小町草紙(一)





4、 筒井筒(つついづつ)




男には複数の妻がいて当たり前のこの時代、
良房には1人の妻しかなかった。
それというのも、妻の潔姫(きよひめ)は、
嵯峨上皇の皇女だからである。
(歴史上、初めて臣下に嫁いだ皇女らしい)
第2夫人をもつことなど許されるはずもなく、
家でも奥方の方が格上だ。

そんな息苦しい夫婦関係のせいか、子供は
明子(あきらけいこ)1人しかできなかった。
(後に、甥の基経(もとつね)を養子にむかえる)
その明子は今年6才、しもぶくれのプニプニした
人形のような少女だが、どうも霊感体質らしい。
人には見えないモノが見えたり、「もののけ」に
憑りつかれることが、よくある。

「雷が御所に… 何人も死ぬ… 
鐘の中に人が… 鐘ごと焼かれる…」
不吉な、予言めいたことを口走ることも。
それもそのはず、前世はトロイアの王女、
不吉な女予言者カサンドラなのだから。
「この娘、まともに嫁ぐことができるだろうか…」
それだけが、良房の悩みだった。


一方、両親と離れ、皇太子として1人宮中に残った
恒貞親王も、何か得体の知れないドロドロした
空気を感じ取り、不安な日々を送っていた。
そのストレスのためか、精神が不安定になり、
とつぜん叫んだりすることも。
「中村さん! 仕事ですよ!」

「どうしたのです、恒貞さん? 中村さんてだれ?」
焦点の定まらない目で順子を見つめると、
「30すぎた女は、羊水(ようすい)腐ってますから」
「な、なんですって!? 私はまだ26です!」

異常な精神状態におかれた時、人間の脳は、
時空を超えた電波を受信することがある。
果たして恒貞親王の受信した電波は、
どのような意味をもつのだろうか?
その答えは42年後に。



大和の国、石上集落。
神社の境内にある小さな井戸で、男の子と女の子が、
水に顔を映して遊んでいる。
「お前、変な顔」
「あんたのが変でしょ!」
「うーん、顔は引き分けか…」

どちらも今年6才、行商人の息子「櫟丸(いちいまる)」と、
神職の娘「なず菜」という。
「よーし、じゃあ、背たけで勝負だ」
「いいわよ、ここに立ちなさい」
井戸のわきに、2人並んでみるが、ほとんど同じである。

「なかなかやるな、てごわい奴…」
「じゃあ今度はね、髪の長さで勝負」
これはさすがに、女の子のが長い。
「1勝2分で私の勝ち! やーい負け犬! 櫟丸のまけいぬうー」

うわーん! と、男の子がうずくまって泣き出した。
「ああっ いっちゃん、ごめんね! 私の負けでいいから!」
「…お前ら、ほんと仲いいな…」
水をくみに来た在原兄弟の弟が、それを見ながら、あきれている。

この集落は後に、「在原寺」という寺になって明治まで残って
いたが、現在は小さな「在原神社」と、この井戸が残るのみ。
「筒井筒」もしくは「井筒」と呼ばれるこの井戸は、
幼なじみ2人の純愛物語で有名になる。
(「井筒」って名前の料理屋とか和菓子屋さん、よくあるよね)



そのころ、京の都では。
文屋康秀とつきあっている衛士の娘、
真砂(まさご)は、じれていた。
この時代、男が女のもとに3日連続で通うと、結婚成立となる。
康秀は週1回程度のペースでしか通わず、
1ヶ月くらい間があくこともあった。

彼には、もっとビッグなアーティスト(歌人)になるという野望があり、
そうなればもっといい家の、もっといい女と結婚できる…
がさつで楽天的な真砂も、さすがに自分が、本命が
現れるまでのセフレ扱いされてることに気がついた。

「あんなチンチクリン、こっちから切ってやる!」
康秀が訪れても、いっさい中に入れないことにした。
「またきっと、出会いがあるよね…」
ちょろっとだけ、涙が出た。
しかし、康秀という男を愛していたわけでなく、「アーティスト
(歌人)を恋人にしてる」というスノッブな気分に酔っていた
だけということにも、気づいていた。

この決断は、正しかった。
しばらくして、父と同じ職場に務める、金沢武弘
(かなざわ の たけひろ)という男から恋文がきた。
年は25才、武士にしては優しげな、色白の美男である。
社会的地位は低いが、他はすべて合格、超好みである。
とりあえず、文通してみることに。



変わり者の娘・曠野(あらの)にも、新たな出会いが待っていた。
父が連れてきたのは、右兵衛佐(うひょうえ の すけ)という
役職の、藤原恒輔(つねすけ)という男。
皇室や要人の警護をするSPセクションの次長であり、
まだまだ出世しそうなエリート青年。

(中務(なかつかさ)大輔(たいふ)の義理の息子… 
コネとしては悪くない)
そんな野心から曠野に会う気になった恒輔だが、
一目見るなり、その美しさに惚れてしまった。
「お義父さん! ぼくが必ず、曠野さんを幸せに!」

曠野としては、エリ−トなどに大して
興味はなかったのだが、父親が
「早く夫を迎えないと。俺だってもう若くないし、俺が死んだら、
誰がお前のめんどうを見てくれる? 恒輔は俺の見こんだ
男だし、お前にベタボレだ。これ以上はないって相手だぞ」

仕方なしにつき合ってみると、意外と話が合った。
エリートだけに知性的で、読書家の曠野と、
いい感じで会話が進むのである。
「私は将来、国司になるのが夢なんです。
その時は、曠野さんも任地にお連れしたい」
「ほんとですか!? できるだけ遠い国がいいなあ。
日向(ひゅうが)とか出羽(でわ)とか」

「遠い国に連れてってくれる」という約束が
決め手となり、ついにゴールイン。
曠野にとって束の間の、幸せな日々が訪れたのである。



この年、陰陽師の弓削是雄(ゆげ の これお)が生まれる?
富士山に登ったかもしれない男、都良香
(みやこ の よしか)も生まれる。

そして摂津(せっつ)の国、須磨の浜(神戸市須磨区)
では、双子の姉妹が誕生。
後に「松風」「村雨」と名乗るこの姉妹も、
日本の古典に名高き恋をする運命に。



承和2年(西暦835年)。

この年の任官で、藤原恒輔は中務少輔
(なかつかさ の しょう)となった。
もちろん曠野の父の、強い推挙があってのことである。
中務省は、天皇の補佐をする重要な役所であり、
少輔(しょう)は事務次官補といったところか?

恒輔は浮気もせず、夜のおつき合いも控えめで、
曠野の家にまっすぐ帰り、美しい新妻と
イチャイチャするのが日課だった。
曠野もまた、化粧をして夫の帰りを待つのが、
だんだん楽しくなっていた。

※この時代は「通い婚」が主流で、結婚しても
妻は実家を離れず、夫は妻の家に通う。
子供が生まれると、妻の実家で育てる。
大きな邸をかまえる大貴族の場合だと、本妻を自分の邸
(母屋の北にある「北の方」)に住まわせた。


一方、真砂もついに、金沢武弘と結婚。
今年18才、「貴族の妻になる」という夢は、しだいに
非現実的で色あせたものになっていた。
現実の人生の選択としては、武弘は最高の伴侶と思える。
「絶対に、君を幸せにする」「どんなことがあっても、君を守り抜く」
そんな情熱的な言葉で、武弘は真砂の心をつかんだ。

「武弘さま、私、幸せ…」
夫の、武士にしてはほっそりした腕に抱かれながら、いつまでも
この幸せが続きますよう… 祈らずにはいられない真砂であった。
「金沢武弘」で検索すると、真砂を待ち受ける
運命が丸わかりなので、検索しないでね。



京の都から南へ、現在は茶どころとして知られる宇治(うじ)。
宇治川の流れを見ている、1人の法師がいた。
こんな田舎に似合わない、都会のお坊ちゃん的雰囲気のある、
どこかボーッとして、優柔不断そうな坊さまである。
「ん〜? あれは?」

川の流れに、何か光るものがあった。
不思議な水晶の玉… 何か文字が書いてある…
そのメッセージを読み終わると、玉は流れにもまれ、消えていった。
六歌仙最後の1人、喜撰(きせん)法師、この年35才。

宇治茶で「喜撰」というブランドがあるが、その元ネタになった人だ。
幕末に黒船が来航した時、「泰平の眠りをさます上喜撰」
という歌がはやったそうだ。
これは、「上喜撰(上等な喜撰)」と「蒸気船(=黒船)」を
かけたものである。

ある女性に失恋し、出家して、この宇治で隠棲しているという噂。
そんな喜撰を、都から訪ねてきた者がいた。
「これは父上… どうぞ、こんな汚い庵ですが、おあがりください」
都の貴族、紀名虎(き の なとら)。
数人の従者と、今年11才になる愛娘の
静子(しずこ)を連れ、やって来た。

その名の通り、猛虎を思わせる獰猛な顔つきで、庵の中を見回す。
「帰ってくる気がないなら、せめてまともな坊主になれ。
御園(みその)んとこの松永(まつなが)は、あの若さで
阿闍梨(あじゃり)になって、弟子もおおぜいいるぞ」
「はあ…」

紀御園は名虎の親戚で、「巡察弾正(だんじょう)」という、
行政の査察官を務める。
その長男の松永というのは、後に天狗になる真済のこと。
真済と喜撰が親戚関係にあったとは、作者も今知った。
「松永に口をきいてもらうから、東寺にでも入って修行しろ」
「はあ…」

「はあはあ、ってアナタ。ねえ、お父さま、
これほんとうに兄さまなんですか?」
「うん、そうなの。しずちゃん。一番上の兄さまの、
虎恒(とらつね)っていうの」
名虎の顔が一転、とろとろになる。
「こんなに強くてかっこいいお父さまから、
こんなウジウジした男が生まれるなんて!」
「しずちゃんは、こういう男をお婿さんにしないようにね」
「静子は、お父さまのお嫁さんになるもの」

パパ大好きっ子の静子の前世は、ミケーネ王
アガメムノンの娘エレクトラである。
その間、喜撰は床の割れ目を指でほじくって、ウジウジしていた。
ウジウジしてるから宇治に隠棲しているのか… 
と、作者も今気がついた。

結局、いくら説教しても「はあ…」ばかり。
名虎も疲れ果て、静子とともに引き上げていった。
「もういい… あのせがれは、生まれてこなかったと考えよう」
これが父子の、そして兄妹の今生の別れとなった。