小町草紙(三)





7、 関の扉(せきのと)




貞観9年(西暦867年)となった。
都では、疫病が蔓延している。

「こんなに死体がゴロゴロしてるのに… 
なぜ、私は死ねないのだろう」
けだるそうな美女が、川原にうち捨て
られた骸の山を、物憂げに眺める。
人魚の肉を食った女、八重… 現在85才。

夫も子供たちも、とうに先立っていた。
いつまでも容姿の変わらぬ自分に向けられる、
村人たちの好奇と畏怖の視線に耐え切れず、
故郷を飛び出したのが80才の時。
諸国を回って今、ようやく都へ入ったところ。

「おや? あの男…」
八重の目を引いたのは、ボロボロの黒い衣に
伸び放題の髭、卑しい顔つき…
年老いた狂人か乞食であろうか、
死体の山の中で蠢いている。
骨や臓物を集めているようだ。

人は皆、変わってしまった…
昔の人は持ちつ持たれつ、人は皆
お互いさま、と言っていたのに…
時は流れ、いつしか人は言う…
我のみ生きん、他は死ねばよい… 
死ぬのは奴らだ、と…


こんな歌を口ずさみつつ、死体の断片を革袋に
収めているのは、今年55才になる大伴黒主。
そして、八重は見た… 
黒主がもう1度、「死ぬのは奴らだ」と呟いた時、その
手にした髑髏が、ブワァッと炎に包まれるのを…

何か不吉な、おぞましいことが起こりそうな気がする…
「けど、まあ、どうでもいいか。私には関係ないし…」
生きることにすっかり飽きていた八重は、
すぐに興味をなくしてしまう。

クッフッフッフ… と、不気味な笑いを漏らし、
黒主は消えていった。

これは秘術を身につけるための、修行の第一歩。
収集した材料から、「亡国大殺業」に必要な
秘薬や法具を製作するのだ。
都の北の岩尾山で、師匠の李終南が待っている。



この年、菅原道真は文章得業生に 選ばれ…

一夜限りの逢瀬以来、離ればなれと
なっていた高藤と列子は再会…
列子の産んだ胤子(たねこ)は、6才の愛くるしい
女の子に育っており、高藤パパとの初対面。
胤子は後に、宇多天皇の女御として入内、
醍醐天皇の生母に。

5月5日、後に胤子と結ばれる定省(さだみ)
親王(=宇多天皇)が生まれ…
6月24日、「桓武平氏高棟流」の祖となった
平高棟(たいら の たかむね)が没する。



夏の終わりごろ… 業平はようやく、都へと帰還。
高子のことを思うと、今も胸が痛いが… 
とりあえず、まず先に
「小町の家って、今どうなってるかな? 
親族に知らせといた方がいいよな…」

車を山科へと向ける。
気の進まない、イヤな役回りだが…
小町の死と、ねんごろに供養したことについて、
報告しなければならない。

実に久しぶりに訪れる、小町の邸。
やはり… だいぶ荒れ果てている。
「どなたか… ごめんください」

「あら、業平… 随分とご無沙汰。都から追い
出されたって聞いたけど、帰ってたの?」
小町、この年42才… 肌のつや・髪のキューティクルは
さすがに、やや年齢を感じさせるものの、才気溢れる目
と艶やかな唇は、今でもじゅうぶん美しい。

「ああ小町、いきなりすまない。実は… 
って、ええええええーっ!?
なんで生きてるの、お前!?」
「はあ?」
小町の表情は、たちまち不快げに曇る。

「陸奥の八十島で、確かにお前の骨を供養したのに…
何? てことは、別人? あの田舎坊主、まったく
無関係な流れ者の女を、小町と思いこんでたのか…
とにかく、お前が」
生きててよかった… 
心から、そう言おうとした業平であったが。

バシッ!!
頬を、はたかれた。
「あんたって、ほんとうに最低の男… そんなイヤミ
言うために、わざわざうちへ来るなんて!! 
いくら私が、世間から忘れ去られてるからって…」


赤く腫れた頬を押さえ、業平は牛車に揺られている。
小町、泣いてたな… きっと、寂しかったんだろう…
なのに、せっかく訪ねてきた昔なじみに、
「まだ生きてたのか」
なんて、ヒドイこと言われて…

冷静に考えて、都の女が1人で陸奥まで
旅するなんて、ありえないよな。
なのに信じてしまったのは、小町が東北
地方の生まれ… と、聞いていたから。
それに普通の女にはとうてい無理なことを、
これまでやり遂げてきたし…
何はともあれ、小町が健在でよかった。
もう2度と、口も聞いてもらえないだろうけど…


今の小町は、言うなれば「あの人は今」に登場するような、
すっかり話題に上らなくなったアイドルであった。
細々と歌の添削をして、日々の糧を得ている。
「ムカつく… 業平のやつ…」

眉間のシワが、なかなか消えない。
「東国の話とか、聞きたかったのに… あーあ」
思わず、ため息が出る。
「旅か… 私もどこか、遠いところへ行ってみたいなあ…」



10月10日、右大臣・藤原良相が55才で没する。
11月10日、瀬戸内海に面する諸国に、
海賊の追捕が命じられる。



年の瀬も迫るころ… 黒主の修行は完了した。
「亡国大殺業」を実践するに必要な神通力は、
通常なら50年は修練せねば得られない。
しかし、それを1年に短縮したのは、黒主の執念…
大伴氏を破滅へと追いこんだ朝廷に
対する、あくなき復讐への一念。

さらに言えば、10年前に紅蓮と
別れて以来の諸国流浪…
ある時は野人のように山野をかけめぐり、
またある時は盗賊として死地をくぐり抜け…

そうした死と背中合わせの過酷な日々、
それ自体が修行になっていたのだろう。
「ともかくこれで、正しい手順を踏めば、
都に災い降ることまちがいあるまい。
あと、必要なものは…」

人骨を削りだした法具、肝や心臓を
素材に作られた怪しい粉や干物…
それらを荷造りしながら、黒主はうなづいた。
「護摩を焚くための焚き木… 千年を経た
古木が必要、ということでしたな?」
「うむ。森の豊かな国じゃ、その程度の
古木は、すぐに見つかるであろう」

「ひとつ、心当たりがあります… 
都に近い、ちょうどいい場所に」
「ならばよい… そして最後に。
承知していると思うが、お前の命」

「はい… 亡国大殺業を成就させるため、
我が命を捧げねばならない…
覚悟はできております。都の滅ぶさまを、
この目で見届けられないのは残念ですが」

禁断の秘術、亡国大殺業。
都の近く、人知れぬ場所に護摩壇を築く。
千年を経た古木を焚き木にして、盛大に護摩を焚き…
呪わしい粉や干物、そして都の絵図を火中に投じる。

人骨の法具を振り上げながら、都を
呪詛する言葉を並べ、例の呪文、
我のみ生きん、他は死ねばよい… 死ぬのは奴らだ
を果てしなく唱え、祈祷する。

不眠不休で7日間唱え続けると、最後に本尊の
髑髏が、マッチ棒の先のように炎に包まれ…
黒主の命と引き換えに、大殺業は成る。
そして、都は滅びへと向かう…

「そうまでして、この国を滅ぼしたいのか、黒主よ?」
「はい… 滅ぼさずにはおきませぬ」
盗賊であった兄たちの運命を飲みこんだ都…
歌人としての、己の夢と野望を打ち砕いた都…
我がルーツであり、恩人でもある大伴氏を裏切った都…

都は、朝廷は、この国は… 
黒主の全てを否定したのだ。
六歌仙のうち黒主だけ、百人一首に選ばれて
いないのも、彼への否定かもしれない。

「何ひとつ、成し遂げることができなかった
私の生涯において… 都を滅ぼすこと
こそが、我が生きた証となるのです」
まさに今、歌人でも盗賊でもない、
テロリスト黒主が誕生したのだ。

「そうか。そこまで言うなら、止めはしまい… 
だがな、黒主よ。この国が滅ぶのも、お前が命を
失うのも、全てはお前の選択であり、責任である。
私はいずれ大陸へと帰る身だ、この国が
どうなろうと、大して関心もない。
お前が案内役を務めてくれた礼として、この秘術を
伝授したまで… 借りは返したぞ… 
では、これにてさらば。もう会うこともあるまいよ」



そして、黒主はやって来た… 
思い出の地、逢坂の関。
愛した紅蓮と、最後に別れた場所…
「あの時に見た、山桜の古木… 
あれを護摩に使おう」
そして大殺業を行うのも、この山中がふさわしい。

かつては兵士が常駐していた逢坂関も、
今は出入国の審査が緩くなったのか、
老いた番人が1人いるのみ。

「あれほどの大木を切り倒してバラすのだ、
時間も手間もいるだろう…
数日かかるやも知れぬ… 
あのジジイは、片づけておいた方がいい」

夜中に番小屋に忍びこむと、哀れな関守
(せきもり)の老人を絞め殺した。
衣服をはいで、自分が関守に
なりすますと、死体を埋める。

「よし… 明日から、日中は関守として
働き、夜に作業をするとしよう」
斧や鋸など、必要な道具は運びこんである。
山桜をバラしたら、さっそく護摩壇を
築いて、大殺業に入るぞ。


次の夜。
関の門を閉めた後、斧を担いで斜面を登る。
「ん?」
山桜のあたりに、灯りが見えるではないか…

「あんなところに、誰か… 庵(いおり)を
建てて、住みついていやがる!!」
ちょうど、山桜の古木の下… 
なんとも風雅な場所に。

客がいるらしく、談笑する声が聞こえる。
こっそり中をのぞくと、坊主頭が2人… 
1人は初老、1人は若い。

(なんてこった… あいつは遍昭(へんじょう)! 
よりにもよって、こんなところに庵なんか作りやがって…
てことは、もう1人は倅(せがれ)か…)

今年57才の遍昭こと良岑宗貞と、
27才になる子息・玄利(はるとし)…
今は出家して、素性(そせい)法師と名乗る。

歌の才能は父譲りで、百人一首にも、
いま来むと いひしばかりに 長月の
有明(ありあけ)の月を 待ちいでつるかな

という歌が採られている。

(さて、どうする… 父子ともども、
死んでもらうか… いや)
それは得策ではない。
遍昭は隠棲といっても、こんなに都に近い場所だし、
素性だけでなく、客の往来も頻繁にあるのだろう。

元皇族で有名人の遍昭… 
行方不明になれば、必ずや騒ぎになる。
山中で護摩を焚いて祈祷に打ちこんでいる
黒主も、すぐに見つかってしまうだろう。
「それはまずいな…」
あるいは、ここの山桜をあきらめ、他の古木を探すか。

「いや、ダメだ… どうしても、あの木でなければ」
あの山桜は、紅蓮との別れの時、目にしたもの…
黒主にとって無念の象徴であり、
怨念の染みついた古木なのだ。
そんな木を護摩にくべてこそ、亡国大殺業の
パワーも最大限、発揮されるというものだ。

「なんとしても遍昭を、ここから追い出さねば…」