小町草紙(三)





13、 異土毒気(いど の どっけ)




貞観13年(西暦871年)、続き。

9月28日、仁明天皇の妃で太皇太后の
藤原順子が63才で没する。
摂政・良房の妹で、数々の謀略をサポートしてきた。
彼女の邸が、高子と業平のロマンスの舞台となったことも。

10月21日、応天門の再建が成る。


絵師の金岡が、恋わずらいでキ○ガイみたいになる。
恋の相手はなんと、皇后・高子…
金岡が改修工事をしている神泉苑に見学に来て、
彼のハートを鷲づかみにしたらしい。

金岡の妻は、夫の浮気をいさめるため、
「女の美しさは化粧しだい! ここに
化粧筆あるから、私を塗ってみて」
なんてハッパをかけたら、とんでもない
顔にされてしまったという。
(天神記(一)「金岡」参照)



年が明け、貞観14年(西暦872年)。

新年早々、咳逆病(=インフルエンザ)が流行っていた。
昨年漂着した渤海使(ぼっかいし)がもたらした、
「異土の毒気」ではないか…
都の人々は、そんなふうに噂しあっていた。
外国人を「穢れたもの」と見なす風潮が、
すでにこの頃あったらしい。

その渤海使が、まもなく都に上ってくる
というので、半ばパニック状態になる。
そんな中、右大臣・藤原氏宗が「毒気」に
当てられ、2月7日、63才で没。
「貞観格」「貞観式」を編纂した人物だ。

「ううむ… しかし、そんな噂を根拠に、
渤海使を追い返すわけにもいかぬ…」
困惑する朝廷は、毒気くらいでは死にそうもない、
学者の都良香を接待役に任命。


このような騒然とした年に、女流歌人の
伊勢こと、藤原睦月が誕生。

そして伊勢とは固い友情と主従の愛で
結ばれる運命の、温子も生まれる。
父は藤原基経、母は操子女王。
操子といえば、由比をいじめ抜いて、
追い出してしまった基経の正妻。
(そのため由比は赤子を連れて、
北山の「うつほ」に住むことに。)

さらに「スカトロ事件」の平中こと、平貞文も生まれる。

5月1日には、やはり咳逆病がもとで
肺炎を起こし、人康親王が没する。
盲目のミュージシャン、「琵琶法師」の
元祖となった、あの人である。
仁明天皇の第4皇子であり、操子女王の父、
つまり温子の母方の祖父。

この人の死を悼んで、小野小町より、
このような歌が贈られたという。
けさよりは 悲しき宮の 秋風や 
また逢坂も あらじと思へば



そして5月15日、ついに渤海使が入京。
現在のJR丹波口駅の南東あたりに位置する
迎賓館、「鴻臚館(こうろかん)」に入る。
5月17日には、在原業平も鴻臚館を
訪れ、渤海使をねぎらう。
22日からは、市井の商人との交易が許可される。



千登勢は夫とともに大和に下り、
久々に長谷観音を詣でた。
「懐かしい… 小町さまと来た、あの時の旅以来…」
そういえば、小町さま… 
今どうしておられるだろう…

そこで、バッタリ出会ったのである… 
言行と美也の夫婦に。

「私たちを引き合わせてくださった長谷の
観音さまに、お礼を申し上げなくては、と…
本当はもっと早く来たかったのですが、
夫も総領として忙しい身で…」
ぎこちなく挨拶をする美也。

言行は、どうにも気まずい感じがした。
何しろ、総領の妻となる未来を奪われて
しまった、気の毒な嫁の両親だ。
が、千登勢は、まったく気にしてないようで、
「良かったね… ようやく幸せが巡ってきましたね、美也さん」
まるで実の母親のような、優しい微笑みを見せる。


後で夫と2人きりになると、美也はこっそりつぶやいた。
「私、あの人嫌い…」
「え? 高向の奥方かい? 優しそうな、いい方じゃないか。
私たちのことも恨んでないようだしね」

「嫁くらべを言い出したのは、あの人なん
ですって… 私を追い出したかったのよ」
「まさか? そんな腹黒い人には見えないよ… 
それに嫁くらべをしたからこそ、お前を父と母に
認めさせることもできたし、総領にもなれたんだ」
なんて能天気な男… 美也は唇を噛んだ。

そう… 確かに嫁くらべのおかげで、
鉢を外すタイミングがつかめた。
それは感謝している…
本来なら、邸に来た後、鉢を外してから
言行を誘惑する予定だったが… 
脚フェチの言行が、鉢をかぶった状態の
美也に惚れてしまったため、素顔をさらす
タイミングを逸していたのだ。


参拝が済んで、美也は先に1人で牛車に乗りこみ、
住職と話しこんでいる夫が戻るのを待っていると…
フラリと、千登勢が通りがかった。
「頭の鉢は取れても、心の鉢はかぶったままね… 
あなたの本当の望みは、他にあるんじゃないの?」
それだけ言うと、歩き去る。

車の中から、すさまじい殺気のこもった
視線が、その後ろ姿を追っていた。
(あの女… 何か気づいているのか!?)
始末するべきだろうか… いや、今はまずい…

(心の鉢、か…)
仕方のないこと… 私は藤原山蔭の
邸に送りこまれた工作員… 
根黒衆(ネグロス)の美也なのだから…



7月11日、文徳天皇の第一皇子、
惟喬(これたか)親王が出家した。
紀静子を母にもつ、「御位争い」に敗れた、あの皇子。
後に木地師の祖となる… という伝承あり。

陸奥では、狂女おしらが故郷を離れ、南下を始める。
同じころ、成長した恋夜が陸奥へと旅立つ。
猟師が深い山中の邸に迷いこむ、
「迷い家(まよいが)」事件もこの頃。
(将門記(一)「おしらさま」「迷い家」参照)



そのころ、藤原言行は父・山蔭と連れ
立って、吉田神社を訪れていた。
新たなる総領として、スタッフに紹介される四男坊。
山蔭は吉田神社の創建者にして、大スポンサーである。
その後を継いだ言行も、裏の仕事に直接関わることは
ないにしろ、大きな影響力をもつようになるだろう。

やがては言行の子供が… 
美也の産む子供たちが、それを引き継ぐ。
そのころには、裏神人たちの監視も行うようになるだろう。
吉田神社の秘密の動きは、完全に根黒衆に…
そして「久遠の民」に筒抜けになるのだ。



8月、山蔭の邸に夜盗が侵入。
蔵に保管してあった宝の数々が、ごっそりともっていかれた。
その中には、「嫁くらべ」の際、美也が引き出物として
送った、異国の金細工や唐錦、巻絹、染物なども…


東山にひっそりと建つ、狐狸の住処にでもなって
いそうな荒れ屋敷に、5人の夜盗が集結していた。
いつぞや、鉄鉢と宝物を交換した、5人の男たちである。
そもそも、淀川で幼い味丸を川に引きこみ、
美也と山蔭の出会いを演出したのも、彼ら
「蠱毒(こどく)五人衆」の仕業であった。

「ふう、ようやく回収できたな… 
これでおババさまも一安心であろう」
山蔭の邸からブン奪ってきた戦利品を、床にズラッと並べて、
「何しろ、大本山から借り出した、大切な秘宝だからな…」
「それにしても、鉢かづきとは… おババさまも
ようこんな策を思いついたものよ」

「まさに天魔の如き知略… 春日の裏神人ども、
毛ほども気づいてはおらぬ」
「だが、おババは、とうに隠居されたのではなかったか?」
「あの婆さまは、骨の髄まで、こういった
謀(はかりごと)が好きでたまらんのよ」
「ああ、きっと隠居暮らしが退屈で、舞い戻ってきたのさ」

5人が笑い合っていると、
「毒蛾! 毒蜘蛛! 毒蠍! 毒蛙! 毒蝮! 
年寄りの悪口はそこまでじゃ」

死水尼が現れたので、
「これは、おババさま!」
全員、その足元にひれ伏す。

「美也もすっかり山蔭の家に溶けこんだし、
宝物も取り戻して、何より、何より」
老婆は、ここで声を潜め、

「実はな、お前たち… 美也の支援の合間に、
ひとつ仕事を頼まれてくりゃれ。殺しじゃ… 
摂政・藤原良房さまを、亡き者にしてほしい」
5人の根黒衆(ネグロス)は、顔面蒼白となった。


数日前、死水尼の息子、つまり骨阿闍梨(ほねあじゃり)が
良房に呼び出され、仕事の依頼を受けたのである。

「骨よ、久しいな… あの日以来だ…」
69才となり、すっかり老いて弱々しく
なった良房は、そう切り出した。
「あの日」とは、文徳帝暗殺を依頼した日のことだ。

「今度は、私の命を奪ってほしい」
「なんと!」
骨阿闍梨の落ち窪んだ眼窩から、
眼球が飛び出さんばかり。

「惟喬親王が出家して、もはや今上帝の
皇位を脅かすこともなくなり…
基経も成長し、仕事を任せても安心だ… 
これ以上、私が生きている理由はない」

「もしや… あれからずっと、罪の意識を…」
「我らが皇室の御盾となるため、紀氏の
血統を排除するため、とはいえ…
帝殺しという、絶対に許されぬ大罪を
犯したことに、ちがいはない…」


あまりに重大な依頼に、どうしたものか頭を
悩ませていた骨阿闍梨は、ちょうど陸奥の
「迷い家」から戻ったばかりの母親と再会。
「おう、母者。良いところで会うた。相談にのってくだされ」
「なんじゃ、せがれよ。ワシは足を洗うた身ぞ」
と言いつつも、話を聞くことに。

「摂政の出した条件は2つ。事故か病か、
いずれにしろ完全な自然死に偽装すること。
そして、できるだけ… 苦しみの多い
死に方をなさりたい、とのことじゃ。
今なら、全国的に流行っておる「異土の
毒気」に偽装するのが上策じゃろう」
「とすると、「咳地獄」じゃな… その技を使えるのは…
おお、ちょうど蠱毒(こどく)の5人が都におるわ」


咳地獄…
それは大麻の葉、トリカブト、ひき蛙の脂
などを混ぜた、粘りのある粉末を使う。
犠牲者の手足を押さえつけ、この
粉末を飲ませるのだが…
その際、特殊な喉の押さえ方をして、
食道をふさぎ、気道を開かせる。
粉末は全て肺に流しこまれ、激しく咳きこむが、
粘質の粉末は肺の内側にこびりつき、どんな
強い咳でも、決して排出されない。

結果として犠牲者は延々と、止まらぬ咳に苦しむことになる。
骨がきしみ、筋肉が痙攣し、水も飲めず、
死ぬまでノンストップの咳地獄。
24時間以内に、完全に衰弱死する。
摂政太政大臣・藤原良房が、そんな風に
死亡したのは、9月2日のことだった。

陰陽博士の滋岳川人(しげおか の かわひと)は、
「伴善男の怨霊によるもの」
と死因を判定したが、もちろんデタラメである。

葬儀の後、藤原基経が右大臣に、さらに摂政に任じられる。
基経にとって良房は養父、しかも政略的
野望で結びついた父と子であったので、
その死に際して、なんら感傷を覚えなかった。
ただ自分の時代が来たという事実を、
淡々と受け止めていた。