小町草紙(一)





15、 天つ風(あまつかぜ)




承和12年(西暦845年)。

多襄丸一味の始末を依頼された外道人チーム、
しかし相手は神出鬼没の盗賊集団。
なかなか、その所在がつかめない。
「亀岡の隠れ家は、すでに引き払った後だった… 
さて、どこに雲隠れしたやら」

死水尼のもとに何か情報が入れば、ただちに
蛇骨・清乃ペアが探索に。
闇黒・かる女ペアは、連絡が入るまで奈良に待機、
ということになった。
その間、闇黒は表の稼業である、仏師に専念。
橘嘉智子の紹介で、神護寺の「五大虚空蔵菩薩(ごだい
こくうぞうぼさつ)坐像」の制作を受注した。

これまでとちがい、5体の菩薩像を同時に仕上げる、
とてつもないハードワークである。
(実の弟を、殺さねばならぬ… 鬼とならねばならぬ…)
そんな精神的ストレスをかかえながら、同時に、すべての
死にゆく者の魂の救済を願い、ノミをふるう。
今の闇黒の中には、鬼と仏が、同時に存在していた。

神護寺の本尊は、木造の薬師如来(やくしにょらい)で、
こちらも平安初頭に作られた傑作。
写真家の土門拳さんは、日本の仏像の中で、
この薬師如来が1番好きなんだそうだ。
(どうか、弟が見つかりませんよう… いや、弟が1日でも
長く生きれば、それだけ不幸になる人が増える… 
やはり、一刻も早く、この手で弟を地獄に送らねば…)
作業がいきづまると、この本尊の前で
闇黒は何時間でも祈っていた。

唇や眉などを除いて全体に彩色を施さない、
170cmの素木仕上げの像だが、闇黒は
(まだ、何か足りない… 未完成のような…)
と、感じていた。

(この2つの仕事… 五大菩薩の完成と、弟の始末を、
無事に成し遂げられますよう、お守りください。
成就の暁には、この闇黒の命と引き替えに、
あなたのお姿を完成させてみせます…)

神護寺 公式サイト http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/



姉の操が宮中に上がって以来、何度か吉子にも、
「更衣にならないか」という誘いがあった。
しかし、容姿にコンプレックスがある上に、
「承和の変」のような恐ろしい事件もあって、
「どうか、お許しください。姿が見苦しい上に
体も弱くて、とても勤まりません…」
必死に断ってきた吉子だった。

ある時、姉から手紙が来た。
「蔵人の良岑宗貞さんという方と、お友達になりました。
よっちゃんも知ってると思うけど、とてもすてきな歌を詠む方です。
よっちゃん、よかったら宗貞さんと文通しませんか?
よっちゃんの歌を、見てくれるっておっしゃるの。
あなたはこれまで、ちゃんとした先生についたことないし…」

「姉さま… ナンパされたな…」
良岑宗貞といえば、有名な遊び人である。
姉さまを、よくも… よくも…
しかも、私の歌を「見てくれる」だって?
「何? その上から目線」

確かに、宗貞の歌はいい。

天つ風 雲の通い路(かよいぢ) 吹きとぢよ
乙女の姿 しばしとどめむ

(大空の風よ、雲の通り道に吹いて、天女たちが
帰れぬよう、雲でふさいでしまっておくれ。
もう少しの間、天女たちの姿が、ここにとどまってくれますよう)

これは、「五節(ごせち)の舞」という宮中行事で踊る
舞姫たちを天女に例え、その美しさを称えた歌。
宝塚歌劇団の「天津乙女」さんとか、海上自衛隊の護衛艦
「あまつかぜ」などは、この歌に由来するネーミングである。

「千登勢(ちとせ)。あなた、どう思う?」
呼びかけた相手は、今年から吉子の侍女として
奉公している、11才の少女。
ふわっとした髪の、優しそうな目をした美少女で、賢く、働き者。
ただ、ちょっと訳ありで、郷里で何かつらい目に
あって、記憶をなくしてしまったらしい。

(へえ、こんなにかわいいのに… かわいそうな子なんだ…)
という同情もあったが、何より、吉子ほどでないにしろ
くせっ毛… というところが、大いに親近感を感じさせ
実の妹のように、かわいがっていた。

「乙女の姿しばしとどめむ… はあ… ステキですねえ(はぁと)。
そんな方から、お手紙をいただけたら…」
「いや文通するのは、あんたじゃなくて私なんだけどね。まあ、
いいや。千登勢がそういうなら、そのよしみねむねさださん?
ああ、言いにくい… お手紙してみますか」


こうして、言いにくい名前の人(笑)と、文通しながらの
和歌の通信講座が始まった。
予想に反して、宗貞の手紙は洒落てはいるが、
チャラチャラしたものではなく、真剣に吉子の歌を
評価し、時には長文で歌の心を説いたりした。
「へえ… ただの遊び人かと思ってたけど、
こんなこと考えてるんだ…」

宗貞からの手紙は、だんだんと熱がこもってきた。
吉子が、これほどまでに才能があるとは、向こうも予想外
だったみたいで、超大物新人を発掘したプロデューサー
のような興奮がみなぎっている。
「ぜひ1度、直接お会いしたい…」

吉子のハートが、ときめいた。
異性に対し、こんな気持ちを感じるのは、生まれて初めてのこと。
(ダメ… こんなウネウネした髪では、
絶対ムリ… 会えるわけない!)
ああ、この時代にストレートパーマがあればいいのに!

「これだけ情感のこもった恋の歌を詠むのですから、
あなたには、思い人がいるのでしょう。
それで、私を警戒しているのですね。私もまあ、けっこう
派手に遊んだほうなので(笑) そう思われるのも仕方の
ないことですが、決して下心とか、そういうのはありません。
純粋に歌人として、あなたの才能を開花させ、
世間に知らしめたいのです…」

「いえ、あの恋の歌は、空想… というか、本当のこと
言いますと、姉を慕って詠んだ歌なのです… 
でも、姉には絶対言わないでくださいね。
私は小さいころ母を亡くし、姉に守られて育ったので… 
私には好きな男の人など、おりません。おりませんが… 
ごめんなさい、お会いできません。この見苦しい姿を
人前にさらすような勇気はありません。
どうか、放っておいてください…」



この年、在原業平は、左近衛将監に任官。
(右から左に移っただけ?)
さらに、左兵衛大尉の紀有常(き の ありつね)の
娘と結婚。(これが本妻)
紀有常という人物は、本人はこれといって何もエピソードは
ないのだが、身内に有名人がそろっている。

まず、父が紀名虎… つまり、静子が妹、喜撰が兄。
娘が2人いて長女は業平の妻に、次女は藤原敏行の妻になる。
藤原敏行といえば、「秋きぬと」の歌を詠み、
地獄に落ちて200枚の肉片にバラされた人。
業平の義理の弟だったんですね… 作者も今知ったよ。


また、この年は菅原道真(すがわら の みちざね)と、
紀長谷雄(き の はせお)が誕生。

聖宝14才、東大寺の真雅(しんが)のもとで出家。

唐では、円仁が纐纈城(こうけつじょう)に閉じこめられ、
苦難の末、脱出。
(天神記(一)「纐纈城」参照)

李終南は、強敵・布袋を返り討ちにしたものの、正体不明の
「コブのある神」が繰り出す幻影の山犬に、食い殺されてしまう。

「我が師よ… なんという、お姿に…」
ズタズタに噛みちぎられた、李終南の死骸を前に、ぼうぜんと
立ちつくすのは、高弟の趙帰真(ちょう きしん)。
唐の第15代皇帝・武宗が召集した、81人の道士の1人である。

「老師は、布袋との戦いで消耗し、霊力がまだ回復
していなかった… そうでなければ、むざむざ敗北を
喫するようなことは… 無念…」
81人の道士のうち69人は、布袋とその
弟子たちによって、倒されていた。
布袋、恐るべし…

「かくなる上は… 私が秘術をつくし、老師を蘇生させようと思う」
趙帰真は、残り11人の道士を集め、招魂の儀式を執り行った。
それが成功し、甦った李終南が日本に
渡ったことは、すでに「天神記」に記した。
趙帰真、後の黒雲坊である。
(天神記(二)「雲の絶間」参照)



承和13年(西暦846年)。

「良岑宗貞と申しますが… お嬢さまは、ご在宅でしょうかな?」
年が明けてまもないころ、宗貞が突然、訪ねてきた。
(夜這いではないので、玄関から堂々と)

しかも、6才になる息子の玄利(はるとし)を連れている。
下心がないという証であるとともに、ご婦人方に
「キャーかわいい!」と大人気の愛くるしい玄利が
いっしょなら、吉子も心を開くだろうという計算。

「まあ… 実物の宗貞さま…」
応対した千登勢は、思わずポーッとなってしまう。
宗貞からの手紙も、吉子の出した手紙も、
全て見せてもらっている。
なので、事情は一切承知している千登勢であった。

「あ、失礼いたしました… 吉子お嬢さまですが、今日は
珍しく外出されております。山科郡の郡司さまのお宅に、
お呼ばれになりまして… 申し訳ございません」
年に10回、外出するかしないか、というくらい出不精の吉子だが、
郡司の宮道(みやじ)家とのつき合いは大切だし、4才になる娘の
列子(たまこ)が吉子を気に入ってるし、父に連れられ、あまり
気乗りしないけど仕方ない、行ってきますか… 
という感じで、出かけたのである。

「なんとまあ、運のないことよ… せっかく
ここまで来て、逃げられてしまうとは」
ちなみに吉子の家は現在の随心院、郡司の家は現在の
観修寺(かじゅうじ)で、歩いて1kmくらいの距離である。

随心院 公式サイト http://www.zuishinin.or.jp/
勧修寺 観光サイト 
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/special/sp_13_2

仕方なく、宗貞は息子と牛車に乗りこみ、
都へと戻っていくが… 途中で、
「ん? 安貞じゃないか?」
「あう。兄さん(^ω^)ノ 何してんだお?」
「お前こそ、一体どうしたんだ? 馬に乗って、武装して… 
しかも、こんなに兵を連れて!」

在原業平が左近衛府に移った後、(^ω^)は
右近衛府の将監に出世していた。
「(^ω^)大変なことになったお」
「ぜんぜん大変そうな顔じゃないが…」
「(^ω^)盗賊の多襄丸一味が、郡司の邸に
たてこもってるんだお。人質とって」

「なん… だと!?」
「(^ω^)業平さんも先に出動して、邸を包囲してるお。
どっちが賊を捕らえるか、競争なんだお」
左近の将監・業平 VS 右近の将監(^ω^)、
手柄を上げるのはどちらか。
「お前が、業平と張り合うほど仕事をするようになるとは、
兄としてうれしい限りだが、気をつけろよ… 
それより、吉子どの… 無事でいるといいが…」


宇治の南西、木津川が西に向きを変えるあたりに、
「流れ橋」という橋がかかっている。
洪水時には橋げたごと流れるような、簡素な作りの橋だ。
(現在も同じ場所に、同じような橋があって、正式名を
上津屋橋(こうづやばし)という。
必殺シリーズのロケ地として有名)

その橋のたもとに、外道人チームの4人が集合した。
「宇治の隠れ家をつきとめたんだが… あんたらを
呼びに行ってる間に、出払っちまったよ。
行先は山科、郡司の邸でひと仕事するつもりらしい」
「となると… 隠れ家で待ち伏せして、戻った
ところを狙うのが上策だな」

「いや、それは無理じゃな」
一同が振り向くと、死水尼が立っている。
険しい、ただならぬ表情だ。
「どういうことだ、おばばさま」

「奴らを狙っていたのは、ワシらだけじゃないっつーこっちゃ。
役人どもも内偵していたらしい… 郡司の邸を襲ったところを
押さえて、一網打尽を狙っておったのだろうよ… 
が、多襄丸が包囲されてることに気づいたようで、
家の者を人質に、立てこもりおった」
「そいつは厄介だな… 盗賊どもは動きが取れない、
周りには役人や人質の目がある…」

「夜になるのを待って、闇にまぎれ、一気に仕掛けるしかあるまい」
死水尼と蛇骨は、今の言葉を発した闇黒を、じっと見つめる。
「うむ… それしかなかろう」
「あんた… できるんだろうな? 実の弟を
手にかけられるんだろうな?」

「おぬしこそ… 女房が、殺しの仕事に倦(う)んで
おるようだが、大丈夫なのか?」
清乃はハッとして、顔をそらす。
2人の外道人は、しばし、睨み合っていたが…

「もし、あんたが殺しをためらうようなことがあれば… 
あんたも始末する。清乃が、しくじるようなことがあれば… 
俺がこの手で始末する。それが、外道人の掟… 
ただ、それだけのことだ」
これだけ言うと、蛇骨は背を向け、

「行くぞ、清乃… 山科だ」
「は、はい…」
外道人、出陣の時は来た!