小町草紙(三)





1、 償い(つぐない)




貞観(じょうかん)4年(西暦862年)、
第56代・清和(せいわ)天皇の御世。

都に、小野春風(おの の はるかぜ)という、
その名の通りの、さわやかな青年がいた。
近衛府(このえふ)の将監(しょうげん
=四等官)を務める武官である。

遣隋使・小野妹子(いもこ)の子孫、「久遠の民」の
メンバーだった小野篁(たかむら)の従兄にあたる。
似たような名前の書道家、小野道風(みちかぜ)は
篁(たかむら)の孫なので、春風と道風は、
えーと、よくわかんないや。

春風が今、ニコニコしながら見つめて
いるのは、1枚の短冊。
小野小町、直筆の和歌が記されている。

ことわりや ひのもとなれば てりもせめ
さりとてはまた あめがしたとは

そう、あの「毛抜き事件」の発端となる短冊。
(将門記(二)「久米寺弾正」「毛抜」参照)

春風は、同族でもある小町の熱烈なファンで、
和歌の通信教育を受けた生徒の1人。
小町の指導により磨かれた技術で、「古今
和歌集」にも2首、採用されるほど。

そしてついに長年の文通の結果、小町より
この短冊が贈られたのである。
「お宝、GETだぜ!」
まさに、そんな気分。

「兄貴、いやらしいなあ。そんなもの
見て、ニヤニヤしやがって」
まだ少年といっていい年の弟、春泉
(はるみづ)が部屋に入ってきた。

童顔でスウィートだが、いったん
キレると恐ろしく凶暴になる若者。
16年後の「元慶(がんぎょう)の乱」では、
出羽兵2000を率いて出陣するが、
先住民の襲撃を受け、地獄を見るハメに…

「小町といえば、最近すっかり名前を
聞かないね。まだ生きてるの?」
「生きてるよ!」

短冊に頬ずりして、小町タンの匂いクンクン… 
なんて幸せそうにしている兄を見る、
春泉の視線は複雑だ。

(兄貴ほどの男なら、広い東国の大地を
いくらでも、我が物にできるだろうに…
都でのんきに歌作りとは… なんとも
人生のムダ使いだよなあ…)

とつぜん、春風が弟に向き直る。
「おう、そうだ、春泉。俺、こんど1年くらい
仕事休んで、旅に出ようと思う」
「ええーっ いきなり!」

「この短冊の歌を見てたら、広い「天が下
(あめがした)」を見てみたくなった」
知り合いのツテで、下野(しもつけ)の世尊寺という寺
(現在の鶏足寺)を紹介してもらったので、そこの世話に
なりながら、坂東や陸奥を見て回ろうというプラン。


「ご主人、お気をつけて。私がお供
できれば、よいのですがね」
旅立ちの日。
凶悪な人相の八剣(やつるぎ)という
若い従者が、春風を見送る。
「ありがとう、八剣。でも今回は、一人旅がしたいのさ」


下野国(現在の栃木県)、足利郡(あしかがごおり)…
ここに、世尊寺はある。
この地で春風は、積極的に先住民の
コミュニティーと交流し、言語も学んだ。
後に、この語学力の役立つ時が来るとは知らず…
将門記(一)「元慶の乱」参照)



ある日、春風は白河の関を越えて
ゆく、旅の老尼を見かけた。
「おばば殿、どちらへ参られる。
よろしければ、お送りするが」

「いえいえ、それには及びませぬ。もうすでに、
墓に片足を突っこんでいる老いぼれじゃ」
巡礼の旅を続ける、死水尼であった。


体力の衰えを感じ、根黒衆からの引退を
大僧正に願い出たのが、昨年のこと。
衰え… といっても、まだまだ40代の壮年
なみには働けるのだが、根黒衆の任務は、
超人的ハードワークを要求されるので…

引退は認められ、大僧正からは、
意外な申し出があった。
「余生を「久遠の民」となって、過ごしてみないか?」

死水尼の膨大な経験値や人脈は、
腐らせるのに惜しいものがあった。
「久遠の… 民… そのような組織が
あろうとは、この歳まで知らなんだ…」

根黒衆首領・魔風大師よりさらに上、
荒ぶる神スサノオ直属の謀略組織…
さすがの死水尼も、緊張せずにはいられない。


旅の終着点は、陸奥・胆沢城(いさわじょう)
近郊の、無人の廃屋。
「八白土星(はっぱくどせい)」という名を与えられ、
死水尼の「久遠の民」デビューの時が来た。
「新参者ですが、皆さま方、よろしゅう…」
顔を上げ、集結した「九星」のメンバーを見渡す。

隣の女が、にっこりと微笑む。
「おばばさま、お久しぶり」
死水尼は、目を疑った… 
いや、自分が正気かどうか、確信を失った。
そこに坐している妖しい美女は、他でもない…

だが、海千山千の妖怪婆・死水尼は、
みごとに自分を抑えた。
今は神聖なる会合の場、私的な
おしゃべりは許されない…

「へえ… お2人には、そんな過去があったんだ…」
人の心を読み取る「元祖・座敷わらし」の
槐(えんじゅ)が、ニヤリとする。

「七赤金星(しちせききんせい)、つまり
曠野(あらの)さんに何が起こったか、
私がお婆さまの脳に直接、伝えて
あげましょう。その方が早いもの」

曠野の脳から読み取ったらしい記憶データを、
死水尼の脳に転送する槐(えんじゅ)。
「うう… こ、こんな…」

甲賀郡へ嫁いだ後、いかなる運命が
曠野を待ち受けていたか…
死水尼は全てを知り、後悔に歯噛みをした。
夫と再会し、屈辱のあまり、意志の力で心臓を止め…
だが安らかな死すら、曠野には許されなかったのだ。

遺体は甲賀卍谷へと運ばれ、
海牛道人の手によって蘇生。
目を開けた曠野は、今や自分が
実験動物となっていることを悟った。

だが例の自我崩壊プログラムを経て、新たな
人格をもって生まれ変わった曠野は、必死に
食い下がって奮闘、海牛道人の愛弟子となり、
蛞蝓(なめくじ)を自在に操る術をものにする…
「久遠の民」の女工作員・七赤金星の誕生である。

「不思議な妖術を身につけて、どこか
遠い異国を旅してみたいなあ」
こんな少女時代の夢が、皮肉な
形で実現してしまった曠野。

来世ではもちろん、蛞蝓を操る
女術師・綱手(つなで)に転生。
児雷也(じらいや)と恋に落ち、大蛇丸(おろちまる)と
戦う、大活劇が待っている。



この年、イタコの口寄せで名高い青森県の恐山に、
菩提寺(ぼだいじ)が創建。
ただし、イタコが集まるようになったのは、
昭和30年代からだそうです…

都では菅原道真(18才)が文章生となり、
山科では藤原胤子(たねこ)が生まれる。
後に宇多天皇の最愛の妃となり、「人食い文」に
よって暗殺される、あの方。

また、ペルシアから生きて帰って
きたという清原俊蔭が没。
娘の由比に、秘曲の全てを
伝授し、力尽きたらしい。

7月、大宰府の鴻臚館(こうろかん)でスタンバイ
していた真如法親王、ついに唐へ向けて出航。
大冒険の始まりであり、祖国
日本との永遠の別れであった。

9月、京の都の、あらゆる井戸が枯れてしまった。
やむをえないので、神泉苑(本来は天皇の
ための庭園)での水汲みを許可する。



在原業平は、邸でゴロゴロしていた。
おもしろくない… 何も、やる気が起きない。
そのうえ水不足、動いても喉が渇くだけだ。

高子… もう会えないのだろうか。
まちがいなく、生涯出会った中で最高の
美少女… そう、あの小町よりも…

「小町か… あいつ今ごろ、何してるのかなあ」
会いたい… ような気がしなくもなく
もないこともない、業平である。

「あいつもバカだよなあ… ツンツンしてる間に、
女の盛りも過ぎちまったろう」
もしも、小町を妻にしていたら、どんなだったろうか。
きっと、顔を合わすたびにケンカしていたにちがいない。

いやそれとも、歌作りについて、ケンケン
ガクガクの議論になるかも。
いずれにしろ、世間が想像するような、スイート(笑)な
カップルにはならないだろう。

「久しぶりに… 女房のところでもいくか」
なんとなく、そんな気分になった。
業平の正妻、といえば友人でもある
紀有常(き の ありつね)の娘である。
この正妻との間に、すでに子供をいく人か、もうけていた。

長男の棟梁(むねはり)は、後に高名な歌人となるが、
彼の娘があの有名な「大納言国経の妻」。
(天神記(三)「好色」参照)
時平が大納言国経から奪い取る、あの美しい妻である。
彼女を題材に、谷崎潤一郎が書いた
小説が、「少将滋幹の母」。

また名前は不明だが、長女は後に、小野春風と
ともに「元慶の乱」で活躍した藤原保則の妻となり、
清貫(きよつら)を産む。

藤原清貫というと、怨霊となった道真の仕業か、
雷に直撃され、悲惨な最期を遂げる方。
彼が書写した「日本書紀・神代巻下巻」は、
国の重要文化財になっている。

業平は、国経妻や清貫の祖父だったわけですね。
さらに、先ごろ唐へ旅立った真如法親王は、
業平の叔父にあたる。
出発直前の、興奮と覚悟に満ちた手紙を受け取った業平は、
(冒険か…)
体のうずくのを感じた。

(俺はいったい… 何がしたいんだろう…)
さしておもしろくもない妻の体を
抱きながら、38才の業平は迷う。
俺も叔父さんのように、決死の挑戦をしてみたい…
血肉湧き上がるような、エキサイティングな日々を送りたい…



冬になり、死水尼は都への帰路を急ぐ。
会議の結果、「都での情報収集」を
担当することになったのだ。
だが、その前に… どうしても、片づけ
ねばならない仕事がある。


「ずいぶんと久しぶりだな、死水よ… 
さすがに、シワが増えたな」
甲賀の国のとある山奥に、海牛道人は呼び出された。
「卍谷(まんじだに)」で秘術の研究をしている、
ナメクジのような不気味な老人。
呼び出したのは、かつての妻…

「女に、ナメクジの術を仕込んだね」
「ほーっほっほっほ 焼いとるのか、
ばあさん。ワシとお前は、とうに…」
振り向いた死水尼の口には、小さい骨笛が…

鷹が、烏が、鳶が、隼が、群れを
なして海牛道人に襲いかかる。
「うぎゃあああああああああああーッ」
急な崖を、転がり落ちる海牛。
鋭い爪やクチバシで、ゼリー状に腐りかかった
肉を引き裂かれ、内臓をついばまれ、
骨となるのに、30分とかからなかった。

「人間らしい感情をもつと、灰になるって…? 
あいにくと、この婆は「久遠の民」の秘術
に頼らず、己の生命力だけで生き続けて
るもんでね… 灰になんか、ならないさ。
それに、人間らしい感情なんてものは、
もとより持ち合わせていない。
これは単に、自分のヘマの後始末をつけただけ…」

曠野を不幸にしたばかりでなく、ついには
「久遠の民」などという化物にしてしまった、
その罪の重さを噛みしめながら、
死水尼は甲賀を後にした。