小町草紙(二)





17、 五節舞姫(ごせち の まいひめ)




貞観元年(西暦859年)の続き。

古代より現代まで、王様が権力をふりかざし暴走、
あげく怒った民衆に打倒され、処刑台へ… 
そんな話はイクラでもあるし、スジコでもある。
完璧な為政者など、この世に存在しない。
悪政を敷けば民を苦しめ、天命あらたまり、革命となる。
それを避けるため、太政大臣・藤原良房は天皇から一切の
「権力」を奪い、「権威」だけの存在とした。

天皇の「権威」のもと、藤原宗家が「権力」を行使する。
この体制なら、悪政・失政があっても、
民衆の怒りを受けるのは藤原一族。
天皇の御世は、千代に八千代に続くことになる…
これが良房の考える、「御盾(みたて)」であった。

その実現のためには、非協力的な天皇の暗殺すら
辞さない良房であったが、一方で、皇室の「守護」を
万全にする計画も、着実に進めていく。
その1つが、吉田神社の創建… 
春日の裏神人たちの、都における拠点の設立である。
そして8月には、「八幡宮(はちまんぐう)」を都の南西、
男山に勧請(かんじょう)。


「八幡さま」というと非常に身近で、日本中
どこでもいらっしゃる神さまだ。
(お稲荷(いなり)さまに次いで、日本で
2番目に多い神社なんだって)
しかし、「八幡さまって、どんな神?」という問いに、
正しく答えるのは大変だぞ。
非常にややこしくて、ワケワカラン神なのよ。

もともとは「ヤハタ神」という、九州土着の神であった。
ヤマト王権の勢力が拡大すると、「八幡神の正体は、
第15代・応神天皇」という設定に。
応神天皇と、その母・神功皇后(じんぐうこうごう)が、
九州と関わりが深いからか?
このころ大分県に創建された宇佐(うさ)八幡が、
全国の八幡宮の総本社だ。
宇佐神宮 公式サイト http://www.usajinguu.com/

後に仏教が国教となると、いち早く「神仏習合」の
コンセプトを打ち出し、日本古来の神々が仏教に
駆逐されることのないよう、その地位を保全。
八幡神も仏教世界の一員となって、「八幡大菩薩
(はちまんだいぼさつ)」を名乗る。
が、もちろん仏教に、こんな菩薩は存在しない
からね、ジャパン・オリジナルだからね。

「応神天皇で菩薩」な八幡神は、皇室の乗っ取りを
企む怪僧・道鏡(どうきょう)に対し、
「お前が天皇になってはいかん」
という神託を下し、皇室の血統を守った。
このように、権力や時代の変遷に敏感で、皇室やそのバック
グラウンドの神道を守ってきた頼れる神さま… 
それが八幡さまです。


良房は昨年(858年)、惟仁親王の即位を祈願させるため、
行教(ぎょうきょう)という僧を、宇佐に派遣していた。
行教は、奈良の大安寺(だいあんじ)に在籍する僧侶で、
良房の頼りになる参謀だ。
大安寺 公式サイト http://www.daianji.or.jp/index.html

行教は宇佐八幡と交渉、男山に勧請する話を取りまとめた。
公式には、行教が「男山に分祀せよ」という「お告げ」を受け、
清和帝の命により勧請したことになっているが、帝は
この時まだ10才、もちろん良房の意志だろう。
それと中央に進出したい八幡宮の思惑が、ぴたりと一致した。

男山は、都の裏鬼門(南西)に当たる。
鬼門(北東)を守る比叡山延暦寺と対になり、天皇を守り
国家を鎮護すべく、男山に石清水(いわしみず)八幡宮の
建設が始まった。
石清水八幡宮 公式サイト http://www.iwashimizu.or.jp/



この年、インチキくさい陰陽師の滋岳川人は、大和で
虫害(たぶんイナゴの害?)を防ぐための祭祀を行う。
かつて彼のせいで地神の群れに追いかけられた
大納言の安倍安仁(小町と親しい安倍清行の父)は、
この年4月23日、脳卒中で死亡している。

同じく大和の室生寺で、真砂の捨てた男の子が頭を丸め、
修行僧となる。(後の外道人 ・安梅)

9月3日には、円珍が進めていた近江(滋賀県)の
三井寺の修復が完了。
小町の師匠である遍昭は、さっそく訪れ、円珍に弟子入りした。
(ライバル同士の円仁と円珍の両方に、師事したことになる。)



10月5日、紀静子(35)のもとに届いた知らせは、
覚悟していたとはいえ、衝撃を与えずにはおかない。
「選ばれたのですか、恬子(やすこ)が… 斎王(さいおう)に…」

「伊勢斎王」は、未婚の皇族女性の中から選ばれる、
伊勢神宮に仕える巫女。
天皇に代わって伊勢神宮の神をお祀りする、
たいへん名誉な役職であるが…

(この年で親元を離れ、外界から遮断された聖所で、
何年も過ごさねばならぬとは…)
青春時代を棒に振ることになる娘が、ふびんでならなかった。
「だけど、どうしようもない… 亀卜(きぼく)により
選ばれたのだから…」
亀卜とは海亀(タイマイ)の甲羅を焼いて、
そのヒビ割れで占う、聖なる占いだ。

「主上(おかみ)の祖神(おやがみ)さまにお仕えするため、
いく人もの候補者の中から恬子が選ばれたのです。
喜びこそすれ、どうして悲しむことがありましょう?」
けなげにも笑顔を見せ、今は亡き文徳帝の霊に祈る静子だが…

ライバルである皇太夫人・明子の生んだ儀子(のりこ)内親王も
また、賀茂神社に仕える斎王に選ばれていた。
しかし、賀茂神社は都のすぐ近く… 
やはり良房の娘・明子は、優遇されている。
「今の帝は、明子さまの生んだ子… 明子さまの娘が、
伊勢に行くのが筋じゃない…」
ついつい本音が出てしまう静子であった。


このニュースは、山科の小町姉妹にも伝わる。
今年の初め、久しぶりに静子を訪ねた時、愛らしい12才の
少女に成長した恬子内親王に引き合わされた姉妹だったが…
「親分にはぜんぜん似てない子だったね… 
大人しくて恥ずかしがり屋で」
「あの子が斎王に… 大丈夫なのかな?」

「そうだね… 斎宮での暮らしって、生きながら死んでるような
ものだしね… あ、こんな言い方、罰当たりかな」
テヘぺろッと、舌を出す姉の操。
「でも… すごく神聖で、死の穢れを忌み嫌う場所ではあるけど… 
あそこに籠もって、神さまに仕えて暮らすのって、なんというか… 
生きながら死後の世界にいるような、そんな感じがするん
じゃないかな… 伊勢の斎(いつき)の宮というところは」

斎宮、または斎(いつき)の宮… 
それは、斎王がお籠もりする御所である。
「イトゥキ」とは、シュメール語で「月の都」でしたね…
操はしばらく、物思いにひたっていたが、とつぜん
「ねえ、よっちゃん… 私がいなくなっても1人で生きていける?」

「は? なに、いなくなる予定でもあるの?」
「特にはないけど、人生何があるかわからないじゃない。
フッと、そんな気が」
「そういう悪い予感とか、口にするの禁止! 
現実になったらどうするの」
「ハイハイ」


伊勢に旅立つ準備段階として、恬子は内裏内に設けられた
「初斎院」という臨時の御所で、1年間清らかに暮らすことに。



11月19日、大嘗祭(だいじょうさい、おおにえのまつり)。
これは新しい天皇が即位した年の、スペシャルで
大規模な新嘗祭(にいなめのまつり)、すなわち、
稲の収穫をアマテラスに感謝する祭り。
平成2年(1990年)11月にも皇居で行われ、「即位の礼」と
合わせて、東京のド真ん中に突如出現した平安時代に、
日本人も含め世界中が驚嘆した。

大嘗祭や新嘗祭の最終日は、「豊明節会(とよあかり
の せちえ)」という宴会である。
天皇も列席して、神にお供えした酒やご馳走を、皆でいただく。
ここで各種の舞が舞われて盛り上がるが、中でも
「五節舞(ごせち の まい)」は、上流階級の
少女たちが演じる花形だ。
天つ風 雲の通い路(かよいぢ) 吹きとぢよ 
乙女の姿 しばしとどめむ

という遍昭の、舞姫を讃えた歌も有名。

今年は高子も、舞姫に選ばれていた。
人形のような美少女が、天女の衣装で袖を振り、舞い踊る。
ギャラリーからは、いっせいにため息がもれ…
高子があまり好きではない幼い帝も、つい見とれてしまう。

「あの目だ… 氷のような冷たさを、その奥に
たたえた瞳… 雪のような肌、朱い唇…」
35才の在原業平もまた、地上の人間とは思えない
18才の少女の舞い姿に、魂を奪われていた。
「どうしたんだ、俺は… あれは藤原の、
呪われた血の流れる娘じゃないか…」

その時、ある考えが閃いた。
「そうだ… あの娘は、いずれ帝に嫁がせる、大事な
箱入り娘… その藤原家の大切な娘を… 
俺がいただいてしまえば、どうだろう…」
痛快なアイデアに、ニヤリとする。



翌日さっそく、東五条院の高子のもとに、文が届く。
「高子さま、このようなものを預かってきました!」
「恋夜、見知らぬ方から文など、むやみに
預かってはいけませんよ。おや、これは…?」
冷笑が、高子の唇に浮かぶ。

「あらあら。あの業平が、この私に… いい女と、
認めていただいたということですね」
「高子さまの舞が素晴らしくて、思わず筆を
取っちゃいましたー、みたいな?」
「恋夜… これは、恋の文なのですよ。
お前には、まだ早いですけどね」
「恋???」

まだじゅうぶん読み書きのできない恋夜は、自分の名前に
「恋」の字が入っていることすら知らない… 
まして、その意味など。
純粋な好奇心から、高子は返事を出してみると、
すぐに次の文が来た。
「都で1番の女たらし」と軽く見ていた高子だが、
業平の時代を先取りした、大胆で斬新な歌の
詠みっぷりに、しだいに魅せられていく。

そして、「年上」「おじさん」というのは、高子の
ストライクゾーンであった。
大人びてクールな彼女にとって、同年代の男は
恋の対象にならなかったのである。

「恋」の意味もわからない恋夜であったが、高子が
業平のことを話す時は、いつになく目がキラキラ
してるのには、イヤでも気がついた。
なんだか、おもしろくない…


「おねがい、恋夜。協力しておくれ」
雪の降る12月25日の夜、ついに業平が訪ねてくることになった。
もちろん玄関から堂々入るわけでなく、不法侵入である。
近い将来、帝の妻となる予定の高子だが、決められた
レールの上を進むだけの人生には、うんざりしていた。

まだ入内も正式に決まったわけではないし、
今のうちに遊んでおいてもいいでしょ…
業平なら、私の初めての男として、ふさわしい…
一見いつもと変わらぬ冷静さの高子だが、
恋夜の目はごまかせない。
どこかソワソワして… こんな高子さま、初めて見るかも…

「高子さまが喜んでくれるなら、いいや…」
しぶしぶ、緊急脱出用に開けておいた築地塀の
穴から、業平を導き入れる。
「ありがとうな、坊主」

恋夜の頭をなでて業平は、庭の奥へと消えていく。
確かに、かっこいい男だ… 
それに身のこなしも、武士のようにキビキビしている。

この夜が男と女にとって、どういう意味があるのか、
恋夜にはわからない。
ただ、大切な人を奪われたことだけは、はっきり悟った。
大粒の涙が、雪の上にこぼれる。


「天皇と政略結婚させるため、宝石のように
大切に磨き上げられた、深窓の令嬢」
そんな娘の処女を奪ってやるのは、さぞかし愉快だろう… 
藤原家に対する、せめてもの復讐… そう思っていた。
だが、実際に会ってみた高子は、業平にとって
ファム・ファタル(運命の女)であった。
「あなたのような女性には、これまで会ったことがない…」

「そうでしょうね… 私が生まれるまで、この地上に
藤原高子はいなかったのですから」
鈴を鳴らすような涼やかな声で、サラリという。
傲慢にも、自意識過剰にも聞こえない、
ただ単に事実を言っただけ。
当初の動機はともかく、業平は本気で、高子にはまっていった。



年は明け、貞観2年(西暦860年)。

「絶対に秘密」と言われていたのに、
恋夜は父に漏らしてしまった。
父の田島は良房に報告、良房は激怒した。
「あの女たらしが…!!」
他の国だったら業平は処刑になっているところだが、
元皇族でもあるし、厳しい追求はなかったようだ。

だが当然、東五条院の警備は厳しくなった。
高子に会えなくなった業平は、このような歌を詠んだという。

人知れぬ わが通い路の 関守(せきもり)は 
宵々(よいよい)ごとに うちも寝ななむ

(人の知らぬ、わが通い路で番をしている見張りたちは、
毎夜よく寝てくれたらいいのに)