小町草紙(二)





7、 わらしべ




仁寿2年(西暦852年)。

家長である名虎が亡くなり、紀の宗家の財政は苦しくなった。
惟喬が皇位につく望みがなくなったので、
親類の援助も打ち切られた。
「2人とも、ほんとうにごめん… でも、もう
うちでは、お給料払えないんです…」
「いいのよ、親分… でも、気を落とさないでね」
「今まで、お世話になりました。実家に戻っても、
ちょくちょく手紙書くからね、親分」

いよいよ宮中を退出する小野姉妹を、
帝までが、お忍びで見送りに来た。
「2人とも、これまで静子を支えてくれて、ありがとう。
私に力がないばかりに、こんな…」
「おそれおおいことでございます」
「だが、このまま右大臣(良房)の思い通りにはさせぬ… 
いつか、きっと静子を…」

良房の娘・明子を毛嫌いし、愛そうとしない帝に対し良房は、
「ならば、まず静子のことを忘れさせてやろう」
とばかり、次々と美女を召しては、更衣や
女官として、帝に押しつける。
ふつうの男性なら、夢のようなハーレム状態だが…
「このままでは、右大臣に殺されてしまう」
げんなりとした顔つきで吐き出すその言葉が、
やがて現実となってしまうとは…

一方、自分にはなんの落ち度もないのに、一方的に帝から
嫌われる明子も、相当なストレスがたまっていた。
精神的に不安定になり、「もののけ」に憑かれることが多くなる。
心の中に空想の「恋人」を作り出し、
現実から逃避するようになる。
(天神記(一)「染殿后」参照)


門を出たところで、業平が待っていた。
「小町… お互い、大変だな」
業平の本妻の実家が紀の宗家であり、兄の行平が
須磨に流されたことも、新年の人事異動発表で、
業平の昇進がなかったことも知っている。

「もう、あんたも私の顔見ないですむし、よかったんじゃない?」
今でも業平の姿を見ると、胸がキューッと苦しくなる小町だが、
口からは、ついつい憎まれ口が。
「いや… 何かの折に、見かけることもありそうだ」
待機していた牛車に乗りこむのを手伝いながら、
意味深なことを言う業平。

次に、操に手を貸して
「さ、小野の町どのもどうぞ… 
山科についたら、あらためて文など」
「お待ちしておりますわ」
姉妹を乗せ、牛車は出発。

「ね、姉さま… いつのまにアイツと…」
「よっちゃん、業平さまのこと嫌ってるようだったし…」
ニッコリと優しい笑みを浮かべ、
「山科に帰ったら、別々のお部屋に寝るのよ?」

やられた… 裏切られた… 最愛の姉が、
最強のライバルだったとは…



実家に戻ってうれしいことの1つは、かわいい
侍女の千登勢との再会。
「吉子お嬢さま、千登勢はうれしゅうございます」
今年18才、ふわっとした髪、優しそうな目は
変わらないが、すっかりナイスバディになった。
記憶は相変わらず、戻ってないらしい。

小町は、都の貴族の子弟を対象に、和歌の通信教育を始めた。
手紙のやり取りをしながら、添削をするのである。
時には歌の代作を頼まれることもあり、けっこうな収入を得られた。

歌とともに、小町の使う独特な、丸っこい草書体も評判になった。
後に女流歌人の伊勢がこれを広めて、
「ひらがな」として完成させる。
(天神記(二)参照)

しばらくして、姉のもとへ忍んできた業平を、庭で目撃した。
「や、元気?」
とだけ言うと、業平は姉の部屋へ。
なんだかもう、何もかもがイヤになった。
「出家でもしようかなあ…」


そんなある日、なんと右大臣の良房から使者が来た。
小町に、明子の女房として出仕しないか、という誘いだった。
さすがに、親分の静子を裏切ることになるので、
丁重にお断りするが、使者の目は、接待した
千登勢のナイスバディに釘付けになっていた。

それからまたしばらくして、今度は良房自身が
やって来たので、家中が大あわて。
「この娘さんを、ぜひ我が家の侍女にほしい。うちで1年ほど
行儀見習いをした後、明子の世話をしてもらおうと思うのだが」
なんと、千登勢である。

「私、お嬢さまと離れたくないです…」
と言ってくれる千登勢はかわいいし、手離したくはない。
が、千登勢の将来とか幸せを考えた場合、
こんなチャンスは2度とないかもしれない。

「人生で1度くらい、華やかな世界を経験してみるのも
いいんじゃないかな? つらくなったら、いつでも帰って
くればいいんだし、行ってみれば?
そのかわり、都で見たこと聞いたことを、
こまめに手紙で送ってちょうだい」

こうして、千登勢は良房の邸へ行くことに決まったが、
「その前に、最後に2人で旅行しない? ちょうど、長谷(はせ)
観音にお参りしようと思ってたところなの」
「ええっ いいなー、おねえちゃんもいっしょに行きたいな」
「姉さま… ナリヒラと行けば?」
「(;_;)…」



牛車にゆられ、千登勢と2人、大和の長谷寺へ。
「それにしてもあんた、胸とか腰とか、ふくよかに
なったねえ。ちょっとさわってもいい?」
ナイスバディなキャラが出た時のお約束、
胸とかポニュポニュもんでみる。
「お嬢さまっ そ、そこは… らめっ…」
「あれ?」

小町は千登勢の首すじに、あるものを見た。
「はっ」
気づいた千登勢は、あわてて髪を垂らし、そこを隠す。
小町は、ものすごく気になったが、恐らく千登勢にとって、
触れてほしくないところなのだろうと思い、それっきり
忘れることにした。

巨大な木造の観音像で有名な長谷寺は、山の中腹にある。
駅は谷を挟んだ向かい側にあり、地図で見ると駅から
近そうだが、いったん下りてまた上るので、けっこう歩く。
ちょうどこのころから、都の貴族の参詣が多くなり、その評判は
しだいに庶民層にも広がって、150年ほど後の清少納言の
時代には、参道に行列ができるほどの賑わい。
(清少納言はその行列を見て、「蹴り倒してやりたい」
と書き残している。)

長谷寺 公式サイト http://www.hasedera.or.jp/

「うわー でか…」
「奈良の大仏さまも大きいですけど、こちらは
立ってらっしゃいますからねえ」
広い本堂に入って、まず観音さまを拝む。
すると、片すみがどうも騒がしい。

「あなた、粥(かゆ)でも差し上げるから、とにかく
こちらにいらっしゃい」
「もう7日間も、こうして本堂にこもってるではないですか。
死んでしまいますよ」
寺僧たちが、1人の男を取り囲んでいる。
「いやだ! 観音さまが、俺を金持ちに
してくれるまでは、動かねえ!」

わめいているのは、ボサボサ頭の若い男。
「それとも何か、ここの観音さまは、その程度の
こともできねえのか?」
「だまっらしゃい! 罰当たりが!」
「そんなに金がほしかったら、働けばよろしい!」
「何言ってやがる! 俺たち庶民はな、働けば働くほど
貧乏になっていくんだよ! そういうのを「働き貧者」って
いうんだ。バカらしくて、やってられるか!」

寺僧たちは、ほとほと困り果てた。
多少の銭をやって、追い出そうか… 
でも、そんなことをしたら、貧乏人たちが次々と…
その様子を見ながら、小町たちも眉をひそめる。
「やーね、下々の者は、これだから…」
「気持ちはわかりますけど、あんなこと言っても、
どうにもならないのに」

「どうしても金持ちにしてくれないっていうなら、
俺はここで飢えて死んでやるさ!」
「うるさい」
鈴が鳴るような、しかし氷のように冷たい声が響いた。
「え?」
「ここは、心静かに御仏を拝む場所です。だまりなさい」

男の目の前には、かつて見たことも
ないような美少女が立っていた。
まるで人形のような、愛らしいが冷たく威厳のある顔立ち、
血が通ってるとは思えない雪のような白い肌、
極上のシルクのような長い髪。
男は、思わずひれ伏した。
人間の娘のわけない… 天女か、観音さまの使いにちがいない…

「寺の門を出て、最初につかんだものを、離さずにもっていなさい。
そうすれば、お金持ちになれます」
「ま、まことでございますか!? ありがとうございます!」
涙にむせびながら、男はそそくさと出ていった。
美少女は、冷たい笑みをかすかに浮かべ、それを見送る。

「高子さま、助かりました…」
「どうぞ、こちらで菓子など」
寺僧たちに礼を言われた美少女は、
「そう? では、あの方たちもごいっしょに」
と、自分らを指さすので、小町はびっくり。


別室で、菓子と果物の接待を受ける。
「小野小町… と、今度おじさまのところにいらっしゃる子ね。
私は伊予守(いよのかみ)・藤原長良(ながら)の娘、
高子(たかいこ)です。仲良くしてくださいね」
今年11才になる高子、小町たちには、
天使のような優しい笑みを見せる。

「お父さまは今、住職さまとお話中ですが… 
帰りは私たちと、ごいっしょしませんか?
私以外は男の人ばかりで、つまらない道中だったの」
小町は久々に、自分より美しいと思える
存在に出会った気がした。
高子を前にすると、少女時代の劣等感がよみがえってくるようだ。

「あの、高子さま… 先ほどの、最初につかんだ
ものをもっていれば… ってお話は…」
高子はほんの一瞬、なんてバカな質問を
するんだという目で小町を見たが、
すぐに鈴を転がすような声でクスクス笑い、
「ウソよ」
ああ、なんて可愛い声、そしてなんという悪魔的な
少女だろうと、小町は身震いした。


帰りは高子といっしょに、豪華な車に乗せてもらう。
本来なら使用人である千登勢が乗っていい
車ではなかったが、高子の特別な計らい…
というか我がままに、長良は逆らえなかった。
高子は頭の回転が速く、時に態度のでかい時もあったが、
話していておもしろかったし、小町や千登勢にすっかり
なついたので、車内は楽しく、和やかだった。

都へと向かう街道で、高子がふと、のぞき窓の外に目をやると、
「あら」
「なんですか?」
小町が見ようとすると、高子は扇を広げ、視界をさえぎった。
「見苦しいものが、道に落ちてましたの… 
見ない方が、よろしいですよ」

しかし、千登勢はチラッと見てしまった…
道に倒れた、若い男の死体を。
例の、「働き貧者」である。
飢えが極限に達し、行き倒れたのだろう。
その手には1本のわらしべを、しっかりと握りしめて…



この年、暑苦しい学者で漢詩人の都良香(みやこ の よしか、19)
が、菅原道真(すがわら の みちざね、8)の家に出入りする
ようになる。(天神記(二)「都良香」参照)

12月22日、やはり学者で歌人の小野篁(おの の たかむら、51)
が没する… と見せかけ、実は秘密結社「久遠(くおん)の民」の
メンバー、六白金星(ろっぱくきんせい)として、新たな生を生きる。

※奇怪なエピソードが多い小野篁については、日本魔史第3部
(飛鳥・奈良・平安初期編)で詳しく紹介する予定。
また、「小町は小野篁の孫」という説もありますが、
年代が合わないので却下しました。