小町草紙(一)





7、 藪の中




次の夜… 恋の第2ラウンドに挑むため、
再び姉妹の家を訪ねる業平。
が、長女の寝床はもぬけのカラ、そして女の悲鳴が。
「屋根だ!」
業平はすばやく庭の木に登ると、屋根へ飛び移る。

「小僧… 命を粗末にするんじゃねえ… そこをどきな」
満月の照らす下、失神した長女を抱きかかえる不気味な男。
四角い体、四角い顔、そして背中が… まるで泡立つように、
着物の下からゾワゾワと動いている。

しかし業平は、恐怖というものを感じない男であった。
「この下郎、俺の女に汚い手で触れるな!」
あいにくと、弓はもってきていない… 
仕方なく、素手のまま突っこんでいく。

「なんという、命知らず… 殺すには惜しい男よ」
怪人は、消えた。
タックルをかわされた業平は、そのまま屋根から転落。

大騒ぎとなった姉妹の家を後に、怪人は春日の森に降り立った。
「う… は、ここは!?」
意識を取り戻した長女は、何か虫のような生き物が、
体をザワザワと這い回っているのに気づく。
見れば、自分を抱きかかえた怪人の袖口から、
何か這い出してくるではないか。
「ひ…」

「騒ぐな。こいつらはただの蟹、川にいるかわいい沢蟹だよ。
もっとも、俺が命じれば、たちまちあんたの肉に食らいついて、
小半時で白骨に変えるがな… 俺の名は、甲羅丸(こうらまる)。
これからあんたを、伊賀の国、鍔隠れ(つばがくれ)の里に
連れてゆく。そこには、「死河山(しがさん)根黒寺(ねぐろじ)」
という寺があってな…」

もはや長女は、2度と故郷を見ることはできまい。
恐怖の暗殺集団・根黒衆(ネグロス)の男たちの性欲処理係、
そして新たな根黒衆メンバーを産み落とすための母体… 
それが、根黒衆の「嫁」となった女たちの運命なのだから。



かつて盗賊、今は外道人の黒太郎こと闇黒仏師は、
奈良にもどって仏像制作に打ちこんでいた。
自分が殺めた犠牲者の魂の平安、残された
家族の幸せを、心から祈りつつ…

でき上がった十一面観音立像は、ヒノキの一木を
掘り出した、2m近い大作である。
黒太郎が以前から勉強していた密教美術の
影響を受け、異国風のムードが漂う。
顔は自然と、あの娘… 曠野に似てしまった。

後に国宝に指定され、滋賀県高月町の向源寺(こうげんじ)に
安置されることになるこの十一面観音は、仏像マニアの間で
傑作として名高い。
作者も上野国立博物館の仏像展で拝観しましたが、
いやー、すごい人出でしたね。

高月町はへんぴな田舎町のくせに、どういうわけか平安時代の
貴重な古仏が多く残り、「観音の里」と呼ばれている。
高月町立観音の里 歴史民俗資料館 
公式サイト http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/index.htm

9世紀前半は、日本美術史上に残る傑作仏像が次々作られる
時期なのだが、いずれも作者が不明なのである。
それもそのはず、闇の世界の住人・黒太郎
=闇黒仏師が作者なのだから…



そのころ、京の都、曠野の家では。
「なあ、曠野さん。あんたに会いたいちゅう
殿御がおりますのじゃ。会うてやってくれ」
「イヤです。こんな汚くて恥ずかしい身なりで… 絶対会いません」
死水尼のしつこい勧誘を、かたくなに断る。

曠野、24才、部屋にこもったきりの生活を続けている。
相次ぐ両親の死、夫との別れ、邸の荒廃… 
すっかり心が荒れ果て、何をする気力もない。
「あんた… こんな暮らしをしてちゃァ、いかんよ。
あんたを好きだって男が、まだおるんじゃもの」
「もういい… 私なんか、もういいんだ…」
今日何度目だろうか、曠野はつっ伏して、すんすん泣き始めた。


死水尼が拾ってきた男は、近江(おうみ)の国、
甲賀郡の郡司のせがれである。
名を、甲賀小三郎(こうが の こさぶろう)という。
皇室のガードマンである「兵衛(ひょうえ)」に
選抜され、都に出てきた。

左兵衛・右兵衛、各400名、諸国の郡司の子弟の
中から、武術に秀でた者が選ばれる。
この兵衛という役職は、後に、「兵衛(へえ)」と
読むようになって、武士の名前の一部となる。
たそがれ清兵衛、どん兵衛、やじろ兵衛、などなど。
「ちょーこべーえ」というCMを思い出す、中高年の方も多いだろう。

小三郎は今まで、知り合いの親戚の友人の家に下宿
していたが、居心地が悪いので、どこかにいい宿はない
かと物色していたところ、尼とバッタリ会ったのである。
(外見、なかなかの男前… 性格、ちょっと抜けて
そうだが、実直… 出世、しそうもない…)
尼はすばやくチェックすると、いい空き部屋があると誘った。

曠野の邸の、荒れ果てた様子をまったく
気にかけず、小三郎は離れに横になると、
「なあ、婆さん。どこかに、いい女おらんかな?」
「おいおい。これでもワシは御仏に仕える身… 
だが、心当たりはなくもない」

尼に導かれ、遠くからこっそり、曠野の部屋をうかがう。
「うわ… きれいな人だなあ」

曠野の境遇をくわしく聞いた小三郎は、すっかり同情し、
「あの人さえよければ、嫁さんにして田舎に連れ帰りたいなあ。
でも身分がちがいすぎるか? 俺、郡司のせがれだし、
あまりりっぱな家柄とはいえねえからな…」
「まあ、身分は低いな。が、ぜいたく言っておれん。
こんな暮らしから、早う抜け出さねば」

尼は、たびたび説得するが、曠野は心を開かない。
「やむをえん… 術を使うか」
その夜、尼は小さな笛を取り出すと… 
人間の耳には聞こえない、特殊な周波数で吹き始めた。
「犬笛」である。

野犬がたちまち集まり、邸を取り囲んで吠え立てる。
「何? 何…?」
曠野はひたすら怯え、夜具にくるまって震えていた。

翌朝、尼があいさつに来た。
「最近は野犬が凶暴化しとるようで。昨夜もうるさかったな」
「こわくて、一晩中眠れなかった…」
曠野の目は、すっかり赤くなっている。

「やはり女の一人暮らしというのは、心細いものじゃ。
あんたもいいかげん意地を張らず、頼れる男と
連れ添うほうがいいよ」
曠野はまたしても、ぐすぐす泣き始めた。
しかし、いつもとちがう… と、尼は見抜いた。
恐怖の一夜をすごした後で、人に飢えている… 
人の愛に、飢えている…


その夜、尼の手引きで、小三郎は曠野の部屋に忍んだ。
「こんな見苦しい家で、見苦しい女を抱きたいなどと… 
私を辱めたいのですか?」
「あなたはきれいですし、この家もりっぱです… 
大した家柄でもない田舎者ですが、あなたを守りたいのです」

曠野は、小三郎の実直なところに、好感をもった。
また、決して「遠い国」ではないが、行ったことのない甲賀に
連れてってくれるというのも、心が動いた。
「…来なさい」
「はい、お世話になります」

遠慮がちに、小三郎は曠野のこわばった体を抱いた。
これほど落ちぶれても、気高さを失っていない曠野に感動し、
気高い女を抱いてると思うと、いっそう興奮がつのった。

はじめは、こんな身分の低い男と床をともにするなんて…
と、情けない気持ちだった曠野だが、いくたびかの夜を重ねるうち、
しだいに小三郎に、弟のような親しみを感じるようになった。
前の夫より上手い小三郎の愛撫に、昂ぶりの
声を上げることも、しばしばであった。


こうして、だんだん夫婦らしい気分になり、曠野の顔に
少しずつ笑顔が戻ってきたころ、小三郎の任期は終了し、
甲賀へ旅立つ日が来た。
見送るのは死水尼1人だが、晴れ晴れと
した顔で、2人に手をふる。
「曠野さん、幸せにな! もう、つらいことは忘れるんじゃぞー」

ついに、2人は視界から消えた。
「やれやれ、これでひと安心… 邸の方は、
外道人の隠れ家として使わせてもらいますぞ」
めでたし、めでたし… ではなかった。


「さあ、ついた! ここが俺の実家さ」
「あら、りっぱなおうち…」
「まず、父と母に紹介しよう… さ、こちらへ」
「あなたッ!! その女は何者です!?」

「え…」
「あーッ や、やあ、おまえ… おまえにも話そうと」
「そんな女、すぐに追い出しなさいッッ」
「どういう… こと?」
どういうこともヘチマもない、小三郎には
北の方(本妻)がいたのである。


この年、9月7日、平高望(たいら の たかもち)生まれる。
その子孫から平将門や平清盛が出る。

また、唐に留学していた尾張浜主(おわり の はまぬし)が
帰国、「陵王」の舞を伝える。



承和7年(西暦840年)。

都では、盗賊が横行。
「丹後の黒猫」の異名をとる、黒次郎こと
多襄丸(たじょうまる)がその首領だ。
2月に特別警戒命令が発令、3月に特別捜査本部が置かれる。



真砂、23才、夫の金沢武弘とともに、
丹波(たんば)の国へ旅をしている。
(丹波は現在、京都府と兵庫県に分かれている)
4年前、中務大輔の警護主任という大役に抜擢されながら、
むざむざ盗賊の手によって大輔を殺されるという失態を演じ、
武弘の出世の道は永久に断たれた。

役所を追い出されることはなかったが、窓際に追いやられた
武弘は、酒やギャンブルに溺れ、ダメ人間になっていく。
妻の真砂は、献身的に夫を支えた。
破局の危機も何度かあったが、ついに
2人は人生をやり直すことに。

衛門府を辞し、真砂の父の出身地、丹波の亀岡へ。
父の親類が、丹波国府の衛士の職を
世話してくれることになっていた。
ちなみに衛門府も「左衛門」と「右衛門」に分かれており、
後に武士の名前の一部となる。
「右衛門(ウエモン)」は、→「ウェモン」→「エモン」と発音が変化。
荒木又右衛門、サントリー伊右衛門、ドラえもん
といった武士が有名だろうか。

「真砂… ごめんな、苦労かけて。
亀岡に着いたら、俺必死で働くから」
弓をもち、矢を10本ほど差した箙(えびら)を背負い、
妻をのせた馬を引いて歩く武弘。
「わかってくれれば、ええんよ。誰だって、
人生がイヤになることあるもん」
これで、この人も立ち直ってくれそうだ… 
真砂の心は、明るくなった。

「やあ、あんたたちも丹波かい?」
同じ方向へ向かう、旅の男が声をかけてきた。
りっぱな刀を腰に差しており、武弘と同じ武士と思われるが、
やけに目のギラギラした、不精ひげが退廃的な雰囲気を
かもす色男で、額に、ひとすじ刀傷がある。

「私たちは亀岡ですが、そちらさんも?」
「ああ。ごいっしょしますか。丹波は初めて? 
秋になると栗が美味いよ」
などと世間話をしながら歩いていたが、武弘は
ついつい、男の腰のものへ目がいく。

「ああ、この刀? これは陸奥(むつ)で作らせた
もので、蕨手刀(わらびてとう)というんだ」
「見せてもらえます? へえ、こりゃ逸品ですね…」
「柄(つか)が刃に対し、微妙な角度で曲がってるだろ? 
馬に乗ったまま振り回しやすいよう、工夫されてるんだね」

陸奥(青森、岩手、宮城、福島)は鉄の産地であり、
出雲から伝わった製鉄技術があり、古代の
ある時期まで、優れた刀を生産していた。
(いいなあ、これ… ほしいな…)
「相当気に入ったみたいだな… 
なんなら、その弓と取り替えるかい?」
「えっ いいの?」

男は武弘から受け取った弓の、しなり具合などを確かめ、
「うん、なかなかいい弓… 名のある職人の仕事にちがいない」
(いやいや、それはないって… 安かったんだから…)
苦笑いする武弘、腰に蕨手刀を差し、ラッキーな気分である。
「申し訳ないですね。こんないい刀と交換していただいて」
武器に関心のない真砂は、そんなやりとりを
退屈そうに聞いていた。


やがて一行は、山城(やましろ)と丹波の国境、
大江山にさしかかる。
現在の住所でいうと、京都市西京区大枝と
亀岡市の境、国道9号線、老ノ坂峠のあたり。
「いよいよ大江山か… この辺りは、気をつけないと」
「盗賊が出るらしいですね」

「なあ、あんた… 万が一、賊が出た場合にそなえて
矢を2・3本貸しといてくれない?
弓だけじゃ何もできないからな… 山を越えたら返すから」
「うん… そうですね」
大切な妻、大切なお宝の刀を守らなければならないし。
襲われたら、1人より2人で応戦した方が…
武弘は3本の矢を渡した。

そんなふうに用心しながら、峠を越えた。
「よかった… なにごとも起こらずに、済みそうですね」
「そうだね。じゃあ、この辺で昼飯でも食う? 
もう、こんなに日が昇ってるし」
「言われてみれば、腹もすいたな。真砂、弁当にするか」
「あー待って! 道の真ん中で、食ってるとこ襲われたら
ひとたまりもない。そこの藪に入ろう」

藪の中に、小さい空間があった。
「さ、真砂。つかまって」
妻を馬から下ろそうとした、その時… 
両手がふさがった、まさにその瞬間。

「ヘーイ、若だんな。動くと、脳天にブチこむゼ」
ここまで旅をともにした男、すなわち多襄丸が
矢をつがえ、武弘に狙いをつけていた。