小町草紙(一)





13、 あらたまの




年が明け、承和10年(西暦843年)。

操からの手紙で、宮中のようすや、どうにか
騒動に巻きこまれずに済んだことがわかり、
ほっとして新年を迎える小野ファミリー。

(姉さま、大丈夫かな… 姉さまみたいなおっとり
した人が、生きていける世界じゃないよ…)
自分がそばにいられたら… 
しかし、こんな髪で宮中に上がる自信は、まったくない。

「ところで… お前も今年で18、まだ彼氏はできないのか?」
父はつい口にしてしまったが、それは禁句だった。
「私、20才になったら出家するから! 男、いりませんから!」
それから3日間、父は口をきいてもらえなかった。


吉子の家からそう遠くないところに、山科郡の郡司、
宮道弥益(みやじ の いやます)の家がある。
この年、弥益の長女、列子(たまこ)が誕生。
後に、藤原高藤と結ばれるが、6年間も
ほったらかしにされる、あの列子である。
(天神記(二)「入内」参照)



3年ぶりに、業平は奈良を訪れた。
昔通っていた、小役人の家の娘は、今どうしているだろうか…
長女は怪人に拉致され、次女は業平を
待ちあぐね、他の男と婚約していた。
この時代、女のもとへ3夜連続で男が通うと、結婚成立である。
婚約者がやって来る、ちょうど3夜目という晩、
業平が来てしまった。

「仕事が忙しくて、なかなか都を離れられなかったよ。
すまなかったね。さ、ここを開けて」
戸をたたくが、返事がない。
女は涙をこぼし、ただ震えている。
(ちい皇子さま… どうして今ごろ…)
やがて紙と筆を取り、歌を書きつけ、戸のすき間から差し出した。

あらたまの 年の三年(みとせ)を 待ちわびて
ただ今宵こそ 新枕(にいまくら)すれ

(3年間あなたを待ちわびておりましたが、まさに今宵、
私は新しい夫と、枕をともにするのです)

しばらくして、戸の外から、業平が返歌を詠む声が。

梓弓(あずさゆみ) ま弓(まゆみ)槻弓(つきゆみ) 
年をへて わがせしがごと うるわしみせ

(梓弓、真弓、槻弓と弓にもいろいろあるように、いろいろな
ことがあった年月だったね。私があなたにしていたように、
新しい夫と、仲うるわしくしておくれ)

こう言い残して、業平が立ち去ろうとした時、女の声が

梓弓 引けど引かねど 昔より 心は君に よりにしものを
(あなたが私の気を引こうが引くまいが、昔から、
私の心はあなたに寄り添っておりましたのに)

だが、反応はない… 業平は、帰ってしまったようだった。
女は意を決すると、庭に飛び降り、業平を追いかけた。
しかし、相手は馬に乗ってるので、追いつくわけがない。
とある池のほとりで転んでしまい、そのはずみで
手を切ったのか、血が流れている。
その血で、そばにあった岩に、歌を書き残した。

あひ思はで 離(か)れぬる人を とどめかね
わが身は今ぞ 消えはてぬめる

(相思う間柄になれずに離れていく人を止められず、
我が身は今まさに、消え果ててしまいそうです)

そして、女は立ち上がると… 池に、身を投げた。
女の家に向かう途中の婚約者が、その遺体を発見、大騒ぎに。
業平はすでに、夜道を都に向かって飛ばしていたので、
こんなことになっていたとは、露知らない。
これが、奈良の小役人の家の次女がたどった末路である。


まさに、呪われた家である。
清乃は、こみあげる笑いを押さえるのに苦労した。
神さまは、私のお願いを、ちゃんと聞いてくれた…
ただ2人の姉を失い、悲観にくれてる
末の妹さんは、気の毒だけど…



翌、承和11年(西暦844年)。
平安遷都50周年だが、特にイベントはない。

後に千日回峰行の荒行を編み出す相応(15)、比叡山へ入山。

道康親王の更衣、紀静子、第一皇子を出産。
惟喬(これたか)と、名づけられる。



そのころ、唐の長安では、円仁が苦難にあっていた。
ひととおりの目的は果たし、日本への帰国を
皇帝に願い出るが、許されない。
そうしているうちに、「会昌の廃仏」という宗教弾圧が
始まり、身を隠さねばならなくなった。


長安の郊外に、「纐纈城(こうけつじょう)」という、
恐るべき施設がある。
そこの管理責任者は、李終南(りしゅうなん)という道士… 
後の、鳴神上人である。

「…何者、かな?」
李終南が、所長室で茶を飲んでいると… 
どこから入ったのか、上半身裸の男が、ボテッと
した腹を突き出し、ニコニコ笑っている。

「俺の名は、布袋… 李終南、お主には冥土へ行ってもらおうか」
それは竹でできた、どうということもない杖である… 
しかし、布袋がそれをピタリと構え、
「仏教に対する、目に余る弾圧… これ以上、
だまって見てはおれぬでな」
フッと、一瞬の気合とともに突き出すと、大砲を
撃ちこんだように、壁に大穴が開いた。

「ほう… あなたほどの高僧の血を絞り取れるとは、光栄ですな。
染物に使うのはもったいない、私が飲み干すとしよう… 
宝貝(パオペエ)・螺旋剣(らせんけん)!!」
今の突きをまともに食らったように見えたが、李終南は、
いつの間にか、布袋の背後に立っている。
先端がコルク抜きのようになっている、不思議な剣を構えながら…
「フオオオオオオォォッ!!」



比叡山では、21才になった湛慶が、相変わらず
厳しい修行に打ちこんでいる。
円仁が、いつになっても帰ってこない。
そのことに激しい責任を感じ、自分を責め、
命を危うくするほどの修行に追いこむ。
だが… ふとした時、
「お前は女に溺れ、道を誤るだろう…」
という声が、耳もとでささやく。

一体、誰がそんなことを言うのか?
修行の邪魔をする天魔の声か、あるいは
不動明王のお告げなのか?
どうやら、後者であったらしい… 
ある夜、夢に明王が現れたからだ。

「お前は前世の因縁により将来、女に溺れ、道を誤るだろう」
「そんなバカな! ありえません! 私は立派な
阿闍梨(あじゃり)になって、もう1度唐へ…
円仁さまを探しに行くんです! 女など興味もないし
心も惹かれません!」
「だが、それがお前の運命…」
「一体、どこの誰なのです? 私を溺れさせる女というのは?」
「奈良の… 役人XXの娘、○○という者…」

目が覚めた時、湛慶の瞳には狂気が宿っていた。
旅仕度をして比叡山を駆け下り、一路、奈良へ。
(許せない… 私の道を阻む者… 私を堕落させる者… 
災いの芽は、今のうちに摘み取る!)


奈良の町をうろつき、ついにお告げで名指し
された、小役人の家を探し当てた。
遠くから様子をうかがうと、庭で10才ほどの
かわいい女の子が遊んでいる。

ちょうど、その家の下女らしき女が、外出から戻ってきたので、
「もし… 私は旅の僧ですが、あそこで遊んでおられる娘御は、
どなたで? 大変良い人相をしておられる…」

猫っぽいきれいな顔の下女は、ぱっと明るい顔になって、
「あの子なら、この家のお嬢さんですよ! お嬢さんの身に、
何か良いこと起こりそうですか?」
使用人からも愛される、気立てが良くて愛らしい子なのだろう。

「さよう。1000人に1人、いるかいないかという幸運の星に、
生まれついておられるようで…」
あいさつをして、湛慶はその場を去った。
ターゲット、ロック・オン!


無住の荒れ寺に潜りこんで、早目に寝る。
(ほとんど眠れなかったが)
翌朝、日の出前に起きると、小役人の家まで一気に走る。
庭の茂みに身を潜め、息を殺して待つ。
ふところには、よく研いだ剃刀が、手ぬぐいにくるんであった。

昼近くになって、例の少女が1人で、手毬をもって庭に出てきた。
湛慶は、まるで雛見沢症候群レベル5の
感染者のような凶悪な顔で、剃刀を手に。
(殺す… 私の道を妨げる者は、殺す… たとえ、鬼となっても!)

一瞬の、できごとだった。
飛び出した湛慶は、左手で少女の口を押さえ、
右手の剃刀で、喉をかき切る。
にわか雨のように、血が、庭の草木に降り注いだ。
垣根を飛び越え、一目散に走る、走る。
2度と振り返ることは、なかった。


まさに、呪われた家であった。
ついに3女までが、このような事件に巻きこまれ
てしまい、清乃は、さすがに戦慄した。
(もしや… 神さまは、私の願いをきいてくれたわけでなく… 
この家が祟られていて、女たちに次々と不幸が降りかかる
のでは… まさか、次は私が…)
その、まさかである。



「声を立てるな… 騒げば、殺す」
ある日、こんどは清乃自身が、怪しい男に連れ去られてしまう。
が、男は若くて、陰のある精悍な表情が美しく、
清乃は思わず見ほれてしまった。

「私を、どこでもいいから連れていって… 
あんな家にいても、楽しいことなんてないもん」
男の腕に、清乃はすがりつく。
もしかしたら、この男が私の運命の人かも…

だが男は、外見こそ都の貴族に負けないイケメンだったものの、
人間的優しさに乏しく、しかも外道人という危険な稼業を生業とし、
薄暗い隠れ家を転々とする日々だった。
名を、「蛇骨」という。
(蛇骨は、無断で甲羅丸を始末した罪により、
根黒衆から外道人に降格処分を受けていた)

「お前も俺同様… 蛇の性(さが)をもって生まれた人間のようだ」
汗でヌラヌラした清乃の裸体を抱きながら、蛇骨はささやく。
清乃は、生まれて初めての快感に溺れながらも、
(ちがう… この男は私の… 運命の人じゃない…)

やがて清乃は蛇骨の仕事を、半ば
強制されて、手伝うようになった。
自身の手で直接人を殺すことはないものの、見張りを
したり、囮になったり、殺しの現場で助手をしたり、
血塗られた、命がけの仕事だった。

(やっぱり、これは何かの祟りだ… 私は一生、
幸せにはなれない運命なんだ…)
清乃は生きながらにして、血の池地獄をさまよう気分だった。



一方、同じく奈良に居住する外道人の仏師は。
「おっちゃん、これ、血の匂いがするーちょ」
かる女は、嗅覚が異常に鋭かった。
闇黒の愛用する「槍カンナ」の匂いを嗅ぎ、知っては
ならないことを気づいてしまったようだった。

よく見る大工道具の「台カンナ」は、400年前から使われ
てるそうで、それ以前は槍のような刃先がついた、
かっこいい「槍カンナ」で木の表面を削っていた。
「おっちゃん… 人、殺したのか?」
裏の仕事を知られた以上、道は2つしかない。
口を封じるか… さもなくば、仲間にするか。



京の都の死水尼が、2組の外道人を招集した。
今は亡き曠野の荒れ邸が、京でのアジトだ。
蛇骨・清乃ペアと、闇黒・かる女ペア、
この時が初顔合わせである。
「あれ? あんた… 奈良の、泥棒猫!」
清乃とかる女の姉妹も、まともに話すのは、これが初めて。

「亀岡の真砂という女からの依頼… 
盗賊の多襄丸一味を消してもらう」
ついに来た… いつか、こんな日が来る
ような気が、闇黒はしていた。
「おぬしの実の弟じゃが、できるか?」
それだけではない、清乃とかる女の、実の父でもある。

「へえ… あんた、あの多襄丸の兄弟か」
「おっちゃんに、そんな素性が…」
闇黒は無言で、前金の入った皮袋をふところに。
外道人となった以上、依頼があれば、たとえ
親兄弟であろうと仕掛けなければならない… 
それが、掟である。