小町草紙(一)





3、 六歌仙(ろっかせん)




しかし、大伴黒主こと黒三郎もまた、
六歌仙の玉を拾っていたのである。
「どうやら私は、歌人として大成できるらしい… 
歌で名声をつかみ、貴族社会の名士となり、
やがては大臣にでも成り上がろうという私の野望、
実現できるかもしれぬな…」
「なんてことを… あなたにとって歌とは、
出世の道具にすぎないのですか?」
「私の最終目標は、この国の支配者となること」

悪くいえば卑しい、良くいえばワイルド、都の男にはない
ダークな雰囲気を漂わせる黒三郎に興味をもち、
処女を与えた曠野(あらの)であったが、
この時の男の瞳に、邪悪なものを見た。

「あまり身分不相応な夢を見ないことです。
あなたは、そこまでの器ではありません」
黒三郎は、女のほおを叩いた。
それっきり、2度と通ってこなかった。



翌、天長9年(西暦832年)。

瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島に、醍醐寺を
創建する聖宝(しょうぼう)が生まれる。
「前世は聖徳太子」と言われる聖宝だが、実は前世は、
牛飼い座ボーオーテスの聖闘士アルクトゥルスなのであった。



出羽の国では、秋を向かえ、田んぼが黄金色に波打っていた。
吉子は姉の操(みさお)とともに、牛車に
乗りこんで、収穫のようすを見て回った。
なかなか外に出たがらない吉子を、操がむりやり連れ出したのだ。
文句を言っていた吉子も、今ではすっかり、
のぞき窓の外に見入っている。

「稲ってふしぎだよね。冬の間は何もなかった
のに、どこから出てくるんだろう?」
「ふしぎよね、よっちゃん」
「誰がやってるのかな?」
「神さまじゃないかな」

人類が農業を始めるとともに、「大地の女神」が誕生した。
名前が残っている最も古い例は、シュメールの
イナンナ=バビロニアのイシュタルだろう。
後に「愛と美の女神」という役割がふられる
アフロディーテも、元は「大地の女神」であり、
イナンナ=イシュタルの後裔といえる。

「大地の女神」の仕事はまず、作物を豊かに実らせること。
民はそのお礼にいけにえを捧げ、
祭りをとりおこなって女神を讃える。
女神に豊作を祈願し、祭りを取り仕切る巫女や神官が、
人類最初の「王」となるのは必然だった。
これを、「祭祀王(さいしおう)」という。

作物が成長し、刈り取られ、そしてまた生えてくる。
春から冬、冬から春へのサイクルは、生と死が循環する
世界を古代人に想起させ、「輪廻転生(りんねてんしょう)」
という概念が生まれる。
「大地の女神」たちは、「農業を司る神」の他に、
「死を司る神」としての顔をもつようになる。

「なんて神さま?」
「アマテラスさまじゃないかな」
「天子さまのご先祖の?」
「天子さまは毎年11月の、2番目の卯の日に
新嘗祭(にいなめのまつり)を行って、神さまに
その年の収穫を感謝していらっしゃるのよ」

日本では、「大地の女神」に当たるのが
「太陽の女神アマテラス」。
アマテラスには「死を司る」属性はないが、2人の弟のうち、
「月の神」である「月読(つくよみ)」(月は「農業」と「死」に
密接な関係がある)か、もしくは「根の国の王」になったと
いう「スサノオ」か、どちらか(あるいは両方)が、「死」を
担当しているのだろう。

そして現在、11月23日は「勤労感謝の日」という、
よくわからない祭日になっているが、この日は本来
「新嘗祭」であり、皇居では毎年、新米を供え、
天皇が神とともに食す。
現代に生きる古代世界である。

「へえ… 姉さま、意外に物知りだな」
村の男たちが、牛車の方を見て興奮しているのが見えた。
「郡司さまんとこの、女乗り物だ」
「操さま、乗っていらっしゃるのかな」
「あー、操さまのお顔、一目でいいから拝見したいものだ」

赤くなってうつむく操を、じろっとにらむ吉子。
「姉さま、その扇子ダサい! 超ダサダサ!」
容姿にケチをつけるところがないので、
持ち物をけなしてウップンを晴らすしかない。
「ええ〜 お気に入りなのに…」

むくれてそっぽを向く吉子の頭に、何か落ちてきた。
「なに? どこから落ちてきたんだろ?」
それは、不思議な水晶の玉であった。
「おめでとう。あなたは六歌仙に選ばれました」



翌、天長10年(西暦833年)。

帝が、表向きは体調が優れないという理由で、本音は釣りをして
のんびり暮らしたい気持ちから、譲位することとなった。
「親王さま、いよいよでございますな」
「やれやれ。宗貞、お前と怪しげなところへ
遊びにいくのも、もうかなわぬな」

正良親王の、この「実験室」自体かなり怪しい雰囲気であるが。
相手は蔵人(くろうど=天皇の秘書官)、良岑宗貞
(よしみね の むねさだ)という若者。
18才、祖父は桓武(かんむ)天皇、父は臣下に降った
大納言という血統書付きのサラブレッドだ。

「その気がおありなら、この宗貞、いつでもお供いたします」
年よりも上に見える、苦みばしった男前だが、
遊び人独特の洒脱さが漂う。
「うむ… 私の調合したこの秘薬があれば、
性病をもらっても心配ないしな」
親王は小さな壺を取り出して見せ、2人は笑いあった。

「ん? どうした、宗貞? 何か落ちているのか?」
「この玉… 親王が収集されたものですかな?」
「玉だと? どこにある?」
「何か書いてありますぞ… 六歌仙?」



大和の国、石上集落でも、少年・在原業平が玉を拾っていた。
今年9才、少しずつ女の子の存在が
気になり始めたころで、先日も兄に
「俺、歌の勉強しようと思うんだ…」
なんて相談して、大笑いされたばかりだった。

「へー、俺って歌の才能があるのか… 
でも、別に歌人になりたいわけじゃないんだ。
ちょこっと、いい感じの歌が作れたら、それで…」
将来は武士になって東国を開拓し、大平原を馬で疾走して
みたい少年にとって、少々複雑な思いを起こさせる玉だった。



2月28日、淳和帝が譲位、上皇となる。
3月6日、正良親王が第54代・仁明(にんみょう)天皇として即位。
そして、天皇の印である「三種の神器(じんぎ)」を継承する。

三種の神器とは、以下の3つの神宝である。
1、八咫鏡(やた の かがみ)
2、八尺瓊勾玉(やさかに の まがたま)
3、天叢雲剣(あめ の むらくも の つるぎ)

いずれも箱に収納されたうえ、何重もの布に
包まれ、天皇でさえ中を見ることはできない。
今上天皇も、平成元年(西暦1989年)1月7日、
「剣爾(けんじ)等承継の儀」にて、20世紀末の
東京のど真ん中で、神器を継承された。

そして11月、新嘗祭のシーズン。
天皇が即位して最初の年の新嘗祭を、「大嘗祭
(おおにえのまつり・だいじょうさい)」といい、
皇室にとって、特に重要な儀式である。
どのような儀式かというと、現在にいたるまで秘密に
包まれており、関係者以外だれも知らない。

無事に儀式を終え、年が明けるころには、薬マニアだった
正良親王もすっかり、アマテラスの後裔、天と地の神々を
統べる「祭祀王」の顔になっていた。



承和(じょうわ)元年(西暦834年)、
第54代・仁明(にんみょう)天皇の御世。

仁明帝の即位の際、皇太子には
恒貞(つねさだ)親王が立てられた。
恒貞の父は、譲位した淳和上皇である。
2つの家系から交替で天皇を出す、という
約束通りなのだが、しかし…

「なんですと? 皇太子を辞退したいと?」
淳和上皇が、皇太后の正子(仁明帝の双子の妹)、
恒貞本人をともない、帝に会見した。
「私たちが退いた後、恒貞には後ろ盾もないし、
親子で静かに暮らしたいと思ってね…」
「ぼく、なんか怖いんです…」
10才になる少年は、気弱そうにうつむいていた。

「後ろ盾がないって、そんな… 
私たちが、親王を支えますよ。甥っ子だし。
怖がることはないんだよ、恒貞くん。
ここ何年も、事件も何も起こってないし、作者も
書くネタがなくて困ってるくらいじゃないか」

確かに、淳和帝の治世はこれといった事件もなく、
たんたんと月日が流れた。
しかし、上皇はイヤな予感がするのだ… 
このまま恒貞を1人宮中に残しておいたら、
とんでもない陰謀に巻きこまれてしまうような…

「そんなに、私たちが信用できないでしょうか… ねえ、正子さん」
今や皇后となった、癒し系美人の順子が、
悲しそうに上皇の妻を見る。
「いえ、ちがうの、順子さん。私は心配してないの。
母さまが元気な間は、何も起こらないと思うし」
母である太皇太后・嘉智子ゆずりの華やかな
美貌を振りまき、順子の手を握る。

結局断りきれず、恒貞は皇太子として残ることに。
上皇夫妻は、阪急京都線「西院駅」近くにある
「淳和院」という御所に帰っていった。
ここは菅原家の領地、「くわばらくわばら」の
桑原からも、ほど近い。
しかし、上皇のイヤな予感は消えない… 
その予感の源は、藤原良房という男だった。


藤原良房(よしふさ)、31才。
この時点で、左近衛権中将(さこんえ の ごん の ちゅうじょう)
兼、蔵人頭(くろうど の とう)。
優雅で気品あふれる青年だが、左右の焦点が
微妙に合っていないその眼は、何を考えている
かわからない、不気味さがある。
頭のよく切れる男で、檀林皇后・橘嘉智子から、
厚い信頼を受けていた。
この時代、まだ藤原氏の権力独占体制はでき上がっていない。

「皇后さまにおかれましては、ご機嫌うるわしゅう…」
良房は、仁明帝の皇后順子に拝謁した。
実の妹である。

「でも良かったですわね、兄さま。恒貞さんが思い
とどまってくれて。あのまま辞められたら、私たちが
追い出したみたいで、波風立ちますものね…」
癒し系の順子、その腹はなかなか黒そうである。
「支配とは、1点のキズもなく完璧でなければならない… 
そうでしょう、兄さま?」