小町草紙(一)





11、 小町が姉




承和8年(西暦841年)は、まだ続く。

この年、右近衛将監に任官された在原業平(17)は、
そのプリンスの気品漂う美青年ぶりと歌の才によって、
早くも都の女性にキャーキャー言われ始めている。
若手の歌人としては、一足先に文屋康秀(24)、
大伴黒主(29)らが注目を浴びているが、
容姿では業平がダントツであろう。

もう1人評価の高い若手に、良岑宗貞(26)がいる。
正良親王の親友であり、親王が仁明天皇として
即位した後は、蔵人(くろうど=秘書官)を務める。
その宗貞に今年、2人目の男子が生まれた。

元服後に「玄利(はるとし)」と名づけられ、さらに
出家して「素性(そせい)法師」と名乗り、
今こむと いひしばかりに 長月の 
ありあけの月を 待ちいでつるかな

という歌を、百人一首に残す人物である。

「(^ω^)ノ にーさん、2人目の赤ちゃん、おめでとう。
これ、お祝いだお」
「安貞(やすさだ)か… お前も今年で22才、
いい人はできないのか?」
「(^ω^)こないだ、またフラれたんだお」
宗貞には、あまり世間には知られたくない、ひどく
できの悪い弟がいた。
良岑安貞、この年になって、いまだ無職。



小野吉子(16)の家では、そのころ。
「よっちゃん。この字、なんと読むの? 
丸くてかわいいんだけど、ちょっと読めないかな…」
「姉さまに読めないよう、わざと崩してるの」
「ひどいよ… おねえちゃん、よっちゃんの歌を
読むのが、人生で1番の楽しみなんだよ?」
「あーハイハイ。ウザイから泣かないでください! 
いい? この字、よく見て。ほらここが…」

吉子はヒントを与え、姉の操(21)は、だんだんと字が見えてきた。
「えーと、じゃあ、つなげてみると…
思ひつつ 寝(ぬ)ればや 人の見えつらむ 
夢と知りせば さめざらましを…


あの人を想いながら眠ったので、あの人の夢を見てしまった
のかしら。夢と知っていたら、目覚めたくなかったのに…
「わー… あの人って」
「別に特定の人物ではありません! 
あーもうっ だから読ませたくなかったのに!」

湯気が出るほど真っ赤になった吉子は、
姉からノートを取り上げる。
「それより姉さま、なんか用があったんじゃないの?」
「そうそう。貞樹さんから、お手紙あずかってきたの。
返事どうする?」
「ええっ!!」

小野貞樹(さだき、22)は、近所に住む同族の
そこそこの好青年。
恐らく本命は姉の操だろうが、かなりハードルが
高いと見て、妹の吉子に切り替えたのだ。
そんな計算が透けて見えるようで、吉子は歯ぎしりしたが、
これは吉子がもらった、初めてのラブレターでもあった。

「姉さま、てきとうに代返しといて」
「でも… けっこう情熱的なお手紙だよ?」
あんた、読んだのか。
「私… 頭の中でいろいろ空想して、恋の歌とか作るの好き
なんだけど… 現実の男には、興味ないんだ」

こんな髪だし… こんな顔だしね…
操が、いつになく真面目な顔で、自分を
見つめているのに気づいた。
「な、なに?」
「よっちゃん… 恋人ほしくないのかな… 
おねえちゃん、もうじき、いなくなっちゃうよ?
1人になっちゃうよ?」

「そ、それはどういう…」
「入内(じゅだい)のお話があるの… おねえちゃん、
内裏に上がって、天子さまにお仕えするの」
操の美しさは、都でも評判になっていたし、
こういう話はむしろ遅すぎるくらいだった。



年が明け、承和9年(西暦842年)。

「ヽ(^ω^)ノ ばんじゃーい。ようやく、お仕事が決まったお。
にーさん、ありがとうね。がんばるお」
宗貞が手を回し、どうにかこうにか、安貞は
右近衛府にもぐりこむことができた。
18才の在原業平の部下で、「将曹」という役職である。

「(^ω^)よろしくね、将監さん(=業平)。
うわさ通りの、かっこいい人だお」
「あんた… ほんとに良岑さんの弟さん? ぜんぜん似てないね」
兄の良岑宗貞はダンディーな遊び人で、
都の女性人気を業平と争う。
一方この弟は、どう見ても「バカ」…
彼は、とんでもないバカな死に方をして、
歴史に名を残すことになるのだ。



この年、左兵衛督(さひょうえ の かみ)を務める
藤原長良(ながら)の家で、女の子が生まれた。
泣き声もかよわく、お人形のような赤子。
「これ、ほんとうに人間の子ですか? 
まるで… 天女か、かぐや姫…」
兄の基経(もとつね、7才)は、ありがたい仏像でも
拝むかのように、妹の顔をのぞきこむ。

「ほんとに… 生まれたばかりで、ここまで
愛らしい子も珍しいですわ」
「これは生まれながらにして、女人の
最高位につくべき運命の女…」
この時から基経にとって妹は、この世で最も大切な宝となった。
この妹をもっともふさわしい場所、女性として
この世で最も高き地位、すなわち皇后に。
それが、基経の大いなる野望となった。
「この世で、最も高いところへ連れてってやるぞ… 
高子(たかいこ)…」
藤原高子、地上に舞い降りる。



紀名虎の娘、静子は、18才になっていた。
勝気で情熱的な瞳の、「美しき虎」を思わせる美少女。
「パパのお嫁さんになる!」と言ってた子供時代と
今も気持ちは変わらない。
そんな静子に、道康親王の更衣(こうい)として
入内(じゅだい)する話が持ち上がった。

「更衣」とは、天皇に仕える女官にして妻。
(妻としてのランクは、上から3番目)
「親王は、次の次の天皇になられる予定の方だ。
静子、たのむぞ。紀一族のために」
この時、静子は初めて、父にとって自分は、単に
かわいい娘というだけでなく、権力を手にする
ための持ち駒でもあったのだと、気がついた。
ショックだった。

「まかせて、お父さま。私、第2の檀林皇后になってみせる!」
静子は気持ちを切り替え、けなげにも、父のため
権力争いのただ中へ、飛びこむ覚悟を決めた。
こうして静子は、仁明天皇の第一皇子
道康親王(16)と結ばれた。
親王にとって、静子が初めて迎える更衣、
つまり初めての女性となる。

思春期まっただ中の親王は、2才年上の
美しい静子に夢中になった。
将来いく人の女人と出会おうとも、お前こそが
永遠の恋人、ユー・アー・ザ・オンリー・ワン。
そんな中二病特有の愛の言葉を聞きながら、静子は
「しめしめ」と思いながらも、少年親王の一途な瞳の
奥に、危ういものを見ていた。
(この方の一途さは、将来、この方を滅ぼすかも…)

道康親王、後の文徳天皇は、この少年の日の誓いを
たがえることなく、最後の日まで静子を愛し続け、
その愛ゆえに滅ぶことになる。



いよいよ、操が内裏に上がる日が来た。
「吉子がもっと、泣いてさわぐかと思ったけど」
「もう大人だし、いいかげん、おねえちゃん離れしないとね…」
意外にも、吉子は冷静に、この日を迎えた。

「姉さま。これからはもう、あまり会えないと思うけど… 
体に気をつけてね」
「よっちゃん。私、待ってるから」
「…何を?」
「よっちゃんもきっと… 私のところへ、来ることになるよ」

「はあ? 内裏へ? 私が? バカじゃないの、姉さま! 
私なんか、声がかかるわけないでしょう。姉さまと
ちがうんだから。こんな、ウネウネした髪の私に…」
しかし、操は知っていた。
今回の入内を斡旋したのは、檀林皇后・橘嘉智子であり、
いずれ吉子も呼び寄せるつもりでいることを…

その夜、吉子は生まれて初めて、1人で寝た。
幽霊が出るんじゃないかと怯えながら、
夜具を涙で思いきり濡らしながら。
姉さまがどういうつもりか知らないけれど、
私は内裏なんかに上がるつもりはない。
こんな姿で、華やかな宮廷の社交界なんか、
出ていけるわけがない…
となると、姉とは年に1回か2回会える程度だろう。

「どうか夢の中で、姉さまと会えますように…」
吉子が姉を恋しく思う気持ちの前に、今のところ
男が入りこめるスキはまったくない。
小野貞樹が、その後も何度かアタックしたが、
まったく相手にされなかった。


仁明天皇の更衣となった操は、「小町が姉」という名で、
古今集などに、以下の歌を残している。

時すぎて 枯れゆく小野の 浅茅(あさぢ)には
今は思ひぞ たえず燃えける

(青々と茂った時が過ぎて枯れてしまった、小野の里から
とってきたこの茅(かや)。これに今、火をつけると燃え
上がるように、あなたの情熱が冷め、捨てられてしまった
私にも今、恋しい思いが絶えず燃えているのです)

ひとり寝(ぬ)る 時は待たるる 鳥のねも
まれに逢ふ夜は わびしかりけり

(1人で寝るさびしい夜は、鶏の鳴き声=夜明けが
待ち遠しいのに、たまに愛しいあなたと逢う夜は、
鶏の声が、わびしく聞こえるのね)



7月15日、今年に入ってから体調が
悪化していた嵯峨上皇が、崩御。
嵯峨帝はかつて、都を奈良に戻そうと企てる実の兄、
平城(へいぜい)上皇と対決したことがある。
京都VS奈良、都の地位をかけた争い。
結果はご存知の通り、奈良は破れて単なる地方都市に格下げ、
大阪のベッドタウンとなり、「遷都くん」のキャラクター騒動が
起こるまで長い間、人々の記憶から消えてしまう。

勝者となった嵯峨帝はしかし、複雑な事情により、自分の
子供(正良親王=仁明天皇)を後継者=皇太子にはせず、
弟の大伴親王(=淳和天皇)を指名する。
淳和帝が即位すると、やはり複雑な事情により、
自分の子供ではなく、嵯峨帝の長男(正良親王
=仁明天皇)を皇太子に。

こうして、嵯峨帝と淳和帝の兄弟が、それぞれの家から
交替で天皇を出す、「両統迭立(りょうとうてつりつ)」の
協約が、暗黙のうちに成立した。
嵯峨帝が存命の間は、これが平和的に守られていたのだが…


現在の皇太子である、恒貞(つねさだ)親王
の寝室から、悲鳴が。
「曲者ッ!」
几帳1枚へだてて待機していた、伴健岑
(とも の こわみね)が飛びこんでくる。
健岑は、春宮坊(とうぐうぼう)帯刀舎人(たちはき の とねり)、
つまり皇太子直属のSPである。

親王以外の人影は見えなかったが、確かに、自分たち
以外の何物かの匂いが残っている… 
かすかに、獣くさい匂い…
(根黒寺か…)

親王が以前から訴えている、「自分の命を狙っている影」は、
被害妄想ではなく、確かに存在する。
それも、恐るべき暗殺のプロ… 雇い主は恐らく…
(檀林皇后・橘嘉智子!)

「ひいいい… な、中村さん、何やってるんですか!
もう、ほんとにグズなんだから…」
「皇太子さま、お気を確かに。私は中村さんでは
なく、健岑です。お怪我はありませんか?」
この恒貞親王を亡き者とし、我が子である仁明帝の
家系で、皇統を独占するつもりにちがいない。

嵯峨帝が、わが子である仁明帝を皇太子にできなかった
理由の1つに、仁明帝の母=橘嘉智子が、橘氏という
臣下の中でも格下の氏族出身である点が上げられる。
嘉智子はさぞくやしく、息子にすまない気持ちだったろう。
それでなくとも、橘氏を藤原氏に匹敵する強大な
氏族にせんと、野望を燃やす嘉智子だ。
「両統迭立」の協約を打ち破る機会を、虎視
たんたんと狙っていたにちがいない。

(このままでは、皇太子が危ない… なんとかしなければ…)