小町草紙(二)





3、 つれなかりける女




承和15年=嘉祥元年(西暦848年)は、まだ続く。

「承和の変」の際、皇太子を廃され、以来6年間にわたり
謹慎生活を続けてきた恒貞(つねさだ)親王が24才で出家、
法号を恒寂(こうじゃく)と称す。
最近はすっかり精神も安定し、以前のように
「中村さん!」などと口走ったりしない。

密教で正式に出家する際、「灌頂(かんじょう)」といって、
出家者の頭に水を注ぐ儀式を行うが、これを執り行った
のは、真如(しんにょ)法親王、50才。
彼は本名を高岳(たかおか)親王といい、
平城(へいぜい)天皇の第3皇子である。
かつて京都VS奈良の争いで父が敗れたため、
皇太子を廃され、出家するハメになった。
つまり恒貞親王と、まったく同じ境遇である。

「恒貞さん、くよくよしないことです。自由になって、
新しい人生が開けるんですから」
この時代、眼鏡はないが、眼鏡が似合いそうな、
学者風の真如である。
「でも出家なんて、死んだも同じでしょう」
「同じじゃありません… 私はね、唐へ渡りますよ。
皇太子や天皇になっていたら、絶対ムリです」

すでに50才という晩年を迎えているというのに、
真如の目は少年のように輝いている。
彼を待ち受けるのは、当時の日本人の想像をはるかに
超えた大冒険旅行、熱帯秘境の大ジャングルと怪奇生物…
旅立ちまで、あと13年。


8月には、恒貞親王を追い落とした黒幕の1人、
腹黒い癒し系の藤原順子がスポンサーとなり、
山科に安祥寺(あんしょうじ)を創建。
由緒ある寺院なのに一般に公開しておらず、
参拝できないのが、なんとも残念…
(でも住職さんは「いつか公開したい」と、おっしゃってるそうです)

同じく8月には、都の周辺で大洪水が発生。

藤原敏行(としゆき)も誕生… ほら、あの人。



夏の間に、奈良の少女・かる女は流行り病(はやりやまい)に
かかり、9月には、体が動かなくなるほど悪化していた。
主人である宮大工は、家から遠く離れた
山中の小屋に、かる女を隔離する。
「ここまでひどくなると、うちの職人たちにも伝染(うつ)らないか、
気がかりだ。なに、必要なものは毎日届けるから、心配するな」

「ちょ、ちょと待つにゃもす… こんなところに、
動けないまま1人にされたら…
あの犬に食い殺されーちょす… 
おっちゃん、見捨てないでたもーれ」
珍しく気弱になって、涙声で懇願する。
「あの犬って、隣のどん? こんな遠くまで来るもんかい」

宮大工は笑い飛ばすが、野生児のかる女は、
獣の嗅覚の鋭さを知っている。
(お願い… 1人にしないで…)
だが宮大工は、従者を連れて帰っていった。
涙をふいて、かる女は、養父の形見の
槍鉋(やりかんな)を握りしめる。


翌日… 白い犬は日がな一日、隣家の庭で
居眠りしていたので、宮大工は安心した。
だが、次の日… 犬は姿を消す。
イヤな予感がして宮大工は、かる女の寝ている小屋に向かう。
「かる女… ウッ!!!」

喉笛を食いちぎられた少女の遺体と、刃物で首を切り裂かれた
犬の死骸が、重なりあって朱に染まっていた。
「すまない、かる女… こんなことになるとは…」
涙を流し、立ちつくす宮大工。
「お前と、この犬… 前世で、何があったんだ…?
そして、きっと来世も…」

本当に前世の因縁なのか、それとも外道人を
勝手に抜けたことに対する報復か…
真相は、闇の中である。



そういえば、真砂はどうなったろうか?
外道人に復讐を依頼するため、下女として必死に働いて
小金を貯めてきたが追いつかず、ついには莫大な借財を
して、殺しの依頼にこぎつけた。
無事に復讐は果たされたが、借金を返すため、
ついには体を売るハメに。

この年、借金を完済するとともに、父親の
わからない子供を産み落とした。
今は都のはずれに住んでおり、夫の金沢武弘は、
どこでどうしているのか、わからない。
身も心もボロボロだったが、私はやり遂げたんだ… 
という充実感があった。

夫の目の前で陵辱されるという、女として、
人間として、最大級の屈辱。
結果的に、夫も、女の幸せも、何もかも失った…
けれども、私はやり遂げた。



翌、嘉祥2年(西暦849年)。

年明け早々、真砂は生後3ヶ月の赤子を抱いて、
大和の室生寺(むろうじ)をめざしていた。
これ以上、この子を育てていくのは無理… もう限界…
「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれ、
行き場のない女性に救済の手を差し伸べ
てくれると評判の、室生寺に頼るしかない…

室生寺 公式サイト http://www.murouji.or.jp/

か細い五重塔の前に、そっと赤子を置く。
外道人に仕事を依頼したツケで生まれたこの赤子が、
後に外道人の安梅(あんばい)となるとは、なんという
運命の皮肉なめぐり合わせであろうか。
(天神記(一)「外道人」参照)


真砂は、山道をさまよいながら、考えていた。
死のうか…

いや、ここで死んだら、復讐を果たした意味がない!
復讐をやり遂げた達成感を胸に、このスカッとする爽快感を
何度も味わいながら、この後の長い人生を生きていくんだ…
幸せにはなれないかもしれない… 
それでも、どんなことをしてでも、生きるんだ!



春が来て賀茂祭の日、小町は久しぶりに、
姉といっしょに車で外出。
「よっちゃん、あれ見て! おもしろいよ」
「うわっ 何あれ! 恥ずかしすぎる…」
のぞき窓から見た、その光景は…

一条大路を、プロレスラーのような巨体の若い僧が、
フンドシ一丁で牝牛にまたがり、太刀(たち)の
代わりに干鮭(からざけ)をさして、
「ワシが東大寺の聖宝じゃああああッ」
と叫びながら、通っていく。

「よくやりますなあ… あれが今年の祭りでは、
1番の見物かもしれませんな」
いつのまにか、となりに車が並んで、
中の男が姉妹に話しかけている。

「あれ… 文屋康秀(ふんや の やすひで)さま?」
パッとしない小男だが、名の通った歌人で、
小町や業平と同じく六歌仙の1人である。
実は彼も、小町にラブレターを出して、
読まずに捨てられたクチであった。

「なんでも、東大寺の長老の真雅さまが、
たいそうケチで物惜しみをするので…」
若い聖宝がある日、ストレートに聞いてみたんだって。
「真雅さま、どうしたら、我らにごちそうしてくれはりますか?」

なんでワシが、おのれらにおごらないかんのじゃ… 
と答えるのも面白みがないし、
かといって、何か勝負ごとをして、負けて
おごるハメになってもイヤだし、
「よーし、それじゃあな、今度の賀茂祭で、何かおもろいこと
やってもらうのはどうじゃ? たとえばな、絶対ムリや思うけど、
スッポンポンになってな… ウププ」

「あ、もうわかった… 最後まで言わなくてけっこう。
東大寺って… バカ?」
「よっちゃん、こういう下品なの嫌いだもんね…」
「えっ そ、そうでしたか、それは失礼…」
小町が喜んでくれると思って説明したのだが、
逆効果になり、あせる康秀。
姉妹をのせた車は、簾を下ろし、行ってしまった… 
康秀、ショボーン(´・ω・`)



小町と業平の関係に、変化が現れてきた… 悪い方に。
ツンデレもいいものだが、あまりにつれない
態度が続くと、業平のようなプレイボーイでさえ、
もういいや… と、ギブアップしてしまうのである。

ある日、業平は、こんな歌を送ってきた。

行きやらぬ 夢地をたのむ たもとには 
天つ空なる 露や置くらむ

(夢の中の道を通ってさえ、あなたに会うことはできない。
わかっていても、その夢にすがらなければならない
私のたもとには、露=涙が光っています)

さすがの小町も、胸が痛んだ… が、同時に、
いい気味… とも思った。
あの平安時代最強のモテモテ男・業平が、
「せめて夢の中でいいから、会いたいよ〜」
と、泣き言を言っている。
女といえば、果物を摘み取るように、いくらでも
手に入ると思っていた男が、泣いている。
まさに小町は、「つれなかりける女=どんなに
思っても、答えてくれない女」であった。

それっきり、業平からの手紙はとだえた。
夜の訪問も、小町の部屋の前まで来るのに、
素通りして、他の女のところへ行ってしまう。
「やれやれ、やっとあきらめてくれたみたい…」
「よっちゃん… 涙をふきなよ」

手紙が来なくなって初めて、業平からの
手紙を待ち望んでいたことに気がついた。
もう姉と3人で、夜通しおしゃべりすることもない
と思うと、胸にポッカリと穴が空いたようだ。
「業平さまのこと、好きだったんだね…」
「ちがう、ちがうよ! そんなわけない! 
あんな女たらしを、好きになんか…」
ポロポロ涙がこぼれて、それ以上、言葉が出なかった。


それから数ヶ月の間、姉の胸に顔をうずめ、
すんすん泣く夜が続いた。
もちろん外では、そんな顔はまったく見せないが。
「おねえちゃん以外に好きになった人って、業平さまが
初めてなんでしょう? 今度は、よっちゃんから
お手紙してみたらどうかな? 素直な気持ちで」

厳密には、初めて好きになった男は良岑宗貞
かもしれないが、とにかく歌を送ることにした。
男に対し、拒絶以外の歌を送るのは初めての経験。

空をゆく 月のひかりを 雲間より 
見でや闇にて よははてぬべき


空をゆく月の光を、雲間より見ることもなく、
闇のまま、この夜は終わってしまうのかしら。
という歌だが、これには「あなたを見ることなく、この世を
終わってしまうのかしら」という意味が隠されている。
名前を記さず、使いの者に、誰からの手紙か
知らせないよう言いつけ、届けさせた。

翌朝、返事が来た。

雲晴れて 思ひ出づれど 言の葉の 
散れる嘆きは 思ひ出もなき

(雲が晴れて、月は思い出したように出てきましたが、
あなたが書き散らしていらっしゃったお嘆きについては、
まったく思い当たりませんね)

心臓を打ち抜かれたようなショックだった。
「せっかく、この私が歌を送って、たまにはいらっしゃいと
誘ってあげたのに… 何様のつもり!?」
あなたなんか知りませんよと、すっとぼけた返事が来たのである。
これで、完全に業平を失ったことを悟った小町。

泣きながら、小町は歌を詠んだ。

人にあはむ つきのなきには 思ひおきて 
胸はしり火に 心やけをり


つき=「月」と、「付き(手がかり、手だて)」を掛けている。
おきて=「起きて」と「燠(おき=燃えさし、おき火)」を掛けている。
胸はしり火=「胸走り(胸騷ぎ)」と、「走り火」を掛けている。

月が出ていないので(手だてがないので)、恋しい人に
会えない夜は、物思いしながら起きていると(思いが
燃えさしのように火がついて)、胸騒ぎがして
(走り火となって)、心が焼かれます。

この歌は、映画にもなった「羊たちの沈黙」の食人鬼、
ハンニバル・レクター博士の生い立ちを描く小説
「ハンニバル・ライジング」で紹介され、小野小町の
世界デビューを飾った歌だ。
レクターを育てた叔父の奥さんが日本人の「紫夫人」(笑)で、
レクターに小町の歌をはじめ、日本文化をいろいろ教えた
という設定だそうな。