◆ヤツらのジェノサイドの単純な動機を見抜け
イスラエル・シオニストのパレスチナ人に対する、連日のジェノサイドは現代における最大の悪事だ。悪魔が人間という人民を、世界が見守るなかで連日殺害しているのだ。
欧米日のマスメディアは、それを「普通の事件」として扱い報じている。つまり、イスラエルとパレスチナの一部過激派の紛争と矮小化し、いずれの政治勢力にも偏らないジャーナリズムの立場として「中間」を装って、事実上完全に悪魔に協力している。
地上の人間である世界人民は、このような欺瞞的な姿勢を絶対に許してはならない。全世界の人口は現在80億人を超えていると言われる。その「ほんの僅か」の人が血を流しているように、数字で判断して矮小化してはならない事態だ。
数字という数でみるものではなく、その内容、つまり質に目をむけなければならない。それは、イスラエルのシオニストが「全人類を5億人まで間引きし、地球全体を一元支配する」という悪魔の目標を実現するための一環で行われているのだからだ。
このように断定すれば「それは陰謀論の典型的な見解で、エビデンスの裏付けを欠いた夢想だ。世界で起こっている無数の紛争は、複雑な政治の微妙な力関係で起こっているものだ」という見解で反論する。いうまでもなく、その見解自身がヤツらが人民に真実を見えなくするために作り上げた欺瞞的な論法である。
「複雑な政治の微妙な力関係」という表現には、人民に政治のシンプルな真実を知って欲しくないために、さも本質が複雑で難しくて理解しがたいもののように見せる効果がある。だが、実際の政治の現実は極めて分かりやすい、単純な動機で動いてきたし、現在も動いている。ヤツらはこれを人民に知られたくないのだ。
結論はすでに指摘した。「全人類を5億人まで間引きし、地球全体を一元支配する」というもの。
パレスチナ領とか自治区というパレスチナ人が住む地域があるように報じられている。だが、現在の実態を解りやすく紹介しているところはない。イスラエルという国の地域全体はイスラエル国家が支配権を持っており、ハマス主導のガザ地区もヨルダン川西岸のパレスチナ解放機構(PLO)主導の自治区は、ともにイスラエルの政治支配下にある。
パレスチナ人と称する民族はアラブ人、アラビア人とも呼ばれるが多くはイスラム教徒である。パレスチナ両地区以外にも住んだり、通勤で通ったりしている。ガザ地区はイスラエルからの猛烈な空爆と戦車による掃討作戦で、およそ150万の人びとはエジプト国境地域に追いやられた。彼らの生活の拠点である住居はほとんどが破壊され、キャンプに追いやられている。
イスラエルは完全な兵糧攻めにしたために、餓死に追い込まれた人は数万人に及ぶと予測されている。インフラが消滅し病院、学校、公共施設は今はない。公式に確認された死者は3万数千人で、現在も毎日増えている。
瓦礫に埋まったままで未確認の人を合わせると十数万人が犠牲になった。
北部の地域も内8割がイスラエルの支配下にある。いわゆる「入植」により、パレスチナ人は今までの住まいを奪われて、イスラエル人が強靭な軍の擁護下で生活している。この度のイスラエルの掃討作戦によって、相当数が隣国などに出た。
イスラエルから見ればパレスチナ自治区などは、もうひと息「フッ」とかければなくなるようなものだ。家もなく日々の食い物のないほとんどのパレスチナ人は、数の上では数百万人いても、ほとんど野良の動物とされている。
単純に今、世界が見守る中で、風前の灯火にされているのだ。3月末にPLOで新たな組閣がなされたが、事実上の統治はない状態だ。幹部は国外に逃れている。パレスチナの地の人民は無政府状態下でイスラエルの無差別攻撃におびえた毎日を送っている。
それでもパレスチナ人民は現実にそこで生きている。イスラエルはこれを抹殺してしまうと言っている。「2国家共存」という考え方にイスラエルはまったく同意しない。パレスチナの地はユダヤ人だけの土地だという主張を貫く。
全土がイスラエルで、国家がイスラム教徒のイスラエル人の国内での存在を認める体制にするか、と言えばそれも拒否している。確かに現在の時点ではすでに国家の事実上の存在が失われた状態で、2国家はない。だが、イスラエル人民は現存している。この事実をベースに、抹殺ではなく、新たなイスラエル人民の自治国家を作り上げねばならないが、その道は相当困難である。
このような事態は、ただただ、イスラエルのシオニストが起こした仕業の結果だ。イスラエルの地からパレスチナ人を一掃する、という目標を追求してきてなしたものだ。
1948年イスラエルは建国された。これは白人偽ユダヤ人のなした業だ。
地球支配者(この中核は白人偽ユダヤ人)は第二次世界大戦を起こした。己の思想の代弁者であるナチスを通じて「ユダヤ人迫害、ナチスによるホロコースト(大虐殺)なるもの」を演じさせた。ユダヤ人は世界中から迫害されてきた。だから、ユダヤ人は自分の国家を持つべきだという理由を作り上げた。それを根拠にしてイスラエル強引な建国を実現したのだ。
イスラエルの地=パレスチナの地は、神がユダヤ人に与えられたもの。神はユダヤ人のみが人間だと唯一認め、他民族はゴイム(家畜、動物)だから、どう扱ってもよいと「神と契約(約束)」したのだ、としてシオニズム思想をあらわにした。
つまり悪魔の思想を前面に押し出し「唯一正しいもの」とする主張を展開した。
実はこれは地球の一元支配者になる、ユダヤ人以外の人間を動物視する、異を唱えるものは抹殺の対象ということを合理化するための、勝手なご都合主義の「一聖書解釈」に過ぎない。
数千年前に神が告げたなどと言うことを、現代に生きるもの、誰であっても照明などできない。仮にそのようなことを言う神がいても、地上の人間としての普通の思考と相反し、認めたり、従ったり、信仰したりすることは狂っている。
悪魔は地上の人間が理不尽にあうこと、殺しあったり、憎みあったりすることが快感でゲームのように楽しむ。悪魔は人間同士の殺し合い、憎み合いの拡大をみて快感とする。そのために、人間のなかに子分をつくる。特権を与える。神からの授けものとしての優越感を与える。神に魂を売ったこの手下どもを使って、己の邪悪な目的を追求する。
こうしてユダヤ人だけに特権を与えた。だが、ユダヤ人は卑劣な神(ハヤウエ)の邪心に気づき、特権を否定するものも出た。つまり、地上の人間全員に幸福追求の権利があることを説くキリスト教分派を作る。同様にユダヤ人特権の教義は誤った解釈として独自の解釈を主張するイスラム教ができる。
ユダヤ人(=パレスチナ人、アラブ人、皆同じ民族)は分派に分かれ、ユダヤ教は当然の結果として少数になる。ただ宗派間の無用な対立は拡大し、ユダヤ人は世界に散っていく。当然教義は薄れていく。
しかしその時代に、地中海とカスピ海の周辺に存在していた悪魔儀式を信じるハザール帝国が周囲の国々から攻められ、存続するにはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教いずれかの選択が迫られた。中枢にいた連中はこれを好機ととらえユダヤ教を選択する。それは「ユダヤ人のみが人間だと唯一認め、他民族はゴイムだから、どう扱ってもよい」とする聖書解釈が、地球支配という欲望を追求するのに大変都合がよかったからだ。
ハザール(カザール)は滅び、主に現在のドイツ、スペインを中心に世界中に散っていく。すでに祖国を持たない彼らは行く先々で、商業、金貸し、ペテン師、詐欺師で能力を発揮する。地域の権力者に金を貸し、横暴に手を貸して力を得る。人民を騙してあこぎな稼ぎをする。ゆえに、どこでも地域の人民から嫌われる。だが、権力者からは好まれる。権力者が彼らを嫌ったところは政治が弱体化するが、好んで受け入れた方は繁栄する。
つまり、これが現在のユダヤ人だ。本来のパレスチナに住むユダヤ人ではなく、白人の偽ユダヤ人だ。彼らはユダヤ人の定義を民族的なものから、ユダヤ教を信じる者は誰でもユダヤ人だと変えた。
イスラエル建国時に、世界中から集まってきたのはこの連中である。
かつての王政、封建主義者。一神教の大本バチカン、産業、商業の発展とともに出てきた金融資本、現在の軍産複合体は、これらすべてをカネで牛耳る白人偽ユダヤ人とともにある。カネで結合し、世界一元支配という思想で結合している。
この集団が地球一元支配者である。世界人民の共通の主敵である。米国ではディープ・ステートと呼ばれているものの正体だ。
第二次世界大戦が終わり冷戦の時代となった。台頭したソ連と戦勝国米国が帝国主義的覇権を争った。だが、ソ連の指導者スターリンが亡くなると、ソ連は自壊する。地球一元支配を目標にしていたヤツらにとって、当時最大の目の前の障壁はソ連だった。ソ連に対する謀略作戦は、思いつく限り無限に画策された。
謀略機関の代名詞であるCIAなどを始め、イスラエルのモサド、英国のMI-6等がみるみる巨大化した。ソ連の政財界の内部に深く侵入し、特にイデオロギーの浸透に力を入れた。自由と民主主義と人権をスローガンに、共産主義は全体主義=独裁主義=秘密主義だと徹底的な功勢をしかけた。スターリンの暗殺、転覆が追及された。ソ連の自壊は、こうした猛烈なイデオロギー攻撃が功をなして実現した。
1991年、ロシアに移行した。地球支配者は生え抜きの7名のコントローラを送り込み、ロシアのすべてを管理する。6名がイスラエル国政所有者だ。経済はヤツらオルガリキに実値の2%ほどで奪われた。ロシア国民は年越しができないほどの苦難に見舞われた。失業、アル中で男性の平均寿命が10歳ほど下がった。
ヤツらによるロシア潰しの過激さは半端ではなかった。後を継いだプーチンは「西側に負けた。屈服する」といい「NATOに入りたい」と請願したほどだ。だが、ヤツらはついにロシアを征服したと有頂天になり、ロシアいじめを止めなかった。
プーチンは意を決した。いや、プーチンというロシアの愛国思想幹部連合システムが、周到なロシア再浮上計画を準備した。この薄汚い、邪悪な悪魔の計画に騙されない。ロシアはヤツらに翻弄されない国家として再浮上すると。プーチンは表面では屈服をした顔を装い、スキがあればヤツらをどんな手段を講じてでも叩き出すと。
ヤツらがプーチンというロシア支配体制の決意を実感したのは、ようやく最近だ。
ヤツらは、1991年のソ連自壊をみて「いよいよ地球一元支配が可能になる」と踏んだ。それを阻んでいるのは、もうイスラム圏だけだ、と感じて2001年の911を画策した。「テロとの戦いは自由主義世界の共通の課題」とぶちあげて、アフガン、イラン、イラク、シリア、リビアへの遠慮会釈のない猛烈な攻撃をはじめた。「イスラム過激派が先にツインタワーを攻撃した」「大量破壊兵器を隠し持ち、過激派犯人をかくまっている」などと主張して、中東抹殺作戦の展開に踏み切ったのだ。
フセイン、カダフィを殺害、中東各地をがたがたにした。
2020年になると突然、コロナウイルス戦争を世界人民相手に仕掛けてきた。パンデミックを起こし、世界は統一してWHOに従って行動すべきと。マスクを強要し、ワクチン接取を徹底させた。現在世界中でその後遺症の波がおしよせて問題になっている。
2022年になると、地球一元支配の壁は旧共産主義国家、特に復活したロシアがガンだとして、ウクライナで育成したネオナチをロシアとの戦争に引き込ませたのだ。
1991年に征服したと思ったロシアの国家回復と、いつの間にか西洋に食い込んだエネルギー、食糧で驚くべき力量を見せつけた。しかも、BRICSとサウス・グローバルの中核的存在になっていた。
ウクライナ戦争は、軟弱ロシアなど短期間で音を上げると思っていたのだが、気づいたときにはロシアは、しかっかりウクライナ東部のロシア人陣地を支配し、クリミア半島の防衛までしている。
911で自由と民主主義、人権の「偽の顔」のベールを脱ぎすてて、強権では誰をもかなわない力を前面にだして、最終的な旧共産圏潰し、イスラム圏つぶしを行ってきたのだが、思わぬ敗北を続けている。打ち上げた拳をおろせないみじめな姿を世界にさらしている。
上記の1991年来のヤツらの行為を概観すれば、ヤツらの動機が明確なのである。「ユダヤ人のみが人間だと唯一認め、他民族はゴイムだから、どう扱ってもよい」「旧共産圏とイスラム圏を蹴散らし、5億人に間引きし、カシづかせて地球一元支配を実現する」「神と契約したユダヤ人の千年王国が実現する」という一貫した悪魔の思想の貫徹である。
王政、バチカン、金融資本、軍産複合体という悪魔の子分、この連中が悪魔の手先となって、世界人民に挑戦しているのが今だ。イスラエルのシオニスト、ウクライナのネオナチ、そして国家として悪魔に乗っ取られている米国のネオコンは完全一体である。
何千年間にわたって富を奪い蓄積してきたカネと財産はほぼ無限に持つ白人偽ユダヤ人は、イスラエルという国家を持ち、米国という国家を作りあげた。世界一元支配という邪悪な願望を共有する王政、バチカン、金融資本、軍産複合体と手を組んで、悪魔のビジョンの実現に懸命に走っている。
全世界の人民は、このたった一つの悪魔の動機に振り回されている。
世界情勢を知るには、米国を外しては不可のだ。それは、どうしてか。その理由は、米国という国家は、地球支配者が、己の邪悪な歴史的目標を実現するための道具として作ったものであり、現在もその利用を続けているからである。米国から目を離しては、世界情勢が何も見えない。その意味では、人民から見れば実に恥ずかしい、一刻も早くヤツらの支配からの離脱を実現して、他人、他国、他民族への加害者の位置を止めなければならない。
米国は1776年に独立宣言をした国だが、一貫して地球支配者の意図で国家は作られた。
何度もここの記事では触れてきたことだが、欧州で起こった大航海時代。欧州で育ち力をつけた権力者たちは白人偽ユダヤ人と組んで勢力をつけた。欧州の人民から収奪を続けたが、自ずとパイの大きさ自身に限界がある。そこで、欧州から手を国外に伸ばしていった。東はロシア、中国、日本と続くがロシアがでんと居座り、東への進出を拒んでいるが、インド、東南アジアルートで悪の手を広げた。
それに対して西へ、つまりアメリカ大陸とアフリカへ手を伸ばした。欧州を支配した権力者の思想は「ユダヤ人のみが人間」「他民族は動物」だがら、行く先にはどこでも遠慮ない。現地の財産は盗み放題。現地人は奴隷として働かす植民地支配をとった。
ヤツらは大型船とこぐ奴隷と強大な銃砲を持っている。反抗は無条件に抹殺の対象になった。この大航海時代に、アジア人とアフリカ人は数百万人がヤツらに殺された。このような野蛮まるだしの時代が相当長く続いたが、悪魔に魂を売った手下どもには全く後悔がない。動物どもを殺害して、自分らの富をこれだけ多く手に入れたかを自慢しあっただけだ。
1492年コロンブスは米大陸に上陸した。「発見」などと学校で習ったが、なんと極悪な表現だろう。ヤツらは欧州で異端視されたキリスト教のプロテスタント一派を米大陸に送り込んだ。スペイン、ポルトガル、英国、フランス、ドイツ、スエーデンなどから「新天地を作る」という夢で誘って送った。
米国にたどり着いてなしたことは「開拓」(イスラエルの入植と同じ)と言われているが、その実態と真実は、米大陸の現地人の皆殺しだ。ネイティブ・アメリカンと現在呼ぶが、西部劇時代まではインディアンと呼んだ。開拓という過程で、わずか数万人を残して全部殺された。
ちなみに、アフリカでも同じだ。白人偽ユダヤ人は勝手にアフリカに入り込み、現地人を殺害、奴隷にした。国境は定規で引かれた。ローデシアなどと支配者の名前を付けた。そこでの財産を奪うだけでなく、奴隷を金鉱で働かせ、奴隷狩りをして欧州と米国に送った。
犬猫にも劣る動物として、丸太のようにして船に積み込んで送った。到着するまでに3割近くが死亡した。
大航海時代は地球支配者、すなわち白人偽ユダヤ人は、何の呵責もなく、堂々と悪魔の行為を行ったのである。欧州の民は、ヤツらの支配下、完全言論統制下で、死者の犠牲の上で入ってくる富で騙されて見過ごした。
新天地アメリカの政治を担当したのはフランス系の白人偽ユダヤ人たちだ。「新天地を切り開く」というスローガン。自由、平等、博愛というフランスの社会運動から生まれた標語を盛り込んだ憲法を作る。初代大統領ワシントンを始めほとんどがフリーメーソンのメンバーだ。
白人偽ユダヤ人が悪魔の目標を実現するための秘密の行動部隊として作られた組織のメンバーである。白人偽ユダヤ人のエリートが、大半の人民を支配するための組織だ。新天地、自由、平等、博愛は人民に希望と夢を持たせるための道具に過ぎない。名実は、過去から一貫して変わらない。白人偽ユダヤ人の一部のエリートによる完全独裁だ。
自由、民主主義、人権が米国の基本で、一党独裁の共産主義、全体主義国家とは相対立するというのは、完全なでたらめで、米国こそがその実態は独裁、全体主義である。
自分を自由、民主主義、人権の国だと装うのは、あくまでも旧共産圏国家やイスラム国家を「敵視」するためのものであるのだが、米国に住む人はその宣伝に皆騙された。それはヤツらが世界中から奪い取った富の一部を米国民に恩恵として与え、金銭的、物質的に豊かにさせたからだ。実際は不当な格差によるものだが、一部の者を爆発的に裕福にさせる。これをアメリカン・ドリームと称して、才能と努力次第で裕福なエリートになれると吹聴した。
世界中が米国のような自由で民主主義があり、豊かになれる、エリートに出世できる、平等な権利を持つ国、社会になろうと吹聴した。カネを得たもの、財産を築いたもの、政財界の中枢に躍り出たものが、偉く、人生の目標だと吹聴した。カネだけ、今だけ、自分だけの三だけ主義は自ずと広まった。
米国の人民は皆がそのように浮かれたわけではない。実態は大半の人民はスカスカの生活をしていた。「大草原の小さな家」のような素朴で質素な生活感情を持っていた人が多い。
リンカーンは奴隷解放の英雄だが、彼自身は巨大な農場を持ち、多数の奴隷をこき使っていた。つまり、米国は西部開拓が落ち着き、南北戦争が終えるころまでは政界のトップを牛耳るエスタブリッシュメントの命令で、インデアンや黒人奴隷を蔑視し、白人同士はアメリカン・ドリームを追求するという社会だった。着実に人民はエスタブリッシュメント=エリートによって、思想的に飼いならされてきた。
ユダヤ・キリスト教という宗教的背景は、確実に有色人に対して、排他的、差別主義を培っていった。インデアンと黒人に対して行ってきたことを反省はしない。優越感は捨てない。つまり、地球支配者の悪魔思想の根幹は、徹底的に日常の感情として定着していった。これは、やがて米国が「世界の憲兵」を気取る際に役立つ。
地球支配者の目的は地球一元支配。それを実現するためは、米国の軍隊を使う。CIA等の謀略機関が、目をつけた紛争地である旧共産圏、イスラム圏、アフリカやアジア、中南米の小国で米国にいい顔を見せていない弱小国で紛争を起こす。現地に潜り込み、反政府組織を作り、カネと武器を与えたり、訓練を施す。内戦を起こす。
そこに米軍が世界の憲兵として「内紛を治める」派遣される。現地で米国の計画に背くものは、逮捕、拷問、弾圧、殺害排除をするのだが、米兵が国内で訓練された異様な優越性が発揮される。大航海時代に侵略先で行った感情、行為と同じことをする。現場ではいかなる容赦の感情も自軍の命取りになるから、迷いがないのだ。
ウクライナのネオナチが親ロ人に対する態度、シオニストがパエスチナ人に対する態度、これと何ら変わることはない。
ヤツらが米国を使って、建国から今日まで、どれほど多くの蛮行を行ってきたか。気にくわない国の転覆をはかってきたか。その過程で何百万人が殺害されたことか計り知れない。
その具体的な年表と犯罪のリストは現在はネット情報としていくらでも、誰でも見れる。
自由、民主主義、人権という言葉が多く表に出てくる。前項のように、地球支配者はそれを共産主義国家やイスラム教国家、軍事独裁国家などと対立するものとして使われる。
米国流では奇妙な使い方をされる。単に一元支配に障壁となっているとして相手国を蔑視、転覆が当然だとする目的で使う。自国の全体主義、独裁主義を覆い隠す用語でもある。
まず「人権」だが、人間が持っている普遍的な権利のことだが、現在のイスラエルのパレスチナ人に対するジェノサイドを見れば分かるように、シオニストから見れば、ユダヤ人以外は全部、人間ではない、家畜、ヒトの顔をかぶった動物、つまり人間ではないのだから「人権」はそこにない。
人権とはユダヤ人だけのもの、ということになる。人間の世界とは別の悪魔の世界での理屈で、論理が成り立たない。
このようなことを平気で主張する悪魔の手下とは論議は成立しない。ヤツらこそは「ヒトの顔をした悪魔」だから、人間側がヤツらを放逐する以外に解決はない。ヤツら以外の人間は、すべて平等で、人間として地上で平和に生涯をまっとうする「権利」を持っている。それが人権だ。
地上で平和に暮らすことを邪魔したり、阻害してくるものは、人間であればそれは犯罪であり、許されない行為として、罪の償いが必要だ。
人間が人間の平和な生活の権利を侵すことは、あってはならない重大な犯罪である。現在世界各地でこの現象が存在する。それは、悪魔の手下が悪魔の意思を通して行っているのか、それとも人間自身の無知による偏屈で発生しているのかを見極めて対処する必要がある。ほとんどは悪魔の手先がやっているものだ。
人民は一人ひとりが他人の平和な生活を侵害する動機を持たない。他人を侵害するということは、そのまま他人が自分を侵害することと同じで、それを少しでも考えれば愚行であることが分かる。
新型コロナウイルス戦争の時には、WHOや国が平気でワクチン接種を強制した。知名なテニス選手が「自分の肉体に何を入れるか入れないかは、自分に決める権利がある」として接種強制を拒否した。
WHOや国には人間の生命にかかわる権利を侵害する「資格」などあろうはずがない。人民の国家であれば、断固としてこのような人民の権利を侵す行為をしてはならない。
イスラエルのジェノサイドを目の前にして、国は民を銃で殺していることに抗議をするのが人間であり、人民である。悪魔の人権抹殺行為を即時停止し、繰り返さないように発言し行動するのが人民である。「中立的態度をとる」などという欺瞞は許されない。まして、イスラエルの「自国防衛権の行使」だなどとして、血税から巨額の支援金や武器を送る行為は、人権という性質から見て、極悪極まりない大犯罪である。あげたカネと武器で、シオニストはさらに戦争を継続し、パレスチナ人を多く殺害するのだ。これはウクライナ戦争でも全く同じことだ。
欧米日のヤツらのカイライ国は、現在も大犯罪を続けている。パレスチナ問題は、ヤツらが全世界の人民に対して行っている行為だ。ヤツらは全世界人民を敵にしているのだ。
次に「自由」について。これは人間が人として思考する内容の自由である。つまり思うことに、いかなる制限もない、想像の自由のことだ。発言の自由ということに尽きる。誤解や勘違いしてならないのは、行動の「自由」ではないということである。
「行動」はややもすると他人への迷惑を伴うからだ。他人への迷惑は、他人の平和な生活を侵害するのであれば、これはれっきとした犯罪だ。
他人に対して気にくわないと思うのは勝手で、自由の範囲内だ。だが、気にくわないという理由だけで、他人に殴りかかるのは犯罪だ。自分が他人から気にくわないと思われている、つまり自分と他人との間に、殴りかかりたいほどののっぴきならない問題が存在するなら、それは別の手段で解決する道を選ばなければならない。
人間社会では、親、先輩、先生等の先人たちに相談するとか、公的な相談所、裁判所がある。そこでは人間同士のトラブル解決の例の蓄積があり、ある程度のルールを共有している。
なそうとする行動は理不尽な退任への迷惑を伴うのであれば、それは犯罪であり許されない。つまり考えるのは自由でも行動するには制限がある。
人民の利益になることを考え行動するのは、人民に科せられた義務である。人民が一致して人民のために社会の利益を追求するのは、正しい行動だ。
「民主主義」については、巷にある概念はほとんどが深層に至っていない。民主主義国家を自認するところでは、選挙で多数を得た議員が、多数の人びとから支持を得たとして、信任依頼されて一定の期間政策を決め執行するのを指している。
だが、上っ面の概念としてはなるほどと覚えても、突き詰めると曖昧なことばかりだ。選挙で多数とは多数決だが、そこには多数を得る、信任を得る事さえできれば「勝ち」ということで、詐欺的な策謀が支配している。
例えば政党が何らかのマニュフェストを宣言する。それが正しく、万人の利益になると訴えるのだが、大衆へのアピールにさまざまな言い回し、フェイクがちりばめられ、いかに民を騙すかという意図が入る。マスメディアを悪用する、口先だけが上手い奴を揃えるなどで、聴いている大衆は騙される。
次に実際に投票となると、悪名高い小選挙区制とか数百万円の候補になるためのカネがかかる。米国大統領選挙にみるように、長期間の選挙キャンペーンを展開するに、莫大なカネがかかる。買収も横行する。2020年の選挙では郵便投票制度を導入して、インチキのスキを作り、バイデンは当選したことになった。
つまり自称民主主義国の民主主義はただの幻想である。複雑で隙間だらけの制度は、絶対に地球支配者以外が当選することはできないようにできている。ここで反体制派が勝つことなどあり得ないのだ。仮に勝ったとしたら、暗殺とクーデターでしかない。
巷の民主主義について、人民は幻想をカケラも持ってはならない。
民主主義の真実とは「人民民主主義」である。これはロシア革命を通じて、レーニンが明確にしたことだ。評議会と日本語訳されるソビエトのことである。つまり、人民権力のことである。
革命を成功させたのも、ソビエト政権を強大にして第二次世界大戦を勝利に導いたのも、土台は人民の足元に構築されたソビエトだ。人民革命と人民の未来社会を描くのはソビエトを抜きに考えられない。
生活点と生産点という人民が生活している最末端に、無数に網の目のように存在する人民機構が土台中の土台だ。そこで、自分たちの生活を守り良くしていく上でのすべての問題が、自由に提案され論議される。そこで決まった内容が実行される。末端だけでは解決できない課題は、上部の連合ソビエトで協議される。最上部がソビエト中央国家である。
ソビエト連邦の自壊の理由は、このソビエト機構を放棄したことだ。ソビエトの大事さを忘れたことにある。戦争に次ぐ戦争でソビエト機構が戦時、緊急時の上位下達という形式、方法論を優先し、平和時、通常時のシステムにしてしまい、思想の根幹を忘れたのだ。
人民が民主主義を論じのは、人民民主主義のことである。人民民主主義は人民の日常であり、生活そのものである。人民が平和に生活できるための、あらゆる問題を、自らの足元のソビエト(人民権力組織)にゆだねる。生活を共にする仲間であるゆえに、共通の問題として、真剣に論議されて、正しい結論が出される。
人民民主主義は、巷でヤツらが吹聴する民主主義とは全くかけ離れている。
選挙が民主主義の象徴などというのはヤツらのたわごとだ。近年代々木共産党内で、党員が共産党の幹部を決めるのに、他の政党と同じような立候補と投票で決めるべきだと公言した。現在の党幹部はこれに対して、この意見は民主集中制に反する分派行為だとして、除名処分をした。
お笑いとはこのことかもしれない。前衛党が選挙で幹部を選ぶことを必要と考えることがそもそもおかしい。前衛党の教義の正しさが第一であり、それをどの層の党員が見ても、先頭になって行動している幹部と認定するかどうかで決まるものだ。つまり、ソビエトという機構の思想から見れば、上部のソビエト組織の幹部は、末端のソビエトが選んだ指導者だ。上部の指導者は自ずと決まるものだ。
ソビエト機構での協議において、人民の利益のためいう基準が決定的に大事になる。この基準に合致しているかどうかで結論を出す。そのもっとも大事な基準こそ、人民生活の五原則である。これに準じる限り間違いはない。
白人偽ユダヤ人の悪魔の思想を批判する。ヤツらが牛耳る米国や欧州のカイライ政権の反人民政策を批判する。イスラエル戦争、ウクライナ戦争を解明する。ブッシュ(子)、バイデンのバカぶりを暴く。安倍晋三、岸田のバカぶりを批判する。それは、全部反人民的である、人民に対する犯罪行為だからだ。
自民党の腐敗ぶりは目に余るが、問題は人民側の力の弱さである。ギャング集団の派閥がカネで汚いことをした。その際にギャングのボスに問題の、抜本解決を求める。だが、あろうことか解明解決の組織の長にギャングのボスと任命する。これはどの視点から見ても、解決しない。これが現在行われている自民党のカネ問題だ。
人民の側の力の弱さの反映だ。いくら長くなろうとも、人民権力が確立されない限り禍は降り続く。まずは、足元からこの人民権力思想を打ち固めていくことである。
●人民生活と思考の5原則
①人に迷惑をかけない
②カネとモノ、利権のとりこにならない
③地球と未来に負荷をかけない
④戦争の根絶、安寧な生活
⑤人間としての誇りと尊厳