小町草紙(二)





8、 女犯(にょぼん)




翌、仁寿3年(西暦853年)。

この年、全国的に疱瘡(ほうそう)が大流行。
天然痘ウイルスが引き起こすこの病は、高熱を発し、
豆状のブツブツが体の表面のはおろか、内臓に
まで発生するという恐ろしいもの。
有史以来、全世界で何10億人もの命を奪ってきた、
人類の宿敵の1つである。

そんな中、文徳帝は母の順子に半ば強制され、藤原良房の邸
「染殿第(そめどのだい)」へ、花見のため行幸した。
(現在の京都御苑内に、「染殿第の跡」があります)
「死病が蔓延しているというのに、のんびり花など
愛でてる気分ではないな」

良房が帝に貢ぐために仕込んだナイスバディの
千登勢も、満開の桜も、目に入らない。
良房の顔など見るのもイヤ、といった様子の帝である。
「右大臣、そなたも体には気をつけることだ。罪のない
無辜(むこ)の者たちでさえ、いともあっさり死んでいく
昨今、人の恨みにまみれた罪深い者が、どうして
無事でいられようか」

この露骨な嫌味に、良房は、帝との関係修復は
不可能であると悟った。
さて、どうしたものか…

良房が40度近い高熱を発して倒れたのは、
この直後のことだった。
「ほうら、言わぬことではない」
知らせを聞いた帝は、ほくそ笑んだ。
良房が死ねば、惟仁を廃して、静子の
生んだ惟喬を皇太子にできる…


比叡山の円仁の高弟・湛慶(たんけい)は、朝廷からの
命を受け、都を病魔から守る祈祷を行っていた。
今年30才、円仁の跡を継ぐ者として、
すでに名僧の呼び声が高い。
その湛慶に、お呼びがかかる。
「なに? 右大臣が?」

湛慶は7日の間、良房のそばで昼夜を問わず、一心不乱に祈祷。
ついに、良房は全開した。
「ありがとうございます! ぜひお礼をさせていただきたいので、
しばらく当家にてご休養ください」

湛慶は精も魂も尽き果てていたので、
その言葉に甘えることにした。
もし祈祷が失敗し、良房が死んでいたら、これまで
築き上げた名声を、ふいにするところだった。

酒や料理を運んで接待したのは、千登勢だった。
そのナイスバディに、目が釘付けになる。
優しい笑顔は、疲労した湛慶にとっては、観音の化身と思えた。
女に対して、こんな妙な気持ちになるのは、
生まれて初めてである。

18才になる良房の養子・基経が酒の相手をしている時、つい
「あの娘御… どういう素性の方ですかな?」
と、聞いてしまった。
基経は、すべて了解した、という風にニヤリとする。


その夜。
「若さまから… 夜伽を務めるようにと、おおせつかって参りました」
湛慶の寝床に忍んできたのは、千登勢である。
「ちょ、ちょっと! 私はそんなつもりでは… 
これでも御仏に仕える身、それは困る!」

暗くてよくわからないが、千登勢は真っ赤に
なって、オロオロしているようだ。
「そ、そうですよね、私ってば、なんて失礼なことを… 
若さまが、あの坊さまはお前が好きだから、
抱かれてこい、なんておっしゃるものだから… 
若さまの思いちがいですよね?」
室内には、千登勢の匂いがいっぱいに…

「失礼いたしました… どうか、お許しを」
出ていこうとする千登勢の手を、湛慶はつかんでいた。
自分でも、何をしているのかわからなかった。
夜具の上に千登勢を引き倒すと、その胸に顔を埋める。
湛慶は全てを忘れ、1人の男となった。

明け方近く。
「私は、なんということを… ついに破戒してしまった… 
いつぞやのお告げ…」
そう、あのお告げ… 見も知らぬ少女を殺害するという、
凶行を犯してでも仏の道を守り通さんとしたのに… 
全てがムダになった。
人生に勝利したと思った今、こんな落とし穴に
はまってしまうとは…
お告げで知らされた女とは別の女によって、
戒を破ることになろうとは…

「あの、湛慶さま… そんなに苦しまないで。
私も、家の者も、決して口外しませんので…」
その時、湛慶は見た… 千登勢の首すじに走る、醜い傷跡を。
「そ、その傷は… まさか…」
ハッとして、傷を隠す千登勢。

「私も覚えていないのですが… 子供のころ、庭で
遊んでいると… 何者かに鋭い刃物で首を切られ、
血まみれになって倒れていたそうでございます。 
家の者が機転をきかせ、焼き鏝(やきごて)で傷口を焼いて
くれたので、なんとか一命を取りとめたようですが… 
私、そのころの記憶が、まったくないんです」

なんという因縁であろうか…
結局、湛慶は自分の運命を変えることはできなかったのである。
「許しておくれ… 千登勢、許して… 私が…」

泣き崩れる湛慶、事情を聞いた千登勢も、
ただ唖然とするばかり。
「なんという、不思議なご縁なのでしょう… 
どうか顔を上げてくださいまし、湛慶さま」
その優しい笑顔は、湛慶の全てを許していた。

「私とそなたは、よほど強い縁(えにし)で結ばれていた
にちがいない… 私はこれより全てを捨て、そなたのため
だけに生きようと思う。どうだろうか?」
30年間の厳しい修行も、名声も、全て捨て去り、
湛慶は還俗(げんぞく)した。
「還俗」とは、僧侶が一般人に戻ること、「出家」の反対。

良房の許しを得て千登勢を妻とした湛慶は、俗名を
「高向公輔(たかむこ の きんすけ)」と名乗り、
東宮(=皇太子)の御所に仕えるようになった。
後に讃岐守(さぬきのかみ)となり、千登勢との間に娘も生まれる。
(この娘は、吉田神社を創建した藤原山蔭(やまかげ)の
長男・有頼(ありより)に嫁ぐ)

「三代実録」という記録によると、湛慶は東宮御所に務めて
いる時に東宮の乳母と密通し、還俗するハメになったとある。
そのスキャンダルを隠蔽するために千登勢を妻とし、
「不思議な因縁話」をでっち上げたのだと…
なお、鎌倉時代の仏師「湛慶」とは別人なので、そこんとこよろしく。




そのころ、御所では。
皇后明子の、「モノ憑き」の症状が悪化していた。
祈祷のため、「皇位決定戦」では敵方だった、
神護寺の真済が呼ばれる。

真済も、あの一件以来、一族(紀氏)からの
信頼を失っていたので、
「皇后の憑き物を払えば、右大臣の覚えも、
めでたくなろうというもの… フッフッフ」

そんな自己保身から祈祷を引き受けたのだが、
まさか明子に恋する運命になろうとは…
また1つ、男と女の不思議な物語が始まろうとしていた。


7月16日、新羅(しらぎ)の商船に乗せてもらい、
おにぎり頭の円珍が、唐に渡る。
死病が蔓延する中、比叡山としても病魔を調伏する祈祷に、
強い法力をもった法師が、1人でも多く必要な時期であったが… 
湛慶に続き、円珍までが行ってしまった。

比叡山の祈祷パワーが不足してるせいか、天然痘ウイルスの
アウトブレイク(感染爆発)は、収まる気配もない。
「皇位決定戦」の相撲で名虎を倒し名を上げた、
「右近の少将」義男、あっけなく没。
右近の将監だった良岑安貞(^ω^)が昇進し、その後釜となる。

宇治では喜撰法師が… 
綺田(かばた)の集落では、蟹に恩返しされた長者とその娘が…
次々と倒れ、帰らぬ人となった。
亀岡から仕事を求めて都に出てきた金沢武弘も、冷たい骸と
なって通りに転がり、加茂川の川原に投げ捨てられた。

そして小町の父、小野良真も。
葬儀を終え、小町の胸には固い決意があった。
これからは私が、この家を支えていかなければ… 
姉さまを守ってあげなければ…

これまでよりもっと、私の歌を世間に知らしめねば。
今までは断ってきたけど、「歌合せ」にも出てみようかな。
この時代、女流歌人は小町ただ1人。
男たちのゲームの中に、女が1人混ざるというのも、
なんか居心地悪いのだが…



今年もまた、夏が過ぎていった。
「すっかり寒くなったね、ゆっきー」
「今夜もアツアツのタコと大根で、1杯やろうね」
「ああ… そうだね…」

夕陽に染まる秋の浜辺を、3人で連れ立って歩く。
双子の姉妹と夫婦になるという、奇妙な男女関係が
2年半も続いている。
このところすっかり大人っぽく、艶やかになった
2人を、行平は愛おしそうに見つめた。

「どした、ゆっきー? 元気ないね」
「私らの方が蹴鞠うまくなったんで、落ちこんでるんじゃない?」
「なあ、お前ら… 新曲作ったんだけど、聞かない?」
行平は、例の須磨琴を取り出す。

お気に入りの松の木の根もとに腰を下ろし、
行平は心をこめ、琴を奏でる。
妹の村雨は膝をかかえ、行平の横顔をほれぼれと見つめる。
姉の松風は、この曲にこめられたメッセージに
気づいてしまい、涙が止まらなくなった。

「松風…」
「まっちゃん、だいじょうぶ?」
松風は涙をぬぐい、けなげな笑顔を見せた
「ありがとう、ゆっきー… 私、この曲忘れないから。
今日の日のこと、一生忘れないから」

その夜は明け方まで、3人で飲みながら、楽しく語り明かした。


翌朝、行平の姿はなかった。
「まっちゃん、ゆっきーが…」
わけがわからず、泣きじゃくる村雨。
「これでいいんだよ、むっちゃん。きっと、あの人の罪が
許されたんだよ… あの人は、こんな田舎で一生を
終えていい人じゃないもの…」

行平のお気に入りだった松の木に、行平の狩衣(かりぎぬ)と
烏帽子(えぼし)がかけてあった。
松風は狩衣を、村雨は烏帽子を手に取り、
愛おしそうに抱きしめる。
「さようなら、ゆっきー…」


在原行平は、都へと向かう馬上で、手紙を破り捨てた。
双子の姉妹にあてて、残しておくつもりだった手紙… 
別れの歌を記した手紙だった。

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 
まつとし聞かば いま帰り来む


まつ=「松」と「待つ」を掛けている。
「俺は出発するけど、お前らが待っていると聞いたら、
すぐに帰ってくるよ」
だが、現実には戻ることなんかできない、
気休めの嘘でしかない。
「あいつらに、嘘はつけないしな…」

史実では、斉衡2年(855年)に行平が因幡国司として
赴任する際、都の友人たちへの惜別の歌として詠んだらしい。
が、謡曲「松風」では、姉妹への別れの歌として
使用されているので、それに倣いました。