「ねえ」 ビビは前方を足早に歩く背の高い男に、置いて行かれまいと小走りになりながらついていく。 その前方を歩く男…コーザは眉間に皺を作ったまま、黙々と先を急ぐ。…この時の彼に、特に急ぐ理由はなかったのだが。 「ねえ、リーダーってば!」 コーザはビビの声に答えぬまま、政務室のある塔から王族の私室のある塔へと、更に速度を上げて歩いていく。ビビはその振り向いてもくれない背中に、一生懸命ついていく。 ここで諦めたら、また「やってはいけない事」が増えてしまうのだ。ビビはそれも嫌だ。 「リーダー、お願い」 王宮の王族の塔へと続く長い回廊へ出た所で、コーザはいきなり立ち止まると不機嫌そうに振り返った。 腕組をして黙ったまま、ビビが追い付くのを待つ。その怒った様な困った様なコーザの表情に、ビビは一瞬ひるんだが、負けるまいと顔を上げてもう一度コーザに先程「お願い」した台詞を繰り返した。 「ここから、向こうまで。ね、手を繋いでもいいでしょう?」 コーザは黙ったままポケットから煙草を出して一本くわえた。滅多に吸わないが、今回は精神安定剤変わりが必要だった。 火をつけて一度深く吸うと、ゆっくりとため息とともに煙を吐き出す。煙草をくわえて両手はポケットに突っ込み、ビビをみれば真面目な面持ちで口を引き結んでこちらを見返している。 コーザは諦めた様に、先程ビビに「お願い」された時と同じ台詞を繰り返した。 「駄目だ」 「何故?昔は…」 「もう子供じゃないだろう?…それにお前、オレ達の歳で町中で手ぇ繋いでる男女がいたら、そりゃ恋人か夫婦だ」 「え?そうなの?」 意外そうに聞き返されて、コーザはがっくりと頭を垂れた。この王女を育てた連中…取り分け顎無し巻毛夫妻とすちゃらか顎髭…護衛隊長夫妻と国王の事だ…に、内心で思いつく限りの悪態をつきながら気を取り直してビビに向き直る。 「そうなんだよ。だから駄目。また妙な噂が流れたりした日にゃ、おれはユバに居られなくなるぜ」 「え…でも…」 ビビはぼそぼそと言い淀んで、頬杖をつくように右手を自分の頬へあて、左手を腰辺りで曲げて思案げに視線をそらした。 どうも手を繋ぐのを諦める気はないらしい。 ビビが何故そんなに自分と手を繋ぎたがるのか、コーザには理解出来ない。だがここでこのお願いを聞いてしまえば、次にどんな要求がくるか分かったものではない。確かにスキャンダルもご免だったが、それ以上にコーザは自分で精神の泥沼に飛び込む様な真似はしたくなかった。 だからコーザは両手をポケットに突っ込んだまま黙ってきびすを返すと、悩むビビをその場に残してさっさと回廊を渡り始めた。目的地の衣装部屋に逃げ込んでしまえば、もう手を繋ぐ云々は関係なくなる。 気配にビビがはっとして視線を戻すと、すぐ目の前にいたはずのコーザの背中がどんどん遠ざかっていくのが視界に入った。 その背に声をかけようとして、ビビは急にひどく悲しい気持ちになった。 コーザの言っている事は正論で、自分のお願いはコーザを困らせるだけなのだ。でも、こんな風に置いて行かれるなんて、嫌だ。 一緒に、ただ一緒に。同じ速度で同じように、幸せな子供時代の頃のまま。 実際にはここまで明確な意思がビビにあった訳ではなかった。後からこういう事だったのかしら、と思ったのだ。 この時はただ、ひどく悲しくて、気がつけば衝動的に駆け出してコーザの左腕にしがみついていた。 コーザはいきなり腕を引っ張られて、驚いて振り返った。浅くくわえていた煙草が口から離れて、床に転がる。自分の腕を抱き込む様に腕を巻きつけて、離されまいと全力でしがみついているらしいビビを唖然と見下ろす。 一つ、小さくため息をつくと、コーザは空いている右手でビビの頭をポンポンと撫でた。 「あのな、煙草、落としちまったんだ。拾わせてくれ」 ビビはびくりと肩を震わせたが、うつむいたままそろりと腕を解いた。 コーザは床に落ちた煙草を拾うと携帯灰皿に入れてしまい、床に跡がついていないのを確かめてビビに向き直った。 ビビはうつむいたままだったが、コーザの気配を察して小さくごめんなさい、と謝る。 そのすっかりしょげかえった姿にコーザは苦笑すると、くるりと周囲を確認してから、左手をビビの方へ差し出した。 「ほら、今回だけだぞ」 ビビが驚いて顔を上げると、コーザがニヤリと意地悪く笑って、差し出した左手でビビの鼻をひょいと一瞬つまむ。 「今なら誰も…とはいかねぇが、問題ないだろ。この王女様は寂しがりみたいだからな、今回だけ。いいな」 「うんっありがとうコーザ!」 「…おい、手を繋ぐんだろが」 大喜びで抱きついてきたビビの肩を、邪険にならないように慎重に押し戻して、コーザはもう一度左手をビビに差し出した。内心で、頼む理解してくれ手を繋ぐのが駄目って事なら抱きつくのはもっと駄目なんだよと喚いてみたりしたが、もちろん今そんな事をいえば、ますます収集のつかない事態に陥るので黙っている。 ビビは大事そうにコーザの左手に自分の右手を乗せると、嬉しそうにコーザを見上げた。 コーザは苦笑にならないよう苦労して笑顔を作り、ゆっくり指を曲げてビビの手を握ると、そのまま今度こそ王族の塔に向かって歩き始めた。 ビビはコーザの手を握り返して、その隣を歩く。ニコニコと上機嫌で隣を歩くビビに、コーザは一度不思議そうに目をやったが、結局黙ったまま視線を前方へ戻した。 ビビはコーザ達ユバの幼馴染みより一人歳が離れていて、取り残された様で寂しかったのは事実だ。 だからビビにとっては、コーザが手を繋いでくれたのも嬉しいけれど、そういう気持ちを思いやってくれたり、歩く速度を自分にあわせてくれたりするのも、すごく嬉しい。 この回廊が王族の塔までなんて短くなくて、雨上がりにかかる虹みたいに遠くまであればいいのに、そしたら虹の向こうまで、ずっと手を繋いで歩けるわ。 そんな事を考えながら、寄り添うように近く、ビビはコーザと手を繋いで歩いた。 |
所用で遅れたケビがコーザ達の後を追って王族の塔へ向かっていると、回廊の入り口に見慣れた人物が二人、隠れるようにして回廊の様子を伺っているのに出くわした。 「…お二方共、何してんですか」 ケビの声に一瞬飛び上がった二人が、慌てて口元に人さし指をあてて黙るようにジェスチャーをしながら振り返る。 真剣な面持ちで、唐草模様の手拭を所謂泥棒被りに被っているのが国王、水玉模様が護衛隊長だ。 ケビは一瞬めまいを思えながらも、指示通り黙って回廊の方へ視線を向けると、コーザがビビと何やら向かい合って話している所が見えた。一度ビビが嬉しそうにコーザに抱きついた後、二人仲良く手を繋いで歩き出す。 「…あー、とうとう負けちまいやがんの」 ケビがうっかり声に出して一人ごちたのを、今度は国王にはがいじめにされて黙らされる。 いや、コーザは国王様達が覗いてんの気がついてますよとか、言おうと思ったがこっちも分かってて覗いてんだろうなと思い直して止める。抵抗するのも馬鹿らしいので、黙って国王に捕獲されたまま回廊に目をやると、ビビのやたら嬉しそうな横顔が見えた。 世間一般ならこの段階で立派に恋人同士なんだろうが、そうなれない所があの二人の立場の微妙さと不器用さだろう。 ケビは自分だって幼馴染みなんだが、あれだけ露骨にコーザに対してだけ要求の違うビビが、自分の恋心に気がついていないなんてとぼけた話だと思うが、コーザもビビの恋情に見ない振りを決め込んでいるので仕方がない。コーザは自分がビビに惚れかけているのすら、できれば無かった事にしたいと思っているのだ。 こんなうっとうしい保護者もいるしな、とケビは小声でコーザめ腑甲斐ないそこはがばっとこう…何をおっしゃいます国王様等と、ぼそぼそ話し合う乙女心を理解しない男親達の台詞を聞き流しつつ、ビビの後ろ姿に心底同情した視線を向けた。 |