小町草紙(一)





1、 吉子(よしこ)




天長4年(西暦827年)、第53代・淳和(じゅんな)天皇の御世。

平安京遷都から、33年がたっていた。
この頃、都の高貴な女性の間に、「十二単(じゅうにひとえ)」
という新しいファッションが流行っていた。
元祖は、あの「かぐや姫」だという。

彼女が姿を消したのは、もう10年以上も前のこと。
真相は闇の中だが、「月の世界に帰った」という
ロマンティックな噂も流れていた。

「どれほどの美女であったのだろうな、かぐやは。
父上があれほど、ご執心なさるとは」
と、つぶやくのは嵯峨(さが)上皇の第2皇子、
正良(まさら)親王、18才。
後の第54代・仁明(にんみょう)天皇である。
父の嵯峨帝は、かぐや姫にさんざんプロポーズしたことで有名。

生まれつき病弱で、独自に医学薬学を研究、
自ら薬を調合するほど薬マニアの正良。
そんな正良にも、今年、皇子が生まれた。
「体の弱い私が、無事に皇子をもうけることができたのは、
我が秘薬のおかげ…」
生まれた皇子は道康(みちやす)親王、
後の第55代・文徳(もんとく)天皇である。



この年、藤原国経(くにつね)も誕生している。
若い奥さんを時平に奪われ、恨みを残して死んだあげく、
死霊となって復活、菅原道真とつるんで時平の邸を襲う、
あの国経である。
(天神記(三)(四)参照)

遠く讃岐(さぬき)の国より比叡山(ひえいざん)に登り、
修行生活を始めた少年の姿もあった。
異様なおにぎり頭… 黄金の巨人「黄不動」を
召喚する超能力者・円珍、14才。
(天神記(一)「黄不動」参照)



かつて「平城京」と呼ばれた、奈良の旧都。
首都の座を失って33年、そろそろ
さびれ始めたような雰囲気もある。

とある小さなお堂で、カリカリと仏像を彫っている男がいた。
27才という年齢より遥かに老けて見える、その凄みと老練さ。
丹後(たんご)の国から流れてきた、「黒の三兄弟」と
呼ばれる盗賊の首領、黒太郎だ。

部屋のすみには、卑しい顔つきの少年、15才になる
弟の黒三郎が控えている。
そして、今ひとり… 影のように入ってきた男が。
「兄者、何用だ一体… せっかく、いいところだったのによ」
兄の黒太郎は背を向けたまま、
「女の匂いがプンプンしてるぞ、黒次郎」

猫のようにしなやかで、色男だが不精ひげが
退廃的な次男・黒次郎、19才。
「仕方ねえべ。女をこまして、俺たちの言いなりに
なる道具に仕立てあげるのが、俺の仕事」
単なる「仕事」ではないのだろう、根っからの
女好きのギラギラした光が、眼の奥にある。

「まあ、いい。実は黒三郎のことだが」
ノミを置いて、末の弟に目をやる長兄。
「お前も知ってるように、黒三郎には歌の才能がある。
本人も、盗人から足を洗って、歌で飯を食いたいと望んでいる。
で、だ… 希望どおり、抜けさせてやることにした」
「本気かい」

「都に上って、参議の伴国道(とも の くにみち)さまの世話に
なることになった。もちろん、盗人をしてたことは秘密だ」
三兄弟は今でこそ盗人だが、元を正せば妾腹とはいえ、
古代からの名族・大伴氏の血を受け継ぐ。
(現在の天皇・淳和帝の名が「大伴(おおとも)」といったので、
不敬にならぬよう、4年前に大伴氏は「伴氏」と改名した)

「同じ大伴氏とはいえ、よく俺らみたいのを… 
うまく丸めこんだもんな、兄者よ」
「それもこれも、黒三郎の歌の力よ。名残を惜しめ。
これで黒三郎とは、今生の別れぞ」
「俺らのようなヤクザな兄がいたんでは、出世に
さしさわりがあるってことか」

黒三郎は、涙を流して両手をついた。
「兄さまがた… 今まで、お世話になりました!」
黒次郎は、皮肉な目つきで弟を見下ろす。
「三郎よ、お前の成功を願っちゃいるが、体にしみついた
盗人の臭いは、おいそれと消えねえと思うぞ… 
いつかボロを出すだろうし、俺たちの助けがいる時も、
きっと来るだろうよ」


翌日、黒三郎は京の都に旅立った。
後の、小町の宿敵・大伴黒主(おおとも の くろぬし)である。



翌、天長5年(西暦828年)。

京に上って早々、黒三郎のパトロン、参議の伴国道が病死。
が、国道の五男の善男(よしお、18才)が引き続き
面倒を見てくれることになり、黒三郎、ひと安心である。
年令も近い善男とは、親友同士に。

伴善男、後に応天門放火事件で流刑になる、「伴大納言」だ。
(天神記(一)「伴大納言」参照)


一方、奈良では。
黒次郎がこました女の1人が、女児を出産した。
母が身分の低い下女、父が盗人では、幸せなど望むべくもない。
「清乃(きよの)」と名づけられたこの赤ん坊は、
後に「清姫」に転生する。
(天神記(三)「清姫」参照)



翌、天長6年(西暦829年)。

大和(やまと)の国、石上(いそのかみ)集落。
(現在の奈良県天理市)
今年5才になったばかりの美しい顔立ちの
少年が、弓の稽古をしている。
「女なんて、何がいいんだろうな? 俺にはぜんぜんわからん」
小さい弓ながら、百発百中の腕前。

そばでは、7つ年上の兄が蹴鞠(けまり)の練習をしている。
「お前は、まだガキなんだよ」
つま先、かかと、あるいはサイドキックで、
たくみなリフティングの技を見せるこの兄も、
涼やかなイケメン少年である。

「なんだよ兄貴、裏切るのか」
去年まではこの兄も、同じことを言っていたのに… 
さては、色気づいたか。
「俺は武人になって、戦いに生きるんだ! 
女なんて、いらん!」
「いや、お前も絶対、女追い回すようになるから」

この兄弟は本来なら、皇族として華やかな宮中で
暮らしていても、おかしくはないのだが…
彼らの父、阿保(あぼ)親王は、第51代・平城(へいぜい)
天皇の第1皇子であり、皇位を継ぐべき人物であった。
しかし権力闘争に敗れ、大宰府(だざいふ)に左遷された
あげく、5年前にようやく都に戻ることを許された。

3年前に子供たちを皇族から外し、「在原(ありわら)」の
姓を賜って臣下に降した。
この兄弟は、先々代天皇の孫でありながら、現在は
一般人となって、このさびれた集落に隔離されている。
今の朝廷に不満をもつ者が、この兄弟を擁してクーデターを
企てるかもしれず、密かに監視されているのだ。

その時、新しい命の誕生を告げる、元気な泣き声が響き渡った。
「おとなりさん、生まれたらしいな」
となりの家の行商人、実は兄弟を監視するスパイなのだが、
この家に男の子が生まれたようだ。

「おめでた続きだな… おい、お前さ。赤ん坊が
どうやってできるか、知ってるか?」
「知らん。子授けの神が届けてくれるんじゃないのか?」
弟は汗をふきながら、小さな神社に入っていく。
3日前には、ここの神職の家に女の子が生まれたばかり。

境内に、この集落で唯一の井戸がある。
後に、日本一有名な井戸となるこの井戸で、
水をくみ、顔を洗った。
トロイアの王子パリスの転生・在原業平(ありわら の なりひら)は、
己を待ち受ける数々の恋、そして、この井戸を舞台にした
ラブストーリーを、まだ知らない。



さらにこの年、大学頭(だいがくのかみ)を務める藤原良房
(よしふさ、26才)にも長女・明子(あきらけいこ)が誕生。
後に真済(しんぜい)の怨霊に憑りつかれ、大変な目に会う、
通称「染殿后(そめどののきさい)」。(天神記(一)参照)

その真済は5年前に、24才という若さで阿闍梨(あじゃり)に
昇格、僧侶として出世ロードをバク進中である。
後に、天狗第1号となる運命も知らずに…



翌、天長7年(西暦830年)。

1月3日、出羽(でわ)の国で大地震が発生。
出羽というと、秋田県+山形県である。
とうぜん、湯沢の郡司の館も、揺れに揺れた。

「よっちゃん!」
乳母よりも下女たちよりも早く、9才の少女が、
4つ下の妹を抱きしめ、外に飛び出す。
すさまじい揺れに館は半壊、姉妹が抱き合って震えていると…
いつしか、そのまわりに人が集まっていた。

地震の直後、集落はパニックのさ中にあるというのに、
人々は思わず見とれてしまった。
「なんて、きれいな娘さんだ…」
その視線の先にあるのは、姉の方である。

月明かりに輝く露のような、はかない、たよりなげな、
消えてしまいそうな美少女。
長いまつ毛の下で潤む、とけるような瞳、
薔薇色に上気する頬、つややかな黒髪。
スパルタのヘレネの転生である、姉の「操(みさお)」は
震えながらも、細い腕でしっかりと、妹の「吉子(よしこ)」
を抱きしめていた。

「ありゃ… 妹さんの方は… なんと、また…」
吉子の、ウネウネと波打つ茶色い髪に注目が集まる。
つやつやのストレート黒髪が、美人の絶対条件である
この時代、これはマズい。
吉子は、あわてて髪を束ねると胸にかかえこみ、
少しでも引っ張ってストレートに見せようとする。

「うう… これだから、家の外には絶対出ないように
してたのに… 私、家に戻る!」
「よっちゃん、ダメ! いつ余震が来るか…」
結局、妹に振り切られ、姉妹は崩れた館に戻った。

吉子は、床につっぷして、ワンワン泣いた。
「神さまのバカ! なんで私だけ、こんな髪、こんな顔…」
「おねえちゃんは、よっちゃんの髪、好きですよ」
「あんたが言うな! よけい、みじめになる!」
妹にキツいことを言われ、シュンとするしかない姉であった。


遠い世界で、美の女神アフロディーテが、そのようすを見ていた。
「ありゃー。ギリシアでは、ああいう髪がイケてたんだけどなー 
2300年待ってる間に、世の中の流行が… 
まあでも、がんばれ巫女ちん。いい女っていうのは、
「生まれる」もんじゃなくて、「なる」ものなんだって気づけ」

果たして吉子の耳に、女神さまのエールは届くのか。
小野小町の華麗なる人生は、まだ始まったばかりである。