小町草紙(三)





3、 うつほ




フライデーも週刊文春もない時代、
どこから漏れたのか…
「伊勢斎王、狩りの使・業平の寝所にお泊り!
禁断の熱愛2時間!」
というスキャンダラスな噂が、ひたひたと
都にも伝わってきた。

「あの男、よりによって斎宮で… なんて不潔な!」
山科で、侍女と2人ひっそりと暮らす小町は、
その話を聞いて、激しく不快になった。
あんな男とつき合わなくて、本当に良かった…
と思う反面、妙にさびしく、人恋しい38才の冬。

思えば… 帝の寝所に侍ったのを別にすれば、
あれだけの求愛を受けながら、今までまともに
男とつき合ったこともないまま、この歳に。
家族を失い、ファンレターやラブレターもめっきりと減り…

(誰でもいい(よくないけど)… 
男の人に、抱きしめて欲しい…)
今まで感じたことのない、そんな欲求が、
今ごろ湧き上がってきたのだ。
無意識のうちに、めぼしい男をリストアップしている。

さて、ここで… 「小野貞樹(おの の さだき)」
という名前が浮かび上がった。
「さだき、か…」

同族の小野氏であり、少女時代に山科に
引っ越してきて以来の顔見知り。
ティーンのころから割と最近まで、コンスタントに
近況報告を兼ねた恋文を送ってきたが、これまで
小町の眼中には、ほとんど入らなかった。

「たしか今年… 肥後守(ひごのかみ)の
務めを終えて… 戻ってきたはず」
地位もまあまあ、容姿もまあ普通、それに
20年近く手紙を送り続けた、その情熱…

「よし、もうさだきでいい!」
ともかく彼氏が欲しい、男が欲しい、1人はもうイヤだ…
歌を1首、記しただけの手紙を、侍女に届けさせた。

今はとて わが身時雨(しぐれ)に ふりぬれば
言の葉さへに うつろひにけり

(今はもう… 時雨が降って木々の葉が枯れて
ゆくように、私も枯れてしまった… 
あなたが以前、私に送ってくださった愛の言葉さえも、
今はもう枯れて、お気持ちも、変わり果ててしまった…)

今までの小町とはちがう、男の同情を
求めるような、えらく弱気な歌である。
受け取った貞樹は、胸がキューンとなって、
小町への愛しい思いがよみがえった。
「んなこたあない。今でも超きれいよ」

実際、小町は若いころと変わらず、いや
それ以上に美しかったのである。
30過ぎてからの方が美しい、という
傾向の女性が、しばしばいる。
藤原紀香とか、伊東美咲とか、酒井容疑者とか。
小町も、そういうタイプだった。

さっそく、返信が来た。
人を思ふ こころ木の葉に あらばこそ
風のまにまに 散りも乱れめ
(人を思う心が、あなたの言うように木の葉のようである
ならば、風の吹くままに散りも乱れもするでしょうが… 
But、そうではありません。
あなたを思うこの心は、木の葉ではないのです)

「ほほぅ、反語の技法を使ってきたか」
長年の添削グセで、つい技術面から評価してしまう小町だが、
貞樹の気持ちを、素直にうれしく感じていた。
近いうちに、きっと来てくれるにちがいない…



この年の12月25日も、雪だった。
雪明りの街道を牛車で、山科へと向かう
貞樹の顔は、ホクホクとしていた。
事前に、「今晩うかがいます」と伝言してある。
長年のあこがれだった小町が、ついに我が腕に抱かれる…

貞樹はふと、深草少将の話を思い出した。
やはり雪の夜、小町の邸へ向かう途中に、
疲れきって死んだというが…
「今日の私は、元気モリモリ! 
少将よ、どうか恨まないでください」

その時だ… 牛追いの少年が、
おびえた悲鳴を上げたのは。
「どうした!?」

少年の返事はなく、かわりにピチャピチャと音がする。
恐る恐る、外に出てみると… 
少年は、生きたまま食われていた。
「ひ…」

食っている「そいつ」もまた、体は大きいが、
ボロをまとった子供のように見えた。
頭には毛が1本もなく、肌が異様に白い。
顔を上げ、血で真っ赤に染まった口をニンマリさせる。
それを見て、貞樹は正気を失った。


この年6才になる鉄丸(くろがねまる)こと、
後の「百足(むかで)」。
一昨年まで、死水尼が育てていたのだが…
幼子ながら、凶暴性と獣性が並大抵でない
怪物ぶりで、さすがの死水尼も辟易する。
「このまま大人になれば、必ずや恐ろしい悪魔となろう…」

ついに意を決し、荒縄でグルグル巻きにすると、
深い谷間に投げ捨てたのである。
「許せ… お前は、この世に生まれては
ならぬ人間だったのじゃ…」

石を積んで小さな墓を作り、ねんごろに供養。
「疲れた… 裏の稼業からも、足を洗う潮時じゃな…」

こうして根黒衆を引退した死水尼は、「久遠の民」と
なって第2の人生を始めるが…
捨てられた鉄丸は、谷底から這い上がり…
動物や人間を襲っては、血肉を食らい、
ここまで生きながらえてきたのだ。


眠れない不安な一夜を明かした小町は、
侍女から衝撃の報告を受ける。
小野貞樹が、謎の野獣(狼か?)に襲われ…
無残な骸と化していた…
小町は気が遠くなり、よろめいた
ところを、侍女に支えられる。

絶望。
なんという星のもとに生まれついたのか…
もう生涯、男と結ばれることはあるまい…

「アンタは小町のせいで、貴族の世界を追われた…
アンタの兄さんは、小町を人質にとって、命を失った…」
かつて黒主にこんなことを言っていた紅蓮、
その紅蓮の産み落とした鉄丸によって、
最後の恋人候補を奪われてしまうとは…
これも因縁であろう。
地獄に落ちた紅蓮からの、ささやかな
復讐であったかもしれない。



年が明け、貞観6年(西暦864年)。

1月1日、清和天皇が元服。
天皇が元服するのは、これが最初の例である。
今までは、成人後に即位していたからね。


同じころ、近江国司の「属星祭(星祭り)」に呼ばれた
陰陽師・弓削是雄は、同宿していた役人の危機を予知。
(役人の妻が、不倫相手と計って、
夫を殺害しようとしていた…
この事件は、天神記(一)「陰陽師」参照)


是雄の占いのおかげで、役人は難を逃れたが、
妻の不倫相手だった若い僧は寺を追われ、
金で殺しを請け負う「外道人」となる。
(天神記(一)「外道人」参照)


1月7日には藤原順子(仁明帝の皇太夫人)が太皇太后に、
藤原明子(文徳帝の皇太夫人)が皇太后となる。
良房の妹で腹黒の順子、怨霊と契った
明子、どちらもご健在のようだ。


1月14日、比叡山で円仁が没する… 
と思いきや、拉致されて、「久遠の民」のメンバーに。
(将門記(一)「摩多羅神」参照)


2月25日、明子と怨霊・真斉が契った、
あの「染殿第」に、清和帝が行幸。
久しぶりに母親(明子)と再会、
良房の主催する花宴を楽しんだ。


5月… 富士山が大爆発。
60mの高さの火柱が上がり、大量の溶岩が流れ出す。
現在の青木ヶ原樹海は、この溶岩流が冷え
固まった大地の上に、形成されたものだ。
富士五湖のうち、西湖と精進湖が、この時に誕生。


このころ… 唐をめざして出発した真如法親王は、
中国大陸のはるか内陸部、シルクロードの入口・
長安の都(現在の西安)に、ようやくたどり着いた。
さっそく、仏法を学ぶ良き師を見つけようとするが…

なにしろ、円仁も辛酸をなめた、武宗帝の
仏教大弾圧の後遺症で、寺院もボロボロ、
まともな学問僧も残っていない。
「さて、どうするか… いっそのこと、
天竺(インド)まで足を伸ばそうか…」



京都市北区中川は、川端康成の「古都」にも登場する
「北山杉」という細くてツルンとした杉の産地として有名…
になるのは室町時代からで、このころは、
うっそうとした杉の森が広がっていた。
そんな森の中、琴と赤子を背負った女が1人、歩いていく。

「だいじょーぶい、なんとかなるさ、だいじょーぶい」
明るく歌いながら歩くが、心の底の不安は隠せない。
秘曲を授かった女、由比であった。


実は今年の初め、男子を出産。
母になる幸せを、噛み締めたのも束の間…

以前より些細なイジメはあったが、出産後、耐えられ
ないほどのイヤガラセを受けるようになったのだ… 
基経の正妻、操子(そうし)から。

操子は、琵琶法師の祖・人康(さねやす)親王の娘である。
基経の妻となって8年くらいはたっているが、女子2人は
授かったものの、いまだに男子には恵まれない。
(7年後には時平が、さらに続いて
仲平、忠平が産まれるが)

藤原摂関家は皇室とちがい、跡継ぎの
男子よりも、女子の方が重要だ。
帝に入内させ、姻戚関係となるため、
女子が必要不可欠な「道具」だから…
であるから操子は、まったく肩身のせまい思いはしていない。

が、それでも… このまま男子に恵まれ
なければ、摂関家は 由比の産んだ
子が継ぐことになるだろう。
心なしか、夫も… 私より、由比と
その赤子を愛しく思っているような…
そう思い始めると、抑えられない操子であった。

由比の身の上を気の毒とは思いながらも、
ついきつくあたってしまう。
汚い仕事や、足腰が立たなくなるほどの
重労働を命じることもあった。

「でも… あの方を嫌いにはなれないよ…」
ミュージシャンとして尊敬する、人康親王の娘だから。
むしろ自分が原因で、操子の心を平安を
乱してしまい、心苦しく思う由比。

その結果、家出… 
赤子を抱き、父の形見の琴を背負い、行く当ても
なく、ただひたすら都から遠ざかった。


「うわー これ、大きい… 樹齢1000年くらいかな?」
まるで屋久島にあるような、巨大な杉の古木を発見。
しかも幹が空洞になって、まるで洞窟のようだ。
「そうだ、ここで暮らそう! この「うつほ(空洞)」が
私たちの家だよ… ね、坊や」

こうして、北山での由比のサバイバルな生活が始まった。
昼間は「うつほ」に子供を寝かし、近隣の
集落で琴を教え、米を分けてもらう。
夜は森の霊気の中、息子に琴の秘術を伝授する。
後に「藤原仲忠」と名乗る、この息子こそ、
「うつほ物語」の真の主人公である。



この年、恬子(やすこ)内親王は斎宮の身で
ありながら、男の子を産んだという。
父親はもちろん、業平… しかいない。

公になるとまずいので、斎宮に仕える
伊勢権守・高階峯緒(たかしな の みねお)
が引き取り、育てることとなった。

成長後、師尚(もろなお)と名乗るこの子の、
ひ孫に当たるのが高階貴子(たかこ)。
「枕草紙」著者・清少納言が仕える
中宮・定子(さだこ)の母である。



小町の歌の師匠であり、深草少将の兄、遍昭法師は、
残りの人生を送る隠棲地を探し求めていた。
あまり都から、遠く離れたくはないなあ…

逢坂の関のある山中で、1本の桜の古木が目に入る。
かつて、黒主が関を突破する時、目にした桜…
薄いピンクの花を咲かせるので、「薄墨桜」
という名で、地元では知られていた。
「春には、いい花をつけそうだ… よし、ここにしよう」



年が明け、貞観7年(西暦865年)。

自称「菅原道真のライバル」、三善清行は19才になった。
「大学寮」入学を目指し、学者の巨勢文雄
(こせ の ふみお)のもとで勉強をしている。
後に清行が方略試(ほうりゃくし=役人に
なるための国家試験)を受ける時、
「この清行の才能は、私を超越しております」
と、推薦文を書いてくれた文雄だが、
残念ながら落ちてしまう。
落とした試験官は… 菅原道真。

正月が過ぎてまもなく、清行に弟が生まれた。
親子くらい年が離れた弟だが… 
後に出家し、「日蔵」と号する。
地獄めぐりのビジョンを見て、怨霊と化した
道真と対面する、あの日蔵である。
(天神記(四)「日蔵夢記」参照)



さて、そのころ、中国大陸の都・西安では。
とある貿易商人が、シルクロード方面から
戻った隊商の報告を聞き、暗い顔になった。
「まったくお姿を見なかったというのか、あの方たちの…
一体、どこに消えてしまわれたのだろう…」

唐に渡った真如法親王の一行を、世話していた商人だった。
昨年、法親王が10人ほどの供を連れ、
「ありがたいお経を取りに、天竺まで行ってくるわ」
などと、西遊記のようなことを言って旅立った
時は、必死に止めたのだが…
心配が的中し、一行は行方不明になってしまった。
「真如さま… 今ごろ、どこに…」

実は西に行くはずが、南に下ってしまい…
熱帯のジャングルを、さまよっていたのである。