小町草紙(二)





18、 斎(いつき)の宮




年が明け、貞観2年(西暦860年)。

京都と大津の境にある比叡山(略して叡山)、ここに日本で
最も重要な寺院の1つ、天台宗総本山・延暦寺がある… 
なーんて、みんな知ってるよね!
でも京都に行く人はたくさんいても、延暦寺に
行った人って、周りにいないんですよね。
修学旅行でも行かないし… ユネスコ世界遺産なのにね。
作者も行ったことないですが、行くなら大津側の、古い町並みの
残る「坂本」から入りたいですね。日枝神社もあるし。

さて今、坂本の里まで降りてきたのは、
第3代天台座主(ざす)の円仁。
わずかな供を連れ、遠く「道の奥」まで旅立とうとしている。
ずっと年下の、しかし法力においては円仁を超えると
評判の、ライバル円珍が唐より戻って以来、
「円仁派」VS「円珍派」の対立が生まれていた。

これはまずいと感じた円仁は、しばらく比叡山を離れ、
対立が静まるのを待とうと、後を高弟の安慧(あんえ)に
託し、山を下りたのである。
もっと早く発ちたかったが、太皇太后・正子のたっての
願いで、彼女に戒を授け、正式な尼僧にする手続きを
していたら、出発が遅れてしまった。
正子は良祚(りょうそ)という法名を授かり、藤原良房への
恨みを捨て、心から仏の道に生きる決意をしていた。

「円仁さま… どうか、お気をつけて」
「おや、おぬしは… これは懐かしい」
坂本で待っていたのは、かつての弟子・湛慶(たんけい)と、
その妻・千登勢。

かつて湛慶は、信仰への情熱のあまり、
少女・千登勢の首を切り裂いた。
その加害者と被害者が、こうして夫婦となって
いようとは、不思議な運命である。

「しかしまた、どうして陸奥などに、わざわざ…」
今は還俗して「高向公輔(たかむこ の きんすけ)」と
名乗る湛慶は、心配を露わにする。
「フフ、なーに… 夢に、あの御仁が現れてな… 
ほら、唐で会った、腹の突き出た」
「あー、布袋(ほてい)さまですか」
「悩んでいる時は、旅に出るといい… 
人も通わぬ、遠いところなら、なおいいぞ…
なんていう風にな、夢の中で助言してくれたのだ」

「そうでしたか… ですが正直申して、今、円仁さまには… 
都の近くにいていただきたかった」
「何か気になることでも?」
「神護寺の真済和尚… あの方の死に様を、
お聞きになっておられましょうや」
2月25日、真済は山中で、獣のようなあさましい
姿で、死んでいるのが発見された。

「通常の死ではありません… 強い法力をもった僧が
異常な死に方をすると、怨霊となって災いをもたらす
ことが多い… イヤな予感がするのです」
かつて湛慶が、藤原良房の病の治癒を祈祷していたころ、
真済もまた、良房の娘・明子のために祈祷していた。
そのせいか、真済に対しては宗派の違いを越え、
親しみを感じていたのだが…

「私がいなくとも、円珍がいる」
「しかし円珍さまは叡山を離れ、三井寺にこもってらっしゃる…」
円仁はしばらく考えていたが、
「それなら… 相応がよかろう。もし何か
災いあれば、相応を呼ぶがよい」
そう言い残すと、瀬田の大橋に向かい、旅立っていった。


蝉の鳴き声が岩に染み入るような夏、円仁は、現在の
山形市郊外に「山寺」こと立石寺(りっしゃくじ)を創建。
山寺観光サイト
http://www4.dewa.or.jp/yamadera/



昨年、男山に勧請された八幡宮にも、社殿が造営されていた。
オフィシャルには「清和天皇の命で造営」ということになってるが、
清和帝この年11才、もちろん実質は摂政・良房の命である。

しかしこの石清水八幡宮、建前上とはいえ「清和天皇の
命で造営」されたため、後に清和帝の子孫である源氏の
人々から、篤い崇敬を受けることになる。
その1人、源頼義(みなもと の よりよし)が男山から
鎌倉へと、さらに勧請したのが、ご存知、
鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)だ。

貴族から権力を奪い取り、武士の政権が誕生する
鎌倉の聖地・鶴岡のルーツ…
まさか自分の造営した石清水八幡宮が、そのようなものに
なろうとは、夢にも思っていない良房であった。

ついでに言うと、この石清水八幡から「松花堂(しょうかどう)
弁当」が誕生することや、境内に生えている竹が、エジソンの
発明する電球のフィラメントとして使われることなど、もっと
夢にも思わない良房であった。
エジソンは偉い人… そんなの常識なのだが。

ところで、鎌倉駅から鶴岡八幡へと続くショッピングストリートの
名前が、なぜか「小町通り」… 鎌倉と小町、関係ないじゃん!
小町通りに新しくできた「露西亜亭(ろしあてい)」の
ピロシキ食べたいです><
公式サイトあったよ http://www.rosiatei.com/


9月、斎王に選ばれた恬子(やすこ)内親王、内裏の敷地内の
「初斎院」から、嵯峨野(さがの)の野々宮に移る。
ここでさらに1年間、身を清めるのが慣わしである。
若い恬子にとっては、退屈で死にそうな毎日であった。

斎王のこもった宮は現在、黒木の鳥居で有名な
野宮(ののみや)神社となっている。
野宮神社 公式サイト http://www.nonomiya.com/
神社の前の道を西へ向かうと、竹林を抜けて
「大河内山荘」に出る。
映画俳優・大河内伝次郎の建てた、すてきな庭のある別荘だ。
いやーん、この辺いいところね… 旅に出たいわあ…

はあ…



と、ため息をついていたら、貞観3年(西暦861年)となった。

「住吉(すみよし)? あの海の社のある
摂津(せっつ)の住吉?」
「気候も良くて、風光明媚ないい所だよ。
こんな田舎より、ずっと賑わってるし」
今年33才になる櫟丸(いちいまる)となず菜の夫婦は、
将来のこと、第2の人生について、話し合っていた。

なず菜は父を早くに亡くし、苦労の多かった母も昨年、他界。
この石上の集落には、つらい思い出も多いし、老後は
どこか他所で、ゆっくり過ごしたいな… 
なんて話を、夫にしてみたら。

ちょうど行商で何度も通った住吉の、なじみの客から
「畑付きの小さな家があるから安く譲るよ。
ここに住んでみない?」
なんて話をもちかけられていた、櫟丸であった。

「老後なんて言わず、お互い元気なうちに、
新しい人生始めてみないか?」
「え? 私はいいけど… あなた、お仕事は?」
「行商人として言わせてもらうと、向こうの方が
人も多いし、商売しやすいよ。親父は、なんで
こんな田舎に住んで行商をしてたのかな?」
櫟丸の父は、在原兄弟を監視するスパイで、
行商人は隠れ蓑だったから。

で、春になったら、さっそく移住しようということに。
「うれしい! あなた…」
無邪気に夫に甘えるなず菜、長くつらい冬の後に、
ようやく訪れた幸せ。
あの時以来、櫟丸は一切、浮気をしていない… たぶんな。



3月14日、首の落ちた東大寺の大仏が、
修理が完了、落成供養が営まれた。
式典を取り仕切るのは、真如(しんにょ)法親王、
かつての皇族である。
かねてより念願だった、唐へ渡る許可が、この年ついに下りた。
このお勤めが済んだら、ただちに準備に入る予定だ。


惟仁親王(清和帝)と、かつて睨み合った皇族、
高望王に長男が生まれた。
太って、老けた顔の赤ん坊… 
それは、後の平国香(たいら の くにか)。
平将門の叔父にして怨敵。
本当は生年不明だけど、この年生まれにしちゃうから。


このころ、山科に鷹狩に出かけた藤原高藤は、
激しい雨に降られ、郡司の宮道弥益(みやじ の
いやます)の邸に、一夜の宿を借りる。
かつて盗賊の多襄丸一味が、小町を人質に
立てこもったのは、この家である。

幼い頃は、よく小町に遊んでもらった郡司の
娘・列子(たまこ)も、この年19才。
田舎に迷いこんできた都のボンボンと、
しっとりとした一夜の契りを交わす。
その結果生まれる娘・胤子(たねこ)は、後に宇多天皇の
女御となり、醍醐天皇の生母となる。
(天神記(二)「入内」参照)

列子も天皇の祖母として、高い位を贈られるのございます。
ちなみに、「玉の輿(たまのこし)」という言葉の語源は、
この列子(たまこ)であるという説が、山科では信じられている。
(一般には、江戸時代の「お玉」さんが語源とされている)


石上集落の「筒井筒」夫婦、遍昭法師にあいさつをして、
新天地の住吉へと旅立つ。
海の神さま「住吉大社」は、現在は街中にあるが、江戸時代まで
境内は白砂のビーチに面していて、ちょっとしたリゾートのよう。
初めて海を見るなず菜は、大感激だったろうね。
住吉大社 公式サイト http://www.sumiyoshitaisha.net/


6月16日、宣明暦(せんみょうれき)が採用される。
ごめん、よくわかんない


8月9日、真如法親王、いよいよ入唐のため、大宰府におもむく。
政府の正式な渡唐プロジェクトである「遣唐使」は、
今のところ次の予定がない。
そのため、一般の商船に乗せてもらい、海を越えることになる。
大宰府では、迎賓館とホテル、ビジネスセンターを兼ねた
鴻臚館(こうろかん)という施設で待機、唐へ行く船を
気長に待つ予定だ。



血屎(ちくそ=赤痢)が、流行っている。
姉の操が激しい腹痛に襲われ、「見苦しいし、臭うから」
という理由で、小町との面会がシャットアウトされた。
蔀戸(しとみど)ごしに声をかけることしか、
小町には許されていない。

「姉さま、容態はどうなの? 中に入れてよ、
今さら私に気を使うことないじゃない」
「よっちゃん… 今の人生を楽しんでね… 前の時は、ごめん… 
私とパリスさまのためにひどい目に合わせて… 
女神の与えてくれた美貌が失われるまで… 楽しん…」

熱にうなされて、意味不明なことを言ってる…
「しっかりしてよ! 死ぬような病じゃないって、血屎なんか」
しかし、食べ物を一切受けつけない状態が長く続き、
栄養失調のため、帰らぬ人となる。
遺体は家族の目に触れることなく、使用人たちが運び出し、
操の夜具や敷物一切が、焼却処分された。

「うそ… こんなにあっけなく…」
最愛の姉を失った小町は、涙すら流れない完全に空っぽの
状態となり、毎日ただ空を眺めて暮らすことに。
もはや、ただ一首の歌すら、詠めなくなっていた。



9月1日、伊勢斎王・恬子(やすこ)内親王、いよいよ
野々宮を出て、輿(こし)に乗せられ、多くの供や
女官を従え、伊勢へと群行する。
14才の、ちょっとオドオドした伏し目がちの美少女は、
2年近く世間から隔離されたため、生きた女神の如き
オーラをまとっている。

「寂しいです… お母さま…」
生まれて初めて、都を遠く離れて旅をする。
生涯ただ1度の、運命の恋の待ち受ける伊勢へと…



9月19日、在原業平の生母・伊都(いと)内親王が没する。
昇進がストップ、運命の恋人・高子にも会えず、今また母を失う…
業平もまた、小町と同様、空っぽになっていた。



冬が来て、染殿の庭に、紅い葉がすっかり落ちるころ…
明子は運命の人・真済と再会する。
「もう、地位も名誉も命もいりません… 
何もいらない… ただ、抱いてほしい…」
1つの愛が、ここに燃えつきた。




小町草紙(二) 完