小町草紙(一)





2、 檀林皇后(だんりんこうごう)




天長7年(西暦830年)は、まだ続く。

橘嘉智子(たちばな の かちこ)は、孫がいるとは、
とても思えない美貌だった。
わりと丸顔で、鼻も小さいが、激しい意志を秘めた
強烈な瞳が、日本人離れしている。
勝気な眉の下に、神聖な威厳と炎を宿し、
ふとした瞬間、娼婦のように妖しく光る。

第52代・嵯峨天皇の皇后、嵯峨野(さがの)に檀林寺
(だんりんじ)を創建したことから、「檀林皇后(だんりん
こうごう)」と呼ばれる、世に類なき美女、45才。
現在は太皇太后(たいこうたいごう)という地位にあり、
嵯峨帝亡き後も、朝廷に強い影響力をもっている。

今日は毎月恒例の、子供や孫たちの顔を見て回る日だ。
「次は、正良のところね… ここは、いつ来ても変な匂い…」
宮中の片すみの「実験室」で、ゴリゴリと薬を
調合しているのは、正良親王(21)。
部屋には壺やすり鉢、さまざまな薬草や岩石、
唐から輸入した医学書などが散らばる。

「あなたは将来、医者ではなく天皇になるのだから、
他の勉強もしなくてはね」
正良は、現天皇である淳和帝の子供ではなく
甥っ子だが、皇太子の地位にある。
「太皇太后さまがお病気になられたら、
必ずやお助けしたいと思いましてね」
絶世の美女を母にもつ正良は、とうぜんながらマザコンに育った。

病気がちだったこの子が、ここまで立派に育つとは…
そして、実はこの正良が私の初めての子ではなく、
8つ年上の身分の低い「兄」がいることを知られたら… 
私のことを、どう思うだろうか?

そんな思いを封じこめ…
今年4才になる孫の道康も、生まれたばかりの
時康(ときやす)も元気だったと、正良に伝える。
いずれも乳母のもとで暮らす、彼の子供たちだ。

時康親王は、後の光孝(こうこう)天皇。
55才という高齢になってから即位し、即位後も
自分で炊事をしたという、親しみやすい帝。
グルメ趣味が高じて、「四条流庖丁式」を完成させたりする。
(天神記(二)参照)

「時康はどうも、皇位とか、権力争いとは無縁なようですよ。
のんき者になりそうだし」
しかし、道康は…
時折見せる、瞳の奥に秘めた激情… 
私ゆずりなのは、まちがいない。
だが、ああいう気質の子は、うまく立ち回らないと破滅を招く…


この日の最後に、嘉智子は娘の正子(まさこ)を訪ねた。
正良と双子の兄妹であり、現天皇・淳和帝の皇后。
「母さま、お久しぶりー! うれしい」
嘉智子の腕にしがみつく正子は、母ゆずりの
美貌をもつが、苦労知らずのお嬢さま気質。
兄に負けず劣らず、ママ大好きっ娘。

この母娘の愛情が、あのような憎悪に変わろうとは。
そして、そばにちょこんと座っている、今年6才の
正子の長男、恒貞(つねさだ)親王にあのような
歴史的使命が待っていようとは、まだ誰も知らない。



しばらくして嘉智子は、名高い学者の小野岑守
(おの の みねもり)の訃報を伝え聞いた。
「岑守さま…」
私の初めての男、そして… 初めての赤ちゃん。

橘(たちばな)氏は、古代から続く由緒正しい氏族である。
しかし、奈良時代の政権争いで藤原氏に敗れて以来、
すっかり落ちぶれ、政府の重要ポストにつくことはなくなった。

嘉智子が生まれた家も、「祖父が反乱を起こし
処刑された」忌まわしき家系だった。
「絶対に、橘の栄光を取り戻す!」
固く決意する嘉智子だが、この時代、女が
権力をつかむ方法は1つしかない。
権力者の妻になること。
その頂点が、天皇の妻、つまり皇后である。

しかし若い嘉智子の容貌は、この国の
美の基準からは、だいぶ外れていた。
「ダメかな… この顔じゃ皇后になれないのかな…」
そんな嘉智子に激しく求愛してきたのが、当時25才の岑守だ。

「美しい… あなたの美貌は、唐よりもっと西域、
天竺(インド)とか胡の国(中央アジア)の美です… 
きっと前世は、異国の女王だったにちがいない」

そんなふうに言われてるうちに、だんだん自信がついてきた。
そして、いつしか岑守に抱かれ、17才で初めて出産する
ころには、嘉智子は正真正銘、誰が見ても絶世の美女。

やがてその美貌は評判となり、ついに嵯峨帝に
求愛されるまでとなった。
かぐや姫を失った帝の、次なる恋の標的として、
このエキゾチックな美女が選ばれたのだ。

こうなると、パッとしない家柄の岑守との
関係は、終わらせるしかない。
子供も、岑守の親類に育ててもらうことに。
岑守はまさしく、嘉智子という大輪の花を
咲かせるための、肥やしでしかなかった。

嘉智子は後宮の美女たちとの戦いを勝ち抜き、
ついに「太皇太后」となるが、初めて産んだ
子供のことは、いつも気にかけていた。
その子、良真(よしまさ)は成長し、出羽の郡司となったらしい。
島流しのように遠い任国だが、都の苛烈な権力争いと
無縁に、のんびり生きてほしいと思った。

たしか、良真には娘が2人生まれたと聞いた。
どんな娘たちだろうか。
元気にしているだろうか。

気になって仕方がない嘉智子は、密偵を
雇って出羽に派遣、くわしく調査させた。
密偵は、いつも陰謀や殺しの代行を請け負う「根黒寺」
の者を使い、毎月1回、小野良真一家の暮らしぶりの
レポートを提出させた。

だから地震のことも、吉子の髪がウネウネ
天パーなのも知っている。
「なんとかして、あの子らを都に呼べないだろうか…」
呼んで、どうするのか?
もちろん、私がおばあちゃんよ、なんて名乗り出ることはできない。
ただ、そばに置いておきたい…



翌、天長8年(西暦831年)。

この年、近江(おうみ=滋賀県)で天台僧の
相応(そうおう)が誕生。
いずれ、怨霊となった真済との対決が待っている。

大和(やまと=奈良県)では、絵師の巨勢金岡
(こせ の かなおか)が誕生???
日本画の太祖となり、奥さんの顔を塗りたくる。
(天神記(一)参照)



夏のとある日、宮中では正子が、7才の恒貞を連れて、
「はーい、順子さん。氷食べない?」
氷の入った桶を従者に運ばせ、兄嫁の藤原順子(のぶこ)
のところへ遊びに来た。
「あら、皇后さま。すぐ仕度いたしますわ」

正良親王の妃、今年23才の順子は、
穏やかな癒し系の美人である。
本人にはこれといって華やかなエピソードはないが、
後に彼女の邸が、名高い恋物語の舞台となる。
5才になる息子の道康を呼んで、4人で
シャーベット状の氷をシャクシャク食べる。

この年、氷の貯蔵庫である「氷室(ひむろ)」を増設したおかげで、
宮中ではわりと気楽に、氷が食べられるようになった。
2人の男の子、恒貞と道康は、あまり仲が良さそうではない。
将来、2人を待ち受ける運命を、予感しているのかもしれない。

現在の淳和帝は、自分の子ではなく、兄である
嵯峨上皇の子・正良を皇太子にしている。
正良が天皇に即位すれば、こんどは淳和帝の子、
恒貞親王を皇太子にする予定である。
恒貞が天皇になれば、正良の子の道康を…
こうして、2つの家系から交替に天皇を出すという
暗黙の了解が、この頃あった。
これを「両統迭立(りょうとうてつりつ)」というが、
このルールがあるからこそ、正子と順子は
このように仲良しでいられるのだが…

しかし、この信頼関係も、そう長くは続かない運命であった。



縫殿寮(ぬいどのりょう)という、役所がある。
宮中用衣服の管理をするというマイナーな機関であり、
その次官である縫殿助(ぬいどのすけ)といえば、
これまた下っ端の役人である。

その縫殿助を父にもつ、文屋康秀(ふんや の やすひで)
という、今年元服したばかりの若者がいた。
パッとしない少年だが、派手な身なりをして、精いっぱい自分を
大きく見せようと、涙ぐましい努力をしている。

言葉がたくみで歌を作るのがうまく、それで
何人かの娘を落としたこともある。
今狙っているのは、「中務省(なかつかさしょう)」に務める
エリート役人の娘で、17才になる美少女。
「曠野(あらの)」という、なんとも変わった名前は、以前
両親が地方に赴任したおり、荒野の真ん中で陣痛が
始まり、この娘を出産したことから、名づけたという。

名前だけでなく本人も変わっていて、空をぼーっと
見上げていたり、唐の書物を読みふけって
「不思議な術を身につけて、どこか遠い異国を旅してみたいなあ」
なんてつぶやいて、親を心配させたりしていた。
こんな娘だから、年ごろになっても男に興味を示さない。

「あの子なら家柄の差とか、年の差とか、男の
外見とか、そういうのこだわらなさそうだし」
ちょっと変人な娘だから、ハードルも低いだろうと考えたのだが、
康秀はまったく相手にもされなかった。

吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ

(山から風が吹くと、秋の草木がしおれてしまうから、
こういう風を嵐っていうんですね)
自分を理知的に見せようと、こんなわかったような
わからないような歌を送ってみたが、結局ダメ。

意気消沈していると、「曠野に男ができた」という噂が流れてきた。
調べてみると相手の男は、かねてよりライバル視していた
大伴黒主という、19才の若い歌詠み。
どことなく盗人のような雰囲気のある卑しい青年だが、
歌の才は本物で、期待の新星と注目を浴びている。

「ちくしょう。俺だって、今にもっとすごい歌詠みになってやる…」
なんといっても、まだ14才の文屋康秀、
泣く泣く道を歩いていると…
道に、不思議な玉が転がっている。
「ん? 何これ?」

直径10センチほどの水晶のような玉で、
中に文字が浮かび上がっている。
「玻璃(はり=ガラス)か水晶か知らんが、
なんとも不思議な細工だ…」
その文字を、よく読んでみると、

「おめでとう。あなたは六歌仙に選ばれました」

延喜5年(西暦905年)に成立する、
「古今和歌集(こきんわかしゅう)」。
その序文で、紀貫之(き の つらゆき)が選んだ、
6人の優れた歌人。
それが「六歌仙(ろっかせん)」である。
(天神記(三)参照)

紀貫之本人もまったく知らないことだが、彼には「時空を超え、
お祝いメッセージを送る」という不思議な超能力があったのだ。
ちなみに作者には、腹のぜい肉を筋肉の
ように固くするという超能力がある。

文屋康秀がメッセージを読み終わったとたん、
玉は消えてしまった。
なんとも不思議な経験だが、「六歌仙」というからには、
「歌の仙人」みたいなものだろう。
それほどの優れた歌人になるという、神のお告げにちがいない。

すっかり自信を回復した康秀は、曠野をすっぱりあきらめ、
新たに「真砂(まさご)」という娘にアタックした。
今度は、康秀の家より身分が下、衛門府(えもんふ)に務める
衛士、要するに宮中のガードマンの娘で、康秀と同じ14才。

またもや変わった名前だが、母親が砂浜で
陣痛を起こし、産み落としたらしい。
ちょっとがさつだが明るい、武士の娘だけにキビキビして
引き締まった体の、情の厚い娘だった。
「康秀さま、将来きっと歌で有名になって、貴族になって
くださいまし!そして私を貴族の奥方にしてくださいね!」

「まかせときな! 俺は六歌仙なんだ、
大伴黒主なんかとは、モノがちがうぜ!」
自分より背の高い真砂を、けんめいに抱く康秀。
「痛ッ… へへ、でもこれで私… 貴族の奥さんだね」
真砂にとっては、初めての男だった。