将門記(一)





3、 おしらさま




年が明け、貞観13年(西暦871年)。

「わが兄ながら、なんという無様な… 
色香に迷い、右目ばかりか、雷玉まで失うとは」
妹の恋夜(れんや)に痛罵され、獣心は返す言葉もない。
1つ下の17才、年頃だというのに、髪も装束も
少年のような姿をしている。
「雷玉(らいぎょく)」とは、例の女に盗まれた獣心の馬。

「恋夜、お前こそなぜ、京の都までついてくる? 
いいかげん兄離れして、娘らしくしろ」
あの女の典雅なふるまい、言葉使いから推察するに、
まず都育ちと見ていい。
獣心は父に願い出て、京の都における春日神社の分家とも
いうべき吉田神社の常駐スタッフとして、出向してきたのだ。

「できの悪い兄に代わって、私が当主を継がねば
ならないでしょう… 仕方ないので、私は男として
生きることに決めました」
すれちがう女車から漂う微香に鼻をクンクン、頬を赤らめ、
「ああ、都の女子はいい匂いですなあ、兄上」
「お前… ただ都に出たかっただけとちがうか」


今や右目を黒い眼帯で覆った獣心は、暇を見ては聞きこみ
調査を続けたが、捜し求める女の影は、どこにも見えない。
そもそも、都の女性は他人に素顔をさらすことなど滅多にない
わけで、容姿を手がかりに女を捜そうとしても、相当難しい。

焦る獣心の胸のうちには、復讐の炎と同時に、
ほのかな恋慕の情があった。
初恋といっていい。
一方の恋夜は、都暮らしにすっかりなじみ、
女の子と文のやり取りをして喜んでいた。
「恋夜… お前、ひょっとして… 男に興味ないのか?」
今ごろ気づいた鈍感な兄であった。


ある日の夕暮れ、獣心が薄暗い路地を歩いていると、崩れかけた
塀の陰に、尼僧の姿をした、不気味な老婆が立っていた。
「お前の捜し求める女は、もうおらぬ… とっくの昔、30年も前の
承和(じょうわ)年間に死んだのだからな」

獣心の左目の鋭い眼光が、老婆を射る。
「あんた… あの女を知ってるのか?」
「さる貴族の娘で、ワシがお世話した方じゃ… 
ワシのお節介で、不幸になってしもたが…
詳しいことは言えぬ、あの方の名誉に関わるでな」

「死んだというなら、人違いだろう。俺の尋ね人は
生者だぜ、生々しいほどの…」
「お前が会ったのは死霊じゃ。これ以上、
関わるのはやめよ。死界に引きこまれるぞ」
「婆さん… あんたの名は?」
「死水尼(しすいに)… 警告はしたぞ、小僧」
夕闇の中、老婆は消えた。



同じ頃、陸奥(むつ)の国… 
現在でいう岩手県遠野市のあたりに、ある裕福な農家があった。
そこに、今年17才になる「おしら」という、天使のように
純粋無垢で、色白の娘がいる。
子供の頃から、家で飼っている五郎という仔馬と
兄妹のように育ち、日々愛情こめて世話をしてきたが、
昨年、五郎は死んでしまった。

おしらはとても悲しんで、馬小屋で毎日、泣き暮らしていたが…
とうとうこの日、父親が新しい馬を買ってきてくれた。
今度のは、たくましい体躯がタダ者でない… 
五郎とは、だいぶ感じがちがう。
「不思議な旅の女が、安く譲ってくれたんだよ」

これこそ、太岐口の家で特別な訓練を受けた駿馬、
海も泳ぎ、大凧で空も飛行するまるで007のボンドカー
のようなスーパー馬、「雷玉」号であった。
本来なら太岐口の人間以外、体をあずけないよう仕込まれて
いるのだが、旅の途中、ナメクジ女の秘術で、
すっかり骨抜きにされている。
今も、おしらの胸に頭を押しつけ、甘えてくる。

「ちょ、ちょっと… なんか助平な子、ヤーね! 
そうだ、ヤ太郎と名づけるべ」
おっとりした農耕馬の五郎とちがい、雷玉には血統のいい
軍用馬ならではの強さ、精悍さ、たくましいセックスアピール
があり、おしらは戸惑ってしまう。
それでも心の空白を埋めるべく、毎日世話をして、
話しかけるのだった。

この地方の農家は「曲屋(まがりや)」と呼ばれ、家畜小屋と
人間の住居がL字型に合体した、独特のものだ。
その日も、夕餉を終えたおしらは、炉辺(ろばた)を離れ、
馬小屋というか馬部屋に行って、唯一の友である「ヤ太郎」
こと雷玉に、1日のできごとを話していた。
囲炉裏の煙が、ここまで漂ってくる。(これが虫除けになるらしい)

すっかりなついた雷玉は、おしらにもたれかかってくる。
「ヤ太郎! なんでそんなにくっついてくるの? もう…」
馬と目が合い、あわてて目をそらすおしら。
胸が、妙に息苦しい。

五郎の時には、こんな気持ちになることはなかったのに…
生まれて初めて、異性を意識するおしら。
(この子となら、夫婦になってもいい…)
そんな心の声が聞こえたのか、雷玉がのしかかってくる。
おしらは藁に横たわり、馬の巨大なペニスに、処女を与えた。


獣姦… それは決して許されない、人と動物の交わり。
こんな異常な逢瀬が、いつまでもバレないわけがない。
なんといっても、馬小屋と母屋がつながっているのだから。
3度目の逢瀬の晩、ついに両親が現場を押さえた。

「おしらッ お、おお、お… おめえ、なんずうごとを…」
「このクサレ馬がッ! 娘から離れろ!!」
「やめて、お父、お母!! 私、ヤ太郎のお嫁さんになる!!」
「人間が馬の嫁になれるかッ このボケ!!」
某ソフトバンクのCMを見ると、犬の嫁ならなれるようだが。


翌日、おしらが泣きはらした目で、
そっと馬小屋に入ってみると… 
雷玉の姿はなかった。
「お父、ヤ太郎をどうした?」
「さあな。娘を犯すような馬コ、家に置いとけるかよ」

「ヤ太郎オオオ! どごさ行ったあー!?」
裏庭の大きな松の枝に、馬がぶら下がっていた… 
革紐で首を吊って。
この時、おしらの中で、何かが壊れた。
「フフ… フフフフ… フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ…………」


野良から戻ってきた父は裏庭で、
首を切断された馬の死体を発見。
「ヒイイィッ お、おしらは…!?」
血の跡が点々と、裏山へと続いている。
両親は、それをたどっていった… すると。

夕闇迫る森の中、血の染みた布にくるんだ何かを抱え、
おしらが笑いながら立っていた。
「お、おしら… ヤ太郎をどうしたんだ?」
「ヤ太郎なら… ここにいますよ…」

布をほどくと、馬の生首が現れた。
その首に、愛おしそうに頬ずりをするおしら。
あまりのおぞましさに、吐き気すら催す父と母。
この娘は狂っている…

「絶望したよ… 私たちの純愛を認めてくれない
世の中に… 絶望した」
いつのまにか、おしらの白い手には、
血塗られた鉈(なた)が握られていた。
「ギャアアアアアァーーーーッ」

まず、父親の首すじにザックリと一撃…
続いて、泣いて命乞いをする母親の脳天に、
力いっぱい振り下ろす。
もしこれがTVシリーズだったら、放送中止になって、穴埋めに
ヨーロッパの美しい景色とクラッシック音楽が流れて、
「番組の放送予定を変更してお送りしております」なんて
テロップが出てしまいそうな、それほどのすさまじい惨劇だった。

ケタケタ笑いながら、おしらは森の奥深くへと消えた。



年が明け、貞観14年(西暦872年)。

ミイラ状になった馬の生首を大事に抱え、
血塗られた鉈を手にうろつく殺人鬼・おしらの
存在は、付近の村々を恐怖に陥れた。
村の周辺にたびたび出没するおしらだが、
村人に害をなすことはなく、食べ物を
与えれば大人しく立ち去っていく。

いつしか、おしらは村人から拝まれるようになった。
ブツブツと何かつぶやいている言葉が、何か
予言めいており、しばしば的中したためだ。
おしらが現れると、飯と着物、馬の首のミイラを包む
新しい布を供え、悩みを相談する者も現れた。

婦人病や出産に関する悩み、田植えや刈り入れの時期、
猟師ならば獲物がどの方向にいるかなど、さまざまな
テーマについて的確なお告げをするおしらは、もしかしたら
「イタコ」の元祖であったかもしれない。
おしらの死後、木の棒に娘や馬の顔を刻んで布切れで包み、
「家の神」「馬の神」「農業の神」「蚕の神」として祀る
「オシラサマ」信仰が東北一帯に広まっていく。


ある時、例によって馬の首のミイラを抱え、おしらが道を
歩いていると、不思議な幼女が道端に座りこんでいた。
「あなた、何か悲しいことがあったのね。心が壊れて… 
そして、不思議な力を手に入れた。私もそう… 
あの時以来、人の心が読めるし、
体も子供のまま、成長しないの」
ニッコリ微笑みかける槐(えんじゅ)、「元祖・座敷わらし」である。

焦点の合わない瞳で、不思議そうに幼女を見つめるおしら。
「………」
「あなたの心には、黒い復讐への欲求が渦巻いている。
でも優しいあなたもいて、あなたを丁重に扱う村の人たちを
祟ることができない… それが、あなたの心の重荷。
今の穏やかな生活は、あなたの望むものじゃない。
あなたはもっと、血を欲している」

「なんのこと… かな?」
おしらは無邪気に、首をかしげる。
「お前の実家は、物部氏の子孫らしいな… いい血筋だ」
新たな声の方に振り向くと、ハゲ上がった
中年オヤジが立っていた…
アジテーター・弓削部虎麻呂(ゆげべ の とらまろ)。

「古代の名族だった物部の子孫が、どうしてこんな
辺境の地にいるのか… その理由を教えてやろう。
「国譲り」の物語だ…」
古代の出雲での出来事を語る虎麻呂。
おしらのパサパサに乾いた脳は、水のようにそれを吸収した。



都では太岐口獣心が、謎の老婆「死水尼」について調べていた。
意外にも、貴族や有力武士の家にも出入りしており、
つき合いは広いらしい。
(一体、何者なのだ…?)

ある日、旅支度をして都を出た死水尼を、
鳥辺野(とりべの)まで尾行した。
この辺は、庶民の死体を投げこんだ風葬の地で、
腐乱死体や白骨がゴロゴロしている。
「これ以上関われば、死界に引きこまれると言うたはずじゃが…」
老婆は骨片でできた小さい笛を取り出し、口にあてる。

人間の耳には聞こえない、特殊な周波数の
超音波が、野犬の群れを呼び寄せる。
たちまち獣心は、牙をむく危険な犬どもに囲まれた。
「チッ… 無駄な殺生はしたくはないが…」
剣を抜く。

一斉に、野犬の群れが飛びかかってきた。
「できの悪い兄さま! 危ないッ」
「恋夜! おま… どこから…」
男装した妹のふるう長刀が、一瞬にして野犬どもを切り裂く。

「お前… 兄の活躍する場面を奪うとは…」
死水尼の姿は、すでにない。
「見失った… どこへ向かったのか…」
「おそらく東国でしょう。そんなに気になりますか?」

犬の血を払い、長刀を鞘に収める恋夜。
「兄さま… 私が追跡しましょうか? 
私の味方をして、父さまを説得してくださるなら、ね」
「なんについての説得だ?」
「これからも夫をもったりせず、男として生きていくことを許すと…」

「あきれた奴だ。だが、家を継ぐことは許さんぞ。
家を出れば、好きにしていいだろう」
恋夜は、さわやかな笑顔になり、
「それでは太岐口恋夜、今日より旅に出ましょう。
そして兄に恥辱を味あわせた敵を… 兄の初恋の女性を…
必ずや、見つけ出してご覧に入れます」

「ちがうだろ、新羅と通じて日本国を危機に陥れんと
した賊だろ! 俺のことは、どうでもいいから… 
初恋だの恥辱だの言うな(>_<;)」
「あはははwww」
こうして、吉田神社での仕事があって都を離れられない獣心に
代わり、恋夜が馬にまたがり、東へと旅立ったのである。