小町草紙(二)
6、 松風
なんという、恐るべき法力であろうか。
巨漢の名虎が、突如激しい頭痛に襲われ、
小柄な義男が、突如怪力を発する。
恵亮の遺体の運び出しを手伝いながら、真済は慄然としていた。
後に恵亮の功績を称え、比叡山西塔に
「恵亮堂(えりょうどう)」が建てられる。
義男は、名虎に押さえこまれてからの記憶がなかった。
失神していたのだろう。
名虎は荷車に乗せられ、邸へ運ばれたが、
まもなく血を吐いて死亡。
(史実では「御位争い」の3年前に没してるようですが…
史実より伝説優先)
小町と操は、ショック状態の静子を支えて、御所へ戻った。
私たちが御殿に住める日は、もう来ないだろう…
と、小町は思った。
11月、惟仁親王が立太子。
これに対し不満の帝は、天皇の住居である正殿を出て、
嵯峨上皇が造営した離宮の冷然院などで生活、
内裏に戻ることはほとんどなかった。
一種のプチ家出である。
また、皇位決定戦の会場警備を担当していた左近の
少将・在原行平(ゆきひら)は、死者2名を出した責任を
問われ、須磨(すま)に蟄居(ちっきょ)の処分。
蟄居とは謹慎のようなもので、許しが出るまで家に引きこもり、
おとなしくしていなければならない。
弟の業平も、この年以降、昇進がピタリとストップ。
いずれも、右大臣・良房と皇太后・順子の、兄妹の差し金だろう。
在原兄弟は人気がある上に有能、血筋もよい。
兄弟が紀氏に肩入れして、惟喬を応援していたのは
明らかだし、惟仁のためにも、2人を政界の中央から
遠ざけておきたかったのだろう。
この年、円仁が現在の岩手県に、中尊寺と
毛越寺(もうつうじ)を創建したそうだが…
このころの円仁は、まだ比叡山にいると思うんだけど…
有名な金色堂ができるのも、歴史上で重要な
役割を果たすのも、もう少し後である。
中尊寺 公式サイト http://www.chusonji.or.jp/
毛越寺 公式サイト http://www.motsuji.or.jp/
嘉祥4年(西暦851年)、第55代・文徳天皇の御世。
4月28日、仁寿(にんじゅ)と改元。
須磨の浜は、現在の神戸市須磨区。
我々にはまだ、あの「少年A」の忌まわしい事件の記憶が
生々しいが、古代より美しい砂浜で知られ、罪の軽い
流人を流す、近場の流刑地でもある。
業平の兄・行平(ゆきひら、33)は、この地の
長者の家で、謹慎処分中の身。
ある日、行平は暇にまかせて砂浜を散歩、いつになく
遠出して、疲れたので浜辺にゴロリ。
「風が気持ちいいなあ…」
ウトウトしていたのだろう、目を開けると…
2つの顔が自分をのぞきこんでいる。
「お。生きてるよ、こふじちゃん」
「生きてるね、もしおちゃん」
「んん…?」
「死んでたら、着物をいただこうと思ったのにね、こふじちゃん」
「きっと、いい値がついたろうにね、もしおちゃん」
「な、なんだ… お前たちは」
身を起こすと目の前には、ソックリ同じ2つの顔…
タレ目、タヌキ顔の愛くるしい2つの顔が。
小麦色の肌、陽にさらされ茶色くなったサラサラの髪、生き生きと
輝く瞳、ニカッといたずらっぽい笑みを浮かべた口元…
都では、決して見ることのないタイプの娘たちだった。
「お前ら、双子の追いはぎか?
よーし、捕まえて役所に連行しちゃる」
キャーッと叫んで、双子は海へ逃げる。
波打ち際で、バッと着物を脱ぎ捨てると、腰巻1つになって
17才のまぶしい裸身をさらす。
「おっちゃ−ん! 捕まえられるもんなら、捕まえてみ!」
「ここまでおいで〜〜〜〜!」
そのスラリと伸びた手足に、思わず見とれてしまった行平だが、
「よーし!」
自らも装束を脱ぎ捨て、フンドシ一丁になると、海へ飛びこんだ。
海水浴の習慣のないこの時代、ふつうの都人
だったら、海に入るような経験は一生ない。
「あぶっあぶっ」
じゅうぶん背が立つ浅瀬だが、波にもまれ、溺れかかる行平。
「ぎゃはははははははは!」
「だっせー!!」
命からがら浜へ戻った行平、いまいましげに双子をにらむ。
「それじゃあね! おっちゃん」
「別れがつろうございますなあwww」
ウキャウキャ笑いながら、双子は海に消えていく。
人間がここまで巧みに泳げるとは… 行平は目を見張った。
「あやつら… もしや、ほんとうに竜宮の使いでは…」
長者の家に戻った行平は、なんとかあの双子を
捕まえたいと思い、策を練った。
部屋には、暇つぶしに浜から拾ってきた
大小の木片が並べてある。
その中から、とりわけビッグサイズな木片を選ぶと、
小刀で工作を始めた。
薄く削って穴を開け、冠の緒を張って弦にする。
葦の茎を削って爪を作り、弾いてみると、
ベンベンベンと音がする。
シンプルな、一絃の琴のでき上がり。
これを須磨琴という。
須磨琴保存会 公式サイト
http://www.sumadera.or.jp/itigenkin/index.html
翌日、琴をもって双子に会った浜に出かけると、
腰を下ろし、即興で弾き始めた。
自分のミスでもないのに、こんなわびしいところに流され、
都にいつ帰れるのかもわからない。
そんな境遇を思いながら弾いていると、だんだんと
哀しい調べになってくる。
双子の姉妹が現れ、遠くから見つめている。
気がつかないフリをして弾き続けると、10mほど離れて、
2人並んで腰を下ろし、聞き入っている。
行平は目を閉じ、ひたすらに演奏を続け…
いつしか、姉妹が両脇から、行平に寄り添うように…
ベン!
行平は、琴を下ろした。
姉妹は、目に涙を浮かべ、
「いい曲や…」
「心にしみるなあ…」
行平は、両手を姉妹の肩に回し、
「捕まえた! お前ら、俺んとこ、来ないか?
正直、惚れた。お前らみたいな娘は初めてや」
「いー!? おっちゃん、それ愛の告白か?」
「よーし、おっちゃんの愛が本物かどうか、試したるわ」
姉妹は目を合わせ、ニヤリとする。
「私が、姉の”もしお”」
「私、妹の”こふじ”」
2人は、行平に目かくしすると、その周りを
グルグル回り、再び両脇に座る。
「さあ、私は誰?」
「誰でしょう?」
左右から、ステレオのようにさえずる姉妹の顔を見比べ、
「眉が勝気なお前が”もしお”、口をとんがらす
癖のあるお前が”こふじ”」
双子、あぜんとする。
「た、ただ者やない…」
「どこの、どちらさまで?」
「私は左近の少将、行平という者。ま、今は流人の身だけどな…」
「あ、あなたが…」
「行平さま…」
「そなたらの親御さんに、あいさつがしたい。
娘さんをゆずってくださるように」
「そんな方とは、つゆ知らずっ」
「ご無礼をいたしましたっ」
双子は、行平の前にひれ伏す。
「私どもの父は、多井畑(たいはた)という村の、
村長(むらおさ)でございます」
「どうか、父にはお咎めのなきよう…
全ては、私どもの罪でございますれば…」
行平は、あっけに取られ、
「お前ら、急にそんな堅苦しくなるなよ…
さっきも言ったように、俺は流人。
ここは都から遠く離れた竜宮城、お前らは乙姫。
身分なんか忘れて、楽しくやろうよ」
「いえいえ、そんなわけには」
「参りません」
「俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ!
かしこまるの禁止!」
「ほんとに、それで…」
「よろしいのでしょうか?」
「いーの、いーの」
双子は顔を見合わせ、
「じゃ、”ゆっきー”って呼んでいい?」
「なんでそうなるんだよ(´Д`;)」
ゆっきーは村長に会い、双子の娘を妻としてもらい受けた。
「ね、ゆっきー! 都のお話して! 小野小町って、どんな人?」
「ゆっきー! 私たちに何か都っぽい、かっこいい名前つけてよ」
「うーん… じゃ、もしおが”松風”、
こふじが“村雨”… で、どう?」
「イカす! みやびだね、もしおちゃん!」
「都の人みたいだね、こふじちゃん!」
「松風さま」
「村雨さま」
「きゃはははははははは!!」
夏が来て、行平は泳ぎを覚えた。
陽に焼けるのもかまわず、ビーチを走り回って、
双子とたわむれる。
「待てよー」
「うふふふふ(はぁと」
「つかまえてごらんなさーい」
夏の終わり、夕方になると風が冷たい。
3人で砂浜に寝転んでいると、不意に、松風が言った。
「ずーっと、こうしていたいね…」
「そうだね…」
村雨が、行平の顔をじっと見て、
「でも、ゆっきー… いつか、都に帰っちゃうんだよね?」
一瞬、沈黙… 行平は、空を行くカモメを見つめ、
「一生… 帰れないかもな…」
明日のことなんて知らない。未来なんて信じない。
松風・村雨とすごす今、この一瞬だけが、自分にとっての真実。
この夏は、永遠に終わらないと思っていた…
この年、円仁が比叡山に常行三昧堂を建立、本尊の
阿弥陀如来像の後ろの戸の奥に、真のご本尊として、
異国の魔神・摩多羅神を祀った。
(将門記(一)「摩多羅神」参照)
遍昭が円仁に弟子入り、本格的に密教を学び始める。
藤原良房、おにぎり頭の怪僧・円珍の
スポンサーとなり、渡唐に協力。
常陸(ひたち)の国(=茨城県)で、とんでもない
祭りが始まったのが、この年。
ハレー彗星と同じ周期、72年に1度開催されるという
金砂神社の磯出大祭礼、第1回開催。
日本の雅楽を大成した尾張浜主(おわり の はまぬし)、
119才で没。