日本人民がブルジョアジーの支配する日本国家権力と正面から闘った三度目の闘いが「70年闘争」です。
1960年の安保闘争で、日米安保条約の成立を阻止できなかった日本人民は、この条約の10年の期限がきれる1970年に安保条約を廃棄させる闘いに再び決起しました。条約の期限は10年ですが、日米どちらかからの事前通告がなければひきつづき条約は自動延長され、有効となります。この自動延長を阻止する闘いでした。
闘いは1968年の学園民主化闘争のなかから発展していきました。
この問題に入る前に日本の青年学生の闘いの歴史をみてみましょう。
日本の封建制社会(徳川封建制)は明治維新によって倒され、資本主義の社会へ移行しました。
このときヨーロッパの資本主義ははるか先に進んでおり、日本のブルジョアジーはこれに追いつくために国家権力を最大限に利用しました。
税金により官営で設立した企業を三菱や三井などのブルジョアジーに無償で払い下げ、封建領主であった大名たちに資金を与えて産業界に進出させ、明治維新の推進力であった下層武士団を各種権力機構にすえて資本主義の国家作りを強力におしすすめました。
高級官吏の養成・法律整備を目的として官立の帝国大学を設立し、民間の私学(同志社、法政、専修、明治、早稲田、中央、日大)もぞくぞくと設立されていったのです。
こうして近代国家としての日本に知識人として青年学生が生まれ、ヨーロッパに広まっていた自由民権思想が取り入れられていきます。
ヨーロッパに留学した吉野作造はデモクラシーを学び、「全国民が参加する議会政治」を唱えて民本主義をひろめます。川上肇は「貧乏物語」を書いて社会改革を論じて大きな反響をよびました。
強権的な天皇制政治制度をつくりあげ、大日本帝国憲法を制定して天皇に順応する「教育勅語」を発する明治政府はこの自由民権思想を手にする運動を弾圧しました。
強権的な国家建設は農民に対する重税、労働者への徹底した搾取によって進められました。農民一揆はいたるところで勃発し、待遇改善と賃上げを求める労働者のストライキも各地で闘われます。
このような情勢下、ロシア革命に刺激された日本の知識階層たる青年学生は抑圧された労働者との結合にたちあがります。
東大の「新人会」をはじめ、各大学に社会問題にとりくむ学生組織が生まれました。
大正11年11月7日、ロシア革命5周年の記念日に全国的学生組織「全日本学生連合会」が結成され、天皇制専制支配下における激烈な闘いをはじめます。
大正12年には早稲田大学や全国の大学で軍事教練への反対闘争をまきおこします。軍事教練とは、戦時の兵力動員を目的として陸軍将校が行った学園での軍事訓練です。
青年学生の闘いは、大正11年に結成された日本共産党との結合を深め、「日本共産主義青年同盟」(共青)の結成にいたり、大衆団体としての「全日本無産者青年同盟」へと成長していきます。
昭和2年の労働争議・ストライキは1200件、農民争議は2000件以上に達し、農民争議は武装暴動にまで発展しました。
ブルジョアジーは天皇制ファシズムをもって国内を制圧し、海外侵略に出るために労働者と青年学生の闘いを抹殺しようとします。
中国大陸への侵略と収奪を準備するブルジョアジーは長州軍閥の陸軍大将・田中義一を首相につけ、国内の反対勢力を一掃するための大弾圧を実行しました。
昭和3年(1928年)3月15日、全国の検事局が動員され、共産党員、共産主義青年同盟の幹部、千数百人が襲撃されて逮捕されます。
これが小林多喜二の小説「1928年3月15日」に描かれた「3・15事件」です。
そして労働組合評議会、労農党、無産青年同盟も解散を命じられます。
さらに翌年の4月16日、ふたたび共産党への大検挙がおこなわれ(4・16事件)、共産党の幹部と活動家はねこそぎ逮捕・投獄され、第二次世界大戦の終わる1945年まで獄中につながれてしまうのです。
こうして国内の反軍国主義の勢力を一掃したブルジョアジーは軍部と一体となり戦争に突入していくのです。
弾圧をうけ、犠牲になったのは共産主義者や共青の若者だけではありません。
ブルジョアジーがひきおこした戦争の犠牲者になるのが若者です。
「お国のため」「祖国を守る」という美名のもとに何百万人という若者が殺されました。
日本の青年・学生の悲劇の象徴が「学徒出陣」です。
「学徒よ、ペンを折れ」という激のもと、1943年(昭和18年)10月、氷雨にけむる明治神宮外苑競技場で、学徒出陣壮行会が行われました。77大学の学生数万人が銃を肩に行進した出陣式です。
そのほとんどは特攻要員として軍部隊に配属されました。
「祖国を守る」という熱き思いをもって学生たちは戦場に散っていきました。
この血と涙の歴史を決してわすれず、二度とふたたびこのような犠牲を強要されることのないように、敵・味方の姿をみすえなければなりません。
青年学生の革命的なエネルギーは正義の闘いのために発揮されねばなりません。
〈中編へつづく〉
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