小町草紙(二)





4、 御位(みくらい)争い




嘉祥3年(西暦850年)、9世紀もいよいよ半ばである。

皇太子・道康親王の更衣、明子は身ごもっていた。
藤原良房の愛娘で、政治的な計略で皇室に嫁いだ
明子は、まだ恋というものを知らない。
今年22才だが、幼いころから霊感が強く、
夢見がちで、ぽやーっとしたところがある。

そんな明子とはいえ、皇太子から、こんなことを
言われたのは、さすがにショックだった。
「太皇太后さま(嘉智子)が、そなたを抱けというから、
仕方なく抱いてやる。だが、覚えておけ。この道康が
愛する妻は、静子ただ1人だ」

仕方なくでも、妊娠はする。
皇子を産むことが明子の第一の使命だっただけに、とりあえずは、
「良かった… お父さまも喜んで下さってるし… 
これで、男の子が生まれれば」
明子の安産を祈願するため、良房がスポンサーとなり、
洛西の大原野に十輪寺が創建される。

十輪寺 観光サイト 
http://www.webtown-kyoto.com/cgi/websys.cgi?SM=spot&ID=78
ここは後に、在原業平が最期を迎える寺で、通称「業平寺」。



仁明帝は年明け早々、病に臥せっている。
皇太后、つまり先帝の妃である正子が、
双子の兄の帝を見舞った。
「今度ばかりは、私の調合した秘薬も効かぬようだよ。
それより正子… お母さまのところへは?」
帝だけでなく、母の太皇太后・橘嘉智子も体調不良を訴えている。

正子はすでに髪を落とし、尼の姿になっていた。
「あんな鬼婆、勝手に死ねばいい… どんな死に様を
さらすのか、見届けてあげるわ」
8年前の「承和の変」で、わが子を追い
落とされた恨みは忘れない。
「そういうと思った… お母さまから、お前に… 
我が死に様を、しかと見よ、と… 伝言が…」

「へえ、何か面白い死に方をしてくれるの? 
裸踊りしながら死ぬとか?」
帝は優しく笑みを浮かべ、首を振った。
「お前は、わかってるはずだ… お母さまには勝てないと…」
「…お兄さま、私帰るわ。お大事にね」


3月21日、仁明天皇、御年41才にて崩御。

その4日後の25日、明子は男子を出産。
良房、思わずガッツポーズ。
この赤ちゃん… 源頼朝や義経、足利尊氏や
武田信玄のご先祖さまです。
まさに、ルーツ・オブ・サムライ… 
にしては、実に弱々しく、無事に育つのかどうか?


小町は、敬愛する帝の死のショックも醒めない内に、
さらなる衝撃に襲われる。
それは、良岑宗貞の身に関すること…

業平に捨てられた今、小町の心は、急速に宗貞に傾いていた。
手紙のやり取りも頻繁になり、もし誘われたら… 
宗貞さまなら、夜をともにしてもいい…
もし誘われたなら… いえ、誘って欲しい!


昨年、年の瀬も押しせまったころ、小町は宗貞とばったり会った。
周りに、人はいない。
宗貞は、部下の業平が激しく拒絶されたことを知っており、
やっぱり小町は業平が嫌いなのか、それじゃあ私が
アタックしてみようかな、みたいな軽いノリで言うと、

「宗貞さま!」
小町が、胸に飛びこんで来た… 
しかも、ワンワン泣いている。
宗貞は、ようやくわかってきた。
どんな女性でもツンデレの気質はあるものだが、
小町の場合、「ツン」が強すぎるのだろう。
異常に高いプライドは、少女時代から心の
底にある、コンプレックスの裏返しなのだ。

「業平の誤解を解いてやりたいが、あいつも気まぐれだし… 
なんというか、恋のさすらい人のような男だからな。
心がいったん離れたら、戻ってくることはあるまい…」
「離れたい人は、どこでも勝手に行けばいい。
戻ってきてほしくなんか、ありません!
私には、歌が恋人ですから… 歌が… 
宗貞さま、これからも… 私に…」
顔を赤らめ、宗貞を見上げる。

「私に… 歌を、ご指導していただけませんか…」
これが、小町にできる精いっぱいの誘いだった。
(やれやれ、業平の替わりか…)
苦笑する宗貞、だが、そこは大人の男である。

「はいはい、いいですよ… でも年始年末は宮中の行事が
いろいろあって、お互い忙しいでしょう。正月明けに、
よろしかったらお邪魔させていただけますか?」
「狭苦しいとこですけど… お待ちしております…」
消え入りそうな声で答えると、2人は別れた。

部屋に戻ると、さっそく姉に
「姉さま、来年からもう1つ局(つぼね)もらって、別々に寝ようか」
操は、目をウルウルさせ、
「よっちゃん… お姉ちゃんのこと、永遠の恋人って…」
「お世辞を真に受けるなんて、都に出て何年になるの、
おのぼりさん? 少しは成長しなよ」

などと言ってるうちに正月は明けたが、今度は帝の病が
重くなり、色恋に浮かれる雰囲気ではなくなった。
宗貞は蔵人頭=天皇の首席秘書官、小町は更衣
=天皇の身の回りのお世話係。
同じ職場なので顔を合わせることもあるが、
話す話題は、帝の容態に関することのみ。


そして帝の崩御から7日後の3月28日… 
1人の僧侶が、小町の局を訪ねた。
「何の御用でしょうか?」
「私だよ、私。頭がツルツルになってしまったけどね」
「え… 宗貞さま? 出家… されたんですか…」
ぼうぜんと、立ちつくすしかない。
仏の道の入るということは、俗世間を捨て去ること… 
もちろん、恋も。

「新しい名前は、遍昭(へんじょう)というんだ。帝には
ほんとうに目をかけていただいた…
皇太子時代は、いっしょによく遊んだしね。
私もいい年して、うわっついた暮らしをしてきたが、
これからは帝の霊をお守りして、生きてゆこうと思う」
「遍昭さま、ですか… ずいぶん言いやすい
お名前になりましたね…」
さわやかに笑って見送るしかない、小町であった。

さようなら、私の恋…



4月17日、道康親王が24才で即位。
第55代・文徳(もんとく)天皇である。

小町と姉は、仕えるべき主を失い、本来なら
宮中を退出するのだが、
「山科に引っこむのは、まだ早いんじゃない? 
もう少し、つき合ってよ」
と、「女房」として引き取ってくれたのは、文徳帝の更衣・静子。
「女房」とは女性の高級使用人で、時には
秘書や家庭教師なども兼ねる。

「おのまっちゃん、こまっちゃん、狭いとこですが、どうぞ」
帝の更衣とはいえ、静子はいまだ、渡り廊下の
集合住宅である「町」住まい。
1つの局(つぼね)に、女3人で住むので、ぎゅうぎゅうである。
「本当なら、御殿住まいだったのに… 
あの人(明子)に、御殿を取られちゃったからね」
「親分、お世話になります」
小野姉妹は、姉御肌の静子を昔から、「親分」と呼んでいる。


ある日、静子が実家に宿下がりする日、
小野姉妹も連れていった。
「お父さま! この方たちが」
「噂に高い、小野さんとこの美人姉妹ですね! 
うちのしずちゃんが、お世話になってます」
凶悪な人相にユルユルの笑顔を浮かべ、静子のパパりん、
紀名虎(き の なとら)が挨拶をする。

「惟喬(これたか=静子の生んだ男子)が皇太子になれば、
さすがに局住まいってことはないでしょ。御殿をくれると
思うから、そうなれば2人にも、もう少しゆったりとしてもらえる」
「いいのよ。私たち、親分と丸まって寝るの好きだから〜」
「親分、いい匂いがするのです」
2匹の美しい猫になつかれてるようで、静子も悪い気はしない。

菓子や果物で2人をもてなした後、いつも通り、
7才になる愛息・惟喬の自慢話を始める。
「手先が器用で、なんでも作っちゃうの。で、なんか
グルグル回るものに、すごく興味を示す」
惟喬は後に、巻物を開く時に軸が回転
するのを見て、「ろくろ」を発明する。
(ほんとはメソポタミアで発明されたんだけどね)

晩年出家した惟喬は、滋賀県東近江市の君ヶ畑に隠棲し、
「木地師(きじし)」の祖となった… らしいよ。
「木地師」とは、ろくろを使って、お盆やコケシや
独楽(こま)などを作る職人。
「君ヶ畑」でググってみると、なんかいい感じの山里です… 
行ってみたいですなあ。

さて、まさか木地師になるとは夢にも思わない
静子は、息子の将来について、力説する。
「惟喬は長男だし、帝も皇太子は絶対に惟喬だって
言ってくれてる。ただ、あちらさんには右大臣(良房)
がついてるからね…」
静子の生んだ惟喬VS明子の生んだ惟仁(これひと)、
皇太子の座をかけて熾烈な争いはすでに始まっていた。


「こちらですよ… このお堂の中」
パパりんに案内され、邸の庭に立つお堂に入ってみる。
中では護摩(ごま)の炎を前に、1人の僧が熱心に祈祷していた。
「うちの宮さま(惟喬)の立太子を、不動明王に祈願してもらってる
のですよ。神護寺の僧正、真済(しんぜい)どのです…
名前は聞いたことがあるでしょう?」

「でも、お父さま、安心はできませんよ。右大臣も、比叡山から
円仁さまの高弟、恵亮(えりょう)さまをお呼びになったそうです」
真済VS恵亮、真言宗VS天台宗の祈祷合戦である。
「いずれ劣らぬ高僧、決着はつくまい…」
と、世間ではささやいているそうな。



5月4日、太皇太后・橘嘉智子(65)没。
遺言により、その遺体は埋葬にも火葬にもされず、
羅城門の外に放置された。
「鳥や獣の飢えを救うため、私の体を役立てたいのです」

カラスや野犬が肉と内臓をついばみ、残った部分は
腐敗して、びっしりと白い蛆(うじ)に覆われる。
やがて、白骨に…

正子は毎日のように通ってきては、画家に
その様子をスケッチさせた。
「お母さま… あなたのお姿、確かに… 
この目に焼き付けてございます」
これ以後、正子は恨みを捨て去り、仏の道に生きることを決意。

嘉智子の魂は室町時代に転生、「地獄太夫(じごくだゆう)」
として、一休さんと運命の出会いをする。
そしてもう1度、この死に様を人々にさらすことに…



7月9日、明子に女御(にょうご)の宣下。
天皇の妻として、「更衣」より1ランク上である。
宣下を下すのは帝だが、これは明らかに
帝の意志ではなかった。
「静子を差し置いて、良房の娘を女御に格上げ
するのは、まあ良しとしよう。だが皇太子だけは
絶対に、惟喬でなければ認めない」

良房サイドと、大激突。
頼もしい味方だった嘉智子がいない今、良房が頼るのは、
妹の順子(=帝の母、皇太后)である。
「なぜ、あなたは明子さんを嫌うんです? 
かわいそうじゃありませんか」
「かわいそうなのは静子です! 私は2人の
女性を同時に愛することはできない」

どうにもラチがあかないので、「惟喬」支持派と「惟仁」支持派の
公家たちが集まって、協議した。
その結果…