1945年8月15日 「ポツダム宣言」の受諾を天皇がラジオ放送して、日本は敗北し、無条件降伏します。
1945年10月4日 占領軍総司令部は「ポツダム宣言」にもとづいて、治安維持法と政治・思想弾圧の諸法令の廃止を指令し、共産主義者をふくむ政治犯の即時解放を指令しました。
1945年10月10日 獄中18年を闘いぬいた徳田球一をはじめとする共産主義者、自由主義者、政治犯、約3000人が出獄します。
日本を戦争にひきずりこむために邪魔だった人々が、こうして人民の前に戻ってきました。
日本共産党は徳田球一を書記長としてただちに党組織を整え、1946年の「十月闘争」、1947年の「2.1ゼネスト」と人民闘争の先頭に立ちました。
1953年に徳田球一が死去し、1955年の日本共産党第六回全国協議会(六全協)で、日本共産党にあった日和見主義=修正主義が党の中央を支配します。宮本賢治と野坂参三がそれ以降の日本共産党を支配しつづけることになったのです。
労働者階級の前衛党がマルクス・レーニン主義の原則を放棄し、修正主義におちいったことによって、日本の革命運動は四分五裂の状態となっていきます。
この宮本・野坂の日本共産党の修正主義路線に対して、青年学生が批判の矢を射て「新左翼」の各派が登場していきます。
「70年闘争」はこのような政治勢力図のなかで闘われました。
1960年の安保闘争で、日米安保条約の成立を阻止できなかった日本人民は、この条約の10年の期限がきれる1970年に安保条約を廃棄させる闘いに再び決起しました。条約の期限は10年ですが、日米どちらかからの事前通告がなければひきつづき条約は自動延長され、有効となります。「70年闘争」は、この自動延長を阻止する闘いでした。
闘いは1968年の学園民主化闘争のなかから発展していきました。
1968年は全国の大学で学園民主化の闘いの嵐がふきあれました。
「学問の自由、学生生活の自由と権利を守れ」「学園の民主化を! 大学運営に学生を参加させよ」という要求、スローガンをかかげ、デモ、スト、集会、学園のバリケード占拠など、全国的な闘いがひろがったのです。1969年には学生によってバリケード封鎖された大学は165校となりました。
日大では、20億円にのぼる脱税と使途不明金が発覚しました。それまで学生の権利と自由、学生運動への抑圧をおこない、ファッショ支配をつづけてきた大学当局に対して、学生が怒りを爆発させました。
「日本大学全学共闘会議」(日大全共闘・議長秋田明大)が結成され、すべての学生と職員が一つに結集されました。
学園の民主化、大学全理事の退陣、経理の全面公開を要求して学園を占拠したのです。
大学当局は体育会系の右翼学生と暴力団をつかって、全共闘に襲撃を加え、バリケードを撤去しようとしました。あらゆる学部で激闘が起こり、警察権力・機動隊も導入されました。
学園は闘いのつるぼとなり、大学理事会はついに日大全共闘との大衆団交に応じます。
両国講堂には35000人の学生が集まり、学生は要求を貫徹させたのです。
東大では、封建的な登録医制とインターン制の民主的改革を求めて医学部での闘いが進められていました。
この闘いのなかで、大学当局はでっちあげの暴力事件をもってして退学をふくむ17名の処分を発表したのです。
この不当処分撤回闘争を端にして、東大の非民主性をあばき、学生生活の権利と自由をかちとる全学的な闘いがまきおこります。
1968年3月28日、時計台のある東大安田講堂を学生が占拠し、実力行動にうってでます。
大学当局はこの年の卒業式を中止においこまれます。東大総長は学内に機動隊を導入し、安田講堂の学生を排除しますが、学生は再び強固なバリケードを築いてたてこもります。医学部本館も占拠しました。学内では集会、デモ、右翼学生との激突がくりひろげられ、全学ストライキが決行されました。
そして1969年の入学試験も中止になるのです。
日本の学府の頂点を学生に支配された敵権力は剥き出しの暴力で襲いかかってきました。
1969年1月18日、警察8500人の武装部隊が大学構内に入り、安田講堂突入を開始しました。ヘリコプターが催涙ガス弾を打ち込み、催涙液をあびせて地上と空からの攻撃をしかけました。全共闘の学生は投石、火炎ビン、などあらゆるもので抵抗しましたが、二日間の激闘で力尽き逮捕されます。
最上部の時計台に追いつめられた学生が最後の時計台放送をしました。
【全国の学生・市民・労働者の皆さん、
われわれの闘いは決して終ったのではなく
われわれにかわって闘う同志の諸君が、
再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、
一時、この放送を中止します】
独占ブルジョアジーの権力に対する、革命的青年学生の権力が、全共闘でした。
そしてこの全共闘というソビエト権力が、学園を支配し、一時は勝利を獲得しました。
敵権力をおいつめて、ねじ伏せるのが人民の権力です。青年学生の先進性は革命的な巨大な力を発揮します。青年学生を信じて闘いを継続しましょう。
まさに闘いは終わったのではありません。
〈後編へつづく〉
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