小町草紙(三)





16、 花の色




時はサクサクと流れ、元慶5年(西暦881年)。

業平の兄・行平は、大学寮を目指す
在原氏の子弟のため、宿舎付きの
学問所、「大学別曹奨学院」を創設。
予備校みたいなもんでしょうか…
同じような学校が藤原氏にもあって、
そちらは「勧学院」という。

10月13日、唐に留学中の日本人からの
報告で、真如法親王がマレーにて非業の
死を遂げたことが判明。
マーライオンのことまでは伝わらなかったようだ。



翌、元慶6年(西暦882年)。

1月1日、陽成天皇が元服。
1月7日、藤原明子が太皇太后に、
高子が皇太后となる。

妻の死後、西日本各地をさすらっていた
櫟丸(いちいまる)は、播磨(はりま)の
高砂(たかさご)にて、生涯を終えた。
(なず菜… 今、会いに行くぞ…)
病床を抜け出し、浜辺の松に寄り
そうように、死んでいたという。

太政大臣となった基経は、北山の
「うつほ」で暮らす由比と再会。
19才の好青年に成長した、息子の
仲忠(なかただ)を引き取った。



ここ山科では、もう何日も雨が降り続いている。

「やれやれ… おばあさんになっちゃったなあ…」
今年57才になる小町の灰色の髪をくし
けずるのは、最後に1人残った侍女。
「そんなことありませんよ… 
今でもじゅうぶん、おきれいです」
そう言うこの侍女こそ、かなりの美女である。

8年ほど前、山科の荒れ屋敷を無人の廃屋と
勘違いして上がりこみ、小町と出会った。
ワケありのようだが、それ以来、小町の世話をしている。
「私みたいな卑しい身分の者とちがって、なんというか… 
異国の王女さまのような、高貴な後光が感じられますわ」

「またまた… 美也は口がうまいんだから…」
手鏡の中の、己の顔をのぞきこむ小町。
「昔はこれでも… 男からの恋文が、
届かない日はないくらい…」
涙が、こみ上げてくる。

花の色は 移りにけりな いたづらに 
わが身世にふる ながめせしまに


(「眺め」と「長雨」をかけてるのか…)
今の歌をメモしながらも、美也の胸には
切なさが、こみ上げてくる。
「後悔… してらっしゃるんですか?」

「してるよ… 思いっきり悔いてますよ… 
若い時にもっと…」
もっと、何だろう?
男と恋愛を楽しめば良かったのか… 
美貌を利用して、のし上がれば良かったのか…



翌、元慶7年(西暦883年)。

「へえ、あなたが… 木の幹で育ったという
うつほ男ですか。意外と普通だなあ」
今年17才の源定省(みなもと の さだむ)は、
まじまじと仲忠を見つめる。

もっとこう、「獣人雪男」みたいのを想像していたらしい。
定省は仁明帝の第三皇子・時康親王を父に
もつが、今は臣籍降下して「源」の姓を賜り、
尚侍・藤原淑子の養子となっている。
後の第59代・宇多天皇だ。

彼が友人らと、空地で蹴鞠(けまり)をしていたところ…
木陰からジッと見ている気弱そうな青年がいたので、
声をかけ、仲間に入れてやったのだ。
「皆さん、何をしてらっしゃるんですか?」
「え? 蹴鞠を知らないの?」「どこの田舎者だよ…」

しかし、いっしょに遊んでみると、これがなかなか筋が良い。
なんというか独特のリズム感があり、
巧みな足さばきで毬を打ち上げる。
そこで素性を訪ねたところ、伝説の「うつほ男」
だったのでビックリというわけだ。

「へえ、太政大臣の…」
権力者・基経の隠し子と知って、手のひらを
返すようにおもねる者もいた。
が、元皇族である定省は、そんなことは気にかけず、

「ところで仲忠さん… ずっと森で育った
ということは… 女の人はまだ?」
利発そうなオーラを全身から発する定省は、
朴念仁のような仲忠をからかう。

「私は… 琴以外はサッパリで…」
「ほう、琴には自信があると?」
割りこんできたのは、定省と同じ「源」姓の… 
涼(すずし)、この年20才。

「波斯国(はしこく)の天女から伝えられたという秘琴…
あなたも受け継いでおられるという噂、誠であるか?」
名前の通り、涼やかな美青年の涼、彼もまた
先祖伝来の琴の秘曲を受け継ぐ名手。
仲忠の宿命のライバルとなる男であった。


何かとからんでくる涼はうっとうしいものの、
仲忠は定省のグループに入れてもらい、
いっしょに遊ぶようになる。

ある酒の席で仲忠は、定省たちが
熱を上げてる女性の存在を知った。
「美人さんなんですか?」
「いや、普通… らしいよ。
まあ、顔見たことないんだけど」

彼らより年上の22才のお姉さんだが、とにかく
恥ずかしがり屋で、恋文をもらった時の
リアクションなどが新鮮で、かわいいらしい。
「貴宮(あてみや)」という愛称で呼ばれ
ているが、本名は藤原胤子である。
その生い立ちは、天神記(二)「入内」を参照。

「諸君には悪いが… 貴宮は我が妻とする」
最も攻撃的な涼が、ついに行動を起こした。
5年にわたって続けてきた「源家流秘曲」の
修行を終え、ついに我がものとしたのだ。

「秘曲を完璧に会得するまで、女と契らぬと
誓いを立てていたが… 今や何のためらい
もなく、秘曲をもって求愛できる」
自信に満ちた、若き天才奏者の笑み。


ついに涼は、山科にある貴宮の家、
後に勧修寺(かじゅうじ)となる邸を
訪問、秘曲を披露することになる。

「ずるいぞ涼、抜け駆けしおって」
便乗して、友人たちも押しかけた。
心を静め… 貴宮を前に、演奏を始める涼。

「お… おお… おおおー…」
あまりの素晴らしさに、一同ため息を漏らす。
演奏が終わり、求愛の文を手渡そうとした、その時…

「お待ちください! 貴宮さま、どうか
我が秘曲も、お聴きくだされませ」
仲忠の登場に一同、おおおーっとざわめく。

「仲忠さん、おやりなさい… どちらの琴が貴宮の心を
つかむか… 涼対仲忠、秘曲対秘曲の勝負です!!」
おもしろい展開に、定省もノリノリである。
「いいだろう、うつほ男… 波斯国の
秘琴を聴く、良い機会だ」
涼も挑戦を受けた!

そしてついに、仲忠の演奏が始まった!
演奏が終わった!
貴宮は、さんざん困りぬいたあげく、
「涼さま、ごめんなさい…」
仲忠は勝利した!!
「\(^o^)/やったー!! これで貴宮は私の妻に」


だが、翌日。
貴宮の父・藤原高藤が、太政大臣・基経の
邸を訪れ、仲忠に詫びた。
「実は… 胤子は定省さまに添わせようと
思っております。本人同士も好き合って
おりますし… 申し訳ない」

「(゜o゜)………」
仲忠、がっかり。

基経も妾腹とはいえ、我が子を拒絶
されたことに不快感を覚え、
「気に入らんな… 定省とかいう小僧…」

実は自分が次期天皇に立てようとしている
時康親王の息子と知ったのは、後のこと。
後に定省が即位した時、意地悪い態度に出るのは、
このことが遠因だったかもしれない。



元慶8年(西暦884年)。
大覚寺初代住職を務めた恒寂(こうじゃく)
法親王=恒貞親王が没する。


仁和(にんな)元年(西暦885年)。
文屋康秀が没し、六歌仙も残るは小町と遍昭のみ。
藤原山蔭は「四条流庖丁道」を創始する。

藤原仲忠は、貴宮にふられたショックからも立ち直り、
父・基経の手回しで、さる皇族の隠し子という噂の
「女一宮」と呼ばれる高貴な娘と結婚。


仁和2年(西暦886年)、仁和3年(西暦887年)が過ぎ、
仁和4年(西暦888年)。
2月4日、藤原山蔭が癌で没する。
四男の言行は、とうに新しい妻をもらっていた。


寛平(かんぴょう)元年(西暦889年)。
48才になる高子は、10才以上も年下の僧侶と不倫。


寛平2年(西暦890年)。
1月19日、ついに遍昭も75才で入寂。

仲忠と「女一宮」の間に、娘が生まれた。
戌年(いぬどし)の生まれなので、「いぬ」と名づける。
女の子の名前としてはちょっと… 
という気もしたので、「宮」をつけて「いぬ宮」と、
プリンセスっぽく呼ぶことに。
さっそく、子守唄代わりに琴を聞かせ、
音楽の英才教育を始める。


寛平3年(西暦891年)を飛んで、寛平4年(西暦892年)。
かつて、「鉢かづき」に助けられた山蔭の末子・味丸は
成長し、出家して「如無(にょむ)」と名を改め、
僧侶としてエリートコースを歩んでいたが… 
戒を破って女と愛し合い、孕ませてしまう。

その結果、この年、一児の父親となるが…
やむをえず、山蔭の長男・有頼が、養子として引き取る。
元服後、「在衡(ありひら)」と名乗るこの子は、
この後の物語で活躍するかもしれない。


寛平5年(西暦893年)。
7月19日、在原行平も永遠の眠りにつく。
息を引き取る時、その耳に松風の吹く音が
聞こえていたかどうか…


寛平6年(西暦894年)、寛平7年(西暦895年)と明け、
寛平8年(西暦896年)。
9月22日、ついに藤原高子は廃后。
不倫の相手、善祐は伊豆に配流。


寛平9年(西暦897年)。
静子の産んだ惟喬(これたか)親王、没する。
斎宮となった恬子内親王の兄で、清和帝と
「御位争い」の勝負をした親王である。


昌泰(しょうたい)元年(西暦898年)、
昌泰2年(西暦899年)と飛んで、
昌泰3年(西暦900年)。
5月2日、藤原明子、73才で亡くなる。
最期の時まで、誰かを待っていたという。
出雲寺で小町といい感じだった、安倍清行も死去。




小野小町もまた、『月の都』へと帰る時が来た。
彼女の最期の場所については、全国各地に伝承がある。
が、老いてから遠くまで旅をするとは、考えにくい…
やはり山科の荒れ果てた自宅で、死を迎えたと思われる。

「美也… 私の最後の歌… 書きとめて…」
「お待ちください、すぐに仕度しますから」
あわてて墨をする美也、硯に涙がポタポタ落ちる。
「詠むよ…」

はかなしや 我が身の果てよ あさみどり
野辺にたなびく 霞と思へば


最期を看取った美也の手により、
その遺体は荼毘(だび)にふされ…
「野辺にたなびく霞」となったのである。



『月の都』で小町は、美の女神アフロディーテと再会した。
「巫女ちん! いい女に生まれた人生はどうだった?」
一瞬、相手が誰かわからなかった小町だが、
すぐに記憶が甦る。
頬に薄い苦笑を浮かべ、小さなため息をつく。

「物思いしてるまに… あっという間に、
過ぎ去ってしまいました」

相変わらずエロかわいい女神は、機嫌よさげにうなづき、
「ああ、そう! ま、次があるさ… さ、飲みにいこ!」
小町の手を取って、いずことも知れぬ世界へと消えていく。