小町草紙(三)
11、 鉢かづき
都へと帰る道すがら、「鉄鉢をかぶった少女」美也は、
重い口を開き、その数奇な運命を語り始めた。
「生まれは河内(かわち)の国、交野(かたの)で
ございます… 父の名はご容赦ください…
恥をかかせたくないので…」
交野市は現在、日本最大級の人道
吊り橋「星のブランコ」で有名。
最近まで、パチンコ屋が1軒もなかったんだって。
素性は不明ながら、裕福な家庭で育ったらしい。
母親も教養のある人で、大和の
長谷観音を信仰していた。
だが2年前、美也が15才の時…
風邪がもとで、母が亡くなった。
臨終のまぎわに、母は美也を呼び寄せると…
娘の髪を愛しげに撫で、何か小さなものを頭にのせ、
その上からスッポリ、鉄の鉢をかぶせたのである。
「お母さま、いったい何を…?」
驚いた美也は外そうとするが、鉢は
頭にカッチリとはまっている。
母は優しく微笑んで、
「夢で、長谷の観音さまのお告げがありました…
そのお告げに従い、あなたに鉢を戴かせたのです…」
高熱にうなされ、脳がやられたとしか思えなかった。
母の狂気ともいえる行動だが、山蔭は
平安時代の人間で、しかも彼自身、
長谷観音を篤く信心していたので、
「ふーむ、不思議なこともあるものだ…
しかし、観音さまのお告げなら、きっと
何か意味があるにちがいない…」
と、半ば納得してしまった。
が、この鉢のせいで、美也の人生は暗転した。
父は、母の死以上に、娘の異様な姿を嘆いた。
「なんの因果か、一人娘まで、このような…
なんと体裁の悪いことよ…」
やがて、父は再婚した。
新しい母は、美也を不気味がり、憎悪さえした。
「かかる不思議の片輪者、憂き世にはありけることよ」
(こんな妙チクリンな奇形人間が、世の中には
いるものだねえ。あーやだやだ)
年頃の娘の心が、こういった言葉にどれだけ傷ついたか。
だが実際、頭がスッポリ黒い鉢に覆われた
少女というのは、かなり怖い絵だ。
「リング」に出てくる貞子を思い出してほしい…
あれは髪で顔を覆っていたけど。
そのうち、継母は被害妄想にとり
つかれたように、騒ぎ始めた。
「この子は私を呪い殺そうとしている!!」
それを真に受けた父は、とうとう
美也を勘当し、家から追い出した。
行くあてもなく彷徨っていた美也は、
淀川の岸辺にたどり着き…
「身を投げたのか… かわいそうなことだ…」
「私には、もう行くところはございません…
この姿を憎む人は多く、憐れんでくれる方は
誰もいません…」
小さな声で、恥ずかしそうに付け加える。
「こうして、蔵人さまにお会いするまでは…」
けっこう、かわいい娘かもしれない…
と、山蔭は思った。
声も、きれいだし。
「人のもとには、不思議なる者のあるも、よきものにて候ふ」
(ひとかどの人物のもとには、1人くらい不思議キャラが
仕えているのも、いいものだ)
山蔭の邸に到着後、美也は湯殿に配属され、
風呂の釜焚きとして働き始める。
だがこれは、真夜中でも叩き起こされ、寝る暇も
じゅうぶんにない、きつい労働だった。
子供を助けてくれた恩人なのだから、もう少し
待遇が良くてもいい気がするが…
他にこれといって、美也にできそうな
仕事がなかったのである。
この年、藤原良房が中心となって編纂していた
「続日本後紀(しょくにほんこうき)」が完成、
8月14日に撰上した。
「続日本後紀」とは何か。
「日本後紀」の続編に決まってるよね。
12月5日、俘囚たちが多数集められ、
兵力として大宰府へと送られる。
12月28日、坂上瀧守(さかのうえ の たきもり)が
大宰府警護のため、近衛府の兵を率いて出陣。
16才の少年・太岐口獣心も同行する。
年が明け、貞観12年(西暦870年)となる。
吉田神社では、獣心の父・田島を中心に、
秘密の会議が開かれていた。
議題は主に、緊迫する九州北部の情勢について。
「獣心なら… 倅(せがれ)なら、きっと何とかしてくれる…
それを待とう。ところで、山蔭の家に潜りこんだ、例の…
変な娘はどうしてる?」
「鉢かづき、ですか」
「ここ数ヶ月、定期的に監視してきましたが…
怪しい素振りは見せません。まじめに
働いていますよ… いじらしいほどに」
「そうか… では、監視を解いてもよさそうだな」
もしかして、敵方の送りこんだ間者
(かんじゃ=スパイ)では…
という疑惑もあったが。
「間者なら、もっと目立たない普通の…
あんな奇天烈な格好はしないでしょう」
「それに、この吉田神社に入りこむならともかく、
山蔭の家では… なんの秘密もありませんしね。
山蔭の浮気の尻尾でも捕まえるなら、別ですが」
一同、大爆笑。
2月12日、新羅から脱出した漁師の卜部乙屎麻呂が、
九州への侵攻計画について、見聞きしたことを証言。
(将門記(一)「秘密結社・久遠の民」参照)
菅原道真、国家試験である方略試に合格。
この時の試験官が、都良香。
道真は合格の礼に良香の邸を訪ね、
弓の腕前を披露。
(天神記(二)「都良香」参照)
同じ頃、屏風絵から抜け出した馬が、
田畑を荒らすという怪事件が発生。
絵の作者は、日本画の太祖、
巨勢金岡(こせ の かなおか)。
あまりに生き生きと描いたために、
「絵から抜け出してしまった」
という噂が広まるが、道真がビシッと解決。
(天神記(一)「金岡」参照)
「鉢かづき」が山蔭の家に来て、
1年が過ぎようとしていた。
相変わらず、風呂焚きの毎日だ。
「坊っちゃま、お湯がわきました」
山蔭の四男、言行(ことゆき)の入浴する番である。
「美也… 背中を流してくれないか」
同じ年頃の、優しげな若者。
だが、ひと月ほど前から…
美也を見る目つきが、変わってきた。
「お前も家にいたころは、使用人に背中を
流してもらう身分だったんだろ?」
「まあ、そうですね」
一生懸命、若者の背中を掻く美也。
江戸時代あたりまで、「背中を流す」といえば、
爪で垢を掻き取ることを指す。
ちょっと汚い気もするが、垢すりタオルが
ないのだから仕方ない。
「お前の手足は美しいな…
顔が見えないのが残念だけど…」
鉢をスッポリかぶった異様な頭部になじん
でくると、首から下のパーツの美しさに、
激しく欲情を催すようになった言行。
年頃だからか、そういうフェチがあるのか…
たぶん両方だろう。
「あっ 坊っちゃま、何を…」
美也の腕をつかんで、押し倒す。
言行にとって初体験、それも異様な体験だった。
鉄の鉢が、顔にぶつかる… しかし、体は無防備
だったので、思う存分に手足をむさぼった。
「好きだ、美也… たとえ紅(くれない)に染めた
染物の色が落ちようとも、私のお前に対する
気持ちは、紅のまま、決して色は変わらぬ…」
「恥ずかしいです、坊っちゃま… こんな私を…」
喘ぎ声が、鉢の中で反射する。
この日以来、毎日のように、夕暮れ時に鳴ると
湯殿に言行が現れ、激しく美也を求めた。
その交わりは、のぞき見る者があらば、まるで地球人と
宇宙人の性交のように、異様に映ったことであろう。
ふた月ほどして、山蔭の長男、
有頼(ありより)が妻をめとった。
相手は、讃岐守(さぬきのかみ)を務めた
高向公輔(たかむこ の きんすけ)の娘。
名を千勢(ちせ)といい、今年17才。
嫁の両親がそろって、挨拶に来た。
「この度は、摂政さま(良房)のご紹介で、
このような良縁をいただき…」
父の公輔は、かつて湛慶(たんけい)という僧だった。
妻の千登勢は、現在36才。
ふわふわした髪と優しげな瞳、天使のような
雰囲気は相変わらずである。
巨乳も…
「山蔭さま。こちらに、面白い娘さんがいらっしゃるとか。
鉢をスッポリかぶった…」
娘そっちのけで、ウキウキしてしまう千登勢。
山蔭は苦笑して、侍女に命じる。
「奥さまを、湯殿にご案内しろ」
こうして、千登勢 X 美也の対面が実現。
「あなたも観音さまのお導きで、不思議な
運命に弄ばれ、苦労されたそうね…
私も同じなの… 1度、死んだのよ」
首に残る、醜い傷跡を見せる千登勢。
「奥さまのお噂は、耳にしたことがあります…
確か、今の旦那さまが、その傷を…」
かつて生死の境目から帰還した千登勢は、
その際、不思議な力を授かった。
それは、「相手の本質」を直感的に見抜いてしまう力…
考えてることまでは読めないが、心の奥底にある
「本当の姿」が、色となって見える。
湛慶と再会した時、その本質が純粋であり、
それゆえの狂気と過ちを心から悔いている
のが「色」となって見え…
そのため、天使のように許すことができたのである。
今、千登勢の目に映った「鉢かづき」は…
嘘をついてる人間に特有の、暗い影があった。
しかし… よく見ると、影の中にひとつだけ、
真珠のように輝く白い玉がある。
「どんな事情があるのか、知らないけれど…
あなたの中の、たったひとつの真実を大切にしてね」
謎めいた言葉を残し、千登勢は夫のもとへ戻る。
異様に勘の鋭い人間に会った時特有の気まずさを、
美也はヒシヒシと感じていた。
11月16日は、沖ノ島で獣心が大活躍、
海賊団を壊滅させた日である。
そして右目を失い、隻眼となった日…
翌日、スパイの元利万呂を逮捕、謎の女は逃走。
(将門記(一)「秘密結社・久遠の民」参照)
12月2日、上総国で俘囚が叛乱。
年末の吉田神社では、再び秘密会議が開かれた。
「久遠の民…」
「それが我々の敵の名か」
「どうせ背後にいるのは、雲であろうが…」
太岐口田島は重々しく、うなずいた。
「太陽を隠さんとするものは、いつだって雲であろう」
「雲」とは、スサノオを表す暗号だ。
「だが、ようやく… 戦うべき相手の顔が見えてきた、
ほんの一端にしろ… これまではまさしく、雲を
つかむような戦いだったからな」
「鹿島の神」の神意を実行するため、
選ばれし裏の神人たち。
「鹿島の神意」とは、皇室を陰から守護し、
千代に八千代に栄あらしめんとすること。
だが、彼らの前に立ちはだかる敵は、想像を
遥かに超えた怪物たちだ。
日本の歴史を狂わさんとする、人間で
あることをやめた者たち…
その魔の手は、すでに裏神人たちの
すぐ近くまで、迫っていたのである。