記・国民B(20230729)
■日本共産党創立百周年にみる「思想放棄の歴史」

  《中見出し》
◆志位委員長の会見での言葉が示す、人民思想・階級視点の放棄

◆諸悪の根源、支配の動機を「何だと見るのか」で、主敵の規定が違ってくる

◆諸悪の根源、支配の動機を「何だと見るのか」で、主敵の規定が違ってくる
◆志位委員長の会見での言葉が示す、人民思想・階級視点の放棄

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 日本共産党(以後志位共産党と呼ぶ)という政党がある。7月101年目を迎えた。本来は日本の人民の利益を代表する組織である。人民の究極の目的である主敵(*1)をこの世から放逐して、人民の人民による人民の社会を実現することなのだが、これを志位らはテーマから外している。
 この最も大事なを曖昧にして、現在の資本主義の(支配)体制下での、多くの大衆から支持をされる強大な党を作ることだと願望をのべている。あくまでも現在の(支配)体制下で、「民主主義そのものである選挙」で多数を獲得して、現在の与党である自公政権に変わる政権を実現するのだという。
 現在の(支配)体制下で、志位共産党が主導する民主連合政権により、民主主義革命を実現し、国民の多数の意思に従い、社会主義・共産主義革命へと発展させていくのが(日本革命の)展望だとする。
 「多くの人々の幸福のために働くことにこそ、自らの幸福がある」と考える人は、この101年目の機会に入党して共に戦ってほしい、と訴えた。
 志位は共産党の百年の歴史について、独自の科学的分析と評価をしてきたので、これを「日本共産党の百年」としてまとめた。秋には出版する予定だとのこと。
 記者からの質問に答えている。「現状は長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していない」と認め、「今、抜本的な前進に転じなければ任務を果たせなくなる危機に直面している」と。これは日本のマスメディアによって報じられた。

 志位共産党の現状を百年の歴史という点からみたら、党は敵と戦いながら、同時に内部の敵(*2)と戦い、勝ち抜いてきた。だが、志位ら主導の「民主連合」は進んでいない。党員は老齢化し減少化の道を進んでいる。日本独占資本とその政府は、脱出し得ない窮地に落ち込んでいるが、弱体化する現在の党では、ニッチもサッチもできていない。志位はこのように自分で嘆いている。
 革命的な視点で見れば、あたりまえのことだ。
 確かに百年前に日本共産党はコミンフォルムの主導下において、生まれるべくして生まれた。1917年のロシア革命から、資本主義による支配体制をロシア以外でも転覆できる流れが発生した。世界各国に、マルクス・レーニン主義の党が次々と作られていった。
 地球支配者側、つまり資本主義支配体制側からみれば、ロシア革命名がそもそも、絶対に認められない歴史的な出来事だった。どのような手を使ってでも、鎮圧する。この世に二度と登場しないようにするという決意ができた。
 イギリス・フランス・アメリカ・日本など列強が反革命勢力を支援する軍隊を派遣し、革命を潰そうとした。17か国がソ連になだれ込んだ。日本は7万人以上をシベリアに出兵した。人民国家を生んだばかりのレーニンとスターリンは、筆舌に堪えない妨害と戦い、最終的に撃破した。
 労働者、農民、人民国家ソ連を守り、建設するには、インターナショナル、つまり国際的な人民の自国での戦いが発展することだという精神で、各国に共産党組織を作っていった。
 地球支配者側は干渉戦争に敗北するも、ソ連絶滅という目標は下ろさない。ロシアへの攻撃は第2次世界大戦の形で準備しながら、各国共産党にはスパイ潜入作戦を、猛烈に大々的に展開した。これは、ロシアではスターリンによる「大粛清」と関係する。
 各国共産党ではスパイとの闘争が激化する。特に日本共産党へのスパイ潜入は世界的な例としてもすさまじく、最終的にはスパイによる共産党崩壊作戦は成功した。
 非合法で、生まれたばかりの共産党はすぐに第2次世界大戦というファシズムと直面した。共産主義を名乗るものは、片っ端から逮捕投獄、拷問にあった。落ち着いて会議をできる状況ではない。マルクス・レーニン主義の学習をする余裕などない。それでも労働運動の現場で公然と戦う。すぐに弾圧がくる。
 そこにスパイが大量に送り込まれた。スパイMなどのように、党中枢に食い込む。逮捕者からは「転向」が続出する。それでも、片山潜、徳田球一、渡辺政之輔、市川正一らは獄中で主義をもまり抜く。
 つまり、人民に根をしっかり張った活動の展開というより、地球支配者からの地球的規模での戦争攻撃と、内部に潜り込んだスパイとの闘いの歴史であった。そして、この戦いにおいて、世界の社会主義、共産主義陣営は、ソ連自己瓦解によって歴史的な敗北にあった。
 日本共産党も例外ではない。ソ連がスターリン死後のフルシチョフの裏切りによって、マルクス・レーニン主義を放棄した。日本ではこれと連動して宮本顕治が党中央を抑えて、マルクス・レーニン主義を放棄した党となった。
 日本でマルクス・レーニン主義を守り通してきた、徳田球一らの本流は「極左暴力主義」のレッテルを貼られて追放された。宮本らはマルクス・レーニン主義を捨てたのではなく、高度に発展した資本主義での革命に合うよう「科学的社会主義」に発展させたのだとして、己こそ本流だと主張した。
 フルシチョフが主義を投げ捨てる際にやったのが「スターリン批判」だ。これにこぞって同調したのはトロツキーこそがレーニンの後継者だとする学生運動の一部。彼らは宮本路線に反対し、反スタ革命派を作り学生運動を展開した。これを「過激派暴力主義集団」とひとくくりにして、宮本は排斥した。
 変質し資本主義への道を走るフルシチョフらにそのまま従った志賀義雄らは、大国干渉主義の手先として追放された。フルシチョフや宮本顕治は修正主義だと猛烈に批判したのは中国の毛沢東。毛沢東路線で「本流」宮本を批判した中国派は、毛沢東盲従派として、宮本は追放した。
 日本の共産党はこのように、主敵と戦うというより、社会主義・共産主義を掲げて戦う内部の人民の一部を、次つぎと主義が「間違っている」として排斥してきた。本来の階級的視点、革命的視点からの理論闘争をせずに、おのれを「科学的社会主義」として、それと違うというだけで、組織を団結ではなく、分断と追放を繰り返してきた。
 いわば、戦う人民を理論的に育成するのではなく、組織的排斥を主とし、現(支配)権力下での議会闘争に明け暮れてきたのである。
 結果的に、日本の共産党は「科学的社会主義」を自称する、単なる社会民主主義議会政党になり下がり、現在に至る。
 スパイとして共産党破壊に内部で暗躍したのは、スパイMだけではない。議長まで務めた野坂参三までがスパイだった。宮本顕治は意図的に送り込まれたスパイではなかったかもしれないが、階級的、革命的思想を骨抜きにして、議会主義の社会民主党にしたという点では、思想的なスパイの役を果たしたといえる。
 宮本は戦中に殺人容疑で逮捕された。それは潜入したスパイを宮本や袴田が拷問したときに相手が急死した。あわてて死体を埋めたのだが、権力側は宮本らが暴力的なリンチ拷問をして殺したのではないかと疑った。皮肉である。卑劣な敵のスパイと戦ったが、思想的にマルクス・レーニン主義を守る立場にたてなかったことだ。
 宮本の議会主義党への貢献は、後継者を残したことだ。不破哲三、志位和夫といった面々を母校東大生から育て上げている。彼らは、宮本では歴史的にできなかった、議会主義政党としての一般大衆向けのことばの置き換え、立ち位置の変更をなしとげている。
 つまり、三代かけて、創立からおよそ百年で、地球支配者が大喜びする支配体制補完政党を完成させた。これが「日本共産党(偽)の百年」だ。

*1=主敵。「日本独占資本と米帝国主義」と彼らは規定する。
*2=内部の敵。反スタトロツキスト、毛沢東盲従主義、大国干渉主義。階級的視点や革命的視点ではなく、単に自分の議会主義を邪魔する運動と組織とみなして排斥した。


◆日本維新馬場代表の共産党攻撃への志位反論に見る人民思想・階級視点の放棄

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 馬場は22日につづいて26日「共産党は日本から無くなったらいい政党で、言っていることが世の中ではありえない」「政府は公安調査庁を通じて危険な政党として公安調査庁から、破壊活動防止法(破防法)による調査団体に指定されている」などと批判した。2021年においても菅内閣は「現在でも調査対象団体である」と明言している。ちなにみ「立憲民主党がいても日本はよくならない」とも言っている。
 志位はただちに反論した。「公安調査庁の調査で暴力による破壊活動の事実は確認されていない。まったく的外れな攻撃だ」と目をむいて反論した。
 馬場は維新のことを自ら「第二自民党」でいい、などと言っている。現在公明が自民と組んでいるが、維新も事実上考え方は与党そのものだとしている。維新なるものが登場したときに、マスメディアは政権と対決する新たな政党とはやし立てたが、すでに明らかだった。主義主張がすべて人民的でないのだ。つまり、階級的思想がカケラもなく、目先の不埒な話題を振り回して票を得ただけの政党だ。
 ギャンブル経済の導入。大阪万博という時代遅れのお化け箱ものを作って、それにたかるという腐った考えだ。誰の利益を代表しているかが明確な政党だ。
 志位は、馬場の攻撃に「的外れだ」というが、一般大衆がにわかる言葉で、的外れの実態を説明していない。オレは暴力は嫌いだし、暴力で政権を取る思想は捨てたのだ。あくまで大衆に、民主主義的に言葉で訴えて、議会で多数を得て政権につくという考えの政党だ…、という。
 それに対して、大衆の声は、それなら「まず、共産党という名前を他の名前に変えろ」「委員長が公開された選挙で選ばれるようにしろ」と追い打ちをかける。しかし、志位共産党は「民主集中制」(党員は決まったことには有無を言わさず従う)という組織運営でたいへん手っ取り早い方法論を手放したくない。
 スターリンがレーニン主義を体系化する際に「徹底的な論争の自由、行動の統一」が民主主義的な党の組織原則であることを明らかにした。だが、スターリン死後、フルシチョフらはこの原則を放棄した。戦争のような緊急時は「行動の統一」が優先されるのだが、平時はあくまで「徹底的な論争の自由」が党内、民主主義的組織内で優先して実行されるべきところを、これを無視して、平時においても「行動の統一」を採用した。
 上部、幹部は「指示、命令する」ことによって、下部組織はただ「はいっ!」といって行動する。便利で手っ取り早いからだ。これがソ連の自己瓦解を生んだのだ。
 もともと階級思想、革命思想には机上でしか接点の持たない、不破や志位は、フルシチョフらが定着させた誤った平時のルールを「民主集中制」などと称して採用しただけだ。
 レーニンやスターリンのものでは、戦争に次ぐ戦争の時であっても「徹底的な論争の自由、行動の統一」という民主主義の原則は実行された。徹底的な下部、現場での論争を経ることで、幹部や上司が生まれる。この論争を通じて、下部が自分の指導部を選出する。だから、階級的、革命的思想をもつ組織では、民主主義が体で理解されている。上部、幹部への信頼が確固たる確かなものであることを知っている。
 しかし、フルシチョフや不破、志位らは幹部の選出を下からではなく、上からやる。ここに人民思想の真逆がある。革命の経験などない一般大衆が、志位共産党に「名前を変えろ」「党首は選挙でえらべ」というのは、こうした矛盾を突いているのだということを、不破や志位は理解しようもない。頭が、議会主義でいっぱいだからだ。
 「徹底的な論争の自由」を基礎にした生産点、生活点にソビエトを作り上げたのはロシアだ。例えそれが、宗教的だったり自然発生的であったとしても、人民の足元で発生している、敵の支配と弾圧による理不尽な収奪から、自分たちの利益を守るには絶対に必要だったからだ。このソビエト(協議会)に、支配からの解放という思想を持ち込んで成功したのはボリシェヴィキの成果だ。
 ソビエトの中に生きた人民の民主主義があった。レーニンはこれが人民の活きた権力だと命名して、二重権力の思想を確立した。
 最も民主主義的な議会や制度を誇っていても、その本質は支配の道具だ。人民の権力は天から降ってくるものではない。ヤツらの支配する議会や制度を奪い取って、いくら利用しても革命とは無縁だ。人民の革命は、ヤツらの支配制度の下で、ヤツらの権力機構と並行して、人民が闘争の中で生み、育て、力をつけて自ら打ち立てるものだ…。
 ここに人民権力、人民革命の真髄がある。志位共産党がヤツらの支配する議会という似非民主主義的議会で、多数を得て政権を立てるなどということが、革命とは無縁であることがわかる。

 革命とは、現支配者であるヤツらを地上から抹消すことだ。ここで、抹消される側に、頭を切り替えてみたらすべてが見えてくる。
 オレの支配下(所有物)にすぎない人民が、オレ様を地上から抹消するだと! そのようなことが許されるはずがなかろう! 身の程知らずにもオレに歯向かうというのなら、こちらから先に、とことん痛めつけてやる。二度と立ち上がれないようにぶちのめし、あの世へ送ってやる! と決意する。
 人民はヤツらにとって、同じ人間ではない。虫けら以下だと思っている。だから、ゴキブリを踏みつけるように、いたぶって見せつけ、惨殺する。
 発展途上国では人権など無視して奴隷のようにいたぶる。似非民主主義国家では、生きるか死ぬかギリギリの収奪政策で痛めつける。世界に目を向けて冷静にみたらわかる。労働者人民の生産物の成果をまず90パーセント、投資家として合法的に強奪する。残りを雇経営者と労働者人民で奪い合わせる。勝負などではない。支配のシステムなのだ。
 口先では「平和・自由・平等・民主主義・人権…」と綺麗ごとを言いながら、支配の行動では、それと真逆の横暴をふるう。これが現在のヤツらの支配の日常だ。
 階級と革命を論ずるのであれば、この現実を理解しなければスタート点に立ったことにならない。革命家はこの視点を離さない。この視点を人民の階級的な視点として、ヤツらをこの世から抹殺する以外にないという動かしえない思想を堅持する。
 そのような現実を見てみぬふりして「暴力革命を共産党は捨ててない」などという論議をぶっかけてくる維新は、愚か者そのものである。どの視点で攻撃をしてきているのかが、明々白々だ。少しでも、敵の攻撃の刃を見たものであれば、あるいは人民権力の構築に参加しているものであれば、攻撃の本質はたちどころに理解できる。
 同じように、志位共産党の立場と主張の狂いが理解できよう。
 馬場に限らず、歴代の自公与党や社会民主主義党、そればかりか旧左翼ですら、繰り返し共産党の「暴力問題(プロレタリア独裁、粛清問題)」「民主主義問題(選挙、一党独裁)」を取り上げて攻撃してくる。だが、それは、彼らが自らの立場を、労働者、人民の側に立っていない。現在の支配システムを守るという思想側にいることを公言していることだ。
 人民思想を堅持するものは、これを機会として、自らの足元で「徹底的な論争を」巻き起こして、自らの人民権力=ソビエトの強化に利用することである。

◆諸悪の根源、支配の動機を「何だと見るのか」で、主敵の規定が違ってくる

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 志位は共産党の百年をまとめるにあたり、次のようなことを発言している。「1958年に自主独立の路線―相手がどんな大国でも言いなりにならず日本の進路は自分で決めるという路線を確立するとともに、1961年に綱領路線―国民多数の合意で異常な「アメリカ言いなり」「財界中心」の政治を根本からただす民主主義革命を行い、さらに多数の合意で社会主義にすすむという大方針を決めました。「議会の多数をえて革命をすすめる」―平和的に社会進歩の道を歩むことを党の大方針にすえました」。
 この主張が人民の革命とは無縁であることは既に述べた。「米のいいなり、財界中心の政治をただす」というのは、日本の野党の共通の、いや、まったく同じセリフだ。ややもすると、選挙の時は自公与党まで似たことをいう。
 戦う対象が財界中心の政治=日本独占資本のあくなき利益追求。米国の言いなり=世界的な帝国主義にまで発展した世界的資本主義が、ロシアや中国など、複数あり、帝国主義同士が覇権と主導権で争っていて、日本が米国の属国として巻き込まれている、という認識だ。
 つまり、戦う相手は資本主義であり、資本主義が衣を脱いで脱皮成長した帝国主義だ。いずれにしても、資本主義というのもが発展の中で、独自の意図を持つかのようになり、利益と覇権を求めて蠢いている。これが、諸悪の原因だ。だから、制度としての資本主義を終わらせ、社会主義への変換を目指すのだ、というのが志位共産党の主張。
 議会主義の野党は、共産党が社会主義を目指すのとことなり、資本主義と帝国主義の蠢きが諸悪の原点とみながらも、それをまだ、利益の分配を変更することで、双方の対立の構図を緩和できるとする。つまり、修正資本主義、改良主義だ。
 与党となるとやや異なる。資本主義、帝国主義の発展はむしろ自然の流れで避けられない。その流れをゴチャゴチャと横から野党が邪魔立てするから、矛盾を何重にもかぶせた矛盾体にしてしまっている。これから脱出するには、グレートリセットが必要だ。
 世界秩序のために、管理しやすい一元支配体制にする必要がある。これを急速に実現するのは今だとする、グローバリストのネオコン派がいる。それにたいして、もっと穏やかに、緩やかに、人民の声を聞き、合意を得ながら、自由競争の中での展開に任せるべきだという派がいる。
 前者は露骨なグローバリスト=ネオコン。後者は保守主義の自然成長派である。
 世界の与党はグローバリスト=ネオコンであるのは間違いない。この連中が現在地球を牛耳っている。この連中の悪魔的な支配の意図が、全世界をダイナミックに巻き込んで、揺り動かしている。日本独占資本=志位のいう大企業は、百パーセント国際金融資本の手先だ。米帝国主義=志位のいう米国政府への日本政府の追随は、地球を牛耳るグローバリストである国際金融資本のもとで、経済活動をする日本企業の下で労働者がいじめ倒されているということだ。
 世界金融資本はマスメディアやシンクタンと結合して、傘下の企業を動かすだけではない。各国政府を手下として動かしている。つまり、日本政府をバカ理ではない。米国政府も世界金融資本によって、ヤツらの意図の貫徹のために米国という国家、政府が手下として動かされているのだ。
 世界を支配する人民の主敵である国際金融資本を先頭とするこの連中(*3)は、第一子分である米国をはじめにして、各国の国家、政府を手下として動かしているというのが、世界政治の実態だ。
 「世界人民の主敵」は次の①~⑥である。①国際金融資本とグローバル企業、②王制特権階級、③バチカンと一神教原理主義、④帝国軍と諜報機関、⑤マスメディア、⑥各国カイライ政権。
 ①~③が連合して世界一元支配をしている。支配の道具として④~⑥が存在する。支配の意図を発しているのは①~③であり、④~⑥は意図を貫徹する実行機関だ。世界人民は直接的には④~⑥と毎日、その接点で対決する。④~⑥と衝突、戦闘を繰り広げながら、意図を発している①~③の放逐を実現する。これが人民の歴史的な念願だ。
 考えてみて欲しい。①~③の連中がこの世に存在しておらなければ、世界人民は日々苦しむことはない。①~③が邪悪な意図は持ち、その意図を人民に頭から強制してくる。この動機、この押し付けの行動が存在するからこそ、世界人民の苦難があるのだ。

 志位共産党は、敵を米国という帝国主義国家、政府と、日本独占資本だという。なぜ、日本独占資本を国際金融資本から切り離すのか。米国をなぜ、ありのまま国際金融資本の第一子分、手先に過ぎないといわないのか。まして、日本政府などカケラの主権も持っていない。国際金融資本の日本支部の手先であって「米国のいいなり」など当然で、言いなりになるなという要求は無駄、未意味だ。日本政府は骨の髄まで、ヤツらの執行機関に過ぎない。
 人民は、現日本政府を米国の言いなりにならない姿に変えようなどというのは、間違いそのものだ。人民は人民に奉仕する国家、政府を、現政権と並行して、ゼロから生み出し、育て、成長させて実現するのだ。そして、現在日本政府を、邪悪な意図で動かしている背後の主敵を地上から放逐することによって、人民の願望を実現するのだ。
 人民が自らの権力、国家、政府を作り上げたときに、ヤツらの牛耳る国家、政府は歴史的な役割を終える。不要になり、消える。そして、ヤツらの国家がヤツらによる人民独裁的弾圧機関であったように、人民の国家は、人民によるヤツらに対する独裁的弾圧機関となる。

 米国という国家、日本という国家があり、それぞれに政権、政府が存在する。志位らはその国家が人民の意思を貫く機関として存在しているが、たまたま選挙で選ばれた政治家が、我欲が強くて、人民の利益を忘れて、人民を弾圧し、収奪しているのだ。だから、人民の利益を貫く政治家を選挙で選び、多数を得て政権に着くなら、人民の利益を貫く国家にできると考えている。
 革命的、階級的視点とまったく相いれるところがない。
 米国という国家、日本という国家は、国際金融資本の意図を実現するための、道具、執行機関であって、奴隷である人民を弾圧する、収奪する道具に過ぎないのだ。
 主敵である国際金融資本の支配の道具である国家、そしてさも、人民が民主主義的に選んだ代表が人民のために行動するように見せかけている議会制度は、主敵が自分の所有者である人民に対する、絶対的な独裁を美名で覆い隠す、卑劣な騙しのベールである。
 ヤツらの支配の道具を使って、ヤツらの意図を封じられることは、夢のまた夢だ。孫悟空がお釈迦の掌で踊っているのと同じだ。一時的に多数を得たとしても、その議会、国家、執行機関は百パーセント主敵である世界金融資本の所有物であり、資本主義制度を守るためにしか作用しないようにできている機関である。
 ヤツらは資本主義制度を守るため、長年、ヤツらの国会を使い、法律を作り重ねて、人民弾圧、人民からの強奪を「合法化」してきた。革命家がこうしたヤツらの国家機構は「煮ても焼いても食えない。すべて火にくべて破壊するしかない」という立場だ。

 さて、ここでまた、頭を主敵側に立って考えてみよう。革命家から「火にくべて破壊されるもの」と規定されて、どうするかということだ。自分(支配者側)には、軍があり、機動隊があり、警察があり、人民を弾圧する機関を持っている。有無を言わせずに命令に従わせる武装機構を持っている。
 人民側から破壊されるのを黙って見過ごすことをするようなことは絶対にしない。やられる前にやるしかない。つまり、人民への武力での弾圧だ。戒厳令を敷き、革命行動をすべて禁止し、革命組織、あらゆる革命家は、見つかり次第に逮捕、拷問、投獄、射殺する。自分は全権を持つ支配者だ。どんな法があろうがなかろうが、関係ない。
 これは、仮の話として述べたが、革命の歴史では厳然とした事実であり、それを思い起してほしいのだ。
 近代史では、フランスでの人民革命に対する反動弾圧でどれほどの犠牲を生んだか。戦後ではチリのアジェンダ政権への圧殺。カンボジアのシアヌーク時代の共産党への圧殺。日本では朝鮮戦争を前に復刻したばかり共産党は大弾圧を受け地下に潜らされた。
 世界金融資本の支配する各国政権は、人民による革命は例外なく、絶対に許さないのだ。現代における政権は最大の暴力機構を持ち、暴力を見せつけて気にくわない国と勢力をいじめ倒している。国内では、戒厳令を敷くときは、内戦状態を意味する。国家に向けられたあらゆる政治活動が暴力を背景に禁止される。資本主義体制の秩序を守るため、まさにその時だとして必ず実行する。
 平時は、マスメディアをつかって、社会的強制でヤツらの意思を貫く。
 つまり、ヤツらは日常的に、暴力をふるい、独裁を貫徹している。最大の暴力者は、ヤツらだ。この事実を、無いことにして、反共主義者は「共産党は暴力革命を目指している。暴力主義者」と攻撃する。先に述べた維新はこの例。
 国家という最大の暴力機関を前にして、革命家は「暴力をやめ、黙って消えろ」という。ロシア革命を含め過去の歴史では、実際に、部分的であっても、革命側に投降する。言うまでもなく、敵の暴力機構を構成している末端は、人民が仕事として勤めているだけで、自分が持つ銃などの武器を同胞である人民に向けるとなると、それは「仕事」ではないと、当然のことに気付くからだ。
 自分は、同胞である人民の立場に立つのか、それとも上部からの命令だというだけで、人民に銃を向けるのか。人民の決起の理由が人民の利益にそったものなら、選択の余地はない。
 志位は「的外れだ」というのは、逃げである。すでに魂は革命家でないから、ただの議会主義者として、正直な対応なのかもしれない。だが、革命家なら、堂々と敵の日常の暴力をこそ、人民の要求を受け入れる気がないヤツらの本性をこそ暴かなければならない。

  ●世界人民の主敵
   ①国際金融資本とグローバル企業
   ②王制特権階級
   ③バチカンと一神教原理主義
   ④帝国軍と諜報機関
   ⑤マスメディア
   ⑥各国カイライ政権

  ●人民生活と思考の5原則
   ①人に迷惑をかけない
   ②カネとモノ、利権のとりこにならない
   ③地球と未来に負荷をかけない
   ④戦争の根絶、安寧な生活
   ⑤人間としての誇りと尊厳