小町草紙(二)





5、 祈祷合戦




9月2日、後に北野天満宮の境内となる
「右近の馬場(うまば)」にて。
「都の皆さま、ついにこの日がやって参りました。
皇太子となるのは、お2人の皇子のどちらか? 
皇位決定戦・運試しの神事、第1の種目、競馬(くらべうま)
10番勝負、いよいよ開始です! それでは、選手入場!」

2台の豪華な牛車が乗り入れ、1台から惟喬親王(7)、
もう1台からは惟仁親王(1)を抱いた少年が降り立つ。
神事用の白馬を囲ってある「埒(らち)」という柵が
開けられ、2人の馬子が馬を引いてくる。
「埒があいたぞ! いよいよ、皇太子が決まるな」
観客から、興奮した声が上がる。
「埒があかない=物事が解決しない、決まらない」
の語源はこれだ。


「惟喬サイド」の客席で勝負を見守るのは、紀名虎、
その長男・有常(ありつね)、有常の娘・信夫(しのぶ)
&在原業平の夫妻、帝と静子、小野姉妹もいる。
(小町は、業平と顔を合わさないよう、静子の陰に隠れている。)
彼らの前で、もうもうと煙を上げる護摩を焚き、
一心不乱に祈る真済と、もう1人…
顔を覆面で隠した、なんとも怪しい僧。

「お父さま、あの方は?」
「あれこそ、我らの秘密兵器… 孔雀(くじゃく)三郎
と申す妖術師、ワシの隠し子だ」
「えええっ? ということは、私のお兄さま?」
一郎(長男)が有常、二郎(次男)が喜撰(きせん)法師、
三男がこの男というわけか。

惟喬はまだ7才、馬に乗ってレースをするなんて… 
と恐がっていたのだが、昨夜、真済と孔雀三郎に面会し、
「我らが、宮さまの身の安全と勝利を祈祷しますので、
絶対に大丈夫です」
と、暗示をかけられていた。


一方の、「惟仁サイド」の客席では… 
心配そうに見ている順子と明子、良房と妻・潔姫(きよひめ)。
「兄さん… 基経(もとつね)さん、大丈夫でしょうね? 
もし、惟仁を落としたら…」
良房の甥にあたる基経15才、跡取りのない良房の養子となった。
「あいつは必ず、やってくれる… 最愛の妹の前で、
ヘマはしないだろうよ」
潔姫の膝の上には、9才になる人形のような
少女が、ちょこん… と、座っている。

こちらのサイドでも、もうもうと護摩を焚いて
比叡山の恵亮が、鬼気迫る祈祷をしていた。
目が真っ赤に血走り、ただ者でない形相の法師で
すさまじい迫力がみなぎる。
(ありゃ人間というより、ほとんど鬼だな… 
応援を呼んでよかった… 優等生の真済1人では、
とても太刀打ちできぬわい)
名虎をして、そう思わしめるほどの恵亮である。


ギャラリーの中には、出家したばかりの遍昭と
連れ立って、歌人の文屋康秀の姿も。
「遍昭どの、始まりましたぞ!」
「無茶だ… 赤ん坊と、7才の子供の競馬だなんて…」
「おっ 速い! 惟喬さま、速い!」

真済と孔雀のダブル祈祷によって、落馬の恐怖を
忘れた惟喬は、母譲りの猛虎の性質が目覚めたか、
大人たちが驚くほど、思いきりよく馬を飛ばす。
直線のみのコースなので、スタートした後は
ブレーキをかけずに、しがみついてるだけ。
ゴールすれば、後は大人たちが馬を止めてくれる。

一方の少年基経は、泣きじゃくる赤子を片手に苦闘していた。
赤ん坊には、祈祷(催眠・暗示)は通用しない。
赤ん坊が恐怖で泣き叫べば、基経の集中力が
落ちて、基経自身も暗示にかからない。
しかも、この子を落としたら、たぶん命をもって償う
ことになるだろうし、スピードは出せないのだ。

たちまち、惟喬の3連勝。
「恵亮さま! 祈祷がまったく通じないではありませんか!」
いつもはおっとりして、癒し系の仮面をかぶっている順子だが、
このピンチに、きつい本性を表してしまう。
「あちらは祈祷師が2人、こちらは1人、あまりにも不利です…」
「仕方ない、策を使いましょう」


恵亮は、法具一式と護摩壇をもって、姿を消した。
「お、敵方に異変が… 恵亮さまは
どうなされたのでしょう、父上?」
「こいつはいいぞ、有常。祈祷が役に立たんので、
お払い箱になったのだろう(笑)」
第4レースも、惟喬が制した。

「あと1勝で、負けはなくなる。2勝で惟喬さまの勝利確定…
ん? 孔雀どのの姿が見えませんが」
業平の言葉に、一同はキョロキョロ、孔雀の姿を探す。
「あの… 先ほど、お帰りになったようですが… 
敵方の祈祷師がいないのに、2人で祈祷しなくても
いいでしょうと、おっしゃって…」
操が報告すると、静子は青くなった。

「こまっちゃん、追いかけてつかまえて! 
真済さまだけでは、ちょっと心配だし」
「失礼な! あんな怪しげな御仁がいなくとも、
私1人でじゅうぶんですよ!」
真済の抗議を無視して、小町は孔雀を探しに出た。
業平といっしょの場にいるのが、息苦しかったから…

なのに、森の中で…
「待ちなさい… これにお乗りなさい。
ふだん歩かない人が、足を痛めますよ」
業平が、馬を引いて現れた。
「うん…」
業平といっしょにいるのは苦痛だが、それ以上に
どこを捜したものやら途方にくれていた。
何も言わず、馬に乗せてもらう。


一方、基経は良房に連れられ、馬場から離れた木立の中へ。
そこでは、姿を消したはずの恵亮が護摩を焚いて、
一心に祈祷しているではないか。
「恵亮さまの姿が見えなくなれば、敵方は必ず油断する…」

馬場に戻ると、なるほど「惟喬サイド」の祈祷僧は、真済ただ1人。
1対1なら、恵亮さまの法力が上…
しかも、赤ん坊も馬上の揺れに慣れたのか、泣かなくなった。
よし… 勝機は我にあり!
第5レース、ついに基経WIN!


馬場の周辺の森は放牧場になっており、乳牛が
飼育され、「乳牛院」という役所もある。
のんびり草を食む牛どもを、馬上から眺めつつ、
小町はつい、つぶやいてしまう。
「牛の乳って、どんな味がするんだろう…」

むすっとした顔で、小町と必要以上に話したくない、
といった感じで馬を引いていた業平だが、
「生臭いですよ。蘇(そ)や醍醐(だいご)に
加工すれば、いける味ですが。
私は腹をこわしましたね」

「そうなんだ… でも、精がつくというし、何人も女性をかけもち
するような殿方には、きっと必要な薬なんでしょうね」
別に悪意はないのだが、イヤミがナチュラルに
さらっと出るのが、小町である。
「多くの女性と恋をしても、決して遊びではなく、
常に真剣な恋をする男もいるのです。
あなたには決して理解できないでしょうけどね」

再び、気まずい沈黙となって…
「あ! あそこ… あの方じゃありません?」
牛とたわむれている、孔雀らしき法師を発見。
「おや… 覆面を外してるな」

声をかけると、孔雀は困りきった顔で
「いやー、もうカンベンしてほしいですな… 
法師の姿をしていても、祈祷は苦手なんですよ…」
「あなたは、もしかして…」
いぶかる業平の背後から、声がかかる。

「孔雀三郎とは、世をしのぶ仮の姿。
あなた、宇治の喜撰法師でしょう?」
姿を現したのは、遍昭と文屋康秀の2人連れ。
「お噂は、かねがね… 世を捨て、歌と風流に
生きていらっしゃるとか」

「遍昭さま、どうしてここへ…」
目を潤ませる小町、康秀はまったく視界に入っていない。
康秀、(´・ω・`)ショボーン

「この時代を代表する歌詠み6人が、ここに集結したわけですな」
いつからいたのか、猿のように身軽に
木の上から飛び降りてくる男。
「あんた… 大伴黒主か!」

「黒主…?」
小町は黒主をひと目見て、うさんくさいイヤな感じがした。
かつて自分を人質にとった盗賊と、どこか似ている…

「ところで皆さん、かつて不思議な玉を
見た経験はありませんかな?」
不意に、妙なことを言う黒主、しかし…

「玉? そういえば…」
「見た見た!」
「見たな」
「見ましたね」
「見たら、なんだっていうの?」
「やはり… どうやら我ら6名が、天に選ばれた六歌仙らしい…」

作者自らつっこみますね。
「オイオイ、八犬伝じゃないっつーの!」
でも六歌仙が集結して、悪と戦うような物語もおもしろいかもね。
ハッ もしかして… 六歌仙て、戦隊モノの元祖?

喜撰法師=司令長官
僧正遍昭=レッド
在原業平=ブルー
大伴黒主=イエロー(というより、ブラック?)
文屋康秀=グリーン
小野小町=ピンク

「そんなことより! 喜撰さま、いっしょに来て
くださいまし。親分の命令なので」
「はあ…」
ピンク、司令長官を引っ立てて馬場に戻る。
すでに基経が5連勝、王手をかけていた。

「こまっちゃん、おそいよお… あれ、その人… 
ん? んんん〜? あ! ああああッ」
孔雀の素顔を見て、はるかな記憶が甦ってきた静子、
がっくりうなだれる。
最終レースも基経が取り、6勝4敗で
「惟仁サイド」の勝利となった。


「第2の種目、相撲! あーッと、一の宮(惟喬)陣営は、
一族の命運をかけ、右兵衛督(うひょうえ の かみ)・紀名虎、
自ら出陣だーッ なんという体、まさに巨大な筋肉の山! 
これが70近い老人の肉体なのか!? 信じられませんッ」

真済の祈祷が頼りにならぬと見た名虎、
スタンバイしていた自陣の力士を一撃でKO、
「ワシが出るッ 他人をあてにしたワシが愚かだった!」
「お父さま、絶対に勝って! 惟喬を皇太子にして!」
「心配するなッ ワシが出る以上、祈祷など関係ないッ 
どんな相手だろうと投げ殺してくれるわッッ」

一方の、「惟仁サイド」の力士は… 
右近の少将・義男という小柄な男。
スピードとテクニックには定評があるが、いかんせん、
名虎とはウエイトがちがいすぎる。
実はこの男、恵亮が夢のお告げで選んだのだが…

「これは、さすがに無理だろう… 相撲で敗れると1対1、
第3の種目で勝負か…」
良房も、あきらめ顔である。
「恵亮さま、なぜあのような男を… もっと体の
大きい者が、いくらでもいるのに」
恵亮は再び、「惟仁サイド」のギャラリーの前に
陣取って、護摩を焚いている。
「義男は私が選んだ男。この命に代えても、必ずや勝利を!」

と言ってる間に、大きく投げられる義男、
しかしなんとか受身を取る…
が、間髪を入れず、名虎の巨体がのしかかり、押さえこむ。
(現在の相撲とちがい、KOかギブアップするまでのリアルファイト)
「参ったと言え! 言わねば、首の骨を折る!」

小町は、こういうのは苦手なので、顔をそむける。
操は、静子といっしょになってエキサイト。
「やれー! 折っちまえー!」
「いっけーッ お父さま、ゴーゴー!」

「エヤアアアアアアァッ」
奇声を発したのは、恵亮である。
「独鈷(とっこ)」という両端が尖った法具で、自らの頭を
叩き割ると、血と脳味噌を、護摩の炎にブチまける。
炎は、異様な真紅に燃え上がった。

「グアアアアアアーッ」
今度は、名虎が頭をかかえ、絶叫。
義男は、自分の3倍はありそうな名虎の体を
かかえ上げ、投げつける。
名虎は、その体重をモロに首で受けてしまった。

「いやあああああっ お父さまああッ」
静まりかえった会場の沈黙を、静子の絶叫が切り裂く。