小町草紙(一)





12、 承和の変




伴健岑(とも の こわみね)は、親友の橘逸勢
(たちばな の はやなり、61)と連絡をとった。
この男、書の達人で、空海とともに唐に留学したこともある。
太皇太后・橘嘉智子のいとこで、子供のころは
いっしょに、よく遊んだ。
「皇太子だって、あいつ(嘉智子)の孫
なのになあ… ひどいことを…」

逸勢は、昔も今も嘉智子を愛している。
それなのに、嘉智子と敵対する立場になってしまったのは、
自分のものにならなかった女への腹いせか、それとも
嘉智子が人の道を踏み外そうとするのを、止めるつもりか。
「皇太子をいったん、東国に逃がしたほうがいい… 
もちろん、俺たちも同行する」

「しかし… それでは、まるで謀反(むほん)ではないか。
皇太子を連れ去るなんて…」
青ざめる健岑、しかし逸勢はニヤリとして、
「謀反か… それも、おもしろいな。それなら、もう1人、味方に
なってくれそうな方がいる… 阿保(あぼ)親王だよ」
さっそく、親王の邸へ。


逸勢が相談をもちかけた阿保親王(51)とは、
在原兄弟の父である。
都を奈良に戻そうとした平城帝の第一皇子で、父が
敗れたため、すっかり窓際皇族となっていたが、
本来なら、天皇として即位していたはずの人物。
ちなみに橘氏も、奈良VS京都の争いで奈良について
しまったため、落ち目の氏族となった過去をもつ。

話を聞くと、親王はうなずいた。
「そうか、よし… では、皇太子の身柄をたのむぞ。
私は一足先に、近江の瀬田で待つ」
単なる皇太子救出作戦から、阿保親王を擁しての
クーデターまがいの計画へ、話が膨らんできた。
綿密な打ち合わせの後、健岑と逸勢は、引き上げていった。

「さてと… 誰か、内裏へ使いをたのむ」
親王は天井を見上げ、皮肉な笑みを浮かべる。
「この邸も、とうの昔から監視されてるというのに、あのバカども…」
密談の内容を、あますところなく文にしたため、檀林皇后のもとへ。


7月17日、伴健岑と橘逸勢、その協力者たちが
次々と逮捕される。
都には厳戒体制がしかれ、辻々に弓を構えた兵士が立つ。
右近衛府に務める在原業平と、良岑安貞(^ω^)も、動員された。
「ここしばらく、大きな事件がなかったのになあ…」
実の父が事件に巻きこまれた業平、さすがに心配顔である。

「(^ω^)ノ 将監さん、怪しい男を捕まえたお」
「失礼なマネはやめたまえ! 私には貴族の
知り合いが、おおぜいいるのだよ」
「(^ω^)でも、あんたから盗人の匂いがするお」
「私は、ただの歌人だ!」

業平がよく見ると、確かにその少々うさんくさい
顔には、見覚えがある。
「あんた… 大伴黒主さん? こりゃどうも、
失礼しました。行っていいですよ」
「君が噂の業平くんか… 君は謀反など、
起こしはしないだろうね?」
落ちぶれた皇族の家系である業平、いつ謀反を
起こしてもおかしくないというイヤミである。

「さあね… 世の中が気にくわなければ、起こすかもな」
不敵にニヤリとする業平、謀反の警備に
ついてるのに、とんでもない発言である。
「ほう…」
「あんたの方こそ、天下を乗っ取ろうって野心を、
腹にかかえてるんじゃないのかい?」
六歌仙の2人は、お互い笑って別れた。

後に、国家への反逆に等しい、とんでもない「夜這い」を、
2度も敢行するチャレンジャー業平。
呪術を使い、都に災いをもたらそうとするリベンジャー黒主。
どちらも単なる歌詠みではない、反逆スピリッツの持ち主である。


そのころ、伴健岑と橘逸勢の2人は、杖で
叩かれまくる激しい拷問を受けていた。
クーデターを起こすつもりなど、さらさらなかった恒貞親王は
真っ青になり、皇太子を辞する旨の上奏文を、帝に送った。
しかし仁明帝は、親王にはまったく責任はないとし、
皇太子に留まるよう説得。
母の嘉智子が根黒衆を使い、親王の命を
狙っていたなど、帝は知る由もない。


小野操は、初めて体験する宮中での
陰謀事件に、オロオロしていた。
入内以来、すっかり帝に気に入られ、夜は
ひんぱんに召されていた操だったが、
ここ1週間ほど、サッパリである。
「操さん、なるようにしかならないから、落ち着きましょう。
それより、私の聞いた話では…」

情報弱者の操に、事件の進展などを教えて
くれるのは、道康親王の更衣、静子である。
年も近く、同じころに入内した2人は、
すっかり仲良しになっていた。
「恒貞親王は、叫んでおられたそうよ… 
『やああっ 死にたくない』って…」
【やー死にたくない承和の変】
(842年、承和の変起こる)と、覚えましょう。


7月23日、事態は急展開… あ、ちょうど1166年前の今日だ。
左近衛府の少将、藤原良相(高子の父)が、
兵を率いて、皇太子の御座所を包囲。
恒貞親王の取り巻きグループである、大納言の
藤原愛発(ちかなり)、中納言の藤原吉野らを逮捕。
「ちょっと待て、我らは逸勢たちとは、なんの関わりもないぞ!」
「冤罪だ!」

いくら、仁明帝が恒貞親王に責任はないと主張しても、
妃の順子と、母の嘉智子が納得しなかった。
順子と嘉智子は、俗な言い方をすれば、嫁と姑の関係である。
しかしこの2人、帝の目から見ても異常なほど、仲が良かった。
嫁姑の仲がいいのは結構なことだが、2人は夫である帝の
知らない秘密を共有し、何事かを企んでいた。

恒貞は皇太子を廃され、代わって仁明帝の第一皇子、
道康親王が立てられる。
静子は思わず、(やったー!)と、心の中で叫んでしまう。
夫である道康が、天皇になる順番が1つ、繰り上がった。
紀氏の栄光への道を、大きく前進したのである。

藤原愛発は、都の外へ追放、藤原吉野は
大宰府(だざいふ)へ左遷。
伴健岑は隠岐(おき)へ、橘逸勢は伊豆へ配流。
橘逸勢は、護送の途中で、謎の死を遂げる。

「俺たちはハメられた… これは、仕組まれた陰謀だ。
この後の任官を見てるがいい。1番出世する奴が、
影で糸を引いてる首謀者だ」
こんな話を道中、護送の役人たちにしていたらしい。



中納言の藤原良房の邸に、嘉智子と順子が、お忍びで訪問。
順子は、良房の妹である。
「お兄さま、みごとな策士ぶりでした… これで帝と、
道康の地位は安泰ですわね、太皇太后さま?」
まるで実の母に甘えるように、いや、恋人に
甘えるように、嘉智子にもたれかかっている。

「中納言、あなたの才覚を見抜いた私の目に、狂いはなかった
ようです。権力は、相手に奪われる前に、こちらが奪わなければ
ならない。両統迭立といっても、いつ相手側が一方的に破棄
するかわからない、先手必勝です…
それにしても、逸勢… 愚かな男…」

「恒貞親王におかれましては、今まで皇太子に
留まっていただいた甲斐がありました…
愛発一味を、一網打尽にできましたからな」
藤原愛発は、良房の叔父に当たる人物だったが、
良房とは敵対していた。
愛発は恒貞親王に取り入り、親王が天皇に即位すれば、
その寵臣として権力をふるったろう。
そうなれば、良房の出世は望めない。

なんとしても、恒貞を廃する必要があった… 
それも、愛発を巻きこむ形で。
根黒衆を操り、恒貞に命が狙われているかのような
錯覚を与えたのは、良房の発案だ。
伴健岑や橘逸勢は、どうでもいい小物であり、
本命は愛発の一味だった。
7月23日、愛発を追放して空いた大納言の
ポストに、良房が就任。


「お母さま、これはどういうことなんです… なぜ恒貞が…」
恨みのこもった目で嘉智子をにらみつけるのは、
恒貞親王の母、正子内親王。
「兄さん(仁明帝)が、この件については何も知らない、
お母さまと順子さんが仕組んだことだって! 
恒貞は、お母さまの孫でもあるんですよ! 
なぜ、こんなひどい目に… 皇太子の地位なんかいらない、
お譲りしますって、あんなに言ったのに…」

御所の真ん中で、正子は泣きくずれた。
後の歴史書に書き残されるくらいだから、
よほど激しく、母の嘉智子を恨んだのだろう。
そんな正子の前世は、やはり母のヘレネを
激しく恨んだヘルミオネである。

この日はちょうど、嘉智子に呼ばれて操、静子、順子が
菓子などつまんで、談笑していたところだった。
嘉智子お気に入りの操(実は嘉智子の孫、前世はヘレネ)、
恒貞の廃太子を喜んだ静子、陰謀の当事者の順子らは、
わんわん泣き叫ぶ正子を前に、激しく気まずかった。
(こんな世界に、よっちゃんを呼んでも大丈夫かな… 
小野の里にいた方が、いいのかも…)

「見苦しいですよ、内親王… お立ちなさい」
嘉智子は冷厳に、娘を見下ろす。
「いついかなる時も、優雅にふるまうべし… 
そう教えたはずです。
喉元に刃を突きつけられた時も、男に身をまかさねば
ならない時も、優雅であれ… と」

そして… 負け犬となった時も。
女帝・橘嘉智子は、心中では娘に懺悔していた… 
決して許してはもらえぬと、知りつつも。
しかし、口では女のダンディズムを説く… 
それが、母として娘にしてやれる全てだった。
正子は御所から出て行き、2度と
母の前に姿を現すことはなかった。


3ヶ月後の10月22日。
橘逸勢らの計画を密告した、阿保親王が急死。
真相は不明である。

父の葬儀で、業平は兄の行平に、そっと告げた。
「大納言(藤原良房)が殺したんじゃないかな…」
「おい… 証拠もないのに、めったなことを言うな」
業平の、藤原家に対する反発は、この日から始まったといえる。


恒貞親王は、この後しばらく幽閉同然の
生活を送るが、6年後に出家。
後に、嵯峨の大覚寺の開祖となる。



丹波の亀岡では、多襄丸の養女・紅蓮が、愕然としていた。
「曠野さまが死んだ… それも、奥座敷に閉じこめられて?」
「その郡司のせがれってのが、国に本妻がいたようで… 
こっぴどく、いじめられたみたいですぜ」

曠野を気づかう紅蓮のようすを見て、多襄丸は
手下を1人、甲賀まで送りこんだ。
「ありがとう、おとう」
「なーに、これでお前が安心するなら、構わねえよ」
しかし、偵察から戻った手下の報告は、ショッキングだった。

「ひどい… ひどすぎる…」
めったに見せない涙をポロポロこぼし、紅蓮は崩れ折れた。
そんな娘を優しく抱きしめ、多襄丸の目に、残忍な光が宿る。
「紅蓮… 次の獲物は、決まったぜ」


甲賀郡、郡司の館を、盗賊の一味が急襲した。
山国である甲賀は、百姓1人1人にいたるまで精強で、
郡司の館を警備する連中など、忍者の祖先といえる
ほどの戦闘能力をもつ。
そんな手強い連中を相手に、たった7人で斬りこんだ
多襄丸の一味もまた、ゲリラ戦のプロだった。

火の扱いに長けた、放火のプロ。
猿のように身が軽い、忍びこみのプロ。
弓が得意な、元武士。
錠破りのプロにして、ナイフ投げの達人(キャストは石橋蓮司)。
何人もの人間を殺している、残虐な殺人鬼。
身長2mの、元力士。
そして、かつては女たらし専門だったが、今や
あらゆる盗みのテクニックに通じる多襄丸。

炎上する館の一室で、郡司、そのせがれ小三郎、
その本妻を、並べて首をはねた。
「紅蓮… 仇は討ったぜ」
しっかりお宝もいただいて、一味は引き上げた。


一方、亀岡では、真砂が下女の仕事をしながら、
少しずつ資金を蓄えている…
多襄丸を、地獄に送るための資金を。