将門記(一)





1、 蘇民将来(そみん しょうらい)




貞観(じょうかん)11年(西暦869年)、
第56代・清和(せいわ)天皇の御世。

2月。
九州の大宰府(だざいふ)において、大宰少弐(だざいのしょうに
=大宰府の次官)を勤める藤原元利万呂(ふじわら の もりまろ)
は、不思議な女と知り合った。
どこか、この世を超越したような瞳の、妖しい美女。
名前を聞いても答えない。
「悠久の時を生きる「久遠の民(くおんのたみ)」
とでも、申しましょうか…」

妻を都に置いて単身赴任中の元利万呂は、
たちまち、この女と契りあう仲となった。
契ってみると、これまで経験したことのない、
魂が極楽浄土へ消し飛ぶような快感を味わう。
「久遠(仮名)、お前のような女は初めてじゃ…」

ある時、契り終わった後で元利万呂が魔羅(まら)を引き抜くと、
何かヌラヌラした塊が女の陰部から出てきた… 
長さ20センチほどもあろうか。
よくよく見ると、それは特大サイズの蛞蝓(なめくじ)。
「ヒイイイィッ」
思わず、のけぞった。

女はクスクス笑い、蛞蝓を愛おしそうに白い手ですくい上げた。
「私はこれを、女陰に飼っているのです」
「そ、それが… あれほどの快楽をもたらす秘密か…」
このような気色悪いものが、自分の大事なところを
這いずり回ったのかと思うと…
卒倒しそうな元利万呂であったが、しかし女に
ますます深くはまりこんでいく。


3月となった。
「少弐さま… ご紹介したい方がおります」
女は元利万呂を船に乗せ、沖へと連れ出す。
「いったい、どこまで行くのだ… それに船を操っている男たち、
何やら異国の言葉を話しているような…」

沖ノ島が見えてきた。
島全体が宗像(むなかた)大社の神域であり、
縄文・弥生時代以来の数々の祭祀場跡や神宝を
深い森に隠す、「海の正倉院」と呼ばれる秘境。
宗像大社 公式サイト http://www.munakata-taisha.or.jp/

「まさか… 沖ノ島に? あそこは宗像の神官以外、
上陸禁止ではないか」
断崖絶壁に囲まれた島の、唯一の港には、
異国風の船が泊っている。
「あれは… 新羅(しらぎ)の戦船(いくさぶね)!」
だが、もはや引き返すことはできなかった。

禁断の島で、元利万呂は新羅の将軍と会見した。
部下には徹底した忠誠を要求、その証として
自分の糞(くそ)を嘗めさせる。
拒む者は、忠誠心が足りないと見なし、即刻首をはねる。
恐怖の男・ホンタク将軍、又の名を「糞嘗め将軍」。

将軍は砂金の詰まった袋を元利万呂に渡し、
九州沿岸部の地図や海図、警備体制や駐留
している軍隊に関する情報を求めた。
「まず対馬を、我らが領土にせんと思う… 
最終的には筑紫(つくし=九州)全てを」
結局、元利万呂は金と女の誘惑に負け、
スパイとなって情報を渡す約束をした。


5月22日、新羅の海賊が博多津を来襲した。
2隻の海賊船が港に横付けると、飛び降りた
新羅人たちがワラワラと倉庫に殺到。
豊前(ぶぜん)国(=大分県)の年貢として
収められた絹・綿の山を掠奪、逃走。
もちろん、背後で海賊を操っているのはホンタク将軍だ。

日本側も船で追跡するが、逃げられてしまう。
大宰府は博多津に居留する新羅商人30人を
海賊と内通した容疑で逮捕、追放。
だが、実は次官の元利万呂が内通者だとは、誰も気づかない。



海賊襲来の衝撃もまだ醒めやらぬ5月26日夜、
宮城県沖で大地震が発生。
南の大宰府と並ぶ、北の国家防衛の要地・多賀城では
震度6強を記録。
建物は崩壊、土砂崩れ、大津波とともに、
謎の発光現象(地震光)も目撃された。
死者1000人以上。


さて、岩手県の北上川流域に当たる地域に古代、
「日高見国(ヒタカミのくに)」と呼ばれる先住民の
国家があった。(北上川の語源は「ヒタカミ」らしい)
平安の始めに指導者アテルイが将軍・坂上田村麻呂(さかのうえ
の たむらまろ)に倒され、この頃(869年)は、「俘囚(ふしゅう)
=朝廷に帰順した先住民」が住む地域となっている。

この辺りも地震の被害は大きく、家を失った人々は
広場に集まって、しょんぼりと座っていた… 
1人の乞食?が現れるまでは。
身長190センチ以上、縄文杉のごとく異様に
節くれだった筋肉、伸び放題の髪と髭…
「お前らの中で1番、腕っぷしの強えのは誰よ? 
俺に相撲で勝ったら、米をやるぜ」

村一番の力自慢を、片手でいとも簡単に投げてしまった。
「次は100人でかかってこい。俺を負かしたら、
腹いっぱい米を食わせてやる」
男たちは、目の色を変えた。
着物を脱ぎ捨て、ふんどし一丁になり、雄叫びを上げ、
乞食に突っこんでいく。
女や子供たちも遠巻きに、声を張り上げエキサイトする。

群がる100人の男たちを、乞食は右腕1本で押し返す。
大混戦の末、100人全員が汗だくになって、
大地に長々と横たわった。
ただ乞食のみが、平然と立っている。
「お前ら、まだこんなに力が残ってるじゃねえか… 
いつまでも座りこんでないで、働け!
皆で力を合わせれば、村はすぐに元通りだぜ」

村人たちの目には、生き生きした輝きが戻っている。
去りゆく乞食の背中に向かって、
「待ってください! あなたのお名前を…」
しかし、答えはなかった。


乞食は、とある祠(ほこら)の前で足を止めた。
「アラハバキか…」
牛を引いた老人が通りがかりに、そのつぶやきを耳にした。
「ほう、お前さん… ワシらの神、アラハバキさまを
知っておるのかい? 1ツ目で足が1本の神さまだ…
都の連中は、邪神呼ばわりしておるがな」

「アラハバキは、蛇の姿だという者もいる。恐らく、はるか昔に
お前らの先祖が崇拝していた神は、そんな姿だったんだろう」
「へえ?」
「その後、出雲から物部氏が流れてきた。奴らは鉄を作る民だ。
奴らの神は1ツ目で1本足の天目一箇神(あめのま
ひとつのかみ)… 鍛冶(かじ)の神、鉄の神だ」
その神のイメージが、東北の地でアラハバキ神と
1つになったのだろうと、乞食は言う。

「そうかもな… ワシらは物部氏を尊敬しておる。
鉄を溶かし、加工する技を伝えてくれた」
この地に移住した、「国譲り反対派」の物部氏が
もたらした「鉄の文化」。
それは脈々と受け継がれ、江戸時代には
「南部鉄器」となって実を結ぶ。
明治になって日本最初の近代的溶鉱炉が
作られる釜石も、この近くだ。

乞食は祠をじっと見つめ、低い声でささやく。
「やがて… アラハバキは復活するぜ… 
鉄の魔力が、この国の歴史を変える…」



6月も終わろうという頃。
北上川流域の村々では、復興が進んでいた。
「それにしても、あの方は一体、何者だったのかね… 
あの時の大男さ」
「人ではなく、神なのはまちがいないよ。
どこの土地の、どういう神なのか…」

疑問の答えは、ある旅人によって、もたらされた。
供を連れた、小ざっぱりとした身なりの中年男。
目の異様にキラキラした、さわやかだが、
どこか得体の知れない…
「武塔神(むとうしん)さまが、この地に
現れたという噂を聞いたのですが」

「ほう、武塔神というのですか、あの方は」
「武塔神の正体は、スサノオさまですよ。
出雲の国譲りをした、大ナムチの父親の」
村人たちは、あんぐりと口を開けた。
「あの乞食みたいなのが… スサノオ!?」

「申し遅れましたが、私は旅の商人です。
先祖が武塔神に助けていただいたので、いつの日かご本人に
お会いして、お礼を申し述べたいと思い、行方を探しております」
商人が語る物語は、次のようなものだった。


大昔のことだが、備後(びんご)の国(=広島県東部)に、
巨旦将来(こたん しょうらい)という金持ちがいたそうな。
(どうも日本人らしくない名前だ)
ある日、旅の途中の武塔神が、巨旦の家に立ち寄った。
「よお。今晩泊めてくんね?」
「うわっ 乞食か? シッシッあっち行け!」

武塔神はムカついたが、考えがあったので、
おとなしく引き下がった。
近所にみすぼらしい家があったので、そちらへ声をかけてみる。
「泊めてくんね?」
「こんなあばら家でよけりゃ、勝手にするといいよ」

家の主は、巨旦の兄・蘇民将来(そみん しょうらい)。
弟に父の財産を全て奪われ、貧乏暮らしをしている。
(それにしてもこの兄弟、「将来」がファミリーネームなのか?)
「鍋に雑炊が残ってる。食うといい」

武塔神は、雑炊をかきこみながら、
「あの邸の奴ら… 皆殺しにするぜ」
無気力に寝転がっていた蘇民は、ガバッと起き直った。
「そんなこと、できるのか?」

絶対に無理と思っていた、憎き弟への復讐。
この異様な雰囲気の大男が、俺の代わりにやってくれると…?
「あ、でも待ってくれ。あの家には、娘が嫁いでるんだ… 
娘だけは助けてほしいな」
「茅(かや)で小さな輪を作って、それを腰にぶら下げ
とくように伝えろ。それを目印にするわ。
輪をつけてない者はすべて、攻撃対象となる」

翌日。
どのような手段を使ったのかは不明だが、
巨旦の家の者、32名全員が怪死。
たった1人の生存者… 蘇民の娘を除いて。
これほどの大量死は、疫病のせいとしか思えない。
蘇民は畏怖のまなざしで、見送るしかなかった。
旅立つ武塔神の背中を…

〜END〜


「ほわあ〜 そんなことが、本当にあったのかい…」
「私は、その蘇民将来の子孫なのです。今でも私の家では、
疫病が流行っても、1人の死人も出しません… 
病が流行る時は、茅の輪を玄関に下げとくんです」
「茅の輪を…」

商人の話は、村人に強い印象を与えた。
恐らく、あちこちで同じような話をしているのだろう、
この頃から全国で、大きな茅の輪をくぐって疫病を
払う「茅の輪(ちのわ)くぐり」の神事が広まっていく。
厄除けに、「蘇民将来子孫也」と書いた護符を
戸口に貼る風習も見られるようになった。

なお、蘇民の家の跡には「疫隈國社(えのくま の くにつやしろ)」
という社が建てられ、後に素盞嗚(すさのお)神社となる。
(広島県福山市)
公式サイト http://www.fuchu.or.jp/~eguma/

奇しくもこの年、京の都の祇園社(ぎおんしゃ、現在の
八坂神社)では、疫病退散を祈願するため、疫病神
「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀って儀式を行った。
現在も続いている「祇園祭」の第1回である。
牛頭天王もまた、スサノオと深い関わりのある神だ。
八坂神社 公式サイト http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/


さて、北上川沿いの村を出発した商人は、
深い山中に入っていく。
やがて… 地元の猟師でさえ立ち入らぬような谷間に、
鬱蒼とした木立に囲まれ、豪壮な館があった。
「ごめんなさいまし」

商人は、ズカズカと上がりこむ。
「ここが… 新しい本陣ですか」
大広間に、大男の乞食が… 
いや、荒ぶる神「武塔神」ことスサノオが寝そべっていた。
「遅かったな、蘇民」

蘇民… 商人は、蘇民将来の子孫ではなかったのか?
それとも、先祖と同じ名なのだろうか?
と、その時…
広間の奥の方から、スーッと浮かび上がるように
現れた1人の幼女…
どう見ても、まだ7・8才くらいだ。

「いいおうちでしょう? 私が大工を集めて、
古い館を修復させたのですよ」
「やあ、槐(えんじゅ)。ご苦労だったね… 
で、もちろん大工たちは、その後」
「記憶を消しました」
可愛くもあり、不気味にも見える笑みを浮かべる幼女。

「そうかい。ところで槐よ… 来る途中耳にしたのだが、
この付近の村で、だいぶイタズラをしているようだね」
「なんのことでしょう?」
「とぼけるんじゃない。村人の家に勝手に上がりこんで、姿を
見せてるそうじゃないか。座敷の奥に不思議な童(ワラシ)が
座ってるのを目撃したって、何人も証言している」

幼女はシクシクと泣く真似をして、
「ごめんなさい… 蘇民のおじさまたちがいない時は、寂しくて…
100年以上生きてる私だけど、人恋しくなる時があるの」
「我らの存在が、気取られてはいけない。
もう2度と、してはならぬよ」
警告する蘇民の目には、冷酷な光があった。

「悠久の時を生きる、我ら「久遠の民」とはいえ… 
掟をたびたび破る者には、死が訪れることは
まちがいないのだから」