小町草紙(三)





2、 斎宮スキャンダル




年が明け、貞観5年(西暦863年)。

「蔵人頭(くろうど の とう)さま、今日から
お世話になります… あっ 何を」
昨年、父の清原俊蔭を亡くした由比は、侍女として
藤原基経の邸に引き取られたが…
さっそく、基経の手がつく。

貴公子ながら、野獣のような一面もある
28才の基経は、用が済むと、
「俊蔭の残した秘曲とやらを、こんどゆっくり聞かせておくれ」
と言い残し、出ていった。

琴の修行に明け暮れた由比にとって、初めての男…
「子供… できちゃうのかな…」



都では咳逆病(がいぎゃくびょう)、すなわち
インフルエンザが流行っていた。
誰も彼も、ゴホゴホと咳をしている。
マスクもワクチンもない時代、肺炎を発症
すれば死に至る、恐ろしい病だ。
諸国の有力な神社に祈りを捧げても、収まらない。

「御霊(ごりょう)のせいでしょう。御霊会(ごりょうえ)を
催し、霊たちの怒りを鎮めるのがよろしいかと」
という意見を上げてきたのは、インチキくさい
陰陽師の滋岳川人…
実は、優秀な弟子の弓削是雄の発案であったが。

「御霊(みたま)」とは本来、「霊(たま)=魂」の丁寧な
表現であったが、この頃から、「恨みを残して死んだ
人間の霊=怨霊」と同じ意味で使われるようになる。
昨今のインフルエンザの流行は、御霊=怨霊の
仕業ではないか、という考え。

というわけで5月20日、記録に残る最も古い
御霊会が、神泉苑で行われた。
祀られた「怨霊さま」は、反乱の疑いをかけられた早良
(さわら)親王や伊予親王、「承和の変」の主犯とされた
橘逸勢(たちばな の はやなり)など、6名。


その結果、疫病が収まったのかどうかは不明だが、
中級貴族・藤原遠長の邸では、インフルエンザなど
ものともしない、元気な女の赤ちゃんが生まれた。

「ははは、この子には御札はいらんでしょう」
赤子を疫病から守る儀式のため、邸に呼ばれた
陰陽師・弓削是雄は、笑いながら帰っていった。

あの子とは、いつの日か再び出会う気がする…
妙子と名づけられた女の子は、後に、男児のように
腕白に育てられ、やがてオカルト方面に関心をもち、
弓削是雄に弟子入りをする。
「鳴神事件」で活躍する、「雲の絶間姫」である。



10月に入ると、業平は久々に
重要な職務につくことになった。
「狩りの使(つかい)」といって、11月の五節
(ごせち=大嘗祭(だいじようさい)の折の儀式)
で、供え物及び宴席用の「お肉(雉、山鳥、鹿、
猪、兎など)」を狩るため、諸国に遣わされる、
朝廷じきじきの御用ハンターである。

月の終わりごろ、まず伊勢の国へ。
伊勢には、ご存知「伊勢神宮」がある。
正式名はただの「神宮」、日本における
最も格式の高い神社だ。
公式サイト http://www.isejingu.or.jp/

皇室の祖神(おやがみ)、アマテラス大神を祀る「内宮」と、
食料の神・トヨウケ大神を祀る「外宮」とに分かれている。
もともとは、伊勢を中心に太平洋側に勢力をもつサルタヒコ
の聖地であったらしいが、鎮座する地を求めてさすらう
アマテラスの神霊に、お譲り申し上げた…
という話を、どこかで聞いた。

サルタヒコというと手塚治虫の「火の鳥」を思い出して
しまうが、アマテラスの孫=「天孫」ニニギが日本に
上陸する際、先導役を務めた神である。
これは作者の妄想だが、サルタヒコは、日本海側を支配する
出雲の大ナムチと、対立関係にあったのではないだろうか。
それで「天孫」勢力と手を結び、出雲を滅ぼそうとした…

**** 作者のメモ ****

・サルタヒコの部族は、漁民や海女
(あま)の集団、「海の民」である。

・全国にある「サタ」という地名や「サタ神社」という神社の
「サタ」は、サルタヒコの「サルタ」が詰まったものらしい。

・サルタヒコの「サル」は、「猿」ではなく、アイヌ語の
「サル(葦原)」ではないか?

・先導役を務める神、すなわち「岐(くなど)の神」である。
鹿島・香取と並ぶ東国三社の1つ、息栖(いきす)神社
(茨城県神栖町)の祭神、「国譲りのさい、タケミカヅチ
(鹿島の神)を出雲に先導した神=天鳥船神」
「出雲から東国にタケミカヅチを先導した神=岐神
(くなどのかみ)」とは、サルタヒコのことではないのか?
「日本魔史」では、太岐口獣心の先祖は、この息栖神社の
神職の家系で、「鹿島七家」の1つという設定。
(天神記(二)「御盾(みたて)」参照)

**** メモ終わり ****

サルタヒコの話は置いといて、伊勢神宮は現在も、
神饌(しんせん=神に捧げる食事)は古代のままの
方式で栽培したり狩猟したり、塩も焼いたりして調達。
調理に使う炎も、登呂遺跡で発掘されたのと同じ
道具で熾し、料理を盛る器も、弥生式土器である。

21世紀の日本で、時の流れがそこだけ
止まったかのように、はるか古代の
日本が存在し続ける伊勢神宮。
12年に1度の式年遷宮も含め、ギザの
ピラミッドに匹敵する、いや、それ以上の
歴史文化遺産と作者は思います。

さて、そんな伊勢神宮の神さまに、天皇の代理
として奉仕する処女(おとめ)が「斎王」。
その住居であり、職場である「斎宮」は、
神宮からけっこう離れている。

所在地は、三重県明和町、現在の地名はズバリ、「斎宮」。
最寄り駅も、近鉄山田線「斎宮」駅。
伊勢外宮のある「伊勢市」駅から、近鉄で5駅目である。

斎宮の跡地に建つ、「斎宮歴史博物館」
公式サイト http://www.pref.mie.jp/saiku/hp/index.htm


伊勢に入った業平は、この「斎宮」を
拠点として、狩りを行うこととなった。
「斎王」である恬子(やすこ)が、
「狩りの使」を接待する責任者だ。
(といっても、いっしょに飲食するわけ
ではなく、職員に指図するだけだが)

恬子の母・静子は、業平の奥さんの叔母さんに当たる。
事前に静子から手紙で、
「業平さまは元皇族だし、特別しっかりお世話するのですよ」
という指示が、恬子に届いていた。


「それでは、本日も行ってまいります」
「どうか、お気をつけて…」
弓矢の仕度を整え、御簾越しの乙女にあいさつをし、
この朝も業平は狩りに出かけた。

毎日、丁重なもてなしを受けているが…
非常にフォーマルで、堅苦しいのがなんとも…
「この国で最も格式の高い、
皇室の祖神に仕える巫女か…」

水辺の鴨の群れが、急に飛び立つ。
「ちっ…」
またしても、狙いを外してしまった。
今日は、なんだか集中できない。

だが、業平は気がついていた。
御簾越しに言葉を交わす時、相手の体温や呼吸に、
微妙な変化が現れることを…

業平という異性、都で評判のプレイボーイを前にして、
妙に意識してしまっている娘の、若い体…
「聖なる巫女」の斎王ではなく、花開こうと
している、みずみずしい蕾(つぼみ)の
香りを、業平は嗅ぎ取っていた。



その夜、ダメもとで雑仕女に、伝言を頼んでみた。
「斎王さま… あなたに、ぜひお会いしたい…」
もとより、大して期待していない業平であった。
斎王の館、同じ屋根の下に寝て
いるとはいえ、人目もある。

だが、この聖なる場所で、最も神聖不可侵で
あるべき乙女の処女をいただいてしまうという
行為は、胸のすくような快挙にちがいあるまい。
「俺以外の男には、絶対できないことだな」

藤原氏の支配する朝廷に対する、当てつけの
気持ちも、もちろんあった。
藤原摂関家の大事な箱入り娘、高子を
ものにした時と同じ、屈折した感情…


深夜まで、待った。
「さすがに、来ないか…」
あきらめて寝ようとした、その時。

朧(おぼろ)に射す月明かりの下、雑仕女の
童女を先に立て、斎王がおずおずと、
業平の寝所に入ってきた。

「皆が寝静まるまで… 待っておりました…」
恥らってうつむく恬子の横顔は、
耳まで真っ赤になっていた。
恬子、16才… 一方の業平は、39才のおじさんである。
現代の基準だと、犯罪スレスレ…
アグネス・チャンが、すごい顔して怒鳴りこんできそうだ。

童女を外で待たせ、恬子の手をとり、寝床へと導く業平。
「恬子さま… 毎日、どんなことをして
過ごしてらっしゃるのです?」

心臓が爆発しそうな恬子であったが、業平の横に
ちょこんと座り、退屈な日々のあれこれを語っていく
うち、だんだんとリラックスしてきた。

何気なく恬子の肩を抱き、髪をなでる。
「さ、続けて… それから?」
「う、うん… えーと…」
だんだんと、素の16才の少女に戻っていく、
その瞬間を捉え、唇をふさぐ。

「やだ… なんか、体がおかしい… 恥ずかしいよ…」
「恥ずかしくなんかない。当たり前のことさ」
業平の指が、少女の硬くなった胸の先、夜露のように
しっとり濡れた草むらに触れていくたび、ビクッビクッと
初々しい反応が返ってくる。

「だめっ そんなとこ、さわっちゃ…」
ただでさえ若くて体温が高いのに、今や恬子の
体は、ピンク色に燃える熱の塊だった。
焚き染めた香の薫りを圧して、若い
体臭が寝所にいっぱいになる。

「いいかい、もし痛かったら、私の肩を噛みなさい」
「………っぐ!」

やさぐれた中年の女たらし歌人と、聖なる
巫女の体が、ひとつにつながった。


逢瀬は、ほんの一刻(2時間)ほどだった。
業平はまだ、満足していない。
我ながら信じられない感情だが、なんとも胸が切ない。
(おいおい… 親子ほども年のちがう娘に、
本気で恋をしちまったのか…)



翌朝、斎王から歌が届けられた。

君やこし 我や行きけむ 思ほえず 
夢かうつつか 寝てか覚めてか

(あなたが私のもとへ来たのか、
私がそちらへ行ったのか…
夢なのか現実なのか、寝て
いたのか目覚めていたのか…
それすら、私にはわからないのです…)

かわいい歌を送ってくるなあ…
恬子を愛おしく思う気持ちが、業平を満たす。
さっそくの返信。

かきくらす 心の闇に まどひにき 
夢うつつとは 今宵さだめよ

(真っ暗になった心の闇に惑ってしまったのですね。
夢か現実か、今夜決めればいい。)



その日、狩りに出た業平は、またしても集中できない。
「今夜は、伊勢での最後の夜だな… 付き人たちを
早く休ませて… また、あの娘を抱こう…」
そんな風に、企んでいた業平だが。


あいにくと、伊勢の国司があいさつに訪れ、
業平の送別会を開いてくれることになった。
(そんな… 今夜が最後の夜なのに…)
彼女と約束があるのに、会社の飲み会を抜け
られないサラリーマンのような気分だ。

「狩りの使どの、どうかこの先もご無事で! 
またいつか伊勢にいらしてください!」
業平の気持ちも知らず、次々と酒を
注いでくる国司、まさしく、KYである。


夜通しの宴も、空がしらじらと明るく
なってきて、そろそろお開きか…

「斎王さまから、これを」
童女が、酒を満たした盃を、業平に差し出す。
見ると、文が添えてある。

かちびとの 渡れど濡れぬ 縁(えにし)あれば
(徒歩で渡っても、足が大して濡れないような
浅い川のように、浅いご縁でしたが)

「あれ? 下の句がない…」
松明の燃えカスの炭で、業平は下の句を
書き足し、童女に渡した。

かちびとの 渡れど濡れぬ 縁(えにし)あれば 
また逢坂の 関はこえなん

(徒歩で渡っても、足が大して濡れない
ような浅い川のように、浅いご縁でしたが、
またいつの日か、お会いしましょう)


その日、業平は次の目的地、尾張(おわり)の国へと旅立った。