笑顔

アリノリさんのサイト「王女と海賊」の30000ヒット記念リク権を強奪して、
書いて頂きました。
リクエスト内容は「ゾロとビビからみたルフィについて」です。
深淵。(by十月)

足音と話し声。
密やかな響きに、首筋がざわりと泡立った。

五月蝿い。
ゾロは勝手に覚醒した意識下に引きずられて、緩やかに目覚めよ
うとしていた。
影のように静かに、数人がこの部屋を出ていこうとしている。爪
先立ちの忍び足で、音を立てないように扉を開けて、ひそひそと
空気に近い会話を交わしている。眠っている仲間を起こさないよ
う、呼吸をも押し殺す感じで随分と気を使っている。
その気配が、とても五月蝿い。
駄目だ。
それでは逆に、寝ている人間の神経を刺激する。
気配を消そうとする「気」遣いが人の気配を避けに肥大させる。
隠し事のある人間が、誰の目にも落ち着かな気に見えるように。
隠し、潜めようとする気配にこそ、人は敏感に反応する。
ナミと、クソコックとウソップだな。
ドアノブの金属の仕掛けがかちゃりと閉まり切ると同時に、ゾロ
は目を開いた。
起き抜けの視界に、部屋の中はゆらめいて明るい。
備え付けの灯火が四方だけでなく、扉の両脇と暖炉の上でも赤々
と燃えている。暖炉でも薪が燃やされ、火の気配がやかましいく
らいに部屋の中を照らしている。
海の上。
夜のゴーイングメリー号の夜の暗さを思い、ゾロは身体を起こし
た。毛布が胸の上から太ももまでずり落ちる。
改めて記憶を振り返らずともここは王の住む所。一国の宮殿。自
分達の乗っている小さな船とは、ワケが違う。
明る過ぎると文句を言ったら、贅沢かもな。
「あ、起きたのね。今、ちょうど、ナミさんたちが夕食に向かっ
た所よ。Mr.ブシドーも食べて来て」
この国の王女が左手から声をかけてきた。
ゾロは盛大に欠伸をして、彼女の方へと顔を向けた。ビビはルフ
ィが眠るベットの向こう側で、変わらず椅子に座っていた。ゾロ
が昼寝に入る前もそこにいたが、それからずっとルフィに付いて
いたのだろうか。
「あぁ、腹も減ったし、行ってくらぁ。ビビはずっと看病をして
るのか」
「私もさっき起きたのよ。トニー君と交代で食事と睡眠を取って
るから」
「そんなに面倒を見なくても、コイツは平気なんじゃねェか」
「でも、万が一のことがあるといけないから」
チョッパーが大丈夫だと言った時点で、ゾロは船長の身体を気に
かけるのを止めた。発熱と苦し気な呻き声には多少なりとも不安
を抱いたが、今日になってからは熱も下がり、呼吸も落ち着いて
いる。
死にそうにない。
だったら、いい。
「万が一か。コイツのそんなコトをいちいち気にしてたら、こっ
ちの身が保たねェ」
言いつつまた、欠伸をする。剣豪のらしい台詞に王女は微笑みを
返すと、窓の外へ、くると視線を動かした。
夜気に全ての窓が閉じられている。砂漠特有の冷たい外気を少し
でも阻もうと、カーテンも全部ぴっちりと下ろされている。
ただ、1箇所。王女が見ている窓では、カーテンが細く開いてい
る。意図的な隙間だろう。5cmにも満たないその間からは、細
く長く、暗い夜空が広がっている。
「でも、もう届かないのはイヤだから」
瞬く星々の狭間に何を見るのか。ビビの視線は空の高みへと伸び
ている。その遠い横顔に、ゾロの脳裏を爆弾を掴んだ鳥の姿が瞬
く間に現れ、飛び去っていった。
「死んでしまったら、『ありがとう』も言えないもの」
ビビの視線が弧を描いて戻り、目の前の海賊の顔を見下ろした。
その瞳はルフィを見ているようで、微妙に焦点がズレている。ゾ
ロもルフィへと視線を落とした。昼間はその頬がやや紅潮してい
た。今は光源の加減で、顔色がほとんど見て取れない。灯火の赤
光色と暖炉の炎がつくり出すほの暗い闇がルフィの上で交互に揺
らめいている。
ルフィの胸が同じリズムで上下し、呼気がゆったりと吐き出され
ている。
時折、廊下を通り過ぎる足音が響き、まれに薪がぱちと爆ぜる他
は、ほとんど音がない。
部屋はルフィとチョッパーの寝息で満たされている。沈黙と微か
な息遣いが心地良い。一息毎に感じられる生命の証し。包み込む
ように、聞く者を眠りへと誘う。ゾロは2人の呼吸に引き込ま
れ、また、ぐらりと眠りに落ちそうになった。
「どうして、笑って逝けるのかしら?」
眠りの淵に突入しかけていた意識が、するりと耳に入ってきたビ
ビ言葉で表層へと引き戻された。半分寝ぼけた頭の中で、ゾロの
記憶が一部混乱し、イメージが錯綜する。
雷と。怒号と。にっと笑う船長。雨は激しく。ピエロの真っ赤な
口。処刑台。振り下ろされた刃は。
奴の、
ルフィの首は。
「誰の事を言っている」
ゾロの問いかけにビビの方も、ぱちりと目を見開いて怪訝な顔を
した。どうやら、さっきの言葉は無意識に唇から零れたものらし
い。彼女の口元がその場を取り繕うように、もごもごと何やら呟
いたが、ゾロにはほとんど聞き取れなかった。
「誰が死んだ話をしている」
「…ぺルのことよ。トリトリの実の能力者で、爆弾を掴んで飛び
立ったのを見ていたかしら?」
「時計台からだろ。下から見えた。成る程、ヤツも笑って逝った
のか」
「奴もって。今まで他に誰かいたの?そんな人」
考えずに聞いてから、ビビは不用意な発言である事に気が付い
た。
聞いてはいけない事だったかしら…。
しかし、ゾロは何の躊躇いもなく、顎をしゃくった。顎の先には
目の前のベット。寝ているのは当然、一人しかいない。
「ルフィさんが!?だ、だって、ルフィさんは生きてるじゃな
い」
大きくなりかけた声を、途中から慌てて低く押さえる。念のた
め、ゾロの片越しに船医の方を探ってみると。
大丈夫。
毛むくじゃらの丸い体は、ベットの上で静かに規則正しく上下し
ている。
「余所の海賊に処刑台で首を斬られそうになった。たまたま嵐が
来ていて、雷が処刑台に落ちたから助かったがよ。コイツは本当
に死ぬ所だった。助けようとしたが、間に合わなかった。そした
ら、刃が落ちてくる寸前、コイツは悪ィと言って笑ったのさ」
笑って死のうとした。
ゾロが視線を落とす。ビビもつられてルフィを見ようとして、先
にゾロの顔が目に引っ掛かった。
何だろう、この表情は。
瞳には険が隠っているのに、口元は柔らかい。
ひどく曖昧な感じだ。
受け入れるのでもなく。止めようとするでもない。責めるのでも
なく。放っているのでもない。
辛いようでいて、暖かく。
複雑なようで、底まで全てが見通せるように澄んでいる。
ううん、違うわ。この顔は…。
「…勝手な話だが、幸せなんじゃねェのか」
「え?」
表情を読み取るのに集中していて、ビビはゾロの言葉を聞き逃し
そうになった。ゾロの視線がルフィからゆっくり上がってくる。
いつの間にか、彼はベットに腰掛けている。先程まで毛布に足を
突っ込む体勢だったのに、今はもう、膝頭の上に肘を乗せて、自
分の顎を掌で支え、けだるそうにこちらを見ている。
まだ、眠いのだろう。瞼が半分落ちかけている。
「ぺルって言ったな。あの能力者。笑って逝ったって事は、幸せ
だったんだろうよ」
「幸せ…」
そうなのだろうか。
彼が爆弾を掴んで飛び立ってくれなければ、大勢の人々が殺され
ていた。王国の守護神たるファルコンとして、彼は国を守ってく
れた。彼は守護神。この国を守る事が責務。だから、その責任を
果たすのは、幸せな事だと。そのためなら、死んでも悔いはない
と。
分かるような気がする。
ううん、よく分かる。
でも。
「…でも、死んでしまったら、2度と会えないわ」
ありがとうとも伝える事が出来ない。あの時、私はただ、手を伸
ばす事しか出来なかった。そうして、伸ばした指先に触れたの
は、抜け落ちた羽。叫びは声にならなかった。
「…ルフィさんも幸せだったのかしら?」
その言葉を聞いて、ゾロの片方の眉がぴくりと持ち上がった。気
に入らないと言わんばかりに表情が険しくなる。
あらあら。
ビビは内心、その反応を面白がりながら、相手の答えを促した。
「幸せだったと思う?」
ゾロは答えない。言葉の代わりに眉間に寄った皺の影が、不機嫌
に濃くなった。
ぱちりと暖炉で木がはぜて、部屋を照らす赤い光が僅かに揺らめ
いた。ゾロの顔が一瞬、凶悪なぐらいまでに歪んだように見え
た。
「怒ってるのね」
ビビは先程読み取ろうとしていた表情の解釈は間違っていなかっ
たと、確信した。彼は相棒の勝手な死に対して、怒っている。
それを止められなかった自分自身に怒っている。
「勝手に満足して逝こうとするのは、許せないでしょう」
更に、畳み掛けて問いかける。我ながら意地悪だとは思ったが、
これくらいの復讐は良いと思う。「幸せ」だなんて解釈は、納得
出来てもヒドイ言い方だわ。
「…許せなくたって、人は死ぬだろう。だが、目の前であんなこ
とほざかれて笑われた日には、腹も立つさ。せっかく、人が助け
ようとしてんのによ」
顎を手の上に乗せたまま、険しい表情をしているが、口調がどう
にも拗ねているように聞こえる。ビビは内心の笑みを表に出し
て、ルフィの額に手を差しのべた。指先にタオルの水気がひやり
と感じられる。
ゾロの視線が何とはなしに、自分の指先の動きを見ているのが分
かる。
まだ濡らさなくても、大丈夫ね。
暖かくしている分、この部屋は乾燥している。こまめに湿らせな
いと、直ぐにタオルは渇いてしまうのだ。
「ホント、酷いわよね」
分かってしまうだけに、始末が悪い。
「人を助けるだけ助けておいて、それはないわよ、ルフィさん」
ぴん、と。
人差し指の爪先で、タオル越しに額を弾く。
勿論、起こさない程度に加減はしているが、この苛立ちはどうし
ようもない。
笑って死ぬなんて、最高に幸せな死に方をされたら。私達の「死
なせたくない」って気持ちはどうなるの?「死なないで!」と叫
ぶ思いはどうなるの?
「後悔なく死ねるって教えてくれるのは、嬉しいけど。…何か、
狡くて羨ましいわ」
あなたはどう思う?
問いかけの意味合いを込めて、ビビはゾロの目を覗き込んでみた
が、彼はふいと目を逸らして逃げてしまった。
あら、詰まらない。
でも、いいわ。
逃げる前に見えた瞳の色合いからして、だいたい同じみたいだか
ら。感情を隠せないトコロは、船長さんとよく似てるわね。
眉間の皺はとうにとれている。ただ、不完全燃焼したみたいな表
情がとても露骨だ。恐らく、ルフィさんが死にかけた時からずっ
と。ぶすぶすとくすぶっているに違いない。治まりの悪い事だろ
う。
だけど、しょうがいない。彼に関わって、少しでも彼に惹かれて
しまった以上、その火種が消える事はないのだ。いつか、また笑
顔の死に際に、燃え上がるその時まで。私達は置いてかれる焦燥
に耐えていかなければならない。胸の奥底で火種はくすぶり続
け、私達を急かして止まない。
強くなれ。
置いてかれるのがイヤならば、死なせたくないのなら、もっと、
もっと強くなれと。
「Mr.ブシドー。食事はどうするの?」
「ん。あぁ、行ってくらぁ」
待ってましたとばかりに答えると、ゾロは立ち上がって伸びをし
た。ぐうと伸ばされる腕がしなって肉の筋が綺麗に盛り上がる。
「ねぇ、ルフィさんも同じだと思う?」
伸びるついでの、盛大な欠伸の終わりに何が?と聞き返される。
いつでも食事に行くという口実があるからだろう。さっきまでに
比べると、質問に対して、ちょっと警戒心が薄らいでいるよう
だ。
「彼も私達と同じように思っているかしら?」
この苛立ち。この焦燥。
彼も同じように私達の死を恐れているだろうか?
しつこい問いかけの目線に、剣士の眉間がまた曇る。ひどく面倒
くさそうな顔だ。答えるのもイヤそうな感じだったが、先程逃げ
た手前があるのだろう。今度はため息混じりの返事が返ってき
た。
「コイツのそんなこたぁ、知ったこっちゃねェ。あると思えばあ
るんだろうし、ないと思えばないんだろうよ」
彼は如何にも下らないといった風情で言い捨てると、さっさと扉
に向かって歩き始めた。ビビは無言で彼の背中を見送った。が、
ゾロが出ていって、5、6歩靴音が響いた所で、彼女は部屋を飛
び出した。
「Mr.ブシドー!食堂はあっちよ」
反対方向に向かって歩いていたゾロは、ビビの言葉と彼女の指先
が示す方向に、バツの悪そうな顔で振り返ると、おう、と言っ
た。ビビは扉の外で警護に付いている衛兵に案内を指示してか
ら、部屋に戻った。
そうっと扉を閉めながら、部屋の様子を確かめると。
良かった。
2人とも寝ている。
ほうと息を付いて、またルフィのベットの脇に戻る前に、暖炉へ
と向かう。弱まりかけた火の中に、2、3本、新たに薪を追加す
る。炎の中に投げ入れられた木は、ほんのわずかな抵抗の後、瞬
く間に炎に包まれていく。乾燥し切っているのに、薪は直ぐには
燃え上がらない。まるで耐えられると思っているかのように、炎
を一瞬、退ける。しかし、抵抗虚しく呑み込まれるのも、時間の
問題で…。
何かに似ている気がして、ビビはちらりと後ろを振り返った。
「…あると思えば、ある。ないと思えば、ない」

分かっているのか、気にしていないのか、それともまだ怒ってい
るだけなのか。ビビにはゾロの底意までは押し測る事は出来なか
った。
でも…。
それでも、彼はルフィさんと共に行くのだ。ルフィさんがどう思
っていようが、全く関係ないという顔をして。夢が叶うその時ま
で、共に。
「どんな笑顔だったのかしら…」
ぽつりと彼女が呟いた言葉は、薪がぱちぱちと燃え始めた音に紛
れて、誰の耳にも届かなかった。斑模様の赤い光と薄い闇が、彼
女の好奇心と自己嫌悪に満ちた面持ちをゆらゆらと照らし出して
いる。彼女の背後で、チョッパーの丸っこい体がころりと寝返り
をうった。
まだ暫く、2人とも起きそうにない。





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