小町草紙(三)
12、 嫁くらべ
年が明け、貞観13年(西暦871年)。
都に戻った獣心は、右目を奪った謎の女を探索。
謎の老婆・死水尼と出会う。
遠い「みちのく」では、17才の少女おしらが、
馬を相手に交合してしまう…
この獣姦事件こそが、「鍛冶師・天国」誕生にいたる、
おぞましい物語の幕開け…
そして東北地方における「おしらさま信仰」の誕生である。
(将門記(一)「おしらさま」参照)
4月、秋田県・山形県の境にある
鳥海山が大噴火、被害甚大なり。
噴火は「穢れ(けがれ)」を嫌う、
山の神からの警告と解釈される。
国府から派遣された神官により、必死の祈祷が
捧げられたが、7年後には、この地で「元慶
(がんぎょう)の乱」が起きてしまう。
藤原山蔭の邸では、長男・有頼に続いて、
次男・公利、三男・遂長も嫁をもらった。
「次はお前だぞ、言行。早く身を固めろ」
四男の言行は、最近しきりとプレッシャーをかけられる。
「いや、父さん… 俺はまだ、もう少し遊んでいたいなあ」
「1日も早く、いい嫁さんをもらって…
鉢かづきのことは忘れるんだ」
言行は、凍りついた。
「……」
「バレてないと、思ってたのか?」
長男の有頼も、ここぞとばかり責めたてる。
「言いたくはないが、お前は一体どういう趣味をしてるんだ?
確かに、手足は美しい。だが顔も見ないで、手足に惚れて
女を抱くなんて… 変態の一種だぞ?」
「やめろよ! 美也はかわいそうな娘なんだ!
それに味丸の命の恩人だぞ!?」
父の山蔭は、2人の間に割って入り、
「確かに、彼女には恩義がある… それに働き者で、
気立ての良い娘だ。だがな、下女は下女だ。
お前と釣り合う相手ではないぞ」
しかし、若く一途な言行は、無性に反発したくなった。
「俺は美也を妻にします!」
この時代、入籍もなければ結婚式もない。
同じ女のもとに3日通えば、夫婦の関係となる。
ほぼ毎日のように契っていた言行と美也は、堂々と宣言して
しまえば、誰がどう言おうと、れっきとした夫婦なのだ。
もちろん家族は反対して、必死に別れさせようとする。
世間に知られたら、スキャンダルとなろう。
一時は言行の勘当も考えた山蔭だが、
「言行はともかく、味丸の恩人である美也を、追い出す
わけにはいかない… 長谷観音のお導きで、うちに
来たようなものだからな…」
美也は泣きながら、言行に懇願する。
「あなたの人生を台無しにはできません!
どうか、ご両親の言うとおりにして…」
だが… 愛欲に狂った言行は、美也の美しい
両脚の間に顔をうずめながら、
「なぜ、そんなことをいう… 俺が嫌いになったか?
他に好きな男ができたかッ?」
もはや、誰の言葉も耳に入る状態ではない。
「まあ、大変ね…」
千登勢は、久々に実家に帰った娘の千勢から、
山蔭の家の騒動を聞かされた。
「あの鉢かづきって、いったい何なのかしら?
そもそも、鉢が頭から外れないのに、死なないで
生きてるなんて、そこからして不思議だわ」
フンワリした母とちがい、甘やかされて
育った千勢は、我がまま娘である。
「不思議なことってあるものよ、千勢ちゃん… でも…」
あの美也という娘、何を考えているのか、気になる…
鉢かづきの不思議は、本当の不思議
ではないと、直感が言っている…
「千勢ちゃん、いい考えがあるの。あちらの
お母さまに、伝えてちょうだい」
母のアイデアを聞いた千勢は、その陰険さに腰を抜かした。
あんなに優しげなのに、うちの母さまって、やっぱり怖い…
「でもそれなら、確実に鉢かづきを追い出せる…
それも、こちらが追い出すのでなく、向こうの方から
出ていってくれる… 素晴らしい策略よ、母さま」
それは、4人の嫁を競わせる、「嫁コンテスト」の提案。
1、外見の美しさ
2、和歌や詩文、楽器の演奏など、教養・たしなみ
3、父母への引き出物(プレゼント)、その豪華さ・センスの良さ
などが、審査基準である。
長男・次男・三男の嫁は、千勢をはじめとして、
いずれも良家の子女で、美人でかわいく、
趣味が豊かで教養もあるお嬢さまたちだった。
あの異様な姿の… しかも釜焚きの下女が、
上流階級出身のレディーたちと比較審査され
たら、恥ずかしくて邸にはいられないだろう…
必ずや逃げ出すだろう、という計算だ。
山蔭の妻は、この提案を聞いて、大乗り気。
美也を邸に置くのは、最初から反対していた妻だった。
一方、山蔭は不快な表情を見せ、
「まったく、女というものは下らないことを考える…」
だが結局、妻に押し切られ、「嫁くらべ」開催決定。
この年、清和帝が藤原基経、都良香らに
「日本文徳天皇実録」編纂を命じる。
後に、菅原是善(道真の父)も編纂スタッフ合流。
「日本文徳天皇実録」とは、何か。
文徳天皇の実録に決まってるよね。
また、藤原基経の長男・時平が誕生。
8月25日、藤原氏宗ら「貞観式」を撰上する。
なんか同じようなことを、すぐ前に書いたぞ… と思ったら、
それは869年の「貞観格」でした。
9月中旬、いよいよ明日は「嫁くらべ」という日。
荷物をまとめて、四男・言行は湯殿にやって来た。
これ以上、美也を辱めることはできない…
もっと早く決心すべきだったが、今日にでも
美也を連れ、家を出よう。
両親と生涯の別れになるというのに、
挨拶もできないのは悲しいが…
だが、湯殿には見慣れぬ女が待っていた。
スッと切れ長の涼やかな目、キリッとした紅い唇、
艶やかな長いストレートの髪…
かたわらに置いてあるのは… 例の、鉄の大鉢。
「お前は… 誰だ? ここで何を…」
「鉢が取れたのでございます」
「え」
謎の美女は瞳を潤ませ、言行にすがりついた。
「私… 美也でございます!!」
「(;゚〇゚)ぉぉおおおぉぉお〜!!
こんな美しい女、見たことねえええーッ」
さらに、驚きが待っていた…
鉢の中から、手紙が出てきたのである。
差出人は、美也の母。
鉢をかぶせて4年後、鉢はひとりでに外れるでしょう。
その鉢をもって、八坂の地へ行きなさい…
荷車も用意した方がいいでしょう。
「八坂の地に、何があるというのだろう?
よし、俺が行ってこよう」
頭が混乱し、とにかく何かしなければ
落ち着かない言行であった。
従者に荷車を引かせ、賀茂川を越え、
東山の麓、八坂の地へ。
「もし、そこのお方… その荷車にのせた
鉢を、見せていただけまいか」
異国風の男たちが5人、言行を取り囲む。
「本当に鉢が来るとはな…」
「娘でなく、男だったが…」
「どれ… おっ 見ろ!」
鉢の内側を見て、男たちは興奮する…
そこに、文字が刻まれていたのだ。
言行がポカーンとしていると、
「この鉢を譲っていただけまいか?」
「もちろん、謝礼はする」
1人が馬を引いてきて、載せていた荷物を下ろす。
「さ、どうぞ… これらの品々を差し上げよう」
それは、とてつもない財宝の数々。
砂金、金塊、純金の杯、純銀のスプーン、
宝石で飾られた金細工の果物…
さらに十二単の小袖、唐錦、巻絹、染物が山と積まれ…
「あの〜、あなたたちは… この宝物は… その鉢は…」
何から聞いていいかわからない言行に、
男たちは手短に、要点だけ説明した。
「莫大な財宝とともに歴史の闇に消えた、
とある王国があったと思いなされ…」
ただ1人生き残った王女は日本に渡り、日本人と結婚した。
王女は、財宝の隠し場所を知る、ただ1人の人物である。
病に倒れた王女は、死に際になって、同じく日本に
渡っていた家臣たちに手紙を送る。
4年後、八坂の地に来るように、と…
翌日、いよいよ「嫁くらべ」の始まりだ。
広間に美しい3人の嫁が居並び、「鉢かづき」の登場を待つ。
「遅いわね… 逃げたな、こりゃ」
母さまの計略どおり… これで、この家の
人たちも、私を重く見てくれるでしょう…
ほくそ笑む千勢。
はるか下座に、破れた畳が敷いてある。
「鉢かづき」専用の席だった。
「立派な家柄の3人の嫁と、同列に
座らせるわけにはいきません」
という、山蔭の妻の発案。
そんなところへ、高貴なプリンセスのオーラを
まとった、素顔の美也が現れたのである。
まとっている小袖は、言行が
八坂で受け取った十二単だ。
りんとした強さを秘めながらも、
恥ずかしげにうつむいている。
「遅くなりまして、申し訳ございません…
このような見苦しい姿を、皆さまの前に
さらす勇気が、どうしても出なくて…」
3人の嫁は、魂が消し飛んだか
のように、真っ白になっていた。
今や彼女らは、美しくもかわいくもなく、単なる普通の人。
「これは、まるで… 天女さまではないか…
これが、あの鉢かづき…」
山蔭の眼球は、半分以上も飛び出し
かかっていたが、あわてて
「ああっ いけません! 天女さまがそんな、
破れた畳になど… さ、こちらへ」
山蔭だけでなく、妻の態度も180度回転。
「さ、美也さん! こちらへどうぞ… 私のとなりへ」
さらなる驚きは、和歌の詠み比べだった。
美也の詠んだ、
春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊
いずれの露に 置くものぞ憂き
という歌は、他の3人と根本的にレベルがちがった。
さらに、その書の見事さ…
たおやかな指で奏でる琴の音の美しさ…
教養レベルでも、他の嫁を圧倒したのである。
とどめは、父母への引き出物。
他の3人もそれなりに、小袖だの絹だの染物だの、
高価なものを用意してはいたが、量・質ともに
美也の用意した品々とは、比較にならなかった。
もちろん、鉄鉢と交換に5人組の男たちからもらったもので、
非常に珍しい異国の金細工なども含んでいる。
「こ、これは… 畏れながら、宮中の宝物倉
にも、これほどの品はないぞ…」
どこで手に入れたのか説明を求める山蔭に対し、
言行は待ってましたとばかり、鉢が取れて中に
手紙が入っていたことや、八坂で出会った
男たちのことを、ドラマチックに物語った。
「ということは… 鉢の内側に、財宝の
所在が記してあったのか…」
「そう考えると、交換してしまったのは、
ちょっと惜しい気もしますが」
「だが、まあ… 異国まで財宝探しに行く
わけにもいかぬ… それに、その国の財宝は、
その国の者たちが手に入れるべきだろう」
金細工の果物を手にとって眺めながら、
山蔭は異国のロマンに浸っていた。
山蔭の妻も、ため息をついて、
「それにしても… この美也という娘は、なんという
不思議な運命のもとに生まれてきたのでしょう…」
言行の3人の兄たちも、最初の驚きから醒めると、美也を
なめるような視線で見回し、このような美女が自分たちで
なく弟の嫁であるという現実に、歯ぎしりするのだった。
恥ずかしそうにうつむく美也を、山蔭は優しげに見て、
「美也… お前が、嫁くらべの勝者だ。
これからは湯殿ではなく、言行の住まい
である「竹の御所」で暮らすがよい」
さらに四男に向かい、
「言行… このような嫁を見つけ出したお前は、息子たち
のうちで最も、人間を見る目があるようだ…
お前こそが、後継ぎにふさわしい」
こうして、四男・言行が、この家の総領となった。
3人の兄たちも、異論はない。
めでたし、めでたし… ではない。
娘・千勢から、悔し涙でグショグショになった
手紙を受け取った千登勢は、
「世の中には、あなたより素晴らしい人が
いくらでもいるのですよ?
これを機会に、あなたも少し謙虚になりなさい」
と、キツイ内容の返信をしたためた…
これも我がままな娘への、母の愛である。
「それはそれとして…」
筆を置いた千登勢は、美也のことを考える。
「あの子の狙いはわかった… それに、この引き出物…
彼女1人で、できることじゃない」
じっと、目を閉じる。
「山蔭さまの家を乗っ取って… どうするつもりなんだろう?」