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『歴史』 それは数多の事実を織り込んだ、長い物語り。 綴るのは人の意志と、運命と、そして偶然と。 無数の分岐を経ながら、ひとつの物語が浮かび上がり、形が出来上がる。 『歴史』はこうして造られてゆく。 今、私達が受け入れている『歴史』。 それは無限の可能性の中から任意に取り出された、ひとつの可能性。 那由他の『歴史』の中からたったひとつ浮かび上がった、事実より割り出されたひとつの結果。 それが私達の『歴史』。 もしも、 事実が狂ったら。 もしも、 『歴史』を構成する事実のひとつが形を変えてしまったら―――――? これは、 歪んで本来の姿を失った現実。 もうひとつの、形の違う『歴史』――――――。 ―――― one of other histories ―――― ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ヒイロはためらった。 何とも言えない嫌な予感。ひんやりと心に冷たいものが滑り込む。 『止めろーーーっ!! ここにはリリーナ・ピースクラフトもいるんだぞーーー!!』 デキムの焦燥に駆られた声が、ゼロのコクピットに響く。 ヒイロはバスターライフルの照準を合わせた。 銃口はぴたりと、ダメージを受けているシールドを捕らえる。 後は引き金ひとつでシールドは崩壊し、要塞もろともデキムとマリー・メイアを排除できる。 しかし ヒイロはためらっていた。 トリガーに手を掛けると、悪寒にも似た寒さがぞくりと背筋を這う。 ───任務失敗を恐れているのか? ヒイロは自問した。 しかし、その考えはただ心の表面を滑る。 恐れているのは別の事。もっと別の・・・・・。 その時、ゼロが唸った。 目の前のシールドを守るようにモビルスーツがわらわらと出現し、こちらに向かって来ていた。 ヒイロは我に返り、すぐさま操縦棹を握り締める。 ────その脳裏にひとつの光景が浮かびあがった。 『お兄ちゃん』と声もあどけない少女。手渡された小さな花。 今はもうない、過ぎ去った日の幼い少女の微笑みが、ヒイロをしゃにむに追い立てた。 ────デキムを止めなければ・・・・!! 今、デキムを止めなければ戦争がまた起こる。 そうすればまた同じ。悲劇が今までどおり繰り返されていく。 瓦礫の中、風になぶられる引き裂かれた少女の服。冷たい小犬。 かつて担った悲劇の一端が、ヒイロの眼前にまざまざと浮かび上がった。 それらに背を押されるように、ヒイロの手はトリガーを引いた。 照射される夥しい光。 その先を見定める間もなく、ゼロは崩壊し、炎がヒイロを包んだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ────既に覚悟は出来ていた。 リリーナはそっと目を瞑り、自分の手を握り締めた。 先程ヒイロがモニターに現れた時から、リリーナの心はひとつところに固まっていた。 ヒイロが選んだ選択。それを信じよう、と。 安っぽい責任転嫁では決してない。 何故ならリリーナは知っていた。 ヒイロが誤った選択をしない者だという事を。 ヒイロの提示した道。それは必ず平和に繋がっている。 だから、目も眩む強烈な光が真っ直ぐ自分達に放たれても、リリーナは決して怖くはなかった。 激しい振動が基地を襲い、振動が床を揺るがした。 揺らぐ床に立っていられなくなったリリーナは、思わず近くのデスクに手を置き、身を支えた。 離れた隣りでは同じくマリー・メイアがデスクに縋り付いている。 そうしてふと顔を上げて、リリーナはハッと息を飲んだ。 俯き、デスクに身を寄せて必死に振動を耐えているマリー・メイアの頭上で、びしびしと嫌な音と共に天井に亀裂が走っていた。 「マリー・メイア!!」 リリーナは叫んだ。 その声にマリー・メイアが顔を上げ、険しいリリーナの顔に何事かと上を振り仰いだ。 天井いっぱいに走った亀裂。マリー・メイアの顔が蒼白になる。 「こちらへ! 早く!!」 リリーナはマリー・メイアへと手を伸ばした。 しかし、マリー・メイアは天井へと向けたその顔を恐怖に引きつらせたまま、動こうとはしない。 小刻みに震えている彼女の身体。しかし震えているのは何も振動のせいだけではないのだろう─────。 「マリー・メイア!!」 焦燥の色を滲ませ、リリーナは再び彼女の名を呼んだ。 その時、 何かが裂けるような、ひどく凄まじい音が辺りに響いた。 ぐらりとわなないた天井。それが一瞬の間を置いて、轟音と共にマリーメイアに雪崩落ちた。 「きゃあああああああああ!!」 マリー・メイアの絶叫。 瞬間、弾かれたかのようにリリーナは駆け出していた。 目を堅く瞑り、身を竦ませるマリーメイアの身体をリリーナは突き飛ばした。 彼女が驚愕に目を見開いて離れた床に倒れ込むのと、リリーナに向かって瓦礫が降り注ぐのがほぼ同時だった。 「いやあああああああ!!」 轟音にマリー・メイアの絶叫が重なった。 ──── ヒイロ・・・・・。 朱に染まる視界の中で、リリーナは微かに呟いた─────。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ─── ヒイロはハッと目を覚ました。 誰かに呼ばれた、そんな気がした。 身体を起こそうと身をよじった瞬間、激痛が身体に走る。 思わずもう一度椅子に身体を投げ出し、ヒイロは肩で荒く息をついた。 生きていた、そう思うよりも、死に損なった、そんな思いがより強く心を占める。 痛みに、苛立ちに、唇をかみ締めながらヒイロはコクピット内を見渡した。 ──── ゼロは壊れ果てていた。 モニターは外の景色を映す代わりに砂嵐を映し出していた。 耳障りなノイズの音。コクピットのいたるところでショートが起きて火花が散っており、ゼロはいつ爆発し粉々になってもおかしくない状態だった。 身体がばらばらになりそうな痛みの中、ヒイロはぎりっと歯を食いしばり、身体を固定していたシートベルトを外してコクピットを開けた。 雪に煙る視界の向こうで、大破こそしていたが基地そのものは原形を留めていた。 ──── 90.38%・・・。 思わずヒイロは呟いた。 トリガーを引いたあの瞬間、ヒイロは知らずバスターライフルのエネルギーを制限した。 押さえられた威力ではシールドを完全には破壊できずに、基地はこうして残った。 100%にしていればこの基地は跡形もなく蒸発し、今頃はもう存在していなかっただろう。 ──── 何故、俺は・・・・。 作戦上、今ここで基地ごとデキムを抹殺した方が、より確実に任務を遂行できる。 しかし、ヒイロにはできなかった。 ──── 何故・・・・。 ふと出したその答えを、ヒイロは敢えて頭から振り払った。 とにかく、デキムが生きている以上、任務は終了していない。 ヒイロは傷ついた身体を無理矢理鞭打ち、コクピットから身を乗り出したがもはや着地する力もなく、どさりと身体を雪の上に投げ出した。 雪の冷たさが剥き出しの肌に染む。 ヒイロはざくりと雪を掴んだ。 ──── 行かなければ・・・・。 ずくりずくりと疼く痛みに思わず洩れる呻き声を押し殺し、ヒイロは立ち上った。 ともすると、倒れてしまいそうな身体。 それをいまいましそうに引きずりながら、ヒイロはまっすぐに基地を目指す。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 道程を、ヒイロはひどく長いと感じた。 痛んだ身体はヒイロのいう事を聞かず、せいた気持ちばかりが先に立つ。 遅々として進まない自分に、ヒイロはもどかしさと苛立ちを覚えた。 悪夢にとらわれたような拘束感。湧き上る焦燥。 息苦しさに、早まる鼓動に、ヒイロは顔を歪ませた。 恐ろしい程に自分を追い立てる、この感情は一体なんなのだろう──── 心にべっとりとどす黒い何かを染み付かせ、ヒイロはただ歩く──── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ オペレーションルームに足を踏み入れると、その惨状が目に入った。 瓦解した壁や天井。瓦礫に埋もれたデスク、そして兵士。 死臭が微かに鼻につく。 静まり返った中で、時折、壁が崩れる音と死にかかった兵士の呻き声があがる。 「・・・・・」 その光景を見て、ヒイロは思わず立ちすくんだ。 暫く部屋の惨状に硬直し、そうして、不意にそんな自分気づいて、ヒイロは戸惑った。 ――――こんな光景など、今更珍しいものでもない。 しかし、淡々と呟くその口調とは相対して、心臓が音を立てて鳴っていた。 どく、どく、どく、とひどく早く。 ヒイロは手に持った銃を強く握り締め、やけにせかす心を押さえつけながら部屋の奥へと入って行った。 ――――と。 部屋の半ばまで行った時だった。 瓦礫の中人の気配がし、ヒイロは反射的に銃を構えた。 そこに、少女がいた。 ショートカットの、いまだ幼さの残る少女。 彼女は放心したように床に座り込み、がっくりと肩を落としていた。 焦点の合わない瞳。それがひどく大きく見開かれ、目の前の瓦礫の山へと向けられていた。 「マリー・メイア」 銃を構えたまま、ヒイロは少女の名を呼んだ。 少女は全くの無反応だった。 まるでヒイロの声など聞こえてはいないように、黙って瓦礫を見つめ続けている。 「・・・・・」 何か嫌な予感をヒイロは感じた。 不快なその感覚は警告のようにヒイロを追い立てる。 「私を突き飛ばしたの・・・・」 少女がぼんやりと口を開いた。 ヒイロは彼女を見た。 呟くように、囁くように、マリー・メイアは言葉をついだ。 「私を突き飛ばして・・・・・そして・・・・・」 不意にマリー・メイアの表情が歪んだ。 身体を大きくわななかせ、突如マリー・メイアは頭を抱え込む。 「いやああああああああ・・・・・!!!!」 小さな身体を更に小さく強張らせ、マリー・メイアは鳴咽の混じった悲鳴を上げた。 ヒイロの、手に持った銃が僅かに震えた。 全身から血の気がさっと引き、ヒイロはマリー・メイアの見つめていた瓦礫に視線を走らせた。 床に転がる無数の破片。 それらは瓦礫の中から染み出した赤い液体に浸っていた。 そして、その瓦礫に埋もれ突き出ている白いもの。 見覚えのある、白い、白い、細い、腕――――――。 息を止めたヒイロの、唇が微かに動いた。 リリーナ、と―――――。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『また、自爆装置が無駄になったな』 民衆を引き連れたウーフェイを見ながら、トロワが口を開いた。 「ああ」 デュオは答え、顔を上げるとニッと笑った。 デスサイズのモニターには、同じように笑顔を見せているトロワとカトルの顔があった。 瞳を涙に潤ませ、柔らかく笑うカトル。 静かに、穏やかな笑みをたたえるトロワ。 そんな二人にデュオは零れんばかりの笑顔を見せた。 「お疲れっ!!」 三人は屈託なく笑った。 こんなにも素直に心の底から笑った事など、皆初めてかも知れない。 『おい』 突然、モニターにウーフェイの仏頂面が映った。 ウーフェイは笑い合う三人に眉を顰めたが、すぐにいつもの調子で語をついだ。 『デキムは仕留めたのか』 「おっと」 デュオは笑うのをやめ、真顔でウーフェイに向かい合った。 「まだだ」 ちっとウーフェイが舌打ちをするのがモニター越しに聞こえる。 『浮かれるのは全て終わらせてからにしろ!!』 「へいへい、ごもっともで」 『まあまあ、心配はいりませんよ。先程、ゼロから降りるヒイロを確認しました。 彼がデキムの元へ向かったはずです』 にっこりと笑いながらカトルが助け船を出す。 ウーフェイがまだ言い足りなさそうにデュオを見たが、流石に口を閉じた。 助かったぜ、とデュオはカトルに目配せをした。 『要塞の回線を開いた。これで中の状況を確認できる』 ウーフェイの激励(?)の後、独り黙々と作業していたトロワが三人にそう伝えた。 その言葉に、三人はトロワが接続した回線に便乗する。 四人のモニターに、それぞれ基地内部が映り出た。 『トロワ、ここは基地内のどのフロア?』 カトルの問いかけにトロワは答える。 『取りあえずはオペレータールームに繋いだ』 「いい判断だぜ」 デュオはそう言ってモニターを見つめ、顔を曇らせた。 目茶苦茶になったオペレータールームの状態に、正直あまりいい気分がしなかった。 ──── 戦争か・・・。 苦い思いが胸をつく。 仕方ないんだよな、と自分に言い聞かせるように小さく呟き、そして次にデュオの瞳はモニターの隅に映っている少年の姿を捉えた。 「ヒイロ!」 こちらに俯いた横顔を見せている少年。それは紛れもなくヒイロだった。 すぐ側にはうずくまった幼い少女の姿も見える。 マリー・メイアだ、とデュオは思った。 ───・・・・・・? その時になってデュオは気付いた。 リリーナ・ピースクラフトがいない。 『カトル! どうした!?』 突然のトロワの声に、デュオはサブモニターに目を遣った。 そこには胸を押さえ、苦しそうに喘ぐカトルの姿が映っている。 「お、おい、大丈夫か、カトル!?」 状況がよく飲み込めないまま、デュオは苦しむカトルに声をかけた。 『痛い・・・、心が・・・、痛い・・・・っ!!』 苦痛に顔を歪ませながら、カトルはそう呟いた。 ──── 心? 意味を掴み損ね、デュオは狼狽した。 戸惑い、視線を泳がせたデュオは不意に身体を強張らせた。 モニターの中、動く影。 『こんなはずでは・・・! こんなはずでは・・・!!』 物陰からふらふらと立ち上った男。 痩せぎすの身体に落ち窪んだ瞳が殺気でぎらぎらと光る。 ──── デキム・バートン!! 一同に緊張が走った。 『許さん・・・! 許さんぞ貴様!! 殺してやる!!』 そう喚きながらデキムは内胸に隠していたホルダーから銃を取りだし、ヒイロへと銃口を向けた。 ヒイロは動かない。 「ヒイロ!?」 『死ねええええええええええ!!!』 銃声が、辺りに響いた。 静まり返っていた部屋の中、こだまばかりがやけに長く緒を引いた。 やがて、その余韻も掻き消える頃、ごとりと鈍い音がした。 床に零れた銃。 それを追いかけるようにデキムの身体が、どうっと床に零れる。 見開いたままの瞳。うつ伏せた彼の額から赤黒いものが夥しく床を濡らした。 「ヒイロ・・・」 一瞬で構えられたヒイロの銃。先程の体勢のまま、デキムの方を見ようともせず、ヒイロは銃を構えていた。 立ち上る、白い硝煙。 弾丸は正確にデキムの眉間を貫いていた。 「任務、全て終了───────」 掠れた声で、ヒイロは小さく呟いた。 『駄目だ、ヒイロ! やめて!!』 「カトル!?」 火の付いたようなカトルの絶叫。 ヒイロの手が動いた。 手に持っていた銃。その銃口をヒイロは自分の頭に押し付けた。 ごつっと小さな音がして、ブラウンの髪が僅かに揺れる。 ヒイロは軽く目を閉じ、何のためらいもなくトリガーを引ききった。 『ヒイローーーー!!!』 二度目の銃声が、部屋に響き渡った。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ───── 分かっていた。 本当は何もかも、分かっていた。 俺が、何を恐れていたのか。 俺が、何を不安がっていたのか。 答えはたった一つ。 こうなる事が怖かった。 あいつの命を奪う事。 あいつを殺す事。 いつのまにか、 俺の心の中で特別な位置を占めていたリリーナ・ドーリアンという存在を失う事が、 俺はどうしようもなく、怖かったんだ─────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 見晴らしのいい丘の上、デュオ、カトル、トロワは三人して佇んでいた。 崖を挟んだ丘の向こうに、自分達の愛機が仲良く並んでいる。 「今度こそお別れだな、相棒・・・・」 デュオが小さくそう呟き、手に持っていたスイッチを押した。 ガンダムが一瞬煌き、耳をつんざく爆音と共に姿が光に溶けた。 長い間、共に戦ってきた愛機。それを自爆させ、三人は名残惜しそうに丘を見遣る。 暫く黙祷を捧げた後、まず最初に口を切ったのはカトルだった。 「・・・ヒイロの・・・・ゼロは回収する前に暴発していました。僕が行った時には・・・もう、跡形もなくて・・・」 少し湿った声。 残りの二人は口をつぐんだまま、形ばかり頷いた。 脳裏に最後に見たヒイロの姿が浮かぶ。 糸の切れた操り人形のように力無く崩折れた身体。 彼はどんな表情をしていたのだろうか。 薄暗いモニター越しからでは、デュオ達には何も分からなかった。 「マリー・メイアはレディ・アンに保護されたらしい」 気まずい沈黙の中、トロワが口を切る。 「だが、かなりの精神的ショックを受けて、今は精神病棟でのケアを受けていると聞く。 如何に世界を手中にせんとした人間であってもこうなると哀れだな・・・・」 「哀れですよ・・・、彼女は最初から・・・」 「・・・・、そうだったな」 リリーナ・ドーリアンが、彼女を助けた理由。 ヒイロ・ユイが、彼女を殺さなかった理由。 マリー・メイアもまた、被害者なのだ。 デキムという権力に固執した亡者の哀れな犠牲者────。 三人は胸に残る一抹のやり切れなさを、静かに噛み締めた。 「なあ・・・」 それまで黙って二人のやり取りを聞いていたデュオが、不意に口を開いた。 長い茶色の髪を風に嬲られながら、デュオは遥か彼方の空を見、言った。 「ヒイロ、あいつ、何のために生まれて来たのかな・・・・」 デュオの言葉に、二人が弾かれたように彼を見た。 そんな二人の様子を意にも介さず、デュオは相変わらず彼方を見つめていた。 「コロニーのために、平和のために・・・、自分を殺して、殺して、傷つけて・・・・。血を吐くような事にも耐えて・・・、ただ戦い続けて・・・。それなのに、やっと平和を手に入れた時にはもういやしない・・・。 ・・・なあ、あいつの人生ってなんだったんだ? あいつ、何のために生きてたんだ? ─────何のためにこの世に生まれて来たんだ?」 「・・・・」 「平和のための尊い犠牲? そんなものになるためにあいつは生まれてきたのか? あんな苦しい戦いを続けて来たのも、そんなものになるためだったのか? 違うよな・・・・違う・・・・」 不意に、穏やかだったデュオの声が、僅かな怒気に荒くなった。 「全部、これからだったんだ。何もかもこれからだったんだ。 あいつも、俺達も、皆これから幸せになるはずだったんだ。 ・・・・だってそうだろ? 俺達は幸せになるために、あの苦しい戦いを続けてきたんだから・・・・。 そのために、あの苦しみに耐えてきたんだから・・・。 だから、他でもないあいつ自身だって幸せになっていいはずだ・・・! その権利はあるはずなんだ・・・っ!! ─────なのに、何でこんな・・・、こんな馬鹿げた結果になるんだ・・・っ!!」 吐き捨てるようにそう言い、デュオは憤りに歯を噛み締めて、そして手に持っていた爆薬の作動スイッチを地面に叩き付けた。 スイッチは音もなく草むらを転がり、やがて風になびく草の海に飲まれて消えた。 「畜生! あいつだって死ぬ事はなかったんだ!! 死を選ぶなんてあいつは馬鹿だ!! 大馬鹿野郎だ!!」 「デュオ!!」 激しく詰るデュオの言葉に、たまらずカトルが割って入った。 真正面からデュオの服を掴み、カトルは悲鳴めいた声を上げた。 「そんな────そんな事、言っちゃいけないっ!! ヒイロだって好きであんな結果を選んだ訳じゃ────」 カトルの言葉はそこで止まった。 向かいあったデュオのその頬。そこには一筋、涙の流れがあった。 息を飲んで彼を見るカトルの手には、デュオの身体の震えが伝わっていた。 堅く握り締められたデュオの拳。それは白く色を変え、一層激しく震えていた。 「デュオ・・・」 掠れた声でカトルが呆然と呟くのを、デュオは顔を背け、やや乱暴に押しのけた。 よろり、と、放心したままバランスを崩したカトルを、後ろからトロワが支えた。 暫く誰も何も言わなかった。 耳が痛いほどに沈黙した場。風が一陣、静かに吹いた。 「僕は・・・・知っていたんだ・・・」 沈んだ空気に、カトルの声が流れた。 今にも消え入りそうな、か細い声。 「ヒイロがああするのを・・・、僕は知っていたんだ・・・。あの時の・・彼の絶望を・・・僕は感じていたんだ・・・。だけど・・何もできなかった・・・。 知っていたのに・・・知っていたのに僕はヒイロを止められなかった・・・!! あの時僕が止めていたら、もっと違った結果になっていたかもしれないのに・・・!! 僕は・・・僕は・・・っ!!!」 そこまで言って、打ちのめされたようにカトルは泣き崩れた。 激しく泣くカトルの肩を、トロワがそっと抱いて優しく言った。 「自分を責めるな、カトル。お前のせいではない。 あの時のヒイロを止める事など、誰にもできなかった。誰もが無力だったんだ。・・・お前はよくやった」 「トロワ・・・僕は──────」 続きはもう、声にはならなかった。 泣き続けるカトル。 黙ったまま、背を向けているデュオの、その白くなった拳が、更にきつく握り締められたのをトロワは見てとった。 トロワは泣かなかった。 いつもの端正な顔に暗い翳を落とし、トロワは二人を見ていた。 「・・・・・」 トロワは唇を噛んだ。 泣けない辛さを、 噛み締めるように─────。 暫くの後、二人がようやく落ち着いた頃にトロワは静かに口を切った。 「ヒイロの遺体はリリーナ・ドーリアンと共に、ドーリアン家の墓地に葬られるそうだ」 カトルが黙って、赤い瞳でトロワを見つめた。 「レディ・アンの取り計らいだ。ドーリアン夫人もそれを承諾した。 リリーナ・ドーリアンの国葬が済み次第、二人は同じ墓に埋葬される手筈になっている」 「同じ・・墓に・・・」 「ああ」 トロワは頷いた。 今まで背を向けていたデュオが大きく一つ息をついて、そのまま小さな掠れ声で呟いた。 「そうか・・・。そうだな・・・。そいつはいい考えだ。ちょっと遅い気もするが、死んでからも離れ離れよりは、ずっとましだ」 「ええ・・・」 どこかほっとしたようにそう言う二人に、トロワが語をついで言った。 「そうしてくれとレディ・アンに働きかけたのは、ウーフェイらしい」 意外な一言にデュオが振り返り、カトルと同じ、驚愕した表情を見せた。 「正確には、そうしろとサリーに言った、という所だ。サリー自身もその案には賛成で、その後どうなったかは先程言った通りだ」 トロワの言葉に、信じられない、という風に互いに顔を見合わせている二人を見ながら、トロワは微かに笑った。 ウーフェイ自身からその事を伝えられた時の自分も、二人と同じ顔をしていたに違いなかった。 ────人間、死んでしまえばただの骨だ。それでも良ければ好きにすればいい。 いつもの皮肉めいた口調で、ウーフェイはそんな風に言っていた。 分かった───そう言って頷いたトロワに、彼は去り際、一言ぽつりと付け加えた。 ────あいつは俺とは違う種類の人間だからな。 その様は、マリー・メイアの一兵士としてヒイロとの決闘を望んでいたあのウーフェイとは、まるで別人のようだった。 ヒイロとウーフェイの間に何があったのか、トロワは知らない。 しかし、トロワはそれを詮索する気は毛頭無かった。 言葉が途切れ、三人はそのまま暫く黙っていた。 それぞれに去来する様々な想い。それが、ひとりひとりの胸に燻った。 長い長い時が過ぎ、やがてそれらに終止符を打つように、デュオが勢い良く振り返って言った。 「帰ろう、二人とも。もう、俺達ができることはないんだ。いつまでもこうしている訳にはいかない」 デュオの言葉に、二人は黙って頷いた。 ────三人とも、長く感傷に浸るには、余りにも多くの死を見過ぎてしまっていた。 先頭切って歩き出したデュオの後を、カトルとトロワは追った。 ─────と。 不意にトロワが足を止めた。 残りの二人もそれに気付いて立ち止まる。 「どうした?」 「いや、もう一つ話すべき事があったのを思い出してな」 トロワはそう言い、遥かな空を振り仰いだ。 「あの二人の遺体を運んだ者が言っていた。二人は手をつないでいたと」 「・・・・・・!?」 デュオとカトルは言葉を失ってトロワを見た。 トロワは何とも言えない複雑な、苦い顔をしたまま、空を見詰めていた。 何かを考えるようにトロワは口を噤み、そしておもむろに口を切った。 「ヒイロの倒れた場所はリリーナ・ドーリアンの遺体のすぐ側だった。厳密にいえば、二人は手をつないでいたのではなく、 倒れた時に偶然手が重なっただけと言わざるを得ない。 何故なら、リリーナ・ドーリアンは既に死亡していたし、ヒイロは即死だった。とても互いにどうこうできる状態ではなかったはずだ。 そして偶然重なった手はそのまま死後硬直を迎えた。 硬直し、重なり合った手はまるで握り合っているように見える・・・・」 「・・・・」 「・・・・理屈は以上だ」 トロワは口を切った。 二人は答えず、ただ何とも言えない顔でトロワを見ていた。 トロワは自責の念をちらりと見せ、苦々しく呟いた。 「すまない、お前達を不快な気持ちにさせるつもりはなかったのだが・・・」 口にしたことを後悔するように、黙り込み目を伏せたトロワに、デュオが歩み寄ってその肩をぽんと優しく叩いた。 「相手はヒイロだぜ。あいつに理屈は通じやしない」 「そうですよ、トロワ。彼等はきっと─────」 二人の言葉に、トロワは少しばつの悪そうな、しかしようやくほっとしたような顔を見せ、そうだな、と呟いた。 三人はまた、歩き出した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『現代のジャンヌ・ダルクと呼称される、今尚多くの国民に崇拝されるクィーン・リリーナは AC197年、デキム・バートンの起こした乱に巻き込まれ、その尊い命を落とされました。 現在、彼女はリリーナ・ピースクラフトではなく、リリーナ・ドーリアンとして、その縁の墓 にて永眠なされています。 また、彼女と共に葬られたヒイロ・ユイという人物については、未だに多くの学者達が論議 を戦わせています。 一説によると彼はクィーン・リリーナの幼なじみだったとか、また別の説によると彼女を守 ったサンクキングダムの騎士だったとか。彼について立てられた仮説は数限りなく存在します。 中でも面白い事に、彼があの、ガンダムのパイロットだったという説さえ有るのです。 残念ながら、そういった諸々の仮説を裏付ける証拠は発見されず、彼が一体何者だったのか は現在も判明していません。 彼の存在は、墓碑に記された名前にしか、残されていないのです』 AC247年 或る歴史学者の話 |