小町草紙(三)





17、 卒都婆小町(そとばこまち)




もう少し続く。
延喜(えんぎ)6年(西暦906年)。

いぬ宮が、17才となった。
すでに「天才少女」の呼び声も高い、琴の名手である。
父の仲忠より、父のライバルである涼(すずし)の
方が好きで、しばしば涼の邸に遊びに行っては、
扇で頭をはたかれていた。

「こら、いぬ! なんでここにいるッ!?」
「ぎゃぽー!!」

その名の通り、叱られた子犬のような目つきで涼を見上げ、
「涼のおじさま、いぬって呼ばないでくださいよう ><;
父さまは私に、「いぬ」なんて名前つけて、私のこと愛して
ないんですよ! だから私、この家の子になるんです」
「俺だってお前のこと、愛しとらんわーッ!!」
「ぎゃぽー!!」

「ごめんくだされ」
そこへ現れたのは、今では老女となった由比。
ふわふわおっとりしたところは、相変わらずである。
「あれ? ばーちゃん」
「あるふぁるふぁー」

軽いノリであいさつする由比だが、次に発した言葉に、
いぬ宮の目の色は変わった。
「お前の父さまの許可が出ましたぞ… 
お前に、秘曲を伝授します」

「!!」
ついに、この時が来た… 
波斯国(はしこく)の天女から伝えられた、
琴の秘曲を受け継ぐ時が…

涼に目もくれず、祖母の後について、出て行く少女。
その後姿を見送る涼の目は、まぶしそうだった。
「俺も習いたかったな、波斯国の秘曲… 
しっかりと受け継いでこいよ、いぬ…
俺たち人間は滅んでも、音楽は
永遠に受け継がれていくんだ…」



延喜7年(西暦907年)、藤原胤子の母、宮道列子が没。

延喜9年(西暦909年)、いぬ宮は
秘曲の全てを受け継いだ。
役目を終えた由比は、ホッとした
のか、眠るように息を引き取る。

延喜10年(西暦910年)5月6日、藤原高子、没。
遍照の子、素性法師もこの年に没したという説あり。

延喜13年(西暦913年)6月18日、恬子内親王、没。





延喜16年(西暦916年)、
第60代・醍醐(だいご)天皇の御世。

紀州高野山は、弘法大師・空海が
開いた、真言密教の聖地である。
ユネスコ世界遺産 
高野山真言宗総本山・金剛峯寺(こんごうぶじ)
公式サイト http://www.koyasan.or.jp/

空海が嵯峨天皇より高野山を賜って、
ちょうど100年目に当たるこの年…
山上の金剛峯寺を後にして、都へと
向かう2人連れの僧侶がいた。

1人は醍醐寺開祖・聖宝の愛弟子、
今年63才の観賢(かんげん)。
空海に「諡号(しごう)」を賜るよう、朝廷に
働きかけるという重要任務を帯びている。
(これが実現し、空海が「弘法大師」と
なるのは5年後の921年)

「いやあ、実に有意義な1年でした… 
これほどに御仏を身近に感じるとは…」
足を引きずり付き従うのは、観賢の
不肖の弟子である青年僧。
菅原道真の孫・淳祐(しゅんにゅう)、27才。
かつては、こんな顔 ( ´゚ё゚`) だったが、
今ではこんな顔 (´∵`) をしている。

この2人が再び高野山に戻ってきて、空海の生身?
の遺体と対面するのも、5年後の921年。
(天神記(四)「弘法大師」参照)
実は淳祐、足に障害があったそうで、山道を
歩くのは相当の苦行だったろう。

ふもとの、九度山(くどやま)という土地まで来た。
ここは高野山の所領、ずっと後に真田幸村が、
父の昌幸とともに蟄居(ちっきょ)する地…
「真田十勇士」集結の地である。

疲れ果てた淳祐は、師に休憩を乞うた。
「どこか、腰を下ろせるところは…」
見ると、道端に朽木が倒れていて、
みすぼらしい老婆が腰かけている。

「おばあさん、ちょっと失礼しますよ。あー、疲れた…」
「淳祐、待て!」
腰を下ろしかけた淳祐は、情け
ない顔をして動きを止める。
観賢は、険しい顔で近づいてきた。

「この木は… 町卒都婆(ちょうそとば)ではないか」
町卒都婆というのは、高野山への距離を
示す道標で、電柱くらいの太さがある。
お墓にあるのは「卒塔婆」だけど、
町卒都婆は「卒都婆」と書く。

「これ、そこの老婆… 腰かけておるのは、
総本山・金剛峯寺への道を示すもの。
悟りへの道を示すという点で、御仏にも等しい
尊いものなのだ… その上に尻を乗せるとは、
罰当たりにもほどがあるぞ」

観賢から、こう厳しく注意され… 老婆はニヤリとした。
「一首、差し上げましょうぞ」

極楽の 内ならばこそ 悪しからめ 
そとは何かは 苦しかるべき


「御仏のまします極楽世界の内部ならば、卒塔婆に
腰かけるなんて、そりゃあ悪いことでありましょう…
しかし、ここは極楽の外の世界、地獄も同然の
俗界であります。腰かけて、なんぞ心苦しい
ことがありましょうや」
「そとば」と「外は」をかけた、機知に富んだ歌である。

「なんと… この世を地獄と申すか?」
「ええ、ええ、そうですとも… 私は地獄の
ような体験をしてきました…」
「それは、お前さんの心に執着があるからだ」
観賢は、反論する。

「お前さんの心が、この世を地獄と見なしておる。
本来、この世には己の心しか存在せず、
後は何もないのだよ」
「それならば、この卒都婆も、総本山も存在
しないわけで。存在しないものに腰かけて
罰当たりとは、なんと不可解なwww」
「う〜ん…」

唸るしかない観賢であった。
先ほどの歌といい、この老婆、ただ者ではない。
「参った、とは言えないが… あなたの言うことに一理
ないでもない… 名のある方とお見受けするが、
さしつかえなくば、素性を明かしてもらえまいか」

老婆は遠い目をして、頭上の白い雲を見つめる。
「ワシはな… 小野小町よ」
「ええええええええーーーーーッッッ」
淳祐と観賢、そろってガチョ−ン。

けーっけっけけkっけっけkkwwwwww
そんな2人のバカ面を、笑い飛ばす老婆。
「美しさをハナにかけ、男たちを拒み続け、
その驕り高ぶりの報いを受け、100才と
なる今日まで死ねず、この醜い姿を
さらしておりますのじゃ!!」

奇怪な笑いを引きずりながら去っていく小町を、
ポカーンと見送るしかない2人の僧。
が、本物の小町は、とうに死んだはず…
世間から忘れ去られていた小町は、その死も、ほとんど
知られていなかったため、こういう偽者が出てきたのだ。

「あー愉快愉快。偉そうな奴らを、からかうのは楽しいわ」
その正体は、この年99才になる真砂だった。
かつて「藪の中」でレイプされ、外道人に依頼して
多襄丸一味を始末した、執念の女…

産み落とした息子の安梅もまた、外道人に
なってしまったという皮肉な運命も知らず…
まして、梅安の子供たちが根黒衆にさらわれ、
暗殺者として訓練を受けていようとは…



この話には、まだ続きがある。

観賢からの報告で、小町の生存を知った陽成上皇は、
新しく大納言に就任した「うつほ男」こと藤原仲忠を
派遣、彼女の行方を探索させた。
少年時代は暴れ者として知られた上皇も今や48才、
歌の道に通じ、小町にも尊敬の念を抱いている。

そして翌、延喜17年(西暦917年)、近江の国関寺
(現在の大津市、長安寺)付近をさすらう乞食の
老婆が、例の「小町」であると確認された。
仲忠は国関寺で彼女と対面、その境遇を憐れんで
涙を流し、上皇からの歌を詠んで聞かせる。

雲の上は ありし昔に かわらねど 
見し玉簾(たまだれ)の うちやゆかしき


「雲の上(=宮中)は昔と変わりませんが、(あなたは
もう、そこにはいない)かつて経験した御所の御簾の
内側の暮らしが、なつかしくありませんか?」
という意味だが、これに対し老婆は、
「ただ1文字のみを変えて、返歌として献上つかまつる」

雲の上は ありし昔に かわらねど 
見し玉簾(たまだれ)の うち‘ぞ’ゆかしき


「雲の上(=宮中)は昔と変わらないでしょうけど、(私は
もう、そこにはいない)かつて経験した御所の御簾の
内側の暮らしこそが、なつかしくてたまらないのです」

まさに、小町の霊が乗り移ったかのような返歌であった。
実際、真砂の脳は老化が進んで、現実と妄想の
区別がつかなくなっており、本気で自分を小町と
思いこんでるフシがある。

「鸚鵡(オウム)返しの技法か…」
見事な返歌に感銘を受けた仲忠は、
寺を辞し、都への帰路につく。

「この寺で、余生を過ごしなされ」
という住職の勧めを断り、真砂もまた、いずことも
知れぬ寝ぐらへと戻っていく。

夕陽に消え行く老婆の後姿こそが、人々が
「小町」を見た最後の姿となった。



「そうか。ご苦労であったな、大納言…」
報告を受けた陽成上皇は、小野小町の
人生について思いをめぐらせ、人の世の
無常に、しみじみと感じ入った。
「絶世の美女として生まれ… おのれの美しさに驕り、
男からの誘いを一切断り… ついには老いて世間から
忘れ去られ、最後は乞食も同然とは…」

上皇の目に光るものを見て、仲忠は進み出た。
「そのお心をお慰め申し上げるのは、言葉より
音楽の方がよろしいでしょう…
今日は、娘も連れてきております」
「おお、いぬか! 是非たのむ」

琴を携え、いぬ宮が入ってきた。
「秘曲を、たてまつります…」
今年31才、すでに当代きっての名演奏家となっていた。
その指が紡ぎ出す深く流れるような
メロディが、上皇の心に染みわたる。

人間の生は有限である。
ゆえに人は世代を超え、何かを残そうとする。
だが、いぬ宮の受け継いだ秘曲も、
現代には残っていない。
この宇宙に永遠なるものなど、存在しないのである。