安珍と清姫





3、 根黒衆(ネグロス)




延喜19年(西暦919年)。

ついに真砂の庄司一家に、限界点がきた。
両親そろって外出していたある日…
清音は由利彦にレイプされたのだ。

数え14才、満年齢で13才の清音は、背も
すらりと伸び、髪も長く、猫を思わせる
柔らかな所作で、妖しい色気を放つ。

由利彦は、自分でも理解できない
アンビバレンツに悩んでいた。
腹ちがいの妹を忌み嫌うと同時に、この妖しい
までの美少女に恋をしてしまったのだ。

愛情と欲情、憎しみが混ざり合い、
ついに由利彦は爆発した。
土蔵に清音を監禁し、5時間に
わたって、思うままに陵辱した。

帰宅して事情を知った清重は正気を失い、ナタを
つかむと絶叫しながら、極道息子に切りつける。
「お前は… お前はなんてことをーッ」

由利彦はかわしたが、左頬をザックリ
切られ、鮮血が噴き出す。
そのまま、ふりかえりもせず逃走。
父は即刻、息子を勘当する。



だが、これで終わりではない。
翌年、延喜20年(西暦920年)。

ある噂が、真砂の集落に流れてきた。
由利彦が、無法者の仲間になったらしい。

それも、「百足(むかで)」と呼ばれる凶悪な盗賊、
これは9年前、俵藤太(たわら の とうた)という
豪傑が退治したのだが、その一味の生き残りと、
結託したらしいのだ。

「百足一味の残党を狩り集めて、
国中を荒らしまわっとるらしい」
「この村へ、意趣返し(復讐)に来るとよ」
「村のもんを皆殺しにして、家を焼き払うってよ」

村はパニックになった。
清重は苦悩する。
この手で、殺しておくべきだった…
ここまで、極悪人になろうとは…


そんな騒然とした村に、2年ぶりに青年僧の安仁が現れた。
すでに、由利彦が凶悪な賊となった噂は聞いている。

「ご存知だったら、教えてほしいのですが…
どこかに、金で殺しを請け負ってくれる者はいないだろうか」
げっそりやつれた清重が、切り出した。
自分が最後の頼みなのだろう… と、安仁は悟った。

「心当たりが、なくもありません。仏道に
外れる、恐ろしい行いではありますが」
この一家の苦難を、見捨ててはおけない。
革袋に入った金を預かり、安仁は朝早く発った。



近畿地方のとある場所に、その寺はあった。
山号は「死河山(しがさん)」、寺号は「根黒寺(ねぐろじ)」。
宗派は「第六天魔王宗」という、ここだけの宗門である。

山深い谷間の隠れ里にあり、その存在を
知っている人間は、ごくわずか。
この寺の僧侶たちは、「根黒衆(ネグロス)」と呼ばれる。
安仁も、かつては「根黒衆(ネグロス)」の一員だった。
わけあって、抜けたのである。

山門で、1人の僧が待っていた。
安仁を甘くしたような顔立ちの、若い美僧である。
「兄さん、6年ぶりか」
弟の「安珍(あんちん)」であった。

「血生臭いことが嫌で、正道の出家者に
なるため、ここを出たんだろう?
よくも、おめおめと戻ってこれたな」
この寺の僧侶は、全員が高度に訓練された暗殺者であり、
都の貴族や裕福な者たちから、殺しを請け負っていた。

「今日は、依頼人として来た… 
といっても、根黒衆を雇えるほどの金はない。
手紙に書いたとおり、霧命散(むみょうさん)
を少しわけてくれ。あとは… 俺がやる」
決意を秘めた、安仁の瞳であった。

「馬鹿な兄だ… せっかく僧正さまが、特別の許しをもって、
ここから出してくれたというのに… まあ、よい。
1度抜けた者が、山門をくぐることは許されない。
ここで待っていてくだされ」
金を受け取り、安珍は山門の奥へと消えた。



数週間後… 紀伊山地の山中にある炭焼き小屋。
百足一味残党の根城である。
由利彦は新入りながら、もちまえの利口さと悪どさで、
いつのまにかリーダー格となっていた。

明日はいよいよ、真砂の集落を襲撃
しようかという、その夜…
いきなり戸を蹴破って、乱入してきた男が、
口に含んだ液体をブォーと、霧に吹く。

霧命散(むみょうさん)とは、乾燥させたフグの
卵巣を主原料とした毒粉であり、ハイチでは
ブードゥー教の呪術に使われている。
この毒粉を吹きつけられた被害者は、仮死状態に陥り、
埋葬された墓の下で意識を取り戻す。

墓から掘り出された後も、脳に後遺症が残り、
意識がぼんやりした状態が続く。
これが、いわゆるゾンビというものであり、ゾンビは
奴隷として、大農場で家畜同然に働かされる。

それにしても、なんという肺活量か、乱入した男が
吹いた毒霧は、一瞬にして小屋の中に充満する。
さしもの凶悪な盗賊たちも、手足がしびれ、呼吸困難に。
激しく嘔吐する者もいる。

男はもちろん安仁であるが、幼いころから毒に
対して耐性をつける訓練を積んでいるため、
その肉体には、なんの異常も起こらない。
ふところから短刀を取り出すと次々に、動けない
盗賊たちの喉や心臓を、えぐっていく。

そして最後に、頬に醜い傷跡の残る
由利彦の胸ぐらをつかみ、
「こいつはお前の親父さんの依頼だが、親を恨むんじゃ
ねえぜ… とうぜんの報いだからな」
「て、てめえ…」

由利彦にはまだ、安仁をにらみつける気力が
残っていたが、非情の刃が心臓に突き立ち、
その瞳が凍りついた。
女のような紅い唇から血があふれ、
凄絶な美しさの死顔を彩る。


それっきり安仁は、真砂の集落に姿を見せなくなった。



年が明け、延喜21年(西暦921年)。

しばらくは部屋にこもりきりだった清音だが、
母の愛情細やかな世話で少しずつ元気を
取り戻し、庭を散歩できるまでになった。

なんといっても、由利彦の死の知らせが、
心から暗い影を取り払ったようだ。
あとはただ、安仁に会いたい…

一方、娘とは反対に、清重は体と精神を病んでいった。
息子を、自らの手で死にいたらしめた
事実が、心を蝕んでいたのである。
ふさぎがちになり、悪夢を見るようになった。

ある日、無理をして仕事に出た帰り、古道の苔むした
石段に、由利彦が立っているのを見てしまった… 
沙織と再婚する前の、かわいらしい少年の姿の由利彦。
血まみれだった。
なにも言わず、清重を見つめている。

その夜から、清重は高熱を出した。
まじない師の祈祷も、薬湯も効果がなかった。

沙織は錯乱状態になり、
「ご主人さまに、もしものことがあったら、私も後を追います」
しかし、清重はもうろうとした意識の中、妻の手を強く握り、
「早まったことはしてくれるな… 清音を、くれぐれもたのむ」

3日後に、清重は逝く。
沙織は見るかげもなく、やつれた。
清音も大好きな父を亡くして以来、泣き暮らしていたが、
このままでは、母までが衰弱死しそうな状況に、
「いけない… 母さまを助けてあげなくちゃ…」

自ら厨房に入って、母のために粥を作ったり、母に代わって
家をしきったりして、けなげにも明るくふるまった。
「こんな時に、安仁さまがいてくれたら…」

そんな清音の姿を見て、沙織はいっそう娘が愛おしくなる。
「そうだ、私にはまだ清音がいる…」
亡き夫の分まで、これからは清音に愛情をふりそそぐのだ。

もともと甘えっ子の清音だったが、ますます
母親べったりになり、まるで美しい姉妹の
ように、2人で明るく笑いあった。
ようやく家にも村にも、明るさが戻りつつあった。

しかし、やはり父親がいないのは寂しい。
その寂しい分、よりいっそう、安仁が恋しくなる。
清音は安仁の訪れを、今日か明日か
と待ちわびるようになった。

暇があると、家の前の往来を見る癖がついた。
やがて、門の前に立って、安仁に似た
姿を探し求めるのが日課となった。

そのうち、集落の入り口まで見にいくようになり、
さらに足をのばして、となりの集落の見える
ところまで出かけるようになった。

沙織もまた、安仁を待っていた。
今や彼女の頭には、娘の幸せしかない。
安仁をどうあっても清音の婿とし、庄司の
家をついでもらうつもりだった。
安仁の意志とか気持ちとか、考慮する余地はまったくない。