【第8夜】 日本の人民が闘った権力闘争/70年闘争(1970年)・後編


日米安保条約は1970年6月22日に十年の期限が切れ、日米両国どちらか一方からの事前通告があれば、この条約は廃棄されることになっていました。
しかし何の通告もなければ自動延長され、ひきつづき有効となって永遠の軍事同盟がさらに強化されてしまうのです。
日本人民はこれを廃棄させる闘いに立ち上がりました。
日大闘争、東大闘争に代表される学園民主化闘争を果敢にたたかいぬいていた全共闘と青年学生はその先頭にたって闘いました。

「革新勢力」といわれる政党(社会党、共産党)は、またしても「抗議声明」「反対集会」「署名運動」「議会で多数を」という、実力行動をともなわないカンパニア闘争をくりかえしていました。
佐藤栄作首相が訪米し、ニクソン大統領と安保条約の堅持をうたった共同声明を発表しました。「社・共」がどんなんに叫んでも、そのあとに実施した総選挙で自民党は圧勝し、「社・共」は票の食い合いをしただけで保革の勢力はかわりませんでした。
良心的な人々に投票を訴え、浮動票を獲得して議会で多数を、などということはけっして実らないことです。敵・権力がせせら笑う顔が目にうかびます。
敵は物とカネと顔でおくれた人々をとりこみ、企業や地域に網の目のように支配をつくりあげているのです。
選挙とはこのようなものです。

このときに全共闘に結集した若き青年学生たちは、突撃隊として、敵をふるいあがらせる闘いに勇敢に起ちあがりました。
正義はなにか、人民が求めるものはなにか、を行動で世界に示したのです。
当時は、民族独立戦争を闘っていたベトナム人民との世界的な連帯(ベトナム反戦闘争)、中国における文化大革命への連帯など、プロレタリアートの国際的な結合のたかまりもその背後にありました。
毛沢東の指導する中国共産党は「日本の英雄的な青年学生の闘い」と、全共闘の青年学生を高くたたえ、国際的な激励のあいさつをおくりました。
このとき宮本賢治と野坂参三の支配する議会主義の共産党は、全共闘の闘う青年学生にたいし「極左暴力集団」というレッテルをはって非難の大キャンペーンをうち、敵の側にたったのです。

1968年10月21日、「10・21国際反戦デー」で、青年学生は街頭反乱をつくりだしました。(じゅってんにーいち、と通称します)
アメリカ帝国主義のベトナム侵略に抗議するこの日の全国統一行動では、学生は大学でストライキをうち、バリケードのなかから街頭に出撃しました。
米軍ジェット燃料タンク車爆発事故があった新宿駅では青年学生を中心にして、基地撤去、ベトナム反戦を支持する一般市民数万人が集まり、ホームに、線路になだれこみました。
駅の機能は停止し、周辺は戦闘的な青年学生によって制圧されました。
警察部隊はお手上げ状態になりました。ここで敵権力はついに強権を発動し「騒乱罪」の適用にふみきったのです。
完全武装した機動隊数千人を投入し、ガス弾を打ちこんで青年学生に襲いかかったのです。

成田空港反対闘争、原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争(佐世保)、米軍野戦病院反対闘争(王子)、沖縄の基地撤去闘争、板付基地撤去闘争、などなど
反戦・反安保の集会やデモ、街頭闘争は全国で連日のように街をゆるがしました。
東京では、代々木公園、明治公園、日比谷公園、渋谷の宮下公園、清水谷公園など、あらゆる所で労働者・青年学生の決起集会がひらかれ、戦闘的なデモがくりひろげられました。ジグザクデモが道路を制圧し、これを押さえこもうとする機動隊は催涙弾をうちこんで暴力制圧にでます。
全国の都市で蜂起の闘いがおこりました。その先頭にたっていたのが、全共闘と青年学生の突撃隊でした。

1970年6月14日、15日、21日、22日、23日と、労働者・青年学生は各地で大集会を開き、激しいデモをくりひろげ機動隊と激突し、各所で数百人単位の逮捕者をだしました。
それでも、6月23日の安保条約自動延長によって、軍事同盟は生き残りました。

敵権力が最後にもちだすものが武力です。
明治の自由民権運動への弾圧も、大正・昭和の反ファシズムの闘いへの弾圧も、2・1ゼネストへの占領軍命令も、敵権力が支配の危機におちいると持ち出すものが強権弾圧の武力です。
70年闘争の青年学生の戦闘的闘いを徹底的におさえこみ、弾圧したのも敵権力のもつ警察という武力です。
単なる抗議、声明、決議、宣言、などで敵は動揺しません。どのようにでもあしらうことができるのです。
このたびの「安保法制」を、安倍首相がどのように成立させたかをみればそれはあきらかでしょう。

「批判の武器は、武器による批判にとってかわることはできない」というマルクスのテーゼは完全に正しく生きています。(ヘーゲル法哲学批判・序論)
「物質的な力を倒すには、物質的な力をもってしなければならない」のです。
このテーゼを迷うことなく実行したのが、全共闘とそこに結集した青年学生でした。「蜂起」し、「反乱」をおこして、支配者の横暴をあばき、世界の人民と連帯する正義の意思を世界にしめしたのです。
全共闘という学園ソビエト(権力)をうちたて、学園封鎖、バリケード占拠戦、街頭反乱への出撃は、日本の青年学生運動の歴史上はじめての闘いであり、偉大な闘いでした。
目先の勝利か敗北かではなく、敵の暴力支配の本質をあばきだして革命的に闘いぬいたことに、未来へつながる勝利があります。
この闘いの経験をたくわえねばなりません。

残されたテーマがあります。
「2・1ゼネスト」以来、失われている労働者階級の前衛党をもつことです。
真に人民の意思を体現し、迷うことのない団結をうちたてられる党です。
よせあつめのブルジョア政党「民主党」でもなく、二つ三つの議席をのばしてよろこんでいる「共産党」でもありません。
輝かしい全共闘が最後に分解し、いまや見るかげもなくなっていることもここにすべての原因があります。

実際に革命を勝利させた、マルクスとレーニンの原則にたちかえり、これを継承して新たな世界情勢に対応できる司令部をもたねばなりません。
そのために、団結しましょう!
2015.11.17 岸本隆