小町草紙(三)
10、 亀の恩返し
小町が消えても、歴史は続く。
貞観11年(西暦869年)5月22日、
新羅の海賊船団が博多津を来襲。
「久遠の民」メンバー・曠野(あらの)の手引きに
よって新羅のスパイとなった藤原元利万呂が、
裏で暗躍している。
5月26日夜、宮城県沖で大地震が発生。
「蘇民将来の子孫」を名乗る男、東北に出没。
(将門記(一)「蘇民将来」参照)
さらに、全国で疫病が蔓延。
災いの続く年となってしまった。
この年は、有名な「祇園(ぎおん)祭り」
の始まった年とされる。
祇園祭りといえば、小町草紙プロローグでも
「トロイア戦争を題材にしたタペストリーが
山鉾(やまほこ)を飾ってる」
と、紹介いたしましたね。
西暦656年頃、高句麗からイリシ(あるいはイリサ)と
いう使者が来朝、日本に帰化しまして、彼が帝から
授かったのが、京都東山、八坂に広がる所領と
「八坂造(やさか の みやつこ)」という姓(かばね)。
八坂というと、修学旅行の思い出いっぱいの、
清水寺へと続く坂道の一帯ですね。
すでに平安京遷都以前に、「八坂の塔」で
知られる法観寺が、イリシの子孫である
帰化人によって建てられていたそうな。
後に藤原基経が、この地に祇園寺(ぎおんじ)を建立。
祇園寺の境内にあった「天神堂」というお堂が発展、
「祇園社」となり… 母体である祇園寺は消滅。
「祇園社」は明治維新後、「八坂神社」
となって、現在に至ります。
で、この869年の6月14日、災いはびこる世を憂いて、
卜部日良麿(うらべ の ひらまろ)という神官が、日本
66州と同じ数の66本の矛(ほこ)を神泉苑に立て、
牛頭(ごず)天王に疫病退散を祈願したという。
これをもって「祇園祭り」の起源とされるが、
あまり八坂神社は関係ないような…
神泉苑が会場だし、まだ祇園寺も
建立されてない頃だしね。
毎年行われるようになるは、100年
ほど後の970年から。
「祇園祭」は、ユネスコの無形文化
遺産に登録されてるよ。
「牛角山のGODとかいう野郎をシメてから、
もう134年、か… 疫病を操る牛頭天王の
名も、だいぶ浸透したな」
寝転がったスサノオは、満足そうな笑みを浮かべる。
すでに神様のブランドイメージは、「スサノオ」
より「牛頭天王」の方が上だった。
(スサノオが牛頭天王となる経緯は、
将門記(二)「牛頭天王」参照)
そういえば「小町草紙」に入ってから、
スサノオ初登場である。
「九重(ここのえ)の結界」があるので都には
近づけないが、賀茂川を渡った東山あたり
なら、ギリギリ接近できる範囲だ。
自分の新しい名が徐々に、都へと染みわたって
いくのを見届けほくそ笑んだ後、超人的脚力を
駆使、1日で陸奥へと戻ってきた。
ここは大地震の傷跡もまだ癒えない
岩手県、北上地方の山中。
でき上がったばかりの、真新しい「久遠の民」本陣だ。
衝立(ついたて)の向こうでは、「九星」たちが会議中。
もっとも九州で工作任務についている
曠野は、この場にいないが…
「牛頭天王というのが、あなたのことだと
月や星は気づいてますでしょうか?」
声をかけてきたのは、スサノオの片腕・蘇民将来。
平凡な外見だが、得体の知れない恐るべき男だ。
「恐らくな… だが庶民の信仰は、
簡単には止められねえ」
この15年後くらいにスサノオは、大陸から連れて
来られた「辟邪四神(へきじゃししん)」と死闘を
演じることになるのだが、「月や星」の狙いは、単に
スサノオ抹殺のみではなく、「疫病を封じる神」として、
「鍾馗(しょうき)」や「天刑星(てんけいせい)」を
普及させよう、それによって牛頭天王への信仰を
駆逐しよう… という戦略もあったようだ。
だが、現実には牛頭天王も鍾馗も蘇民将来も、
庶民を守る神として生き続け、牛頭天王が
ようやく抹消されるのは、明治維新後の神仏
分離政策によってである。
「月や星といえば… 鹿島方の、
気になる動きがありますじゃ」
発言したのは、都での情報収集を担当する死水尼。
10年ほど前、藤原山蔭が氏神を
祀るため創建した吉田神社。
これは奈良の春日神社から、神様を分祀しただけでなく、
スタッフ(神職や巫女)もいっしょに移ってきた。
つまり、「吉田神社」=「春日神社の京都支局」なのだ。
そして「春日神社」=「鹿島大社の奈良支局」。
鹿島の神に仕える一族こそ、遥か古代より
皇室を陰から守護し奉る者たち。
春日神社には、表向きの奉仕を務める神職の他に、
影の奉仕を実践する「裏春日(うらかすが)」と
呼ばれる神人(じにん)たちが存在する。
彼らこそ、鹿島より送りこまれたエリート工作員であり、
都におわす天皇の世が「千代に八千代に」続くよう、
日夜活動を続けているのだ。
そして当然のことながら、日本の歴史を
オモチャにして遊ぼうという秘密結社
「久遠の民」にとっては、天敵である。
「で、その吉田神社ですが… 表の春日から神を
勧請(かんじょう)しただけでなく… 裏春日の
連中の、都での拠点にもなっておるようで」
メンバーの間にざわめきが起きた。
「確かに、奈良から都に通うのでは、遠いからな…
いつかは都に乗りこんでくると、予想されていたはずだ」
「しかし、10年もたってから気づくとは…」
「おばば殿、ちと情報が遅いのではないか」
「同じ頃に創建された、男山の八幡さま(石清水
八幡宮)に気を取られとりました。摂関家は、
あちらの方に力を注いでおりましたからの…
てっきり裏春日の拠点は、あそこだとばかり…
まんまとやられましたわ」
歯のない口でニヤリとして、
「山蔭め、よくもこの婆ァを欺いてくれた。この礼は必ずや…」
藤原山蔭、この年46才、清和天皇の蔵人
(くろうど=秘書官)を務めている。
大のグルメで、珍しい食材を手に入れるため
遠出をすることも、しばしば。
この日も、瀬戸内海から上がった鯛やタコ、
アナゴにシャコといった海の幸を求め、
淀川を貸切の舟で下っていた。
「いつも食の細い帝が、明石の干しダコと塩鯛
だけは、喜んでお召し上がりになる。
今回も、しっかり良いものを厳選してくるぞ」
その時… 後ろで、ぼちゃーんと水音がした。
振り返ると、3才になったばかりの末っ子の姿がない。
「味丸が落ちた! 船頭、引き返してくれッ」
正妻の子ではなく、今回の旅に同行
している愛人に産ませた子だ。
「旦那さま! ぜんぜん浮かんでこないっ 坊やがっ!」
川に飛びこもうとする愛人を、必死に押さえる山蔭。
「観音菩薩よ、どうか味丸をお助けください… 願いを
聞き届けてくださるなら、必ずや立派な伽藍(がらん)を
建立し、篤く敬いたてまつります…」
すると…
なんという奇跡か、水面に幼子が
プッカリと浮かび上がった。
何か黒くて丸いものの上に乗っており、
ぐったりとしている。
「味丸!? よかった… 旦那さま、あれは何でしょう?」
「亀…? 亀の甲羅か?」
ハッと、思い当たる山蔭。
以前に、やはり淀川の船着場で、漁師が亀を
いじめてる場面に出くわしたことがある。
「いつも美食のため、いろんな生き物の
命をいただいてるし…」
せめてもの罪滅ぼし、金を払って亀を
買い取り、川に放してやったのだ。
「あの時の亀だ! 亀が味丸を助けてくれた…
亀の恩返しだ!!」
丸い物体は、船べりに近寄って…
船頭が味丸を引き上げた。
水を多少飲んだが、無事なようだ。
と、丸い物体が突然… ザバアアッと水を滴らせ
ながら、舟に上がりこんできたではないか。
あまりの異様な姿に、愛人が悲鳴を上げる。
「なんと… 亀でなく、人間!?」
山蔭も思わず、目を丸くした。
なんという奇妙奇天烈な姿であろうか。
その小柄な人物は、頭に大きな鉄製の
深い鉢をかぶっていたのである。
この鉢が亀のように見えたわけだが、肩近くまで
スッポリと頭部を覆い、顔を完全に隠している。
現代人なら、「ヘルメット」と表現するだろう。
「お子さまがご無事で、ようございました…」
その美しい声も、粗末な着物も、
若い娘のものであった。
「これはまた一体、あなたはどういうお方なのか…
いや失礼、亀ではなかったが、きっと観音さまの使いに
ちがいあるまい。幼い息子の命を救っていただいて…」
ひれ伏さんばかりに、鉄鉢娘を拝む山蔭。
この時の感謝の念から、また観音菩薩への誓いを果たす
ため、後の879年、山蔭は摂津の茨木に、大寺を建立。
現在の総持寺(そうじじ)である。
公式サイト http://www.sojiji.or.jp/
ご本尊は、亀に乗った観音菩薩像だ。
また、この時に助けられた味丸は、後に出家して、
「如無 (にょむ)」という僧になり、宇多法皇に仕える。
「ともかく… あなたにも礼がしたいし、味丸も安静に
した方がいいし、いったん都に戻るとしよう。
もう食材どころではない」
次の船着場で馬を雇い、舟を上流の方へと曳いてもらう。
無教養な船頭たちは、謎の娘を宇宙人か
未知の生物を見るような目で眺めまわす。
頭が鉄の鉢で、体が人間の怪物…
「さてと… まず濡れた着物を脱いだ方が…
というより、その鉢をとった方が」
「とれません」
「は?」
「頭の骨にピッタリとはまりこんで、外れないのです」
「……」
なんとも奇怪で、こっけいな話である。
「なんで… 川の中にいたの?」
「身を投げたのです」
「どうして…」
「こんな姿で、これ以上生きていけないからです!」
川波の 底にこの身の とまれかし
などふたたびは 浮き上がりけむ
(川の底に、この身がとどまっていればよいのに、
なぜ再び、浮き上がってしまったのでしょう)
女のつぶやく歌を聞いて、山蔭は気の毒になってきた。
この異形の娘は、自殺を試みたのだ…
それが子供の溺れてるのを見て、思わず助けてしまい…
結局、自分も死にぞこなった。
「名はなんというのかね?」
「美也(みや)… でも人からは、「鉢かづき」と呼ばれます」
「それでは美也、うちにおいで」
「え… 蔵人さまのお邸に?」
「命を粗末にしてはいけないよ。
うちに住みこんで働きなさい。
そのうち、幸せな日も来るかもしれない」
大きな鉢をかぶった頭が、うつむいて…
肩が震えている。
「どうした、寒いのか?」
「こんな優しいお言葉をいただいたのは…
初めてだから…」
異形の娘は、泣いていた。