小町草紙(二)
2、 平安のツンデレ
承和14年(西暦847年)は、まだ続く。
外道人の仲間だった少女・かる女は今、奈良にいる。
養父の闇暗仏師が死ぬ前に、親交のあった宮大工の
家に頼みこんで、かる女を下女でいいから置いて
くれるよう、話をつけておいたのだ、
性に合わない雑用仕事だが、とりあえず
がんばっている、今年13才のかる女。
「いいか、もう決して盗人なんかするんじゃないぞ、
お前も見ただろ、盗人の末路を。それから、
外道人ともあまり関わりにならん方がいい…」
闇暗が残した最後の言葉を胸に、まっとうに生きようと決意する。
だが1つ、悩みがあった。
隣の家で飼っている、「どん」という名の、白い大きな犬…
どういうわけか、かる女を見ると激しく吠え立て、
噛みつこうと追いかけてくる。
(この時代、犬は放し飼い、猫は首に紐をつけて
飼うのが一般的… 今と逆ね)
かる女の方も、なぜか、この犬を見ていると
ムラムラ殺意が湧き上がる。
向かってくる「どん」を、竹ほうきで激しく打ち
すえたことも、2度や3度ではない。
「なんでお前ら、こんなに相性が悪いんだ?」
周りの者は、首をかしげるばかりだ。
そのころ、かる女の姉・清乃と蛇骨の夫婦は、東大寺の
「東僧坊の南第2室」に潜りこんで、暮らしていた。
どういうわけか、この部屋は東大寺の創建以来、
「開かずの間」となっている。
2人が住みこんでからは、意図的に怪しい足音を立てたり、
「お化け」が棲んでるような演出を続けたので、すっかり
寺僧たちから恐れられ、誰も近づかなくなった…
そう、奴が来るまでは。
16才という年令が信じられないほど、
その少年の顔も体もゴツかった。
身長2m、盛り上がった筋肉… 後には柔和な
人相となる聖宝も、少年時代は怒らせたら無事
ではすまないような、凶悪な顔をしている。
「今日から俺がこの部屋の主じゃ。
いそうろうは出て行ってもらうぞ」
この邪魔者を始末しようとした蛇骨は、背骨が折れるほど
叩きつけられ、清乃もやがて、手ごめにされ、
あげくの果てに殺される…
(天神記(三)「清姫」参照)
外道人夫婦の、悲惨きわまりない最期であった。
この年、自称・菅原道真のライバル、
三善清行(みよし の きよつら)、誕生。
太皇太后・橘嘉智子は、橘氏の子弟のための
私立学校「学館院」を設立。
なんだか予備校みたいな名前だが、本当に予備校らしい…
大学に進学するための。
早くも、年が暮れようとしている。
嘉智子にとっては、充実した1年だった。
小町の成長ぶりを見たし、橘氏の繁栄は
揺るぎないものとなったし。(実は揺らぐ)
小町は、この1年ですっかり、「男を袖にする女」
として有名になった。
求愛者に対し、あまりにつれない小町の態度を、
恨む者も多かったが、
海女(あま)のすむ 里のしるべに あらなくに
うらみむとのみ 人のいふらむ
(私は、海女の住む里の道案内じゃありませんの。
なんで皆さん、私に「うらみますぞ」とばかり言うの
かしらね? やーね、ほんとに)
うらみむ=「恨みますぞ」と、「浦見ますぞ」をかけたシャレ
なんて歌をシレッと詠む才女ぶりが評判になり、
さらにファンが増える結果に。
宮中での暮らしにも、だいぶ慣れてきた
小町だが、1つ悩みがあった。
それは、あの男=在原業平が今年、
蔵人(くろうど)に昇進したこと。
蔵人=天皇の秘書官なので、宮中で顔を
見かけることが多くなってきたのだ。
年が明け、承和15年(西暦848年)。
新年早々、だいじな集まりがあるのに、寝坊してしまった小町。
「もう、姉さまったら、なんで起こしてくれないかなー」
いや、それはわかっている… きっと、こうだったにちがいない。
「あらあら、よっちゃん、よく寝てるわね。
もう少し寝かせてあげましょう…」
朝食をとる時間もないので、仕方なく餅をくわえて、
「遅刻、遅刻」
ってな感じで、廊下を走ってくる小町。
人に見られたら、ちょっとまずいマナーの悪さである。
ドカーンと廊下の曲がり角で、人とぶつかった。
「あいたた… す、すいませ… あーっ あんたは!!」
「今の衝撃で、唇を噛まなかったかい?」
今年24才、高貴さの中にもワイルドな匂いが漂う、
都の全女性のあこがれ、業平さまである。
小町は真っ赤な顔で、業平の顔をにらんでいたが、
「あの… む、宗貞さまには… このこと、
だまっていてくれませんか」
歌の師匠・良岑宗貞も蔵人で、業平の同僚である。
放っておいたら、宗貞はおろか宮中のあらゆる人に、
今のことを言いふらしかねない。
「へえ〜。良岑さんが好きなの?」
「尊敬しています… すばらしい歌をお詠みになるし」
「私の歌はどうかな?」
( ゚,_ゝ゚)プッ… という顔を、小町はつい、してしまったかもしれない。
自分や宗貞の歌と比べ、レベルが低いと思っているのだろう。
「ひどいなー。何、その顔? 何、プッって?」
六歌仙としてのプライドを傷つけられた業平。
彼の代表作としては、やはり百人一首の
ちはやふる 神代(かみよ)もきかず 龍田川
から紅(くれない)に 水くくるとは
(かるた漫画「ちはやふる」で有名になった歌ですね!)
「歌を送ってくれば、私が添削してあげますよ」
言ってから、小町はハッとした。
「えっ いいの? 恋の歌でもいい?
良岑さんに気がないなら、私が…」
「ちがいますっ そんなんじゃありません!
純粋に、歌の勉強ですから!
ヘンな歌送ってきたら、見ないで破り捨てますからね!」
顔を真っ赤にして、小町は走り去る。
なんで、あんなこと言ってしまったんだろう…
大嫌いな、あの男に。
まるで、「恋文ください」と言わんばかりに…
しばらくして、業平は歌を送ってきた。
君により 思ひならひぬ 世の中の
人はこれをや 恋といふらむ
(世の中の人は、この気持ちを恋というのでしょう。
あなたのせいで、やっとわかりました)
「だから恋の歌は送るなって、あれほど…」
怒りにふるふる、手が震える。
が、こんな注釈が。
「こないだ、紀有常さんとこ行ったら、留守だったんですよ。
で、この歌を残してきました(^_^)v」
紀有常(き の ありつね)といえば、業平の妻の父、
つまりお舅さんなのだが、10才しか年がちがわず、
娘を嫁にもらう前からの友人である。
友人が不在だったので、
「さびしいわダーリン、これが恋っていうものなのかしら?」
みたいな歌を、残してきたわけだ。
小町は、涙が出るほど大笑いしてしまった。
これに対し、有常も
ならはねば 世の人ごとに 何をかも
恋とはいふと 問ひし我しも
(恋とは何なのか、世の人々に聞かねばわからないような
ウブな私が、あなたに恋を教えていたなんて。ウフフ)
と、ふざけてオカマっぽく返している…
どういうムコとシュウトなんだか。
このように、「エピソード」付きの恋歌を送ってくる業平に対し、
小町は生真面目に、感想や批評をくわえ、送り返した。
「あら、よっちゃん、珍しいわね。お返事書くなんて」
「だって命の恩人だし、一応… 弱みも握られてるし…」
ところが、ある夜。
「小町どの。入れてくだされー」
「なっ 何しに来たんですか、業平さん!?」
「文のやり取りでは、まだるっこしいので、
直接お会いして、歌を教えていただこうと」
夜の10時に女の部屋に来て、下心がないわけない。
「よっちゃん、私、出てた方がいい?」
「いえ、ここにいて… 私の盾になって」
戸口のところで姉が応対し、その陰に小町が隠れる。
前に書いたように、ここは渡り廊下に部屋が
並んでいる、一種のアパートである。
晩春のことだし空気は温かく、姉をはさんで、3人で歌の話や、
いろいろな物語などしていると、たちまち夜が深まっていく。
むげに追い返すのも失礼だから、しばらくお相手
してから、お帰りいただこうかしら…
と思っていた姉の操だが、小町の方も、業平と
話していて、意外に楽しそうである。
業平の方も、小町をくどく気まんまんのようなので、
操が席を外そうとすると、妹が袖をギュッとつかんで、
離そうとしない。
そうしているうちに、鶏が鳴く時刻となった… 徹夜である。
男女が語り合ったり、楽器を奏でたり、エッチを
したりしているうちに夜が明ける…
平安時代には、よくあること。
いかでかは 鳥のなくらむ 人しれず
思ふ心は まだ夜深きに
(夜深い時刻と思っていたのに、なぜ鳥が鳴くのだろう。
まだ私の、あなたを人知れず思う心は、深く秘めたまま、
あなたに思いを告げていないのに…)
ついに朝まで、小町を落とせなかった…
そんな無念をにじませた歌を残し、業平は帰っていった。
ところでこの3人、パリスとヘレネと巫女の転生
なんだけど、覚えてるかしらウフフ
この後も、業平の熱烈なアタックは続く。
しかし鉄壁の防御で、これをブロックする小町。
「よっちゃん、そんなに業平さんがイヤなの?」
「あの人、遊び人だし。あちこちに恋人いるし。
そういう人とは、ちょっとね」
業平にキャーキャー騒ぐ世間の女たちとは、
私はちがう… そんなプライドもある。
ともすれば あだなる風に さざ波の
なびくてふごと 我なびけとや
(ともすれば、ちょっとした風にさざ波が立つように、
あなたの言葉に私がなびくと?
そんな軽いミーハー娘と思っているのですか?)
みるめなき わが身をうらと 知らねばや
かれなで海士(あま)の 足たゆく来る
(みるめ(海草)の採れない浦とも知らないで、こりずに
通ってくる海士のように、見る機会(=会う機会)のない
私とも知らず通ってくるバカな人。ホント、バカなんだから)
小町って、けっこうキツイよね。
「三条町(さんじょう の まち)」という女官ネームの更衣、
紀静子(き の しずこ)は、小野姉妹と仲良くなり、
小町に歌を指導してもらった。
東宮(=皇太子)の道康(みちやす)親王に送った
この歌は、その成果である。
思いせく 心の内の 滝なれや
落つとは見れど 音の聞こえぬ
(この屏風絵に描かれた滝は、私の心の内の、思いをせき止めた
滝なのでしょうか。私が東宮さまへの思いを、声もなく抑えている
ように、この滝も、落ちているようで音は聞こえません)
紀氏の隆盛という、一族の野望を背負って入内した静子だが、
自分に対し一途な愛情を注いでくれる親王に対し、
いつしか、本物の愛を感じるようになっていた。
父親以外の男に対して、生まれて初めて…
しかし静子や、父の名虎(なとら)が愕然とする事態が起こった。
藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)、この年20才、
道康親王の更衣として入内。
頬のややふっくらした、霞むような、はかなげな
美女に成長していた。
静子にとって、恐るべきライバルである。
(前世でいうと、エレクトラVSカサンドラ)
「私と東宮さまの間に割りこもうだなんて… 許せない!」
そんな中、静子は第3子となる恬子(やすこ)内親王を出産。
業平との、運命の恋が待ち受けるプリンセス。