「それに私は、お前の恋人の業平(なりひら)ほど
女好きじゃないんだよ」
この一言に、さすがの高子も沈黙。
平安朝ナンバーワンのプレイボーイ・在原業平と、
絶世の美女・高子のロマンスは、「伊勢物語」にも
記された超有名なスキャンダルだ。

おっと、「業平」はNGワードだったな… 
帝はあわてて、話題を変えた。
「あー、話はちがうが、私が勅命を下して創建した
とかいう寺や神社が、全国にたくさんあるようだな。
私はまったく知らんぞ! 良房や基経が
勝手にやったことだ!」
芭蕉の句で有名な○寺とか、○清水八幡宮とか…

高子は、心の奥底の古傷をどうにか押さえ、顔を上げる。
「主上(おかみ)。イヤになったからやめるというのは、
さすがにまずいでしょう。何か、世間が納得するような…
きっかけがなければ…」
3年後の大極殿(だいごくでん)炎上がきっかけとなり、
ようやく帝の望みが叶うことに。



今年38才の摂政・基経は、ギスギスした
鋭い視線を相手に向ける。
「どう思う、田島? あの2人の報告」
「何か、恐ろしい目に会ったのだろうな… 
口を封じるのが目的だ」
基経と同年代の、鋭い刃(やいば)のような男。
奈良の春日大社より出向している、
吉田神社の神人・太岐口田島。
獣心や恋夜の父である。

「ということは、やはり…」
「陸奥で、何か怪しい動きがある… ということだ」
基経は、ため息をもらし、
「やはり、あの2人では荷が重かったか… 
さて、誰を送るべきか」

天空の巨腕「巌猊」に追い回され、命からがら
都まで帰り着いた、良香と川人であった。
「蝦夷の地で疫病神信仰が広まっているのは、
4年前の地震で疫病が流行したため。
決して、裏に怪しい陰謀とかはないですよ。
私が陸奥の神々を鎮めてきたし、都に災いを
為すことは、決してないでしょう… ホントホント」
見栄をはって、そんな報告をした川人だが、
基経は信じていない。

「ま、なんにせよ大変な目を見たろうし、
川人の労も、ねぎらってやらないとな…」
というわけで、翌年には「陰陽頭」へと出世する川人だが…
東北での無理が祟ったのか、病に倒れ、他界することに。



そのころ、狂女おしらは一路、出雲の国を目指していた。
道々、占いなどをしながら路銀を稼いでいる。
ついに瀬田の大橋を渡り、大津へと入った。
と、その時… 瀬田川の川原で、
女の子が泣いているのを目撃。
「どうしたの?」

わざわざ降りていって、心配そうに尋ねるおしら。
「あれ…」
大事な手毬が転がって、川に入ってしまったらしい。
プカプカ浮いているそれは、少しずつ流されていってる。
「あら、大変! ちょっと待っててね」

おしらは、ズブズブと川へ踏み入り、腰まで
濡らしながら、手毬を回収。
「ふうう〜 ほら、もう落とすんじゃないわよ」
少女に差し出す。
「おねえさん、ありがとう!」
少女の顔に笑顔が戻り、毬を受け取ろうとした、その時…

スカッ 少女の手は、虚空をつかんだ。
「?」
おしらは、手毬を高々と差し上げていた…
邪悪な笑みを浮かべて。
グワシャアアァッ!! 思いきり、毬を握りつぶす。

「ほら」
手毬の残骸を渡され、ぼうぜんと立ちつくす少女。
歩き去るおしらの高笑いが、少女の号泣を打ち消し…

「ああ、なんて楽しいんだろう! 
人のしてほしいことの反対のことをするのは!
私はもう、百姓の娘おしらじゃない… 
私は、天探女(あまのさぐめ)の生まれ変わり!!」
おしらの狂った脳は、ある夜、不思議な夢を見た…
その時以来、神話に登場する「天探女」が、
自分の前世であると固く信じている。



それは、遠い遠い神代の昔。
大ナムチが王として君臨する出雲に、
1人の使者がやってきた。
「天孫の使い、ホヒと申します。
ナムチ王よ、海の彼方より偉大な霊威をもったお方が、
この国に降臨されます… どうか、その方の臣下に下り、
平和裏にこの国を、お譲りくださいますよう…」

態度は丁重だが、とんでもないことを言う使者であった。
このホヒ(アメノホヒノミコト)は、出雲大社の宮司、
「出雲国造(いずもこくそう)家」の祖先にあたる。
この家は、皇室に次いで日本で2番目に古い家系と言われ、
「年の初めの〜」でおなじみ、「新春かくし芸大会」の
テーマ曲「一月一日」を作詞したのも、第80代
出雲国造・千家尊福(せんけ たかとみ)さんだよ。

「そうか、そうか。まずは1杯、飲め」
大ナムチは、太い眉の男らしい顔立ちに機嫌の
良さそうな笑みを浮かべ、鷹揚に接する。
若い頃のヘタレな面影はなく、スケールの
大きさを感じさせる男となっていた。
「何か、かくし芸をしてみろ。面白かったら、国をやる」

仕方なく、ホヒは頭に土器を乗せて回転させ、
「いつもより多く回っております〜」
などとやってみると、大ナムチは大爆笑。
「おもしろい奴だ。さあ、飲め飲め」

ホヒはいつしか、大ナムチの人柄に魅せられていく。
「出雲の民どころか、日本国中の神々が、ナムチ王を
慕って集まってくるというのも、うなずける話だ… 
天孫よ、どうかお許しください… 私は…」
国譲りの交渉を忘れ、ホヒは大ナムチの臣下となった。


3年後、第2の使者がやってきた。
「交渉が失敗に終わったばかりか、我らを裏切り、
出雲の臣に下るとは…
ホヒよ、覚悟はできているのだろうな?」
今度の使者はホヒより若く、野心があり、美男子だった。
名を、ワカヒコ(アメノワカヒコ)という。

このワカヒコにつき従い、出雲の地に降り立った、
優しく美しい巫女がいた。
名を、サグメ(アメノサグメ)… 
ワカヒコとは幼い頃より、兄妹のように育った仲だ。
「ワカ兄さま、あの…… あの… いえ、なんでもない…」
あなたもまたホヒと同様、任務に失敗する…
そんな不吉な占いの結果を、ワカヒコに
告げられないサグメであった。


ワカヒコは、ホヒのように簡単に
大ナムチに心酔したりはしない。
だが… 大ナムチの娘・シタテル姫と出会い、恋に落ちた。
「美しい… もう国譲りなど、どうでもいい! 
私の妻になってください!」
こうしてワカヒコは、大ナムチの義理の息子になってしまい…
さらに、いずれは出雲の国を我がものに… 
なんて野心も芽生えてくる。

「どうしよう… ワカ兄さまが、ナムチの娘に… 
たらしこまれてしまった…」
1人思い悩むサグメ、だが、その夜…
「サグメ、お前は美しい… 私のものになっておくれ」
「ナムチさま!! 何を…」
馬のようにたくましい筋肉が、かぼそいサグメの
肢体に覆いかぶさる。

初めての男… 初めての恋。

「このまま、時が止まればいい… 
私とナムチさまの時が…」
大ナムチの側女(そばめ)となり、寵愛を
たっぷりと受け、サグメは変わった。
愛らしい天使のような姿はそのままに、
妖しい色香をまとうようになり…
そして、大ナムチへの狂信的なまでの忠誠が芽生えていた。


だが、8年の月日の後… 
ワカヒコに、復命を迫る使者が訪ねてきた。
「その使者は不吉です! 殺して!!」
身も心も、大ナムチのものとなったサグメが指さすと、
言われるままにワカヒコは、使者を射殺す。
だが、その報復でワカヒコ自身も、
刺客の放った矢に貫かれた。

そしてついに、最後の使者が…
カシマとカトリのコンビが、鳥船の軍団を率いて、
イナサの浜に現れる。
怪力を誇るスワが破れ、ついに大ナムチは国譲りを決意。
サグメは、出雲から追放。

天孫のものとなったこの国に、サグメはもはや
憎しみしか感じない。
流れ巫女となって諸国を放浪、天使のような
笑顔の裏で、人々を困らせるような悪事を
重ねては、快感を覚えるようになった。
「天探女(あまのさぐめ)」がなまって、
いつしか「天邪鬼(あまのじゃく)」と
呼ばれるようになったという…



「おい、お前、止まれ! お前のように怪しい者が、
この関所を越えることは、まかりならぬ!」
大津と山科(やましな)の間、「逢坂(おうさか)の関」で、
おしらは足止めをくった。
「そうですか…」
しょんぼりと背を向け、大津の方向へ、トボトボ戻っていく。

関所を警備していた武士たちは、顔を見合わせ、
「どうもマトモな女じゃなさそうだしな… 
あんなのを、都に入れるわけにはいかん」
「まったくだ… どれ、そろそろ昼メシにするか?」
ふと、振り返ると… 三つ又のヤスを振り上げたキチガイ女が、
すさまじい勢いで突っこんでくる!!

「ホゲエエェェッッ!!!」
3人の武士が、団子のように串刺しにされた。
「ケーケッケッケッケッ おけつの毛!!」
狂った笑いを上げ、おしら、逢坂関を突破。


ついに狂女おしらは、都に入った。
「ここが… ナムチさまから国を奪った、天孫の末裔の都…」
とある邸の前で、足を止める。
何か… 運命の力を感じる…

邸の奥から、元気な赤ん坊の泣き声が… 
男の子が生まれたのだ。
「まさか、ナムチさま…? いや、ちがう… この感覚… 
まだ、ほんのかすか… この子じゃない、けど確かに、
この子につながっている…」
狂気のエネルギーが、おしらの見開かれた瞳にみなぎった。
狂人の脳は、時空を超えた情報チャネルを
異次元に向かって開くことがある。

「わかった… この子は、ナムチさまの父親となる者… 
この子を通して、ナムチさまは地上に復活する… 
それまでの間、私にできることは…」
この国の神々を統べる霊界の王、「大国主神(おおくにぬし
のかみ)」こと、大ナムチ王を補佐する者を、生み育てること!!
この都で旅費を稼いだら、一刻も早く、出雲へと発とう…


邸は、藤原良方(よしかた)という、あまり
パッしない貴族の家で、出産したのは、
宮中から宿下がりをしている良方の娘。
(宮中=皇居で出産することは許されないので、
一時的に実家に帰る。これを「宿下がり」という。)

桓武(かんむ)天皇の孫(もしくは曾孫)に当たる
皇族・高望王(たかもちおう)の正室として、3人目の
男子を無事出産、良方も娘も、ほっと一息である。
将来、夫や子供とともに、未開の地・坂東(関東)に
移住することになるとも知らず…

この子は元服後、「良将(よしまさ)」と名乗る。
(「良持(よしもち)」という説もあり)
平将門(たいら の まさかど)の父である。