小町草紙(二)





16、 秘曲




天安3年(西暦859年)、第56代・清和(せいわ)天皇の御世。

年が明け、小町は34才、姉の操は38才となった。
「数え年」では、正月に皆いっせいに、年令がプラス1される。
2人ともまだ、じゅうぶんに美しかったが、さすがに
男からの手紙は減ってきた。
特に小町は、ここ数年スランプのため、
まともに創作活動を行っていない。

正月のユルユルした空気の中、久しぶりに楽器でもやって
みようか、ということで小町は琴を、操は笙(しょう)を取り出し、
セッションを楽しんでいると…
「あら、どちらさま?」
庭先で1人の女がじっと、演奏に聞き入っていた。

「あ、スミマセン。ちょっと通りかかったんですけど、
つい… 名高い小町さまとお姉さまの演奏なんて
めったに聴けませんから〜 えへへへ」
20代なかばくらいの、ぽや〜っとした愛嬌のある顔の娘だ。
「もしかして… 清原さんところのお嬢さま?」
つき合いの広い操は、思い出したようだ。

「あ、はい。由比(ゆい)っていいます… 
てゆーか、邪魔してゴメンナサイ」
「で、由比さん… いかがでしたか? 私たち姉妹の琴と笙は?」
「なんていうか、言葉で表しにくいんですけど…」
由比はニコニコしながら、

「あんまり上手くないですね!」
(バッサリだあー!)
由比はまったく悪気なく、
「でも、すごく楽しそうでした! 私、好きです!」
「そ、そお…」

あいさつをして、立ち去る由比を見送りながら、
「姉さま、知ってるの? あの天然娘…」
「かわいそうな境遇の方よ。お父さまは清原俊蔭(きよはら の
としかげ)さまといって、もう23年くらい前かな… 
確か、あの子が生まれてまもなくだったと思うけど、
遣唐使に任命されたのね。けど、船が難破して…」

承和3年(西暦836年)の、円仁や真済が
乗りこんだ、あの遣唐使船団。
博多港を出航して、いきなり嵐にあい、
3隻が大破して中止となった、あの時。
(真済は、この時のショックで海が怖くなり、渡唐をあきらめる。)
海に放り出された俊蔭は、救助の手も届かず、
沖へと流され行方不明…
というか常識的に考えて、生きてはいないだろう。

「まあ… かわいそうに…」
「俊蔭さまは、琴の名手だったそうよ。
でも、あの娘さんはどうなのかしらね?」
「人のこと、上手くないなんて言ってるんだから、
それなりにできるんでしょ(-з-)」
ところがどっこい。


「遣唐使の清原俊蔭が、唐の商船に乗って、
23年ぶりに帰国した!」
新年早々の大ニュースに、都が沸き立つ。
「生きてたんかい!」
「今まで、いったいどこで何をしてたんだ?」

本人が語るところでは、なんと波斯国(はしこく)… 
つまりペルシアまで流されたという。
ペルシアというと現在のイラン、九州から流されて
イランに漂着するなんて???
タイかインドネシアあたりと、まちがえてるのではないだろうか。

まもなく俊蔭は都に上り、朝廷に報告書を提出する
とともに、家族と感動の再会を果たす。
「お父さま…?」
ほとんど記憶に残っていない父親は今、由比の目の前で、
ひどく年老い、疲れきった姿をさらしている… 
ギラギラと炎の燃える両眼を除いては。

「お前、由比か!? 大きくなったな! 
琴の稽古は続けているか?」
「いえ、あの、その… してないです…」
「バッカもんッ!! この23年間、お前は何をして生きて
きたんだ!? よし、今日からさっそく特訓だ!! 
これからお前の人生は全て、琴に捧げろ!!」

鬼気迫る父の表情に押され、由比はポロポロと涙を流し、
「なんで… いきなり琴なの…? やっと会えたのに…」
「お前しかおらんのだ由比!! この秘曲を託せるのはッ」
「秘… 曲…?」

由比の両肩をつかむ父の目には、狂気さえ宿っていた。
「そうだ… 俺は、波斯国で天人と会った… 
そして、この国では誰も知らぬ琴の秘技、
魂を天界へと導く秘曲を伝授されたのだ…」
「す、すごい… けど無理だよ! 私なんか素人も同然だし…」

「お前は、この俺の娘!! 必ずや、秘曲を受け継ぐ
ことができるッ そして… 俺に残された時の砂は
それほど多くはないのだ…」
「お父さま…」
こうして天然娘・由比の、琴の特訓に明け暮れる、
血のにじむような日々が始まる。
それは父の悲願、清原家の再興をかけた戦いでもあった…

これが日本最初の長編物語、「宇津保(うつほ)物語」
のオープニングである。
「源氏物語」にも、影響を与えたそうだよ。



これと前後して2月11日、摂政・良房の弟、右大臣の良相が、
2つの福祉施設を設立、世間の評判となった。
1)崇親院 家族を失った藤原氏の婦女子を養育する施設。
2)延命院 藤原氏の健康長寿のための、医療施設。

延命院は現在の中京区三条通、武信稲荷のあたりらしいよ。
姓名判断で名高い武信稲荷神社 
公式サイト http://takenobuinari.jp/index.html

藤原氏オンリーの施設なのが、ちょっとなんですが、
都には落ちぶれた藤原氏もたくさんいるので、
たちまち良相の評価が上がる。
「さすがは右大臣、摂政どのとはちがいますな」
「策略の兄、人徳の弟ですな」

良房から見れば、弟はますます手強い存在となって見える。
(竜虎並び立たず、というが… 
いつか決着をつけねばなるまい…)



4月15日、「貞観(じょうかん)」に改元。

久しぶりに都に出た小町は、熱心な
ファンの少年に追いかけられる。
今年15才、元服を済ませ「道真」と名乗る少年は、同様に
小町の追っかけをしていたライバル・三善清行(みよし の
きよつら)とバッタリ鉢合せ。

「小町のご尊顔は拝めたのか?」
「私はそんな、浮っついた気持ちで(中略)、
私の歌を添削していただこうと」
「カッコつけんなwww お前だって小町が
どんな顔か、気になるんだろwww」
「お前といっしょにすんなカス」
こうして2人の少年は、往来で取っ組み合いを始めるわけだが
(天神記(一)「白梅殿」参照)

「オラオラにーさんたち! 通りの真ん中で通行のジャマだよ!」
えらく威勢のいいチビッ子が、間に割りこんできた。
「なんだ、このガキは?」
「見れば、どこぞの邸で使われてる童(わらわ)のようだが、
目上の者に向かってその口の聞き方はなんだ? 
俺たちは由緒ある学者の家の…」

5才くらいのクリクリした目の利発そうな男の子… であったが、
「チッ」
いきなりジャンプして、道真にパンチ、清行にキックを叩きこむ。
子供とは思えない本格的な打撃に、2人の少年は絶息した。
「ガッ…!!」

「オイラは東五条院にお仕えする、女童(めわらわ)の
恋夜(れんや)ってモンだ。文句があるなら、お邸までどーぞ」
東五条院といえば、皇太后・藤原順子の邸だ。
「あれ、女の子でしたか…」
元気いっぱいに走り去る恋夜を、スゴスゴ
見送るしかない道真と清行。


太岐口恋夜が向かった先は、この年、
吉田山に建立された吉田神社。
後に「四条流庖丁道」を完成させる日本料理の祖・藤原山蔭
(やまかげ)がスポンサーとなり、奈良の春日大社から氏神を、
都の近くに勧請したのだ。
「これで奈良に行かずとも、気軽に氏神さまに参拝できます」

だが、吉田神社には裏の顔があった… 
皇室を守護し、藤原宗家を監視する、
春日・裏神人(うらじにん)の、京都出張所…
「父上、これからは、たびたびお会いできますね」
邸から預かった報告書類を、気難しい顔の父に渡し、
ニッコリする恋夜。

「皇太后さま、高子さま… いずれもお変わりあるまいな?」
太岐口田島(たきぐち の たじま)、31才、
春日から単身赴任中の神人頭。
東五条院には配下の神人を数名、護衛として常駐させている。
そのチームとの連絡係として、末娘の恋夜を邸に住み
こませたのは、ついでに高貴な女性のもとで行儀作法
など習って、淑やかな娘になってほしい… という親心。

「た、高子さまには… かわいがっていただいております…」
あこがれの高子のことを思うと、どうしても
頬が赤く染まってしまう恋夜。
「何か女子らしい遊びなど、教えていただいたか?」
「いえ。高子さまは私を、男子と思いこまれておいでです」
「お前がいつまでも、そんな格好をしているからだッ バカモノ!」


目を赤く泣きはらして、恋夜はしょんぼりと邸に戻ってきた。
(父上は、私のことをわかってくれない…)
「恋夜、どこへ行っていたの? さ、おいで」
18才の、ため息の出るような美少女に成長した高子は、
まるで愛玩動物のように、恋夜をかわいがる。

いつもは人形のように無表情な高子も、自分の局に恋夜を
招きいれ、ギュッと抱きしめる時は、フワフワした笑顔に輝く。
「ケンカでもしたの? 女の子みたいな
きれいな顔に、泥がついてますよ」
「いえ、あの…」

「そうだ。いっしょに湯浴みをしましょう。私が洗ってあげます」
「い、いや、それはまずいです><」
「男の子の体がどうなっているのか、興味ありますもの」
「かんべんしてください><;」


その夜、夕食の給仕をしながら、小町の車を見かけたこと、
追っかけの若者2人が通りで乱闘を始めたので、
こらしめてやったことなどを報告。
「小町さん、都に来てたんだ…」
大和の長谷観音で出会ったのは、もう7年も前のこと。

「たしか、小町さんも山科だっけ… 
山科といえば今日、切ない話を聞いたのですよ」
仁明天皇、というと薬マニアだった正良親王だが、その
第4皇子… というと、暗殺?された文徳天皇(道康)や、
「庖丁式」の制定を命じるグルメな光孝天皇(時康)の
弟になるわけだが、人康(さねやす)という親王がいた。

突然、原因不明の眼病を患い、失明したのが去年のこと。
祈祷やお払いでも視力はまったく回復せず、数日前、とうとう
都を離れ、山科の諸羽山のふもとに引きこもったという。
「琵琶の名手として名高いお方でしたのに… おかわいそうに…」
「目が見えなければ、楽器の演奏なんて絶対ムリですよね…」

「ご自身の生きがいであった、音楽を奪われる
お気持ち… どのようなものでしょう…」
自分にとって命より大切なものを、自分ではどうしようもない
運命の力によって奪われる…
そんな日が、やがて私にも来るのかも… 
遠い未来を見つめる高子の瞳は、凍った湖のような悲しみを
たたえ… それを見ている恋夜の幼い心も、悲しくなった。



山科といっても、このあたりは小町の
家から、だいぶ離れている。
第4皇子の人康が移り住んだことから、後に「四ノ宮
(しのみや)」という地名になるこの地で、簡素な
造りの家にひっそりと、盲目の親王は暮らしていた。
「何度死のうと思ったことか… だが、私はまだ生きている…」
29才という若さで、絶望のドン底に突き落とされてしまった人康。

だが… 光を失ってから1年近くたち、このところ、視覚に代わる
新たな感覚が自分の内部から目覚めつつあるのを感じる… 
今なら、もしかして…
失明して以来初めて、愛用の琵琶を手にしてみる。
本体、弦、バチ… すべての形、手触りが
情報の海となって、脳髄に押し寄せる。
弦を弾いてみると、音は単なる音ではなく、
形、色、匂いがあった。

できるかも… しれない…
姿勢を正し、気を集中し、バチを弦にあてた。
「琵琶法師」誕生の瞬間である。
「耳なし芳一」などでおなじみ、「盲目の
琵琶の演奏者」という職業。
そのルーツは人康親王であった… らしいよ。


ミーハー根性に誘われ、フラフラと諸羽山麓
まで来てしまった小町。
「地元・山科に皇族の方がいらっしゃってる… 
ちょっとだけ、のぞきに行ってみよ…」
ところが、どこからともなく流れてくる、悲哀に
満ちた琵琶の音にビックリ。
「まさか… 親王さまが?」

ついつい親王の住まいの庭先で、聞き入ってしまう。
すると、いつのまにか… 横に並んで、鑑賞している女がいた。
一心に集中する、その真剣な顔つきは、
はじめ誰だかわからなかったが…
「もしかして… 由比さん?」

振り向いた顔は、かつての天然娘のものではない。
道を追い求める者特有の、厳しさが宿っている。
「目が見えなくても、これだけの演奏ができるんですね…」
マメだらけになった両手を、じっと見下ろす由比。
「私もがんばらなきゃ… 絶対に、
秘曲を弾けるようになってみせる…」

「そう… がんばってね…」
由比も、盲目の親王も、小町にとっては、まぶしかった。
私には、この人たちのように、運命と戦う力なんてない…
ただ運命に砕かれ、散って、消えていくだけ…
しみじみと自分の弱さをかみしめる、小町であった。