小町草紙(三)





6、 髑髏小町(どくろこまち)




貞観8年(西暦866年)、続き。

この年、後に「元慶(がんぎょう)の乱」を鎮める
藤原保則は、備中権守(びっちゅう ごんのかみ)
に任じられた。

「備前(びぜん)」「備中(びっちゅう)」「美作(みまさか)」
の3つの国が現在の岡山県を構成するのだが、当時、
飢饉に見舞われていたうえに、国司がロクでもない奴
だったので、民は疲弊していた。

さっそく現地に入った保則は、武力で脅して国司を
押さえこみ、実権を奪うと、貧しい者に施し、農地を
開拓して生産量を上げ、国の経済を立て直していく。

10年後、都へ帰る際には、現地の
人々が泣きながら道をふさいで、
「帰らねえでくだせえ! この国に残ってくだせえ!」
と、乞うたという。

この地域に流れてきた盗賊たちも、保則の
善政の噂を聞くと、己を恥じて自首したって
いうんだから、すごいですね。
「元慶の乱」でも武力によらず、先住民に
施しをすることで乱を鎮圧するという、
なかなかできないことをやってのける。
(将門記(一)「元慶の乱」参照)


また、この年は怨霊・菅原道真と戦う天台宗の
尊意(そんい)や、「土佐日記」を記す紀貫之
(きの つらゆき)が生まれている。

近江の三井寺で、円珍が天台寺門宗を開く。



住吉では、幼なじみ夫婦に悲劇が起きていた。
昨年37才という歳で、ようやく「おめでた」と
なった、なず菜であったが…
待ち受けていた運命は… 産褥死。
赤子は胎内から出た時、泣き声すら上げなかった。

櫟丸(いちいまる)は妻と子の亡骸を、
住吉の浜の、大きな松の下に埋めた。
(何もかも、全てを失った…)

せっかく夫婦で移住してきた住吉だが、
もうここにはいたくない…
この5年間、2人で数え切れない思い出を、
この地で積み上げてきたから…
何を目にしても、なず菜を思い出してしまう。

喪が明けると、櫟丸は西へ向かい、旅立った。



9月22日、大納言・伴善男は応天門
放火の罪により、伊豆へ流される。
古代からの名族・大伴氏の決定的な没落…

失意の善男を、伊豆まで訪ねてきた人物があった。
身なりこそボロボロだが、その風貌には
かつての面影が…
「お前… 黒主じゃないか!?」

かつて、善男がパトロンとなって
保護した歌人、大伴黒主。
「大納言さま、この度は実に… 
お気の毒さまでした…」

「今まで一体、どこにいたのだ? 心配したぞ…」
親友同士の2人は抱き合い、
涙を流し再会を喜ぶ。

かたや藤原摂関家の罠にはまり、応天門
炎上の実行犯に仕立て上げられた男。
かたや、小野小町との歌合せの勝負に
おいて不正をし、都から失踪した男。

どちらも腹黒い、幾多の罪を重ねてきた人物では
あったが、人間とは生きるため、欲するものを手
にするため、時に黒くなければならぬ時もある。
2人とも、この時代を必死に生きて
きた人間にはちがいなかった。

「世を捨て、諸国を流浪の歌人としてさすらううち、
とうに都のことなど忘れた私ですが… 
この度の、太政大臣の無慈悲な仕打ちについて、
風の便りに耳にして、どうにも腹が立ち、
このままではいられなくなりました…
大納言の無念は、大伴氏の血を引く
もの全ての無念でもあります」

「まさか… 謀反でも起こす気か? 
摂関家を倒す、良い策でもあるのか?」
「ございます。必ずや、朝廷に復讐いたします」
「まことか… こう言ってはなんだが、今の
そなたは乞食も同然ではないか…
いかにして、そのような途方もないことを…」

「都を滅ぼし、城を崩す禁断の呪法… 
亡国大殺業(ぼうこくだいさつごう)!!」

諸国を流浪する黒主は昨年、ちょうど
博多津に滞在していた時、唐からの
大船団が入港するところに出くわした。

興味深く船を眺めていると、不気味な
道士が下船して、彼に声をかける。
「コブのある神」を探して日本に渡って
来たが、土地に不慣れなので、案内
役を引き受けてもらえないか?

漢文に通じ、筆談なら唐人と意思の疎通も
可能な黒主は、2つ返事で承知する。
仕事を探していたし、爬虫類のような
風貌の道士が放つ、ただ者でない
オーラに魅了されていたから。

こうして1年間、李終南のガイドを務めた黒主だが、
伴大納言流刑の報を聞き、いったん暇をもらって、
伊豆までかけつけたのである。

「案内人を勤めた報酬として、老師より術を1つ、
教えていただくことになっています。
どんな術がいいか、あれこれ話すうち、件(くだん)の
「亡国大殺業」について聞かされたわけです… 
その時は、大納言さまが栄達を重ねておられる
都を、滅ぼす必要もないだろうと思い聞き流し
ましたが、今はちがう…
これより老師の元へ帰り、その秘術を習得して参ります」

「亡国大殺業… その呪法を行うと、都はどうなるのだ?」
「まず天が荒れ、地は干からび、食料が
不足して人心が荒廃、治安が悪化。
朝廷に対する人民の不満が爆発し、
暴動の嵐が吹き荒れ、都は炎上。
摂関家はもちろんのこと、皇室までが
倒され、無政府状態となるでしょう…
そこへ、あなたが軍勢を率いて乗りこみ、
この国の新たな王として君臨するのです」

「皇室を倒す…」
古代より天皇家をガードする軍事氏族であった
大伴氏、その末裔として伴善男の良心は激しく
疼いたが… 結局、憎しみの方が勝った。
「まかせたぞ、黒主… 時が来たら、決起するとしよう」

こうして黒主は再び、旅立った… 
危険きわまりない決意を胸に…



秋も深まった頃、業平一行は陸奥の
八十島(やそしま)に到達していた。
この「八十島」というのは、恐らく松島のことであろう。

「ほんとに島がたくさんあるなあ」
「ひとつひとつの島が、不思議な形をしていますね」
漁師の船を雇い、島巡りなどした後、
延福寺という寺に泊めてもらう。

住職は業平を酒肴でもてなしつつ、
とんでもないことを口にした。
「それにしても業平さま… 小野小町に続いて、
あなたまでこの地を訪れなさるとは…」

「え? 小町? 小町がこの八十島に
来ていたですと!?」
業平は耳を疑った。

「何年か前… 都から流れてきたようです。
長旅で疲れきっていたのでしょう。
気の毒に行き倒れなすってな… 
そのまま帰らぬ人となった」

「小町が… 死んだ… 小町が死んだ!?」
そういえば、ここ数年… 
小町の姿も見ない、噂もまったく聞かない。

頭を殴られたようなショックであった。
小町の死にショックを受けている
という事実に、ショックを受けた。

(あいつは俺にとって、苦い思い出でしか
ないはず… イヤミで高慢ちきな女…)
業平の人生でただ1人、落とせ
なかった女… それが小町。

だが、なぜか… 涙が止まらない。
若き日の、はつらつとして輝いていた
小町の姿が、まぶたに甦る。

(なぜ、あの時… 小町が折れて、「訪ねて
きてほしい」と手紙をよこした時…
俺は許してやらなっかのだろう… 
なぜ、小町には優しくしてやれなかんだろう…)

己が心の深みをのぞいてみると… 
小町に対する、尊敬と恐れの気持ちがあった。
この時代、ただ1人の女流歌人・小町。
歌にかけては、自分より上かもしれない存在。
業平にとって、小町は単なる恋愛対象
ではなく、偉大なライバルでもあった。


小町の思い出にひたりながら、夜を明かしていると…
吹きすさぶ秋風の音が、しだいに
女の声のように聞こえてくる。
あなめ… あなめ…

業平は、耳に全神経を集中する。
「あなめ(ああ、目が痛い)だと…?」
さらによく聞くと、風がこのように歌っていた。

秋風の 吹くにつけても あなめあなめ …

「小町なのか? 目が痛いって… 
目の病なのか? あ、あと…
冷たくしたのは謝る。だから、
化けて出るのは勘弁な…」
業平は、幽霊とか苦手であった。


翌朝、一睡もしていない業平は、
周囲の薄の原を探索して回る。
すると、それはあった。
「見つけた… 見つけたぞ、小町… 痛かったろう…」

黄色く変色した頭蓋骨… 
右の眼窩から、薄が1本生えていた。
これが痛みの原因だろう。

それを引き抜くと、愛おしそうに頭蓋骨を拾い上げる。
この時代、火葬は一般的ではなく、埋葬も
高貴な身分の人に限られ、普通の人の
遺体は、「投げ捨て」が当たり前。
いかに都で高名な歌人とはいえ、金も
ロクにない旅の女1人、死後は原っぱ
にポイ捨てでも、仕方ないのである。

業平は住職に、残り少なくなった砂金を渡すと、
頭蓋骨を手厚く葬ってくれるよう頼んだ。

(小町よ。俺にとって、お前は特別な女だった… 
お前に出会えて、本当によかったと思うよ… 
それにしても三国一の美女も、死ねば髑髏
(どくろ)か… 人間とは空しいものだ…)

秋風の 吹くにつけても あなめあなめ 
小野とはならず 薄おひけり


高子を失った心の傷を癒すべく、旅立ったその旅路の
果てで、小町の悲しい末路に出会うとは…
業平の心にも、冷たい秋の風が吹き荒れていた。
「帰ろう… 都に…」

ちなみに、「アニメanime」を英語で発音すると、
「あなめ」って聞こえるらしいよ。



12月27日、藤原高子がついに、
清和天皇の女御として入内。
「業平と駆け落ちした」という世間の噂が、
ある程度収まるまで待っていたので、
予定よりだいぶ遅れての入内である。

高子は今25才、まもなく年が明けて26才となる。
対する帝は、まだ17才。
かなり強引な年の差カップルであった。