将門記(一)





プロローグ 国譲り(くにゆずり)




遥かなる神代(かみよ)の昔。

「ヤマタノオロチが倒されたそうだ」
「なん… だと… あの魔物が… 誰がやった?」
出雲(いずも)より遠いこの地までニュースは伝わって
いるようで、猿たちが噂し合っていた。
「海の彼方から漂着した、よそ者らしいぞ」
そばの茂みにゴロリと横になっていた熊が、口をはさむ。

「人間がオロチを倒した! 人間がオロチを倒した!」
カラスたちが騒げば、樹齢3000年の
ブナの大木も記憶をたぐるように
「確か名は… スサノオというそうだ」
枝の間を吹きすぎる風が、歌うようにざわめく。
「スサノオ… スサノオ… スサノオ…」

山頂に鎮座する巨大な岩が、重々しく口を開く。
「出雲の王となったスサノオは、大陸との交易を始めた。
特に、鉄器の輸入に力を入れている… 
完成品を輸入するだけにとどまらず、鉄くずを買い取り、簡単な
鍛冶加工をして、自前の鉄製品を製造しようとしている」

その周辺に転がる小石たちも、重要な点に気がついた。
「待てよ… 鉄製の鍬(くわ)や鋤(すき)、
斧なんかが普及すれば…」
生い茂った草々が、悲鳴を上げる。
「大地は人間によって簡単に切り拓かれてしまう!
森も切り倒され、稲を植えるための水田にされてしまう!」

大地が、苦々しげにつぶやく。
「木や銅でできた鍬なら、弾き返すことも
できようが、鉄となると…」
岩すら砕くことのできる「鉄」は、自然界に
とっては恐るべき存在なのだ。
「鉄を支配する王となるか、スサノオ…」
小川が畏怖の念をこめて、ささやいた。

これは、童話でもファンタジーでもない。
古代の日本において、動物や植物、岩や石ころ、風や雷と
いった自然物が「会話」をするのは、当たり前のことであった。


スサノオが到来する前、出雲の国(=島根県東部)は
青銅器の生産で有名だった。
ヒスイやメノウ、水晶などを加工して勾玉(まがたま)を作る技術
にも優れており、これは交易品として朝鮮半島にも輸出された。
(現在も出雲には、「玉造温泉」という地名が残る)
玉造温泉 公式サイト http://www2.crosstalk.or.jp/onsen/

青銅器や勾玉には、霊力・魔力が宿っている。
霊力を宿した宝物を、「モノ」という。
ヤマタノオロチが出雲を支配できたのは、銅剣や銅鐸(どうたく)
といった「モノ」を大量に所有していたこと、つまり霊力において
王者であったことによる。

スサノオはヤマタノオロチを超える王になるため、
玉や銅より遥かに高い霊力をもつ「鉄」という
「モノ」を、我が物にしようとしていた。
鉄の輝き・固さこそ、大地と炎が交わって生まれる霊妙なる神秘、
人類の歴史すら変える力をもった、最強の「モノ」であった。



「もっと炭を入れろ!」
「底をつきました!」
「ダメだ、溶けきってない…」

彼らは王に仕える高位の神官、「モノ」を管理する一族。
「モノノベ」という。(漢字を当てると「物部」)
「やはり、大量の砂鉄を溶解させるほどの高温を
生み出すのは難しい…」
度重なる失敗に、がっくりと肩を落とす。

鉄くずを加工する技術は、すでにある。
あとは豊富に産出する砂鉄から、鉄を
作り出すことができれば…
鉄製品を、完全に国産化できる。
「それには、もっと大量の炭が必要だな…」
「しかし木を伐りすぎると、ハゲ山だらけになってしまいますよ」

ずっと後になって、これは「タタラ製鉄」という
新技術となって完成するのだが…
(タタラは通常の製鉄に比べ、低温でも鉄を作り出せる)
「我らが王・スサノオよ、あなたの存命中に、
新しい製鉄法を開発するのは無理ですわ」

スサノオは、ある決心をする。
生きたまま『根の国(死後の世界)』へと下り、
死を超越して生き続ける…

「俺はな、「鉄を支配する王」となって、出雲が「鉄の王国」となり、
とこしえに栄えるのを、この目で見届けたい… 
出雲という国は、国の中の国。出雲の王も、王の中の王…
日本中の荒ぶる神たちを従え、最も霊威ある神として
君臨する出雲の王… そしていつしか… 
年に1回、この出雲に日本中の神々が集まって、
出雲の王を称えるようになる…
そんな日が来るのを、俺はこの目で見たいのだ」


その後スサノオがどうなったのか、知る者はいない… 
(一部の身内を除いて)
さすがのスサノオも、『根の国』へ行ったはいいが、
帰ってこれないのだろうと、もっぱらの噂だった。
時は移り、息子のナムチが、2代目の王となっていた。

若い頃はヘタレで呑気者だったナムチ王だが、
その霊威は父のスサノオ以上と言われた。
何しろ2回も死んで、2度とも『根の国』から生還したのだから…
いまだ製鉄の国産化は成しえていないが、出雲は「国の中の国」
と称えられるようになり、日本中の神々は、毎年10月になると
出雲に集まる… という信仰が広まった。
(その間、出雲以外の国では神々がお留守になるので、
10月を「神無月(かんなづき)」というが、出雲だけは
「神在月(かみありづき)」なんだって)


「俺は海蛇といっしょに、遥か海の向こうから、
この国に流れ着いたんだ」
かつてスサノオは、こう語っていたことがある。
海蛇とは、南洋より黒潮に乗って上ってくるセグロウミヘビのこと。

出雲の民は神在月になると、浜辺に漂着したセグロウミヘビを
ミイラにして、スサノオの使いとして祀るようになった。
これが現在も毎年10月に行われている、
「神在祭(かみありさい)」の原型である。

まさしく、出雲王国の黄金時代であった。
出雲の人々は、輸入した鉄製品で交易して膨大な富を貯え、
日本各地に進出し、植民地を作った。
現在でも全国にある神社の8割は、
出雲系の神を祀ってるそうな。



出雲の栄光の、終わる日が来た。

「大ナムチよ… 汝のもとに、この国の全ての
神々が集うと聞いた。汝が治めるこの国は、
我らが御子(みこ)のものであると承っている。」

イナサの浜(島根県出雲市大社町)に長い剣を突き立て、
その柄の上に重力を無視したかのように、男は立っていた。
不思議な異国風の鎧をまとう、スラリとしたそのシルエット…
「汝の心や、いかに?」

仮面の下から、鋭い刃物のような視線がナムチを射る。
「我が名はカシマ… 『日の御子』の使いとして参った」
後に「タケミカヅチの大神(おおかみ)」として
祀られる、鹿島神宮の神。

その背後に陽炎のように立っている、もう1人の人物。
長い黒髪をなびかせ、仮面の下の魔の瞳より、
妖しい霊気を放射している。
「我が名はカトリ… カシマとは一心同体」
後に「フツヌシの神」として祀られる、香取神宮の神。
「『日の御子』に、この国を譲り奉れ。汝が譲れば、御子が…
この国の神々を統べる王とおなりあそばられよう」

2人の背後の海上には、数百ものカヌー船団が
陣形を組んで待機している。
「鳥だ… 鳥船だ…」
出雲の民が恐れささやいたように、そのカヌーは
海上を飛ぶ鳥の形をしていた。

ナムチはその船団を見て、カシマとカトリの背後にいる者… 
というより、彼らに手を貸している者の正体に見当がついた。
(あの男が… イセのサルタヒコが敵に回ったか… 
さて、戦うべきか否か…)
いつも助けてくれた愛妻のスセリは、もういない。

その時。
「人の国に土足で上がりこんで、図々しいこと
ほざいとる盗人野郎はどいつだあ!?」
2メートルを超える巨体に、これでもかというほど
筋肉を詰めこんだ、まさしく筋肉でできた巨岩の
ような、超重量級の男が現れた。
重さ10トンはありそうな岩石を、片腕でまるで
ビーチボールのように楽々と弄んでいる。

「スワ!」
ナムチの息子、スワ。
後に「タケミナカタの神」として祀られる、
諏訪(すわ)大社の神である。
しかし、この登場のしかたは良くない。
少年漫画だったら、こういう風に登場するキャラは、
たいてい「カマセ」だから。

「そりゃッ」
スワは、巨岩をカシマに投げつけた。
すさまじい地響きとともに、砂塵が舞い上がる。
しかしカシマは、何事もなかったかのように、
巨岩の上に立っていた。

「この国を譲ってほしくば、力競べでワシを倒してみろ! 
この痩せっぽちが!」
ハンマーのような拳が、巨岩を粉々に打ち砕く。
宙を舞って落ちてくるカシマの左手を、
スワのごつい右手が捕らえた。
「捕まえたぜ… もう終わりじゃ」

「フッ…」
至近距離で2人の対決を見ているカトリの唇に、嘲笑が浮かぶ。
「スーワ! スーワ! スーワ! スーワ!」
出雲の民から、スワ・コールが湧き上がる。
スワは、カシマを思い切り振り回し叩きつけようと、
右手に力をこめ…
「んん!?」

カシマの左手が、氷のように冷たくなっている。
スワは狼狽した。
「ワ… ワシの腕が!?」
まるで真冬の雪嵐にさらしたように、
右肘から先が凍結してしまった!

仮面の奥で、長いまつ毛に縁取られた
カシマの瞳が、妖しく光る。
スワがつかんでいた、カシマの左手… 
それがいつの間にか、鋭い剣の切っ先になっている!
「ギャアアアアアアッ」
スワの右手指がボトボトと、砂浜に落ちた。

「では… 今度はこちらから」
カシマの右手が、スワの左手をつかむ。
その瞬間… スワの全身から力が脱け、クタッとした。
後の世に言う、「柔(ヤワラ)の術」である。

グッタリした肉の塊を、カシマは思い切り投げつけた。
下が砂浜でクッションになったものの、
スワは白目を向いて失神している。
まるで少年ジャンプのバトル漫画だが、これは
「古事記」に記された展開そのままだから。
作者の創作じゃないんだからね!


このような経緯もありナムチは、カシマ&カトリの
軍勢と戦わず、国譲りを選んだ。
カシマからの報告を受け、『日の御子』は日本に上陸。
名をニニギ、「天孫(あめみま)」と称する。
上陸地はヒムカの国、現在の宮崎県。

ナムチより、「日本の神々を統べる神の長」としての地位を
譲られた天孫ニニギだが、これはあくまでも霊的な権威で
あって、実際の領土の支配権を意味していない。
例えばローマ法王は、全世界のカトリック信者の霊的なリーダー
であるが、実際に治めている土地はバチカン市国だけである。

同様に、『日の御子』の支配地はいまだ筑紫(つくし=九州)の
一部だけであり、領土拡張は次の課題なのだ。
最終的には、ユーラシア大陸の東に龍のように連なる、
弓状の列島すべてを統治しなければならない。
なぜならば、この列島こそが…


ナムチは国を譲った見返りとして、天空にそびえ立つような
壮大な宮殿を作ってもらった。
そこに幽閉され、残りの一生を過ごすことになる。
『日の御子』に全ての権威を剥奪されたわけではなく、
「死後の世界を治める権利」はナムチのものとして残された。
しかし、2回も『根の国』から生還したとはいえ、
「死後の世界を治める力」などナムチにある
わけもなく、これはあくまでも名誉職である。

出雲の王に仕えていた「モノ」を司る「モノノベ」たちは、
国譲りに賛成した一派が『日の御子』のモノを管理する
重要ポストに抜擢され、後の物部氏となる。
反対派は東日本の出雲植民地へと移住、
先住民と混じわっていく。
(出雲弁は東北弁に似ているという説あり)

ナムチは宮殿から西を… 
沈みゆく夕陽を見つめながら死んでいき、
死後に宮殿はナムチを祀る社となった。
ご存知、出雲大社である。
現在も大社の祭神は、正面(南)ではなく
横(西)を向いて鎮座している。

果たしてナムチは、どんな思いで夕陽を眺めていたのだろうか。
その父スサノオは、この時(もし生きているなら)どこにいて、
どんな思いで国譲りと息子の死を受け止めたのだろうか…

輪廻転生の輪がめぐる時、ナムチの魂は甦り、
日本の逢魔ヶ時(おうまがどき)が始まる。