小町草紙(三)
14、 破ノ舞(はのまい)
貞観15年(西暦873年)となった。
塩竃(しおがま)で恋夜は、おしらと遭遇。
不意を突かれ、左足に重傷を負ってしまう。
かつぎこまれた塩竃神社で、追い討ちをかける
ように巨腕「巌猊(がんげい)」が出現。
陸奥を包みこむ、深い闇の洗礼を受ける恋夜であった。
(将門記(一)「天空の巨腕」参照)
美也はこの日、1人で吉田神社に参拝した。
神職とも、すっかり顔なじみになっている。
帰り道、牛車の覗き窓から通りを見ていると、
異様な光景に出くわした。
「止めておくれ。あれは何だろう」
流れ者の巫女らしき女が、不思議な舞を舞っている。
取り囲んだ人々は、巫女を拝まんばかりだ。
舞が終わると、群衆との問答が始まる。
牛飼いの少年が、様子を探ってきて報告する。
「陸奥から来た占い師だそうです。どんな
悩みもピタリと解決するとか」
「占い師か… 礼金をはずむからと
言って、呼んできておくれな」
薄汚れた装束の巫女が、牛車のそばによってきた。
「天邪鬼(あまのじゃく)と申します…
なんなりと、お申し付けを」
汚れてはいるが、天使のように愛らしい娘…
ただし、目は正気ではない。
出雲に向かう前に、都で路銀稼ぎに
はげむ狂女おしらであった。
美也は慎重に言葉を選んで、切り出した。
「私が、本当に、望んでいるもの… それが
何なのか、自分でもわからないのです」
「はーあ?」
「私の心の中には、真珠のように輝く、たった
1つの真実がある… らしいのだけど」
おしらはニッコリして
「なるほどね… 邪悪な心の中に小さく光る、ウブな
部分がありますね… 子供のころ何が欲しかったか、
何をしたかったか思い出してみれば?」
「私の子供時代は…」
根黒寺での地獄のような訓練… それしかない。
突然… ケーケッケッケッケと笑い出すおしら。
「嘘つき! どろぼう! 人殺し!
この奥方、とんでもないお人だよ!!」
ハッとして美也は、狂人とは時に、異様に
鋭い勘をもつことを思い出した。
「車を出して! ここを離れて!」
牛飼いはあわてて、フルスピードで発進させる。
「とんでもないヨタ話をでっちあげてるよ!
家を乗っ取る気だよ!!」
なおも追いすがる狂った巫女を、
5人組の男たちが取り囲む。
「ねえさん、ちょっとこっちで話聞こか」
そのまま、おしらを連れ去る五人衆。
それを見ながら、ほっと息をつく美也。
(これであの女は、明日には鳥辺野かどこかで、
烏につつかれる骸となってるだろうよ…
だが… 必要もないのに、占い師なんかに相談
してるところを、あの5人に見られちまったね…
私も追求を受けることになるな…)
その夜、美也の寝床に忍んできた者があった。
「蠱毒(こどく)五人衆」の1人、毒蛾である。
「女が逃げた… 毒蛙に深手を負わせて…
今、毒蜘蛛と毒蠍が追っている」
「なんて間抜けな…! あんたら、それでも根黒衆かい」
毒蛾は歯噛みして、
「狂人は時に、想像を超えるような力を出す…
女と思って油断していた」
「どうするんだい!? あの女が、あること
ないこと言いふらしたら…」
「それより美也! お前は一体、何をあの女に…」
ほら、来た。
「子供がなかなかできないから…
いつ子宝を授かるか、聞きたかったのさ」
「確かに、子を産むのは重要な任務だ。だからといって、
あんな怪しげな辻占いに相談せずとも…
このことは、おババさまに報告せねばなるまいて」
一瞬のうちに、毒蛾は消えていた。
騒ぎは、これで収まらなかった。
「美也… 話がある、来なさい」
義父の山蔭に呼び出された。
「この家を乗っ取る、というのは本当なのか?
お前の過去は、作り話なのか?」
なんとも運の悪いことに… おしらがわめき散ら
した時、群衆の中には美也の牛車を見て、山蔭
の家の女車と、気づいた者があったらしい。
噂はすっかり、都のすみずみにまで広まっていた。
「そんな… お父さままで、そのような…」
美也は、ワッと突っ伏した。
「子供ができないから… 占って
もらおうとしただけですのに…」
山蔭は、困ったように腕を組み、
「まあ狂人のたわごとだしな…
本気で信じているわけではないが…」
「しかしあの女占い師、気違いながら異様に勘が鋭く、
心の内をピタリと言い当てるという評判ですよ!
美也さん、本当にやましいところはないのね?」
義母まで、手のひらを返したように責めたてる。
思案の末、山蔭は宣告した。
「お前を信じて、美也、この家から追い出すような
ことはせぬ… だが世間の手前もあるし、総領は
やはり、長男の有頼に継がせる」
10日ほどして… 東山にひっそり建つ
荒れ屋敷に、美也はやって来た。
「蠱毒五人衆」の毒蛾、毒蝮、そして右腕を
失い、蒼白な顔の毒蛙が待っている。
「おババさまの決定を伝える… この計画は失敗だ。
ただちに根黒寺へ戻り、次の指令を待つがよい」
「今となっては、誰もがお前を疑っている…
とくに吉田神社は、お前の素性を
徹底的に洗いにかかっているぞ」
フッ… と乾いた笑みを浮かべる美也。
「毒蜘蛛と毒蠍は戻らなかったようだね」
男たちの目に、怒りの炎が燃え上がった。
「2人の骸が、難波津の近くで見つかった…
こうなったのもすべて、お前のせいだ」
美也は笑い転げ、
「てめェらの腕がナマクラなんだよ!」
「なん… だと?」
「さーて、あんたらとのつき合いもここまでだ。
この先は、私の自由にさせてもらう」
「抜ける、と言うのか? それが何を意味
するのか… わかっているのか?」
男たちの目が冷たく光り… ふところに手が伸びる。
美也の切れ長の目が、その動きを追っていた。
「女と思って油断すると、痛い目に会うって…
まだわからないのかい?」
5秒とかからず、決着…
華麗に回った美也の手に、短刀が握られて…
毒蛾と毒蝮の喉が、えぐられていた。
「がふぅっ」
流れるように、毒蛙の腹に短刀が突き立つ。
高向公輔の邸では、娘の千勢が久々に
里帰り、うれしい報告をもたらす。
「うちの人が、総領に返り咲きました!」
「まあ、おめでとう千勢ちゃん!
でも驚いた、私以外に美也さんの
本質を見抜く人がいたなんて…
せっかく、黙っていてあげたのに…」
千勢の目が、キラリと光って
「前にね、母さまから聞いてたでしょ、
美也さんが邪悪な人だって…
だから、いつかきっと尻尾を出すんじゃないかと、
美也さんが外出する時は必ず、私んとこの
侍女に尾行させてたのよ…
そうしたら、今回の場面に出くわして」
さらに噂を広めたのも、千勢のしわざだった。
「千勢ちゃん… いくら旦那さまのためでも、
そこまで腹黒いことするなんて…」
「何いってるの! 幸せは自分の手で勝ち取らなくっちゃ」
千登勢はあきれたが、結果的に
これで良かったのだろうと思った。
美也の目的は不明だが、良からぬ意図をもって山蔭の
家に入りこんだことは、まちがいないのだから…
「それはそうと… 今、お湯をわかすから。
お風呂入っていきなさいね」
千登勢は自ら湯殿へ行き、娘のため、湯をわかす。
もうもうと湯気の立ちこめる中… 美也が立っていた。
いつにない表情… 泣きそうな、笑いたいような顔をして。
「みや…」
「私が欲しかったもの、わかったよ…
あんたみたいな母さんが欲しかったんだ…
あんたに初めて会った時… ああ、どうして、
こんな人の娘に生まれなかったんだろう、
来世では必ず、この人の娘に… って…」
「そう… そんな風に思ってくれて、ありがとう…」
照れ臭そうに、千登勢はうつむく。
「もう、今さら遅いかもしれないけど…
1度だけ、あなたの母さんになって、何か
してあげる。何かしてほしいことない?」
哀しそうな、愛しげな目で、千登勢を見つめる美也。
「あんたに私の正体を見抜かれて… そのほころびが
元になって、結局すべての計画がパアになって…
おババさまにも組織にも、迷惑をかけちまった…
その落とし前をつけなくちゃならない…」
千登勢を優しく抱きしめ、
「母さん… あなたの命をちょうだい」
一瞬、千登勢は目を見開き…
が、すぐに優しい声で
「それであなたが納得するなら、どうぞ。
それに私の命は、あの時以来…
観音さまにいただいたものなのだから…」
千登勢の人生を決定づけた、首の古傷…
その傷に沿って、短刀が走り…
血しぶきが湯殿を染めた。
横たわる千登勢を前に、声もなく美也は泣いた。
この年は、著名な人物がいく人か生を受けている。
清和天皇の第6皇子・貞純(さだずみ)親王は、
清和源氏の祖先となる人物。
将門の父、平良持(よしもち)も誕生。
「狩りに出て、一夜の宿で契ってしまった」カップル、
藤原高藤と宮道列子に、次男誕生。
後に歌人となる、藤原定方(さだかた)である。
宇多帝の女御となって醍醐帝を産む
胤子の、弟にあたる人物。
(胤子の出生については、天神記(二)「入内」参照)
定方の代表作は、百人一首のこの歌
名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
成人後、藤原山蔭の娘を妻とし、多くの子を成す。
五男の朝忠(あさただ)も、やはり
著名な歌人となり(ただしデブ)、
父と同じく百人一首に歌を採られる。
六男の朝成 (あさひら)も肥満となって、
後に紹介するダイエット話の主人公と
なるが、それはまだ、だいぶ先のこと。
年が明け、貞観16年(西暦874年)。
怪しい陰陽師・滋丘川人が、陰陽頭に出世する…
が、その直後に没。
出雲では少女を殺害、その肉を両親に
食わせるという、猟奇事件が発生。
後に童話の「瓜子姫」のもとになる事件で、
犯人は「天邪鬼」こと、狂女おしら。
かつて、東大寺に巣食う魔物(=蛇骨)を退治した
名僧・聖宝(しょうぼう)は、今は師匠のもとを離れ、
山ごもりの日々を送っていた。
師匠の真雅は空海の実弟で、貴族社会と親密な
つき合いがあったのだが、華美な生活や世俗的
権力になんら価値を見出さない聖宝は、師に対し
違和感を覚え、距離を置くようになったという。
「大自然の中にこそ、この宇宙の真理があるにちがいない」
そんな信念に動かされ、今日も都の
東南、笠取山にこもっている。
「ふうう… 今日で7日間、飲まず食わずか…
腹も空いたが、喉も渇いた…」
どこかに小川か湧き水でもないか、探し回っていると…
「坊さま、こっちに美味い水がありますぞ」
どこから現れたか、ひょうひょうとした老人が聖宝を導く。
「横尾某」と名乗る老人は、炭焼きにも
木こりにも、猟師にも見えなかった。
「ワシはこの山の地主じゃ。山菜や
キノコも美味いぞ、この山は」
その澄んだ湧き水は、蜜でも入って
いるかのように甘く感じた。
んごっんごっんごっんごっんごっ… プハーッ
「こりゃあ、たしかに美味い! まるで醍醐(だいご)のような」
醍醐とは乳製品なのは間違いないが、
どんな食品なのか現代では不明。
もしかしたら、ヨーグルトかラッシーみたいなのかも。
「ここに寺を建てなされ。毎日、この美味い水が飲めますぞ」
「じゃあ、そうしますか」
こうして世界遺産・醍醐寺(上醍醐)が創建。
公式サイト http://www.daigoji.or.jp/
なんと! 聖宝の伝記がマンガになっとるwww
10月、出雲では「神在月(かみありづき)」というが、
恋夜は、捜し求めた愛しいおしらと再会。
呪われた運命の扉を、開けることになるとも知らずに…
(将門記(一)「神在月の巫女」参照)
同じころ… 須磨の浦では、双子の姉妹
松風と村雨が、同時に病に倒れた。
2人は、この年41才…
行平との別れから、21年が過ぎていた。
「時のたつのは早いなあ… いよいよ、冥土へ
旅立つ時が来たね、こふじちゃん」
「そうだね、もしおちゃん… 寝床でお迎えを待つよりも、
ゆっきーと出会った浜辺で死にたいよね」
風の強い夜で、波も荒れ狂っていた。
それでも、燃えつきる前の蝋燭のように、
2人の命の炎は今、激しく燃え上がる。
うなる風に向かい、逆巻く波に向かい、
それ以上に激しく、2人は舞った…
人生最後の舞いを。
翌朝… 嵐は去って、浜辺には2人の女が倒れていた。
ただ松の間を、風が吹きぬけていく。
松風ばかりや残るらん…
松風ばかりや残るらん。