◆教条主義では現代世界の動きを理解できない
現代の世界情勢を分析する。その目的は、支配されている人民の主敵を明確に理解するためである。人民は支配から解放されなければならない。貧困から、差別から、無権利から、不自由から。人民がおかれている圧政下の状態は、支配者が目的意識的に作った体制によるものである。一握りの支配者は、己が極少であるために、人民には見えにくい「支配」の体制を作り、体制の恒久的な維持をしている。
人民の支配は人民が生活のための生産に余剰が起こった時から発生した。生産した人民の所有である財産を、奪い取り、不当に自分のものとすることで、その財力を背景に、支配者の上から目線で、人民よりいい思いをする、物欲、金銭欲を実現するためだ。単純な強奪という犯罪である。
他人の上に立つ、他人の頬をカネとブツで叩いて操る、自分は民より偉いと優越感に浸る。これは支配者が求め維持したがる感情のように見える。だが、このような感情を支配者は持ち合わせていないし、それが究極の願望でもない。単純に支配者の習性に過ぎない。つまり、人間ではない悪魔のだたの習性である。これを間違って理解してははならない。
カネとブツ欲を求めているのは、悪魔の手下だ。悪魔は決して自ら直接支配の表には出てこない。支配を実行するのは、人民と同じ顔を持つ人間だ。悪魔に忠実な、悪魔にカネとブツで魂を売った手下だ。悪魔は支配体制を維持するためには、自分に忠実な手下を常に確保し、育てる必要がある。そのために、支配体制というシステムは、手下を常時再生産するものでなければならない。
それは、支配下の社会的価値観として、カネとブツ欲に価値があるものという概念を人民に生まれたときから教育して植え付けることだ。今だけ、カネだけ、自分だけという究極の思考である。産業革命で資本主義が出現すると、労働力しか持たない労働者が出現した。彼らを支配者が雇う。雇用と言うこと自身、カネで奴隷にされることだ。労働者には支配者と「平等の権利がある」という欺瞞を植え込む。実際は雇用の瞬間から奴隷なのにだ。
この資本主義は発展すると、支配する側は一面では競争をしながら、一方では手を結びはじめる。同業種であれば、コンツェルンとしてカルテルを結び、仕事を独占しながら、この集合体自身の利益を膨らませるかだら。資本主義での事業体、企業の究極の目的は、一円でも安く作り、一円でも安く仕入れ、一円でも高く売って、一円でも多く儲けることだ。奉仕事業ではない。
経営者、事業への投資者は労働者と同じ顔をもつ人間だ。その人間を配置したのは悪魔だ。支配者と投資家は悪魔の手下である。その手下の思考に、目的は「一円でも安く作り、一円でも高く売って、一円でも多く儲けること」と植え付ける。事業体と企業は、これを至上の目的として常時思考して活動するようになる。そこで働く労働者にもこの思考が徹底される。
この思考を悪魔はほんとうに己の最高の考えだとは思っていない。手下を発見し育てるために必要な手段として使っているだけで、この非人間的で狂った思考は、手下自身が自分の目を「黒を白とみる」ようにさせるためだ。経営者と投資家が、自分の支配する労働者に、この思考を毎日説くことで、今だけ、カネだけ、自分だけという思考と相乗作用し、支配の目的を果たすことができる。
資本主義はいったん動き出すと、猛烈な発展を遂げる。コンツェルンとしてカルテルは、地域や国内から世界に手を伸ばす。発展した国も途上の国も資本主義国である限り、コンツェルンとしてカルテルの手は伸びる。労働者は資本主義の富の生産者として鍛えられる。現場で周囲の労働者と手を組み、同じ思考を生産に向けることで、生産効率はあがり、奴隷でありながらも、賃金や待遇、労働環境が改善される。
もともと、労働者の賃金は生きていくのに最低限ギリギリが基準で与えられる。生み出した価値の公平な分配などあり得ない。最初から奴隷なのだから。
ところが、労働者も考える。生涯働き続けても、家族をようやく養い、解雇と病気を常に危惧し、子どもを労働者として再生産する。ただそれだけの人生であることが、本当に人間的なのかを。つまり、単純に支配された労働奴隷という地位は、何世代にわたって働いても変わらないのはどうしてなのか、それでいいのかを、考えるようになる。
世界の富を生み出す労働者が、労働奴隷で、一方には見渡せば、経営者や投資家が常に労働者よりいい思いをしている。一方的に支配者に都合がよい社会が永続しているという現実があり、それでいいのかという問題である。
今だけ、カネだけ、自分だけという思考(三だけ主義)が社会の価値観として定着している。企業では、一円でも安く作り、一円でも高く売って、一円でも多く儲ける(利益第一主義)ことを至上命令とされる。そんなことを求めることが、人間としての思考であっていいのか。そんなことを考えるために、この世に生まれてきたのか。
冷静に世を見渡せば、政治と経済の分野がある。そこで表の顔に座っている連中は、全部、一人残らず、三だけ主義と利益第一主義にどっぷりとまみれている。マスメディアは毎日、三だけ主義と利益第一主義を煽っている。これは、支配者が政治と経済とマスメディアを一元的に支配している結果に間違いない。三だけ主義と利益第一主義を維持し、実現するために、つまりその強大な究極の人間と自然に対する犯罪を、免罪するために法をつくり、吹聴する社会になっている。
一国の社会だけに限らず、資本主義国は世界的に連携して、同じように政治と経済とマスメディアが動かされている。
労働者はこのような階級構造、支配システムに気づき、理解する。これは現実だからである。支配者がどう覆い隠し、違うと言おうが、厳然とした現実である。
すると、当然、労働者は、奴隷社会からの解放、労働者が人間としての生活できる社会の実現を求めるのは、自然の、歴史の、当然の流れの結果である。社会には労働者以外に、農民、商人という他の仕事で富を生み出している者もおり、その家族もいる。健常者ばかりではない。子供、学生、高齢者も老若男女多数だ。善良な一般市民も、支配されている。労働者はこうした一般人と利益を一つにする。この社会の圧倒的な多数が、一握りの少数支配者を放逐するのは可能である。
労働者が経営者や投資家という支配者の手先を含めて放逐するという課題が明らかになった。
課題はもう一つある。それは政治だ。事業体と企業は政治と密接な関係がある。政治側は政治が経済や社会、軍隊をコントロールしていると政治が最高機関であるように言う。だが、冷静に見れば、社会の支配者は、表の顔である政治、経済、投資家(金融)をになう手下を、それぞれに配置しているに過ぎない。表に見えない支配者が、政治、経済、金融、社会、文化、マスメディアを支配している。すると、むしろ、労働者が対決する敵は、表の顔だけではなく、目に見えない「支配者」を明確にする必要がある。目に見えない支配者こそ、的中の敵、主敵と言える。
国際的コンツェルンとしてカルテルは強力だ。「発展途上の」国にとどまることなく手を伸ばす。初期は露骨な植民地主義。金融の手下である企業に国家的な全権をあたえ、軍隊の機能も持たせて、弱小国に侵略していった。目を付けたのは農産物と珍しい生産物。これをタダで強奪して、母国に運んだ。小国は突然侵略してきた略奪者の言われるままだった。イスラム国、アジア、中南米が瞬く間に、コンツェルンとカルテルの犠牲になった。植民地主義は小国をカネとブツ欲で支配し、政治にはカイライを配置した。
植民地主義は露骨であっただけに、猛烈な反抗を呼んだ。しかし大国を牛耳るコンツェルンとカルテルは、見かけ上その国がある程度の自立国家であるように見せかけ、経済も企業も現地に主体があるように見せかけるようになるが、植民地国の宗主国であることを止めることはなかった。これを帝国主義的な支配という。
コンツェルンとカルテルは獰猛になる。見かけは大国の帝国主義的な覇権の争いのようにした。大国が自らの支配域を競争して伸ばしていくように見えた。コンツェルンとカルテルが、大国の各々に配置したカイライ政治屋を競わせた。政治屋は三ない主義と利益第一主義に思考が支配されているために、大国同士の覇権拡大を演じさせられただけだった。
つまり、政治屋に指示したのはコンツェルンとカルテルだ。コンツェルンとカルテルは世界支配者であり、悪魔だ。世界支配者が、いくつかの大国に配置した政治屋を競わせたのだ。帝国主義の覇権拡大時代と言っても、地球上の国々の数には限界がある。帝国主義的な覇権争いの時代は終わりを迎える。
資本主義を利用する地球支配者は、自分の支配が及ばない地域を見てみると、そこはイスラム圏と旧共産主義国家であることから、新たな作戦を考える。全世界を資本主義の餌食にするには、イスラム国と旧共産圏を壊滅するしかないと決意を新たにする。
地球全体をもオレのものだという狂気の思考はコンツェルンとカルテル=植民地時代、帝国主義時代の金融資本だけのものではない。もともとは、偽ユダヤ人がとなえる聖書の身勝手な解釈がある。パレスチナに住むユダヤ人は地上に降りてきた唯一神ヤハウエから、ユダヤ人だけが人間として認められ、他民族は人間の顔をした動物だ、地球全体はオマエのものだから、自由にしてよい、と地球の自然のあり方までユダヤ人のものだと解釈し、主張するのだ。
当然このような主張をしてふるまうユダヤ人は、他民族から激しい非難をされてきた。彼らが打ち立てた国家は当然滅び、世界に散った。ここで人民の余剰価値を奪い取っていた初期の支配者(王政、封建主義)は、ユダヤ人の勝手な聖書解釈を利用することに、究極の価値があることを見出す。聖書を信じる宗教(バチカン)と結合する。
そして現代のコンツェルンとカルテルという金融資本は、歴代の支配者である連中と必然的に結合する。三ない主義と利益第一主義が、支配者としての共通の思想基盤だ。現代の支配者は、地球の一元管理に到達するために、障害になっているイスラム圏と旧共産圏を崩壊させ、資本主義国家にしていくことになった。
ここでも、注意しなければならないのは、イスラム圏と旧共産圏を崩壊させ、資本主義国家にしていくことに全力を傾けているのは、各国に配置された表の顔、政治屋と世界金融資本である。人間の顔をした悪魔の手下どもである。悪魔にしてみれば、世界支配の目標を与えて、人間の顔をした手下どもが、必死になり、競い、あがいている姿をゲームのように楽しんでいるだけである。世界一元支配を悪魔がまともに望んでいるとは異なる。
こうして、現代はワンワールドの実現、新世界秩序(NWO)の時代を迎えている。
現在、地球支配者は2020年にCOVID-19新型コロナウイルス戦争をしかけ、2022年にウクライナ戦争を起こし、2023年にイスラエル戦争を起こした。目に見えないウイルスをばら撒いて、人民をパニックに陥れた。ヒトはパニックになると、思考が停止する。普段まともで冷静なヒトでも、支配者が黒を白だといえば、それに従う傾向が出てくる。そのような状態でロシアを脅迫してウクライナに侵攻させた。ロシアとその指導者プーチンを極悪侵略者の独裁として非難攻撃した。そしてイスラエル戦争だ。
ウクライナはネオナチ政権で、イスラエルはシオニズム政権。いずれも極端な選民主義、人を同じ人間と思わないという、つまり悪魔もろだしの犯罪思想。世界支配者は悪魔であり、第一子分の米国に配置しているのがネオコン。ネオコン=ネオナチ=シオニスト。これは、地球支配者の本音を語るトップクラスの子分だ。
「米国とロシアという大国の帝国主義的な覇権戦争」とウクライナ戦争やイスラエル戦争をとらえる論がある。旧左翼の教条主義だ。帝国主義の時代はあったが、現在はNWO時代である。イスラム国も旧共産国も他国への内政干渉はしないし、まして領土拡張の欲望などない。そのように非難する側こそが、内政干渉、侵略の行動をとっている。つまり、地球支配者と第一子分の米国とその属国がやっていることだ。
地球支配者のシンクタンク、ソロスやビルゲイツなどのカネ、マスメディア、オール街に代表される金融資本は、まぎれもなく一体で動いている。そして、ウクライナでは「真の目標はロシアの崩壊だ」と、イスラエル戦争の「真の目標はイランでありその背後のロシアと中国だ」と明言している。まっとうに分析し、考えるなら、この事実を無視しない。
労働者人民が、現在の支配を終わらせようと考えたときに、主敵を明確にしなければならないと述べたが、これではっきりする。主敵は「高度に発達した帝国主義」なのか。それともNWOの完成をするめる「地球支配者」なのか。仮に帝国主義だとしても、その帝国主義を操り、動かしているのは、地球支配者ひとつであり、ばらばらに帝国主義、大国が存在しているわけではない。
旧左翼の教条主義は、地球支配者の一元管理をいうと、それを「陰謀論」とする。自分の解釈を超えたものを理解しようとせずに、拒否するのだ。妄想だ、根拠がない、ただの非理論的な世迷いごとだと。911以降のさまざまな世界の事実、最近の新型コロナウイルス戦争、ウクライナ戦争、イスラエル戦争の事実を見たときに、世界をどう見るのか、主敵は何なのかを、すべての人民が自らはっきりさせるときが来ている。
●人民の主敵は、
①国際金融資本とグローバル企業
②王制特権階級
③バチカンと一神教原理主義
④帝国軍と諜報機関
⑤マスメディア
⑥各国カイライ政権
地球支配者は、各国に配置した中央政治屋、経済金融資本、宗教団体、文化(スポーツ、芸能、映画等)、マスメディアは、資本主義体制を維持するために、一体で動いている。資本主義の実態、本質は「今だけ、カネだけ、自分だけ」(三ない主義)と「一円でも安く作り、一円でも高く売って、一円でも多く儲ける」(利益第一主義)だ。
この大犯罪システムを永遠に存続させるために、政治、経済、文化、宗教、マスメディアがあるといってよい。これらのたゆまぬ活動で、実際に労働者人民が幸福実現するわけではない。平和がおとずれ、安寧の日常生活、人間らしい人生が実現するわけではない。労働者人民の文化も発展などしない。人としての進化もない。振り返ってみたらわかる。求めたかもしれないが、進化も成就もない。
資本主義の本質は、最高の段階の奴隷制度である。これを、政治屋は「自由だ、民主主義だ、権利だ」と幻想をふりまき、奴隷制度を覆い隠す。それでいて、資本主義の犯罪を法律を作って免罪する。これが政治の真実だ。
経済分野も資本主義を美化することに必死だ。素朴な生産労働を卑下して、不労所得、ギャンブル所得、詐欺をすることが「頭脳労働」と称賛し、頭とカネをうまく使えば、億万長者にもなれると吹く。夢は無限に実現できる、それが資本主義の競争社会だと宣伝する。この流れにそくむ思考はすべて排除する。NISAなどは好例だ。
資本主義の文化はアメリカン・ドリームという幻想に象徴される。支配制度の現実から、美、大、アイデア、感動、満悦、技で別の世界に導く。脳を刺激し、身体を酷使することで発生する現実を忘れる感覚が利用されたフェイクといってよい。
宗教は現実を見たくない、だが存在する悩みを、仏神を崇め信じることで回避するもの。宗教で本来の悩みのもとは解消しない。だが、宗教組織に入ると、上部の指示で、一部の人間の利益拡大や政治組織の拡大に利用される。政治組織からすると存在して欲しい組織である。過去どの政治も、政教分離とは無関係で常に持ちあってきた。
マスメディアは、資本主義が持つ悪と犯罪の真実をフェイクで隠ぺい、捻じ曲げることをするのが存在理由だ。「権力の犯罪を暴露するジャーナリズム」は、資本主義のマスメディアにはまったく存在しない。それを存在するかのように振る舞うのがマスメディアだ。マスメディアへの信者を作っている。マスメディアの報道を真実だ、正しい、と信じる者が多いほど、資本主義は安定していると言ってよい。
政治、経済、文化、宗教、マスメディアの連係プレイは現在完成している。一部でほころびが出ても、相互補完で、たちまち修繕される。特にマスメディアは、多数の信者を抱えているだけに、多少の阻喪もすぐに修復される。
労働者人民がパラダイムシフト、すなわち、現在の支配体制からの脱出を実現するためには、現在目の前に存在する政治、経済、文化、宗教、マスメディアのすべてを廃絶する必要がある。
労働者人民が社会の主人公であり、圧倒的多数であり、ごく少数の支配者を倒すというのは、たやすそうでできない。それは、現在の資本主義システムが、支配者の都合が最も良い状態で完成しているためであり、労働者人民の全体がそのシステムの下で生活しているからである。政治、経済、文化、宗教、マスメディアという資本主義の根幹の組織内に、何らかの形でほぼ全員が関与している。そこが職場であり、職場は利益第一主義であり、労働者はその仕事をすることで、資本主義体制の維持強化に参加していることだ。
働くことは、生活の糧をえるためで仕事すること、という行動を、割り切って、当たり前に受け入れている。仕事の内容が現代は生産ばかりではない。営業、開拓、サービスとキリなく分野は広い。それらの個々をみれば「労働が支配システムの強化そのもの」といわれても、理解し容易にうなずくことは難しい。他地方、国外に赴任して、販路を確保する。これは企業の拡大ということで、企業側の利益に直結するので、分かりやすいかもしれないが、多くの業種は仕事が支配の強化だとはすぐに分からない。
だが「仕事は生活の糧を得るため」と割り切らないならば、総じて仕事は事業体、企業の利益追求の一環で存在し、上司の指示命令で働いていることは明白だ。
家庭で子どもを育てる。そのときに親はしつける。しつける言葉は、親の人生観が現れる。三ない主義にまみれていれば、子供にも三ない主義の必要と大事さを説くだろう。儲けること、出世することを大事だと話すだろう。奴隷の再生産に大いに加担している。いい学校に入れば…、いい仕事に就くとは…、カネさえあればとは…。自分が人生で学び、得た教訓というものを話す。それが振り返れば、三ない主義と利益第一主義。
日々の衣食住をみても同じ問題がいえる。資本主義社会で住んでいる限り、着るもの食うもの、資本主義の経済システムの強化から切り離せない。
こうした生活環境、知らず知らずのうちに、資本主義の強化に手を開始ている。というより、裂けては生活ができない。
利益第一主義が支配する職場では、従業員同士がさまざまなことで競わされる。新企画のアイデア、改善、改良の提案。任務を実践していて気付いた欠陥に訂正。事業体、企業が求めていることをより合理的に、安価で確実性を増す提言。上司の勘違いによる間違った指示のカバー。これらを職場で労働者が行えば、企業サイドから見て評価が上がる。利益を上げたことで見返りもなされる。賃金があがったり、職場の地位の向上もなされる。やりがいがあったと本人は満足する。
こういった職場では当然の行動が、支配者の目的に貢献しているのだ。資本主義社会では、起業は誰にでもできる権利があると言われている。だが、実際にいろいろとアイデアを思いついて、実行に移そうとすると、カネの調達、事業資金の確保が最初の壁になる。事業資金は多くの場合、銀行からの融資だ。もう一つは、公的機関からの補助金だ。ここに多くの詐欺事件がからむのだが、問題は銀行が融資し、公的機関が補助金を出すのは、すべて、資本主義体制の強化につながるときだ。その逆はまったくない。
銀行は貸し付けることで元金の回収ができなければならないし、何より彼らは投資する事業の目的と方向性を厳重に審査する。その方向が資本主義の強化、維持に逆らう場合は、貸付の対象にならない。公共機関の補助金は最初からはっきりしている。資本主義国家体制をより強化する、同時に政治屋や官僚への見返りがあるというときにだけ、法律を制定して計画を立てる。そこに税金が投入される。多数ある政府ルートの補助金は、すべてが国民から吸い上げた税金で、吸い上げる目的自身、資本主義体制の強化だからだ。金融詐欺師は、仕組みをよく知っていて、さまざまな提案を政府に行い、あらかじめ抜け道のある法を作らせ、己のフトコロを膨らます。五輪、万博、カジノ、海外投資、バラマキ、パンデミック時の特別法などだ。
食品工場の現場、医療製薬会社の現場、病院や医療官関係機関の現場、マスメディアの現場、つまり、すべての職場の現場は、労働者が占めている。そして労働者と同じヒトの顔をした経営者投資家がいる。投資家の利益を第一にした経営者は多層の部下を通じて指示して現場を動かす。利益第一主義の事業体、企業内では命令と支持は貫徹される。この行為、流れはまさにパワハラの源流だ。労働者の利益、労働者の意思、社会正義などとは関係なく、利益第一主義を堂々と根拠にして公然と行われる犯罪行為だ。これを容認しているのが資本主義なのである。
このように、労働者人民は働くこと、生きていくことそのものが、完全に資本主義の強化と維持に組み込まれている。これが完成した現代の奴隷制、最強の支配システムである。この中に、労働者人民、一人ひとりが置かれている。一方的に資本主義の強化と維持に貢献することをやらされている。そこから抜け出す余地が閉ざされている。
労働者人民が現在、どういう環境に置かれているか。どう歯車として組み込まれ、役割を果たすよう強制されているか。この認識にきづき、理解しない限り、資本主義奴隷からの脱出はできない。
このような状況下にあるからこそ、圧倒的多数であっても、パラダイムシフトができないのだ。奴隷からの脱出を考えても、その道筋を想像を絶する壁があるために、先に進めないのだ。
昨年日本の女性週刊誌がアンケートをとった。現在こんなに多くのスキャンダルを抱えている自公政権下、次の世代も政治をになって欲しい政党は自民党だと圧倒的な多数が応えた。選挙の結果を見ても同じだ。自公が常に圧倒的な多数を集める。マスメディアの信者数は常の多い。マスメディアは資本主義の権力維持に不都合があることは、報道しない。報道しなければ事実は存在しないように持っていく。スキャンダルとしてときどき政権内部のおバカがニュースになるが、それは「さすがに権力者側でもこれ以上おバカを続ければ、続けられないよ。だから、ほどほどにしてね」というヤツらの自浄作用を促しているときだ。
労働者人民がパラダイムシフトを実現するために、現在、巨大な壁を作らされているのは、労働者人民自身が、資本主義強化の歯車としてヤツらの手先を務めさせられ、貢献させられているという側面を認識していないことだ。労働者人民自身が、資本主義体制の維持に加担させられているという、皮肉な現実に気づいていない。
資本主義の発達の途中までは、労働者人民は無垢だったに違いない。だから、一方的な犠牲者として、支配体制の理不尽に正面から廃絶を迫ることができた。これが現代のNWO時代では、支配の廃絶活動は、労働者人民の生活否定の様相となる。本能的に、自己防衛反応がおこり、思考が停止する状態に陥るからだ。
現代、労働者人民の資本主義廃絶運動が世界的に停滞している。この原因はさまざまあげられるが、最大のものは、階級的革命的な理論が明確になっていないことだ。別に言えば、革命的理論をもつ革命党がないことだ。労働者人民の革命党とは、労働者人民の解放の道を理論的に明確に指し示し、実践を指導する前衛である。労働者人民の究極の利益は、人類に寄生した悪魔、資本主義支配体制を廃絶し、社会の主人公である労働者人民の社会を実現することである。労働者人民の意思を取りまとめ、指導する確固とした自覚を持ったリーダー組織が党である。
1917年ロシアで資本主義の支配の環が断ち切られた。労働者人民の歴史的な勝利である。ボリシェビキ党が指導して実現した。レーニン率いる党があった。党は階級的、革命的理論をもっていた。労働者人民の強い信頼をえていた。党の指導の下に労働者人民は、労働者、人民の足元、末端に無数のソビエトとよぶ協議会をつくり、ここで人民の利益に沿う方針を決めて、労働者人民の生活共同体を構築していた。
ロシア革命とは腐敗し無能なツアー追放後の臨時政府を、労働者人民が廃絶して、ソビエトを自らの国家権力として宣言したものである。革命政権の樹立という最初の課題は成就した。ロシア革命の勝利は全世界の労働者人民を励ました。資本主義の支配からの脱出は可能なのだと、勇気と希望を与えた。ロシアを労働者人民のこころの祖国として、次に自国で実現していこうと決意を燃やした。
ロシア革命という事件は同時に、地球支配者にも巨大なショックを与えた。支配の環が断ち切られるとは予想外だったからだ。労働者人民の力をなめていたからだ。ヤツらにとって、労働者人民がドミノ倒しのように、他の国でも革命が起こるようなことがあれば、やがて資本主義による人民支配の維持が絶たれる。すなわち、地球支配者として滅亡に追いやられるかもしれないという、これ以上ない恐怖だ。
ロシアは当時農業国で、富農は食糧の流通を止めため込んだり燃やしたりして都市を兵糧攻めにした。旧権力の残党をあつめ、ヤツらの軍隊はボリシェビキとソビエトを襲った。メンシェビキと社会革命党のやからは白色テロを開始した。何人もの幹部が殺害された。指導者レーニンも毒弾で銃撃され、瀕死の重傷を負った。日本も含めた資本主義国の干渉軍がこぞってロシアに押し寄せた。
生まれたばかりのソビエト政権は、すべての不利な条件下で、勇猛果敢に反撃した、一般的な内戦として見たときに、労働者人民権力側が勝つ見込みはほとんどないなか、労働者人民はあらゆる可能性を発揮してたたかい、反革命を一掃した。世界人民はこの勝利をわがこととして絶賛したのは当然である。政権は守られ、大きな二つ目のヤマが克服された。
ボリシェビキ党は、歴史上最初の労働者人民の政権は、主人公の利益と権利を守るために、どのような国家建設をするのかという問題に挑んだ。資本主義の諸悪を廃絶したあとは、自分たちがどのような社会を作るのかという問題だ。政治、経済、文化のすべてで社会主義政策が考案され実行された。遅れた貧困な農業国ロシアは、やがて当時最大の資本主義国だった米国と肩を並べるまでの進んだ工業国大国に成長する。これは歴史上初めてのトライであるために、多くの内部的な弱点を持ちながらも、レーニンとスターリンの指導によってもたらされたものだ。大きな三つ目のヤマの成果である。
地球支配者はソ連に対する壊滅の意思は不変だ。仕掛けたのは第二次世界大戦。ヒトラーのナチスは優生主義、露骨な全体主義という点で、地球支配者の悪魔思想を隠さず体現している。そのナチスをつかって、ソ連撲滅を展開した。だが、世界の構造を正確に研究して熟知していたスターリンは地球支配者の裏をかいた。スターリンはナチス、ムッソリーニ、日本こそ悪の枢軸国だと、世界人民に訴え、欧米とソ連が連合して枢軸国を粉砕するというものにした。
ソビエトは壊滅させられるどころか、第二次世界大戦の連合国の勝者となった。地球支配者は戦後に新たな作戦を強いられることになった。第二次世界大戦の襲撃というソビエトにとって大きな四つめのヤマに勝利した。
資本主義の帝国主義に寄る地球の領土略奪合戦は終了を迎えた。地球支配者は戦後になるとすぐに冷戦に入った。一時的な世界の平和がもどり、ソビエトは平和時の社会主義建設を開始する。だが、地球支配者がソビエトにたいして行った次の矢は、思想戦だ。スターリンはあいにく亡くなる。戦争に次ぐ戦争のなかでスターリンは、革命指導者の後継を作る間がなかった。スキができた。ここを見逃さずに突いたのが、ヤツらによる思想攻撃だ。いわゆるスターリン批判。
ソ連はスターリンの一党独裁国家で、人民の自由も民主主義もない。政治を批判する権利も剥奪されている。ソ連は間違った国家だ。自由と民主主義があり、人権が保障されている米国は、ソ連を米国のような民主主義国家にしなければならない。と世界にプロパガンダを展開していた。誰もが冷静に見れば知っていることだが、実際の米国は奴隷制が続いており、黒人差別社会だった。女性にも選挙権などなかった。大統領選挙というのも複雑怪奇で公正を捨てた間接選挙の国だった。大国として世界中の弱国にたかり、そこから収奪した財産を米国民の富裕層に配ることで、アメリカンドリームの幻想を世界に宣伝しているだけだった。何人もの大統領が不都合なら暗殺するという、とんでもない国がアメリカなのに、自分を自由と民主主義の旗頭で、世界の憲兵を誇るようなプロパガンダを展開していた。米国のプロパガンダだけを知らされる米国民も、世界の人びともだまされていた。
結果、ソビエト国内も、衛星国も含めて、内部からソビエトへのヤツらの非難を受け入れる声がでてきた。ソビエト内部にもどこの国と同じように、弱点や克服すべき課題は持っている。それを分析して、正しく解決していくことは、本来的にやるべきことである。だが、あろうことか、スターリン政権の後を受け継いだフルシチョフが、スターリンは「横暴だった。独裁だった。国民を監視して批判を許さないなどして多数を無実の罪で弾圧した。忠実でないものに対して一線を越えた冷酷な攻撃をした、等々」と言いだしたのだ。これは、党が党指導者を否定し、党が指導して打ち立ててきたソビエトを否定するというもので、驚くべきことだった。自分の党と国家を否定して、捨て、ヤツらの立場に立つとだ。ソビエト政権をヤツらに渡すという行為だ。
全世界が驚いた。労働者人民の国家、その党の最高指導部が、労働者人民の革命を否定した。間違いだったと。この衝撃はおおきかった。当時社会主義陣営の一角を築いていたのは中国だ。指導者毛沢東は「スターリン批判」の誤りを本能的に察知していた。社会主義国家を打ち立てても、敵の思想攻撃に負けるのは、革命のすべてを捨ててしまうことになるとして、文化大革命を起こす。外から、内部から、人民思想を覆すために、猛烈な攻撃が続く。人民国家が存在している限り、資本主義国家が他に存在している限り、攻撃は絶えない。これと戦い、人民思想で打ち勝っていく以外にない。そのように考えて、起こした文化革命だったが、最後まで戦いは続けられなかった。毛沢東自身が明確な闘争指針を出しえないまま、亡くなり、鄧小平らの台頭で押しつぶされた。これも歴史の経験だ。
ソビエトはたちまち内部から瓦解いして、1980年にはロシアに国名を変えた。世界の労働者人民の闘争は右ならえで瓦解していった。労働者人民の社会をつくるという最大の課題を否定され、戦う道筋が誤りだったとされ、闘争意欲は極限までしぼんだ。
これが現在に至る労働者人民闘争の偉大なロシア革命の歴史だ。一旦敗北するという歴史的な経験をした。労働者人民の階級的革命的闘争の再構築を次世代の人民に課せられた。時代がもっとも労働者人民に厳しいNWOの時代と重なり、次代の労働者人民には、従来とは異なる新たな理論と実践の道の開拓が求められた。
現在の労働者人民の置かれている状態を資本主義の奴隷支配下だと認識し、そこからの離脱、新た人民社会の実現をもとめる人は、歴史的な課題に挑戦していかなければならない。
志を持つものは徐々に集まる。はっきりしていることは、自覚した人びとは、自分の足元にロシアでのソビエトに値する協議会という自分の仲間を作ることである。信頼できる仲間の組織であり、勉強会であり、共同体である。やがて労働者人民の革命をするという時期には、この協議会がいたるところにできていることが必要だ。これなしの革命論はない。
革命党は必要だが、おそらくまだ時期がそれに至っていない。協議会の思想の遡及と実際の構築の度合いでいずれ必ず党はできる。
では、強固な資本主義の支配システム下で、協議会を作っていくときの必須の信条は何なのだろう。それこそ、人民生活の五原則である。この原則は極当然のことばかりだが、労働者人民なら誰でもわかり、実に初歩的なものだ。だが、これを貫き通すのは、意外と難しい。そのあたりを仲間で話し合いながら、理解を深めていくのだ。
●人民生活と思考の5原則
①人に迷惑をかけない
②カネとモノ、利権のとりこにならない
③地球と未来に負荷をかけない
④戦争の根絶、安寧な生活
⑤人間としての誇りと尊厳