◆陰謀論、都市伝説で地球支配者が覆い隠してきたことが今世界的にデクラスで真実に
◆松本の性差別、女性蔑視がはらむ非人間的犯罪思考を軽視してはならない
◆人類歴史発展の法則として、労働者人民の社会の実現は必ず実現される
◆陰謀論、都市伝説で地球支配者が覆い隠してきたことが今世界的にデクラスで真実に
米国のフォックスから解雇されたタッカー・カールソンは、ジャーナリストの見本だ。政権に不都合な真実を暴いてきた。彼がアンカーを務める番組の視聴率は極端に多く、それゆえにフォックスは彼を離せなかった。だがついに昨年トランプへのインタビュー番組で、2020大統領選挙の真実を暴露されて、追放に至った。現在は、イーロン・マスクのSNSであるX(旧ツイッター)で自分の番組をもって活躍している。
このタッカー・カールソンはここ数年、かつて「陰謀論」と一般に言われていたことを取り上げたテーマのほとんどは真実だったと言っている。視聴者は彼の番組を通じて、現実の政治の真実を理解していっている。
トランプが1916年の選挙で大統領になったときに、彼が訴えたのは「米国は現在ディープ・ステートという闇の勢力に政治が乗っ取られている。泥沼を一掃して、米国の建国精神にのっとった政治を取り戻す。Make America Great Again!」だ。ディープ・ステートが米国の政権を乗っ取っているなどという発言は、米国民だけではなく全世界を驚かせた。それは根拠のない陰謀論だと民主党をはじめとした旧勢力、グローバリストは一斉に反発した。
だが、今では、米国民のほとんどが、トランプの主張を真実だと思っている。
トランプ勢力は表現はどうあれ「ディープ・ステート」という表では民主党や共和党のRINO派が陰謀論と呼ぶ勢力と、実際に激しく対立している。2024大統領選挙の動向が注目されている。トランプ派は選挙キャンペーンの四年間を通じて、デクラスというヤツらが隠し通してきた真実の暴露、公開をしてきた。
そのうちの闇中の闇のひとつが、エプスタイン問題だ。世界中でのタブーであった。だが、トランプ派がこれを口にしたことから、徐々にデクラスは進んだ。エプスタインは婦人ともいえる女と組んで、世界中から幼児と子供を誘拐、売買して、自分の所有する島(エプスタイン島)にあつめて、米国ばかりでなく世界中の要人の接待をしていた、というものだ。
噂が広がり勇気ある承認が次々と現れるようになり、エプスタインを犯罪者として訴える裁判がおこった。しかし、彼は全世界の要人とのルートがあるために重罪にならず短期に釈放された、だが、再度逮捕されたときには、動かしえない証拠が多く、数十年の罪となり入獄した。そして間もなく「自殺」した。いうまでもなく、殺された。
年頭(3日)に裁判での膨大な証言が、勇気ある判事(ロレッタ・プレスカ連邦地方判事)によって公開されたのだ。誰もが、直感的に表ざたにすれば殺されると感じていたのだが、歴史を変えるほどの意義を認識していることから、自らの死を覚悟で記録の公表に持っていったのだ。人民は高くたたえたい。
裁判の記録だけに膨大で、全体は数万ページに及ぶとされる。連日、数千ページずつ公開されている。もちろんだが、裁判の当時から関係者がさまざまな情報を出していた。エプスタインの車、飛行機、船の運転手や秘書のような人が、メモや手帳に記載していて、さらにとどめの膨大な写真や映像を流していた。そのほとんどはトランプをヤツらが攻撃に使用した。つまりトランプ自身がエプスタインと関係を持ち、犯罪に手を染めたと非難していた。トランプの弁護士リンウッドはその関係で、すべての証拠を把握していた。そのように概要は知られていたのだが、実際の資料は、第一次資料であるために、重みが違う。例によって黒塗りは多いのだが、登場する人命だけで数百人に及ぶ。事前の噂通りの人物にクリントン元大統領がおり、年明けから欧米ではこの報道で炎上している。だが、悲しいこと?に日本のマスコミだけはスルーという犯罪を通している。
クリントン夫妻、オバマ、FBI元長官、イスラエル元首相、アンドリュー英王子、ビル・ゲイツ、法王、トム・ハンクスをはじめとするハリウッドのスターたち、スピルバーグ監督等々。噂に出なかった人で驚かされたのは、科学者のホーキング。日本人も数十人に及ぶ。天皇、貴乃花、森元首相や政財界の要人。今のところ、バイデンはでていない。要人ではないド変態男ハンターの名もないようだ。
驚いてもいいし、驚なくてもいい。陰謀論だと叫んでもいい。裁判ででてきた名前で、良からぬ犯罪に自ら関与した人物だ。逆に名はでても、犯罪には無関係と証明されたのはトランプだ。
裁判資料が公開されて世界中が炎上しているのに、日本のマスメディアは見ないふりというのは日本のマスメディアの、凶悪な性質だ。政権の腐敗がかつてないひどさ。新年早々の能登地震と羽田での大事故。そして日本のエプスタイン問題というべき、ジャニーズ、松本問題のデクラス。このようないずれも本来なら紙面のトップをしめる問題が重なったことから、能登地震と羽田事故で紙面を埋めた。実に好都合な天災と事故だったといえる。
マスメディアがいくらスルーしても、多くの日本人はSNSで知っている、SNSをも含めて支配して利用しているのは地球支配者だ。だから、SNSでの発信はすべて検閲されていて、それが現在一層厳しさを増している。一応だが、検閲はしないと宣言しているイーロン・マスクのXとニコニコ動画の会員制サイト(多くは月額550円)は、発言に制限がないようで、事実を語れる貴重な場になっている。youtubeは、社会の真実にかかわる分野については厳しい制約がある。テーマにできない、隠語を使う、言いかえをするなどで対応していて、初心者は理解するまでが大変だ。
大統領選挙、新型コロナウイルスとワクチン問題、幼児性愛・人身売買、イスラエル非難などはSNSで代表的なタブーである。だが、日本では昨年ジャニーズ問題を普通のニュースとして出すのを止められなくなった。だが、松本問題はまだ自由に話せない。
「正義を求める人々へのメッセージ」では何度も触れている。それは地球支配者が資本主義の支配体制を永遠に維持するために、常時手下を補充していると。手下を発見し育成して、適任な場所と一に、補充、配置をしていけて、はじめて体制は維持されるからだ。
地球支配、資本主義体制の安定的な維持を担えるだけの能力と知識があり、何よりヤツらに忠誠を誓うものを手下にしなければならない。これは、資本主義の社会体制として、今だけ、カネだけ、自分だけという三ない主義と、一円でも安く作り、一円でも高く売って、一円でも多く儲ける利益第一主義の思考で満たしておくこと。子供の時から親と学校と社会が、この価値観こそ、生きていく上で最も大事だと教えることになっている。
すると、家庭でも、職場でも、社会でも、カネと利権にとびつく。ヤツらの身近な手先連中は、カネと利権をちらつかせて手下を求める。これには、多くがたやすく応募して、たいていは満たされる。だが、現実の個人は、冷静に分析すれば、常に圧政の被害を受けているために、スキを与えると真実に気付いてしまう。三ない主義と利益第一主義こそが間違いであると気づき、ヤツらの手下になっても離れていくものが出る。つまり、カネと利権で手下を常時引き付けられるのは、カネと利権の盲者だけ、という不安定なもの。
そこで、ヤツらが採用している手段が、性欲願望を利用することだ。カネと利権に対する「欲望」は、ヤツらによるマインドコントロールで植え付けられたものであるために、真実に気付いたものはカネや利権の誘惑から離れることができる。だが、性欲はいわば人間の持つ動物的な子孫を残すことで生き延びようという、肉体的、生存的なことを土台にしている。実際には万人が同じように持つのではなく、嗜好や欲の強さは万別だから、ヤツらの誘惑に全員が適しているわけではない。
人間の本能に属するとか、本人の欲がしただけで、自業自得だ、という個人の問題、責任にして終わらせるのがヤツらの考えだ。教訓として「ほとほとにとどめろ」「やり過ぎないように注意しろ」というところで収めようとする。これにうなずいてはならない。もっと根が深いのだ。
多くの人が性欲を持ちその発散路を求めているというところが、ヤツらのねらい目だ。ヤツらの言うことに従うなら、そのニーズに応じた報酬が得られる。それがカネ、利権、性欲発散路である。悪魔教の秘密の儀式の場や、バチカンでの悪魔儀式や、エプスタイン島での出来事は、それぞれ複雑なレベルがある。目を付けた人の性の思考や欲の度合いが求めに合格するレベルかを試される段階から、最後の段階まである。ヤクを使用しながらの乱交は当然で、人食、ヤツらを前にした行為、殺害、銃撃、人狩りといったことをやる。ヤツらが悪魔として想定するレベルのすべての行為を行う。手下として目を付けた人を参加させる。すべては映像で撮られる。あとで脅迫するのに欠かせないからだ。
これを一度でも経験すると、発散路で味わう恍惚感は麻薬として頭に焼き付けられる。リピートを望む。もう思考は完全に悪魔となっている。死ねといえば即死ねるし、人を殺せと言えばいつでも実行できる。残忍が動物になる。人としての魂を悪魔に売った状態だ。そこまでいくと、もやは人には戻れない。死ぬまで、忠実なヤツらの飼い犬に徹する人生しか残されていない。
エプスタイン問題、バチカンの儀式、悪魔教は、手下でも、それぞれの世界でのトップクラスを仕上げるところである。トップクラスの手下は、それぞれが手下を持つ。その手下の確保には、それぞれのレベルで、規模は違えど同じことを密かに行っている。ジャニーズ問題や松本問題の本質はそこにある。日本では事務所が組織的にあつめたきれいどこを利用する。政財界をヤツらが操縦するために使うのだ、つまり、表の体裁はそれぞれだろうが、そこに悪魔教と性欲をりようして提供があり、報酬としてのカネと利権があるのだ。タレント側はもともと目立ちたいという欲がある。そのためなら、自分から積極的に利用される。
この問題は先に指摘した通り、動物的な本能的な性欲が利用される。これは強弱問わずすべての人が持つもので、善し悪しは関係しない。性的に相手を求め子孫を残す。この行為は人間が発生したときから営まれてきたことだ。ただ、その行為は当人同士のもので、他人とは無関係の性質のもので、それが他人の眼にさらされることに恥ずかしさを感じる性格のものである。
こうした極めて本人のプライベートな隠し事であるものを、別物にしてきているのが現代だ。ヤツらの手下の募集に、人民の意識の目覚めが大きな阻害要因になってきている。ヤツらは社会を強引に己に都合がいいように変えようとする。今はやりのLGBTはその一つだ。男女以外の中間があると主張するのはまだいい。子供の時から性を教え、変換するのを当然であるかの如く教育の現場でいい、転換をきゅお用までするという事実が米国で問題になっている。ヤツらの子分募集の社会的環境を変えようとする、悪意に満ちた政策だ。
本人のプライベートな隠し事であるものを、崩してしまう。しかもヤツらが邪悪な魂胆をもって行うという行為は犯罪その喪である。肉体的な本能であったとしても、超え、崩すのは、少なくともヤツらにスキを与える行為であり、犯罪にすでに手をうっこんでいると言える。
「人間の欲のなす、当たり前の事象」だとするのが、一般の論だ。これを認めてはならない。明確な犯罪であり、しかもヒトの尊厳と誇りに背く、もっとも卑劣で残虐な犯罪である。ヤツらはどこにでもその網を広げている。それ自身が犯罪である。存在を許してはならない。まして、乗ってはならない。人民は人民を支配する手下に陥ってはならない。
エプスタイン問題、バチカン問題、ジャニーズ問題、松本問題は、人間の性欲という本能のスキを利用して、手下を補充し育成するという、階級的な本質を見抜かなければならない。資本主義支配システムが続く限り、ヤツらの犯罪は絶えない。資本主義という犯罪システムを追放することが、根本的な解決だ。
女性に下卑た言葉をなげ、上から目線で蔑視し、殴り、締め上げ、胸をわしづかみする。これがテレビで普通に流される。
被害を受けた女性タレントは、こんなことをされてでもテレビでの露出がふえるなら受け入れる、かのごとく、抗議しない。お笑いに酔った視聴者は、バカ笑いか、アホ笑いかをして嬉々とする。松本の周囲やよしもと、テレビ局やスポンサーは、そうした松本の行為を、卓越したお笑いの高度な芸の表現だという。
これは、狂っている。価値観が、ド変態息子ハンターと優るとも劣らない。疑問も感じず、容認しているテレビ信者、もはや救いようがない。自分の身の回りの家族、職場の仲間、社会の周囲に多数存在しているのが、現在の日本だ。
つまり、人民の中にある「狂った状態」である。ヤツらがすでに実現した、被支配者のロボット奴隷の姿だ。ヤツらにとって、理想的な被支配者の姿だ。
自覚した少数の人びとの、身近な家族や仲間がそういう状態に落とされているのだ。
自覚した人は、こうした日本の現状をみて放置してはならない。人民としての本来の感覚と姿を思い起させる必要があるのだ。自覚した人の努力にかかわらず、ヤツらの思考攻撃はいっそう進められるかもしれないが、自覚した人側の戦いも強めていくことだ。
家庭で、職場で、社会で、問題について話し合いをすること。
そのときの、こちらの思考の土台は、人民生活の五原則だ。
●人民生活と思考の5原則
①人に迷惑をかけない
②カネとモノ、利権のとりこにならない
③地球と未来に負荷をかけない
④戦争の根絶、安寧な生活
⑤人間としての誇りと尊厳
今回取り上げた、エプスタイン問題、ジャニーズ問題、松本問題は、①②⑤に直接触れる問題だ。
幼児性愛、人身売買、セクハラは、人に迷惑をかけるという犯罪行為だ。そして、カネと利権のとりこになればヤツらの手先にどうぞと言うスキを見せることになる。そしてなにより、そこには、人間としての誇りと尊厳の放棄がある。
女性を蔑視するというのは、自分を上に置くことである。選民思想とエリート主義に通じる。日本では天皇を別格と普通に考える人が多い。実は、天皇を別格に考えるのは、人間の絶対的な不平等を認める思考と立場だ。天皇を別格視する思考は女性蔑視と裏表の関係だ。つまり、それはそのまま人間としての相手に対する尊厳の否定でもある。天皇を崇めることで、自分を蔑視ししているのと同じことである。
自分を見下す思考は、松本に胸をつかまれても、自分の露出が増えるなら認めるというのに通じる。テレビ露出の多さがあれば、視聴者に見られる機会が増え、人気にもなり、カネにもなると考えるのであれば、それは松本同じゲスだ。本当の人気は、本当の芸で勝負すべきだ。人間の誇りと尊厳を刺激する、品のある芸で感心させて得るものだ。芸を下卑と勘違いさせているのは、ヤツらの意図であって、それを感心している姿に、人間としての矜持はない。