小町草紙(二)





10、 鞭(むち)




その日の夕方、良岑安貞(^ω^)が訪ねてきた。
「まあ、遍昭(=良岑宗貞)さまの弟さん…?」
なんとまあ、まったく似ていない… 小町は、あきれた。
「(^ω^)ナリさんの使いで来ましたお」
かつて上司と部下だったナリさん=業平とは、勤務先が
変わっても、友人づき合いをしてるようだ。

(^ω^)は今、「右近の少将」の地位にある。
右近衛府に「将曹」という役職で出仕したのが12年前、
今日までに2階級、出世したことになる。
遅いと考えるべきか、(^ω^)にしては、がんばったと言うべきか。
(^ω^)は都の南、深草に住んでいるので、
「深草少将」と呼ばれている。

ところで、1つビックリがあります。
(^ω^)の邸は、後に欣浄寺(ごんじょうじ)という寺になります。
京阪本線、墨染駅すぐ近く。
近隣には、基経の死をいたんで桜が薄墨色になったという、
墨染寺(ぼくせんじ)がある。(天神記(二)「時の砂」参照)

何がビックリかというと、この欣浄寺、「必殺仕掛人」藤枝梅安の
針の師匠、津山悦堂の墓がある(という設定の)寺なのです!
必殺マニアか池波正太郎の愛読者以外には
ぜんぜん興味のない話題でしたね!

「(^ω^)そんなことより、大伴黒主が消えたんだな」
業平が黒主のパトロン、伴善男の邸に乗りこんで
みたところ、昨日から行方不明だという。
「そんなにお疑いなら、邸のすみずみまで、家捜ししてもらおうか」
と善男が言うので、探し回ってみたが、確かにいない。
善男自身、本気で黒主の身を案じているようだった。

小町は、例の盗賊と黒主が、兄弟のように似てることを報告した。
業平も(^ω^)も、多襄丸の変わり果てた死に顔は
見たが、生前の姿はほとんど知らない。
「(^ω^)それは興味深いお。少し調べてみますお」
「あの、それと… 業平さまに、失礼なことを申しまして、
ごめんなさい… 言いすぎました… 
と、お伝えください… (><;)」

「(^ω^)あの男には、言いすぎるくらいでちょうどいいお」
「そ、そうですよね!」
「(^ω^)でもあいつも、小町たんのために黒主を
捕まえようと、必死なんだな」
「それは… ないですよ…」



都の裏通りを、1人の武士が歩いていた。
背が高く、赤茶けた髭が生えている。
とある貴族に仕える、氏家忠友(うじいえ の ただとも)と自称
していたが、その油断のない目つきは、素性を隠しようもない。
大伴黒主の変装であった。

チューチューチューと、舌を鳴らす音がしたので振り返ってみると…
とある家の窓から、女がのぞいている。
「そこの戸が開いております… どうぞ、お入りください」
見るからに怪しい… だが、今の黒主には、行くあてもない。
どうにでもなるがいい… 半ば自暴自棄に、女の誘いに乗った。

女は30代前半くらい、細面の、ぞっとするような妖艶な美女で、
長いまつ毛のかかる左目の下に、ほくろがある。
まるで生き別れた亭主でも見るような目で、黒主を見つめている。
(似ている… お頭に… まるで兄弟のように…)

「私を、お呼びになりましたかな?」
女の正体を推し量りながらも、黒主は女に
どうしようもなく引きこまれるのを感じた。
貴族社会では決して見ることのないタイプ、
背徳の匂いをまき散らす悪の華。
「お上がりください… お話したいことがあります」

女について、離れの間へ。
そこで、女は着物を脱いだ。
はち切れそうな乳房とスレンダーな肢体を前に、
用心深い黒主も、自分を抑えられなくなった。
「話とは… これか」
「言葉よりも、心が通じ合うでしょう」

中年男と、年増女の濃厚なからみ合い。
黒主は、これほど肌の合う女は、生まれて初めてだった。
自分と同じ匂い… 自分と同じ種族…
この女以外に人の気配がしないし、この家はいったい…

果てしのない愛欲の泥沼に浸りきった後、
2人は疲れきって眠った。
黒主の体には、女の髪や化粧の匂いがこびりついていて、
夢の中まで、女を抱いている気分だった。
戸を叩く音がして、目を覚ますと、もう夕方だった。
女が起きようとしないので、仕方なく黒主が起きて、戸を開ける。

武士らしき男が2人と、美しい侍女と下女が数名、
何も言わずに入ってくる。
「おぬしたちは…」
黒主の存在が目に入らないように、おのおの働き始める。
戸締りをし、火をおこし、料理の仕度をして
立派な器に盛りつける。
白米、はまぐりのすまし汁、瓜の漬物、鮎の塩焼き、
白酒といったメニュー。

さすがに女も起きたようで、着物をはおって、大あくびをする。
2人分の膳が運ばれてきて、黒主は女といっしょに食事をする。
この時代、女が男の前でものを食べるのは
恥ずかしいこととされていたが、女はかまわず、
モリモリムシャムシャと、いい食べっぷり。

食後にまくわ瓜を食べ、酒で口の中を洗い流すと、
2人は再び、果てしのない交わりを始めた。
女のあえぎ声を聞きながら、使用人たちはてきぱきと後片づけをし、
いつの間にか、いなくなった。

明け方まで、お互いの体をむさぼり合い、昼まで寝る。
再び無言の使用人チームが現れ、ブランチを用意し、
掃除をして消える。
そしてまた夜になると…

こんな風に、「食う」「寝る」「交わる」の生活が3日ほど続き、
「外出がしたい」
と、黒主が言うと、
「では、これを」
こざっぱりした装束、立派な馬、有能な付き人を用意してくれた。

久しぶりに外の空気を吸った後、他に行くところも
ないので、結局女のところへ帰る。
再び、欲望のまま生きる堕落しきった生活。
まるで麻薬中毒のように、黒主は女の肌なしでは
生きられなくなっていた。
そんな風に、20日ほどが過ぎたろうか。


「私のような女と思いもよらず出会ってしまい、わけのわからない
ことになってしまったとお考えかもしれませんが、これは偶然
ではありません… 運命なのです。
ここまでの仲になった以上、よもや、私の言うことに
イヤとは言いますまい?」
局部を黒主の顔に押し当て、のけぞりながら女は言う。

「私を生かすも… 殺すも… お前の好きにするがいい…」
舌のテクニックを駆使しながら、黒主は答える。
「うれしい… ああああ… うれしいいいーッ」
何度目かの絶頂の後、女は立ち上がって、
「さ、忠友さま。こちらへ…」

黒主を連れ、女は土蔵に入る。
木馬のような拷問台があり、黒主をうつ伏せにさせると、
手足を鎖で縛り、背中をむき出しにする。
「おい… 何を始める気だ」
「この世で最高に楽しいことよ…」

しばらく女は姿を消し… 
やがて現れた時、烏帽子(えぼし)を頭に、水干袴
(すいかんばかま)という動きやすい装束をつけ、
完全に男装した姿だった。
手には革の鞭を握り、興奮に見開いた目が尋常ではない。
「恐ろしい?」
妖しい紅い舌が、鞭をなめ回す。

「恐ろしくはない… だが、その前に忘れていたことがある… 
お前の名前を、まだ聞いてなかった」
女は片肌を脱ぐと、鞭を振り上げる。
「我が名は… 紅蓮(ぐれん)!!」
第1撃が、黒主の背中に。
意識が飛びそうになる激痛に、歯を食いしばり、耐え抜く。

「いかばかりや… 痛いか? 
痛ければ、泣くがいい! 叫ぶがいいッ!!」
雨あられと振り下ろされる鞭の嵐に、必死に耐えて
いるうち、黒主の中で、何かが起きた。
激痛が極限まで達すると、痛みがしだいに、
快感へと変化してきたのだ。
やがて80発を数えたころ、紅蓮は獣のような叫びを上げ、
鞭の柄を股間に押し当て… 立ったまま失禁した。

そのしぶきが顔にかかり、黒主に生気が戻った。
トロンとした目で自分を見下ろす、紅蓮の顔を見上げ、
「これくらい、どうということはない… 
お前が気持ちいいなら、私は満足だ…」
「忠友さま… やはり、私の見こんだ通りのお方…」

またしても無言の召使たちが現れ、紅蓮を着替えさせると、
水に浸した柔らかい布で、黒主の体を丹念に拭く。
2種類の液体を椀に注ぎ、黒主に飲ませる。
「ゲホッ こ、これは何だ?」

「1つは竈中黄土(そうちゅうおうど)、竈(かまど)の土よ。
血管の破れを修復する働きがあるの」
「もう片方はお酢だな… それも上等の… 匂いでわかる」
召使たちが黒主を、柔らかい敷物をしいた寝床に運び、
夜食の用意をする。
鮎のナレズシ、雉(きじ)の干し肉、アケビ、
蘇(そ)までついてる豪華メニューだ。

実際に「蘇」を食べた人の話だと、チーズほどモッチリしてなくて、
口の中でホロホロ崩れる感じらしい。
湯葉の牛乳版、というより湯葉が蘇の豆乳版なのだが、
まあそんな味。
3日ほど休養すると、背中の傷も癒えてきた。
黒主は再び土蔵に連れていかれ、80回、鞭で打たれる。

「どーお? 耐えられる?」
「ああ、問題ない。気持ちよくなってきたくらいだ」
「いい… いいわ、忠友さま…」
またしても数日休養、背中の盛り上がった
腫れが引いたころ、3たび土蔵へ。

今度は前2回とちがい、腹を鞭で打つ。
「どお、これは? 今度こそダメでしょう? もらしちゃうでしょう?」
「ことにもあらず…」
背中は、人体で最も装甲の厚い場所だが、腹はちがう。
腹へのダメージは、下手をすると死につながる
のだが、黒主は耐え抜いた。

「忠友さま、あなたは強い… いいでしょう、合格です」
黒主は知らなかったが、この試験に落第すると、
死が待っていたのである。
3たび休養、そして傷の癒えたころ、紅蓮は黒っぽい
水干袴と立派な弓を取り出し、
「これから、私の説明する場所に行き… 弓の弦(つる)を1度、
うち鳴らすのです。すると、それに答えて弦を鳴らす音が
返ってきます… それが合図」

こうして黒主は、少年時代に決別したはずの、
盗賊の世界に舞い戻ることになった。
すべては小町に対し、卑劣な真似をしたことの報い…


夜もふけたころ、紅蓮が指定した場所に行き、
ピーンと弦を鳴らす。
間をおいて、ピーンという音が返ってきた。
黒主が口笛を吹くと、相手も吹き返す。

ややあってから、「何者だ?」と、闇の中から声が問う。
黒主は、ただ一言、
「侍り(はべり=参りました)」
全ては、紅蓮の指示通りである。

相手が姿を現し、黒主をとある場所へ連れていくと、
そこには自分同様、怪しげな男たちが20人ほど。
全員、紅蓮によってスカウトされ、「試験」に
合格したツワモノたちである。

色白のほっそりした男が、下男を従えて現れ、
集まった者たちに指示を与える。
(あの男が、盗賊の頭なのか…?)
女のような、まつ毛の長い優男で、荒くれ者のパンチ1発で
殺されそうだが、皆いちように、その男を恐れている風であった。