小町草紙(二)





14、 天皇暗殺




年は明け、斉衡4年(西暦857年)。

「高子、よく来たわね。今日からは、私があなたのお母さまよ」
先の帝・仁明帝の妃(皇太后)である順子(49)は、
美しい少女を見て、声を弾ませる。
「じゅんこ」じゃないよ、「のぶこ」だよ、作者も忘れてたけどね。

今年から順子の「女房」として出仕することになった
高子(16)は、順子の姪にあたる。
艶やかな黒髪の、人形のように愛らしい… 
やや冷たく、無表情な少女。
「お世話になります、皇太后さま。こちらで行儀作法など
学ばせていただければと…」
鈴を鳴らすような声に、邪気はみじんも感じられない。
「たかこ」じゃないよ、「たかいこ」だよ、
変換する時は「たかこ」って打つけどね。


順子にともなわれ、正月の挨拶回りで、御所を訪ねる。
帝(順子の生んだ道康)は、藤原一族を嫌悪しており、
高子は漂ってくる敵意を感じた。

妃の明子(良房の娘、高子の従姉妹、29)は、
ぼや〜っとした霊感体質の女。
帝から愛してもらえないストレスで、情緒不安定になることが多い。
高子は、久しぶりに明子と会って、以前と
様子がちがうのに気づいた。
寂しげな中にも、情熱的に目を輝かせる瞬間がある…

恋をしてるな。
それも、帝以外の男に。
へえ… 明子さん、やるじゃないの… 誰だろう、お相手は?
それを知りたければ、天神記(一)「契り」を読むのじゃ。

そして、明子の生んだ8才になる東宮(=皇太子)
惟仁(これひと)親王とも面会。
「こんにちわ、東宮さま。大きくなられましたね。
覚えておられます? 高子です」
ひ弱そうな少年は、じっと高子の目を見つめる。
最後に会ったのは、今よりずっと小さい頃なので、
覚えていないだろう…

とつぜん、少年は泣き出した。
「このお姉さん、こわいよ…」
子供の純粋な目は、高子の愛らしい仮面の
下の本質を、見抜いてしまったようだ。
高子は表情を変えないが、ショックを受けていた。
(この子、嫌い…)

順子は苦笑して、孫の頭をナデナデする。
「あらあら… このお姉さん、あなたのお嫁さんになる人なのよ?」
高子がピクリとした。
そういうこと… 8才も年下なのに…

この泣き虫少年が、後の清和天皇。
源頼朝や義経、足利将軍家の先祖である。



2月19日、太政大臣に藤原良房、左大臣に源信 (みなもと の
まこと)、右大臣に「冥界から帰ってきた男」藤原良相(よしみ、
良房や順子の弟)が、それぞれ任じられる。
皇族でない者が太政大臣となるのは、史上初のこと。

「まずは、おめでとう… 着実に、私たちの目標に近づいてるわね」
順子の邸(東五条院)に、兄の良房、
弟の良相が集まり、祝杯を上げる。
「兄さんたち、檀林皇后(だんりんこうごう)の亡霊に
祟られるんじゃないか? さんざん、橘嘉智子(たちばな
の かちこ)の世話になっておきながら…」

良相が皮肉を言うのも、無理はない。
檀林皇后・嘉智子の力をさんざん利用しながら、彼女の死後、
約束を反故にして、橘氏を重職から遠ざけているのだから。
顔を見合わせる順子と良房、その目は、はっきりと語っていた。
「橘嘉智子など、我らの野望の踏み台でしかない」

「とりあえず、次の目標は源信の排除… 彼は危険だ」
「おいおい、兄さん… 左大臣は、俺たちの味方じゃないのかい」
「私たちの味方は、私たちだけですよ、右大臣」
元皇族の源信だけではない、古代からの
名族である紀氏や伴氏も…

「ちょっと悪酔いしたかな… お先に失礼するわ」
兄と姉の、あまりの腹黒さに辟易した良相は、席を立つ。
その後ろ姿を見送る良房の視線には、不気味なものがあった。
藤原良相… 男らしく人望もあり、頭も切れる… 
良房にとって、最も身近なライバル。

「藤原一族による、権力の完全なる支配、か…」
順子、そなたは知らぬ… 俺が氏の長者を継いだ時に
知らされた、我ら藤原宗家の恐るべき秘密を…
なぜ、我らが「完全なる支配」を目指すのか、その真の理由を…
それを知りたければ、天神記(二)「御盾」を読むのじゃ。



この年も、地震や雷雨といった天災が多い。
それを鎮めるべく、2月21日、「天安(てんなん)」と改元。


都の周辺に、またしても群盗が跋扈(ばっこ)していた。
3月16日には京南地方に、 3月18日には奈良に、
特別警戒態勢が敷かれる。

紅蓮に捨てられた黒主は、単独で盗人働きをしていた。
盗人をしていれば、いつか紅蓮と会えるような気がしたからだ。
が、運悪く、厳戒態勢下の奈良で捕縛される。

4月23日、それまで自由に通行できた山科・大津間の峠に、
62年ぶりに関所が復活。
有名な「逢坂関(おうさか の せき)」である。
まあたぶん、当時の状況から推察すると、盗賊が逃亡したり、
東国から犯罪者が流入するのを防ぐ目的もあったんじゃないかと。

7月、地震で倒壊した牢獄から、黒主は脱走した。
囚人仲間から、紅蓮の居場所について、
信頼できる情報をつかんでいた。


宇治にある、かつて多襄丸が使っていた隠れ家で、
ついに黒主は紅蓮を見つけた。
「あんた、バカだよ! なんで… 足を洗わなかったんだ…」
「俺は、お前とどこまでも… 地獄までも、ついていく!!」
久しぶりに、何もかも忘れ、獣のようにお互いをしゃぶりつくす。

だが炎が燃え盛った後の、安らぎの中で… 
女の目は、冷たく険しくなった。
「足手まといなんだよ… これ以上つきまとうなら、殺すしかない」
黒主は、相手が本気であると悟った。

「そうか… だが都には、もう俺の居場所はない… 
役人にメンが割れてるし…」
「東国に逃がしてやる… 新しい土地で
歌詠みとして、やり直すんだよ」


2週間後、紅蓮の集めた山賊集団が、逢坂関を襲撃。
「さあ! 早く行くんだ!!」
激しい戦闘をかいくぐり、黒主が関を突破する。
「死ぬなよ、紅蓮!!」

その時… ちらっと、黒主の視界に入ったもの…
それは、山の斜面の高い位置に、ひときわ大きく
枝を広げた、山桜の古木…
もちろん7月の今、花は咲いていない。
だが一瞬、雪の降りしきる中、桜が満開と
なっているような、不思議な幻影を見た。

ここは俺の運命の地…
俺はもう1度、ここに戻ってくる… そんな予感がする…

黒主が無事脱出したのを見届け、紅蓮は手下とともに撤退する。
今度こそ、まちがいなく永遠の別れ…
「お頭… これで、いいんだよね…」
涙が、頬を伝う。


10月23日、御所の蔵殿に侵入した紅蓮は、ついに逮捕された。
「女盗賊か…」
「む? この下腹は… お前、身ごもってるのか?」
役人の取調べで、妊娠していることが発覚。



12月1日、紀静子の生んだ惟喬(これたか)親王が元服。
父を失い、一族の支援を失った静子だが、
帝の愛は失ってはいない。
「大臣どもが何人側女(そばめ)を当てがおうとも、
私にとって女は静子、お前1人なのだ」
「私は幸せです…」

静子への一途な愛、これが帝の運命を狂わせることになる。
ある日、帝は大臣らを集め、衝撃的な発言をした。
「東宮に譲位しようと思うが、どうだ… 
太政大臣、そなたの望むところであろう」
東宮(=皇太子)の惟仁(これひと)親王は明子の子、
良房の孫である。

「おそれながら、東宮はまだ8才におわします。
政務が執れるお年では…」
「そなたらで、補佐すればよい」
これはまったく良房にとって都合のいい話だが… 
続きがあった。
「だが譲位するにあたり、ひとつ条件がある。
静子の生んだ惟喬を、次の東宮とすること」

「私には、異論はございません」
良房は、深々とひれ伏した。
その姿を見て、左大臣の源信はハッとする。
帝は、ホッとしたように
「そうか… では、話を進めてくれ」


その夜遅く、帝の寝所に、源信が現れた。
「左大臣、このような時間にいったい…」
「おそれながら、このままでは… 惟喬親王の身に
危害が及ぶ恐れが…」
「なに?」

つまり譲位して惟仁が天皇、惟喬が皇太子となると、良房は
必ずや、邪魔な惟喬を亡き者にするだろう… という話。
「太政大臣が東宮を殺害すると!? そこまで
やるというのか!? どうやって!?」

源信は脂汗をかき、言葉に詰まった。
「そういう仕事を請け負う者がいるのです… 
闇の世界に住む、魔性の者たち…
根黒衆(ネグロス)と呼ばれております」

どうやら真実らしいと、帝は理解した。
「わかった… 譲位の話は、なかったことにしてくれ」
天皇という存在は、守ってくれる者がいなければ無力である。
惟喬の母方の実家(紀氏)に、良房と張り合う力が
ない以上、惟喬を守ることはできない。
(すまない、静子… 私は、こんな無力な自分が呪わしい…)



(せっかく、譲位していただく良い機会であったのに…)
良房の心には、焦りがあった。
今年54才、人生がいつ終わってもおかしくない年令だ。
しかも源信をはじめ、ライバルはまだ多い。
(なんとしても、私が生きているうちに…)

藤原氏の長者が、天皇の「御盾」となって、
全権を握る体制を確立せねば…
強固な基盤を打ち立て、基経に引き渡さねば…
(まだ31才の帝が老いらせたまうまで、
お待ち申し上げるわけにはいかぬ…)

冬だというのに、脂汗がにじみ出してくる。
(私は、なんという恐ろしいことを… 
永遠に消えぬ悪名を、歴史に残すかもしれぬ…)

「太政大臣さま。お呼びでございましょうか?」
暗がりから現れる、不気味な男… 
頭巾を取ると、髑髏(どくろ)と見まがう恐ろしい顔が。
根黒衆の窓口となる交渉係、骨阿闍梨(ほねあじゃり)… 
実は死水尼の息子である。
「うむ…」

長い沈黙の後、良房は、かすかに震える声で、
低く静かにつぶやいた。
「帝の御寿命、縮めたてまつらんとす。いかにせばや…」

いつもは気味の悪い冷笑を浮かべている骨も、さすがに固まった。
「これほどの重大なご依頼、他の者に任せられる
ものではありませぬ… よろしい、この骨阿闍梨、
自ら取り仕切りましょう…」

しばらく思案していたが、
「樒(しきみ)の毒がよろしい。少しずつ
小分けにして、酒などに混ぜ…」
樒(しきみ)とは、もくれん科の有毒植物。
葉や枝から良い匂いがするので、香木としても使われる。



年は明け、天安2年(西暦858年)。
新年の祝いの席で、何も知らない帝は、
「よい香りのする酒」を飲みすぎ、悪酔いをした。
これ以降、体調のすぐれない日々が続く。

歴史上、臣下に暗殺されたことが確かな天皇は、
蘇我馬子に殺された第32代の崇峻(すしゅん)
天皇ただ1人であるが…
この文徳天皇の死についても、暗殺疑惑が取りざたされている。