将門記(一)
5、 天空の巨腕
貞観15年(西暦873年)となった。
陸奥(むつ)一の宮・塩竃(しおがま)神社の門前に、
「おしら」はいた。
ボロ布を巻いた大きな塊をだいじそうに抱え、
石段に腰掛けていると…
「もし、そこの娘さん」
若い美形の武士が、声をかけてきた。
「あなたは、何を知りたいのかな… かな?」
天使のような、しかしどこか焦点の合わない
無垢な瞳が、武士を見つめる。
「いや、占ってもらいたいのではなく…
その包みの中身を見せてほしい」
しゅるしゅる… と、おもむろにボロ布をほどく、おしら。
「ヤ太郎だよ」
すさまじい悪臭を放つ、馬の頭のミイラ…
変わり果てた姿であったが、額の
白い斑点は、まごうことなき…
「おお… 雷玉!! なんという…
この馬を、誰から譲り受けたのだ!?」
おしらの白い手には、ギラリと光る大鉈が握られていた。
「ヤ太郎は渡さないよ」
すさまじい一撃を間一髪かわし、武士も刀を抜く。
「待て! 私は…」
狂人特有のすさまじいパワーで振り回す大鉈が、
ブンブゥンと風を切る。
「クッ…!!」
すでに武士の装束は、数箇所切り裂かれている。
(こちらも本気で応戦しなければ、殺られる…!!)
いつしか2人は、岸壁の上で戦っていた。
武士は左手に剣、右手に鞘を構え…
剣で鉈をさばいて、鞘で狂女の脳天を打つ。
「あうっ」
バランスを崩したおしらは、崖下へ転落…
が、武士がその手首をつかむ。
だが「ヤ太郎」の首と大鉈は、眼下の荒海へと消えていった。
「ヤ… やたろおおーッ」
自らも後を追って飛びこまんばかりの娘を
必死に押さえ、強く抱きしめる武士。
「悪かった!! 2人であの馬を、弔ってやろう…」
その夜、2人は猟師小屋で、抱き合って夜を明かした。
武士は「雷玉」の思い出を語り、
おしらは涙を流して、それを聞く。
「ヤ太郎… どうか、安らかに…」
「ところで… あの馬を誰から買ったか…
やっぱり、おとうじゃないと、わからない?」
「うん」
その「おとう」も死んだ今、おしらから
役立つ情報は引き出せそうもない。
「おしらちゃん… これからどうする?」
出雲へ行ってみる、と言うおしら。
「先祖が… 出雲だから」
そこに親類でもいるのだろうと、武士は解釈した。
送っていってあげたいが、こちらもまだ
使命のある身、道中気をつけてね…
そんな優しい言葉をかけて眠りに落ちたが…
深夜、目を覚ますと。
武士は全身を、荒縄で縛られていた。
「ッッ!?」
「お前… 女だろ? 男の格好なんかしちゃってさ…
何が道中気をつけてね、だよ…」
冷酷な笑みを浮かべたおしらの顔が、目の前にあった…
天使ではなく、悪魔の顔。
その手には、魚を突くための、先が三つ又に分かれた
「ヤス」という道具が。
「や… やめ… やめええええッ」
恋夜の肉体を、いまだかつて味わった
ことのない恐怖が包みこんだ。
生まれて初めての、自由な旅を楽しむ恋夜にとって、
「雷玉を盗んだ謎の女」など、正直どうでもいい…
どうせすぐには見つからないだろうし、のんびり探すさ…
そんな風に考えていた。
ところがどっこい、街道沿いの住人たちは、「謎の女」も
「謎の老尼」も、実によく覚えていて、その足取りは
簡単にたどれてしまう。
考えてみれば、五街道の整備された江戸時代とちがい、
この頃の旅人は多くない。
「雅な美女」や「怪しい老婆」が旅していれば
いやでも目につく。
そのうえ、関東から東北にかけては牧場も多く、馬に
目が利く者が多いので、「雷玉」のような名馬を連れて
いれば、芸能人なみに目立ってしまうのだ。
「雷玉」が、遠野あたりの物持ちの農家に売り払われ、
さらにその家で恐るべき惨劇が起きた…
という情報は、苦もなく入手できた。
さて、これからどうするか…
と、塩竃あたりをうろついていたら、おしらとバッタリ
出会ってしまった、恋夜なのであった。
今年、大内記(だいないき=天皇の公的な活動を記録する
部署の長)に就任した漢詩人の都良香(みやこ の よしか)
は今、塩竃神社に宿泊している。
陰陽師の滋岳川人(しげおか の かわひと)をともない、
陸奥国の由緒ある古社について調べてまわるのが、
表向きの役割。
だが真の目的は、ここ数年、東北地方で急速に
広まっている「蘇民将来/武塔神」信仰について
調査し、その背後に潜む者の正体をつかむこと。
「何者か、蝦夷(えみし=先住民)の反乱を
煽ろうとしているのではないか…」
摂政(せっしょう)の藤原基経(もとつね)は
そのように危惧していた。
実は、「内記」という部署は今、あまり仕事がない。
「それで、こんな役を押しつけられたのでしょうが…
私にとっては幸運ですよ!」
学者には見えないほどたくましく、男臭い都良香、
ただ今働き盛りの40才。
後に富士山登山にチャレンジするほど冒険好きで
(天神記(二)「都良香」参照)、こんな出張旅行は
大歓迎である。
「まったく、暑苦しい御仁であるな…」
対照的に、老年に達した川人は、都をお払い箱にされた…
という思いが強い。
昨年、病床にあった基経の養父・良房の治療(お祓い)に
失敗し、大いに面目を失った。
そのうえ最近は、弟子の弓削是雄(ゆげ の これお)が
メキメキ頭角を現している。
(天神記(一)「陰陽師」参照)
「いくつかの村で、武塔神が現れたという証言がありましたね!
武塔神といえば、荒ぶる神スサノオの命(みこと)ですよ!
一体、何者がスサノオを騙ってるんだろう!?」
「(´;ω;`)知らんがな」
「あーワクワクするな! 興奮して眠れない!!」
ガイドとして2人に同行している、先住民の言葉に精通した
虎麻呂という農夫が、フッと笑みを浮かべた。
「どうした、虎麻呂? 何がおかしい?」
「いえ… 旦那が、武塔神さまを偽者と決めつけて
らっしゃるようなんで… 本物のスサノオさまが生きて、
この国を歩き回ってるとは、考えられませんので?」
「何? これだから無教養な農民は…
あ、そういえば「虎麻呂」といえば… 延暦18年2月21日、
陸奥国新田郡にて、蝦夷の言葉に通じた弓削部虎麻呂
という百姓が妻と2人、妖言をもって蝦夷を扇動…
捕らえられ、日向に流された…
なんて記録を読んだような気がするが…
まさか、お前じゃないよな?」
「冗談はよしてくださいよ… 延暦18年
といえば、74年も前のこと」
虎麻呂は、背筋が凍る思いだった…
この都良香という男、バカかと思ったが、
なんという恐るべき記憶力!
ともに蝦夷の言葉を学んだ愛しい妻・小広刀自女
(こひろとじめ)こそ、先に旅立った「久遠の民」の
9人目、「九紫火星(きゅうしかせい)」であった。
(こひろ…)
灰となって散っていった妻を思い出し、
胸が締めつけられる。
いかん、こんな人間のような気持ちになっては…
俺自身も、灰となってしまう!
その時、外が騒がしくなった。
「なんだ、なんだ?」
野次馬根性丸出しの良香が飛び出し、すぐに戻ってきた。
「参道に怪我人が倒れていたようだ!
若い美形の武者で、男なのに、なんか艶っぽ」
(ほう… おしらは殺さなんだか… これは意外な)
ひそかに驚いている虎麻呂であった。
神社の職員に運びこまれた恋夜は、左の腿を鋭いヤスで
刺し貫かれ、大量に出血していた。
「お前… ちょっとだけ優しかったから…
命は助けてやるよ」
そう言い残して、おしらは消えた…
恋夜は自力で猟師小屋を脱出、這いずりまわって、
塩竃神社参道までどうにかたどり着くと、そのまま失神。
「かわいそうに… 腱が切られている…
左脚は、もう使い物になるまい…」
介抱された恋夜は意識を取り戻し、集まってきた
良香・川人・虎麻呂と言葉を交わす。
虎麻呂は、しばらく恋夜を見つめていたが、
やがて席を外した。
(警告としては、もうこれで十分な気もするが…
念のため、もう一押しするか。
都から来た陰陽師たちも、どうにかせにゃならんしな…)
外に出ると、木立に向かって手を振り、
「三碧木星(さんぺきもくせい)… まかせたぞ」
「どうか、お助けください!! 殺されるッ…」
またしても、境内が騒然となる。
逃げこんできたのは、今にも泣き出しそうな目をした老僧。
「おっ 今度は何事だ!? 次から次へと!!」
野次馬・良香がさっそく飛び出すと、宿舎の
庭先で、膝まづいた老僧が両手を合わせ、
必死に保護を求めている。
「私、都のさる大寺に勤める身ながら…
お恥ずかしい話ですが…
ある女に、のめりこんでしまい…」
おっと、いきなり生臭い話になってきたぞと、興奮する良香。
「その女が私を捨て、陸奥へと旅立つというので、
追ってきたのですが… 薄気味の悪い尼さんが
私の行く手をさえぎり、言うのです…
これ以上、女に関われば、死界に引きこまれる、と…」
恋夜の担ぎこまれた部屋にも、この声は届いていた。
「ハッ もしや… すみません、戸を開けてください」
川人が蔀戸(しとみど)を押し上げてやると、
月光に照らされた庭に、老僧の姿が見えた。
「その警告を無視して、さらに追っていったら…
腕が… 天空から、巨大な腕が…」
その言葉の終わらぬうちに…
夜空に墨汁を落としたように暗黒の空間が広がり…
その空間より、ヌオオオオッと
伸びてきた奇怪なる右腕!!
広げた掌の直径は5mもあろうか、蠢く指は
想像を絶するほど巨大な蜘蛛を思わせる。
「ひいいいいっ 助けて…」
老僧を捕らえた巨腕は、すさまじい握力で圧迫しながら、
スルスルと天空の巣穴へと戻っていく。
バキボキと骨の砕ける音、通り雨のように
降りそそぐ血しぶき。
最後にブチッという音がして、バラバラになった老僧の
手足や首、内臓や肉片が次々と落ちてくると、
同時に腕も消えた。
目撃者たちは皆、言葉もなく凍りつく。
腰を抜かす良香、真っ青な川人、恋夜に
いたっては失禁さえしていた。
(ククク… 度肝を抜いてやったわい…)
転がっている老僧の生首は、秘かに笑っていた。
「巌猊(がんげい)」と名づけた巨腕は、
彼、玄ム(げんぼう)の作り出す幻だ。
おにぎり頭の円珍が、黄金の巨人「黄不動」を
呼び出すように、玄ムはこの天空の巨腕「巌猊」を、
自在に召喚する。
我らのテリトリーを嗅ぎ回る都の犬ども、
これで、ビビッて逃げ帰るだろう…
だが、良香がスックと立ち上がるのを見て、
玄ムは目を疑った。
「うぬう、陸奥の魔物、恐るべし… だが、しかし!!
我らには都で並ぶ者なき、最大最強の陰陽師、
滋岳川人先生がついているのだ!!
もう1度、姿を見せよ、巨大な腕の魔物!!
川人先生がサクッと退治してくれるぞ!!」
「(´;ω;`)や、やめて…」
川人は、ガクガクブルブル震えていた。