記・国民B(20220919)
■「日本共産党暗黒の百年史」にみる共産党員の苦悩

  《中見出し》
◆人民権力思想がカケラもなくなると、陥る自己矛盾
◆共産党員が「名前だけ」なのは、人民権力を理解しようとする意志も姿勢も完全にないからだ
◆人民が気づかなければならない現実。人民が悪と支配の手伝いをしている
◆人民権力思想がカケラもなくなると、陥る自己矛盾

引用写真ca20220919a.png

 元日本共産党板橋区議松崎いたるの近著(2022年7月発行)である。
 現在の日本共産党は戦後徳田球一以降に全権を掌握した宮本隆治によって、人民革命をヤツらの土俵である議会主義一本で走ることになった。
 宮本はレーニンやスターリンがこれで革命は不可能と否定した議会主義を、党の核心的路線にするということで、ヤツら支配者側の共産党壊滅の謀略に手を貸した。同郷の野坂参三と同じで、ヤツら支配権力側のスパイ的な役割を果たした。
 宮本・野坂は現場での実践活動を行うことせずに、机上で空想を展開した。野坂は戦後中国から帰国し「愛される共産党」を記者会見で披露した。その後公然と「平和革命論」を展開して、議会主義の道を開いた。
 宮本は戦前に崩壊寸前状態の党再建中に、小畑をスパイ容疑で査問・拷問中に死なせ、床下に埋めた。殺人容疑で逮捕され、獄中12年を過ごした。
 この宮本が獄中12年・非転向をバックに党中枢を握り、議会主義=平和革命論を党の路線にしていった。この路線は、本来の共産党の路線と真逆であることから、転換には時間を要し、不破、志位と党首を変えて静かに変質を実現した。
 今年は党創立から百周年になる。志位は当面の選挙戦に集中が必要だとして、記念すべき百周年の党史編纂はしていない。数年前に除名された板橋区議の松崎いたるが、党史を出版した。
 読めば、現在の共産党が抱えている自己矛盾の論点を浮き彫りにしている。
 人民革命という崇高な目的、つまり人民に対する支配そのものを無くすという目的を、議会で多数を得て、共産党が権力を得て、社会主義、共産主義に導くのだ、という議会主義に陥ると、どのような矛盾に突き当たるのかということを、あからさまに提起している。

 第一に、今まで「党史」と共産党が誇らしく掲げていたものが、作られた歴史観であった。「党名を変えるべき」という意見がある。「民主集中制」というのはいわば党独裁と同じだ。だが、これらはコミンテルンの規則だ。
 第二に、共産党はソ連が作ったコミンテルンの各国支部で、綱領=革命へのプログラムも闘争資金もすべてコミンテルンのもので、そこに日本の独自性は見られない。
 第三に、自主独立をかかげて、ソ連共産党・中国共産党と路線対立し、手を切ったが、それは単なるただの孤立だ。
 第四に、議会主義を貫こうとすると、天皇制廃止を掲げたままでは戦いえない。日本人の多くが天皇の存在を永遠にと思っているなかでは、天皇を否定する党は支持されない。
 第五に、選挙で大衆の支持を得て得票を得るためには、自衛隊は憲法違反となる。憲法九条を守るなら憲法改定に反対する。従来の方針との矛盾の解決のしようがない。

 つまり、現在の共産党がぶち当たっている、解決のしようがない矛盾である。もちろん、著者の松崎にも解決の道はない。松崎は、やはり同じように党から追放された篠原常一郎と近い。この二人は、篠原のyoutubeで何度か会談をしているが、自公政権の無策を指摘して、同時に共産党を批判しているだけの、評論家になっている。




◆共産党員が「名前だけ」なのは、人民権力を理解しようとする意志も姿勢も完全にないからだ

引用写真ca20220919b.png

 市川正一の解説として掲載している。
 「コミンテルンは全世界におけるブルジョアジーの法律の拘束をうけ、その範囲内においてのみ仕事をするというがごきごまかしは絶対にしない。
 徹底的に支配階級と戦い、ブルジョアジーの一切の権力を根本から破壊するために闘争する共産党は、ぜひともブルジョアジーと戦いうる強固な、非合法的な地下構築および非合法的組織を持たねばならない。これはいつでもかわりない原則である」(1932「日本共産党闘争小史」)
 共産党は議会主義に走ることで、この記述の意味がまったく理解できない。非合法組織だ、秘密結社だなどというなら、絶対に大衆の票は得られないからだ。
 これだから共産党は間違っていると、大衆迎合をする。
 しかし、現在の支配権力と戦うのであれば、市川が述べた内容を、当たり前だ。
 この違いが、人民権力思想である。ヤツらが作った憲法や法律というのは、百パーセントヤツらの支配の道具だ。それを百パーセント受け入れて、合法的に「権力を得る」などというのは夢以前のたわごとだ。
 ヤツらの権力を守るための道具のもとで、それを認めて、こちらが権力を取るなど、ヤツらの法自身が認めない。議会主義は、支配者であるヤツらのスローガンだ。人民を幻想に陥れるという階級的犯罪でもある。

 コミンテルン日本支部となるには、コミンテルンが既定した21カ条の規則を認めたということである。
 この規定には「党名の問題は、たんなる形式上の問題ではなく、きわめて重要な政治問題である」として、国名+共産党とすることを明示している。
 現在の共産党には、党内外から「党名を変えた方がいい」という意見が多発しているが、先輩たちが命懸けで守ってきたから、という理由で否定している。
 また「民主集中制」に対しても、内外から同様に強い批判がある。独裁でないというのなら、これを廃止せよというのだ。
 コミンテルンの加盟条件12条では「共産主義インタナショナルに所属する党は、民主的中央集権制の原則にもとづいて建設されなければならない」とある。
 党名は共産主義を目指すという、このうえない目標を端的に名にしている。これを止めたがるとしたら、それは闘争の目標を捨てる、つまり共産主義の究極のテーマを下ろすことだ。
 その場合は、誰も止めない。共産党を捨て、勝手にこれぞという名の党を旗揚げしたらいいだけである。
 内部にいたまま党名を変えるというのは、党を変質させたいというだけの悪意でしかない。
 共産党はある意味で戦闘組織だ。民主集中制は軍隊と同じように、戦闘時に上からの指示と命令で、結束して敵と戦うことを定めている。
 だが、戦闘時のルールを平常時の民主主義的討論と、単純に対置するのは間違っている。平常時のルールは民主主義に尽きる。十分に意見を戦わせて、結果多数決に従う。
 だが、戦闘時は違う。時間をかけて論議する余裕がないのだ。その場合は、緊急時のルールとして、指示と命令の貫徹が求められる。この原則がないと戦闘には勝てない。
 いうまでもなく、敵の軍、戦闘組織は徹底的にこのルールと守っている。
 平常時と緊急時というのを区別できないものがある。この連中は等しく、常に民主主義的ルールの採用を主張する。だが、これでは共産党などの戦闘組織が、敵との闘争に勝てるわけがない。
 また、この混乱、つまり、区別をきちんとできないことによる破綻は、ロシア共産党の教訓がある。地上初の人民権力国家であるソ連は、地球支配者からあらん限りの反革命の攻撃を受けた。それは戦争に次ぐ戦争という攻撃だ。
 第二次世界大戦の終了まで、ソ連は勝ち抜いた。絶え間ない、特にヒトラー・ナチとの戦いは激しいものだった。この戦闘はレーニンなき後スターリンが指揮した。戦闘に次ぐ戦闘、つまり、緊急時の連続であった。指示と命令で、党と国家が動いた。
 ところが、下部を動かす、党と国家を運営するときに、緊急時に効果を発揮した指示と命令という方式が、あたりまえのような状態となり、平常時になっても、安易な「指示と命令」が常態化した。
 命令する党中央も、される側の下部党組織、国家の官僚機構も、平常時の民主主義をいつの間にか忘れて、支持と命令の常態化を認めてしまったという教訓だ。
 党の守るべき原則の半分、いや人民民主主義の中心的骨格を取りさった状態は、組織が保てない。ゆえにソ連は自己崩壊した。わずかでも平常時の徹底した論議という土台があって、緊急時の指示命令がある。
 スターリンの死後、形骸化した党は見るすべもなかった。フルシチョフはスターリン批判をして、党否定の口火を切った。魂を捨てた党は存在意味をもたない。
 先日ゴルバチョフが亡くなった。彼は、魂を失った党の最高幹部として、魂を取る戻すべき己の任務の原点に帰ることはできなかった。ここでも、彼は「ロシアには「ペレストロイカ」(建て直し)が必要であり、その手段となるのが「グラスノスチ」(情報公開)だと訴えた。
 つまり、情報公開などという形式的な方法論に走った。そのようなことで、党の魂は復活しない。するべきは、改めて、人民権力思想を人民に訴えることだった。
 毛沢東は、おぼろげながら、この大問題に気づいていた。彼は文化大革命というテーマを追及した。党中央のトップ(劉少奇)まで、市場開放という思想が浸透していた。これは、社会主義を守り、建設するというのに、逆行する「資本主義的で魅力的な」経済建設で、国家をリードしようとすることだった。人民闘争の思想より、経済を優先しようとした。
 毛沢東は残念ながら、革命を共に戦ってきた多数の同士のなかにはびこる誤った思想を、拭いきり、たて直すキーが何かを明らかにしきれないまま亡くなった。
 ソ連や中国の教訓を知るなら、民主集中制の論議は欠かせない。だが、それは党を健全に保つという点、いったん実現した人民国家をどう展開し導くのかという、人民が初めて挑戦した壮大なテーマへの挑戦だった。

 コミンテルンを作ったのはロシア共産党だ。1917年暮れのロシア革命から間もなく、レーニンはソ連という人民国家を究極的に防衛するのはインターナショナル以外にないという、マルクスの教えを守り、1919年に創設した。
 インターナショナルの歴史でも、思想問題は大きく深い。それは、マルクスの「万国の労働者団結せよ」というスローガンが、あくまでも地球支配者による支配を廃絶する以外に究極の目標はない、という思想である。
 コミンテルンは第三インターナショナルと言われる。その前に二つの国際組織が作られたのだが、その組織の頂点に立ったものが、勝手にマルクスの提起した原則を捻じ曲げてしまったからだ。
 苦い教訓だ。それは、戦争が起こると、その国の革命党や戦う組織が、自国の支配階級と「利害が一致する」として、自国に「攻めてきた敵国」と、ともに戦うという誤りに陥ったものだ。
 レーニンはこれを許さなかった。この誤りがある限り、革命的党ではないと断じた。
 世界各国で同じような現象が起こった。大政翼賛会に合同した。日本でもあった。共産党自身はそのとき、すでにヤツらによる弾圧にあって、組織は壊滅状態だったが、共産党以外の労働者組織のほとんどは大政翼賛会に参加した。
 第二インターナショナルはカウツキーの裏切りで有名だ。レーニンはこれを捨て、革命を貫徹する新たなコミンテルン(第三インターナショナル)を作った。
 ちなみに、コミンテルンは1943年に解散した。これは、当時のソ連共産党のトップであるスターリンが、戦略的に判断したものだ。米英仏と同盟を組んで、焦眉の主敵ナチスと戦うのかどうかという局面である。米英仏らは、ナチスにソ連を崩壊させたい。
 米英仏の同盟軍は、ソ連が一方で米英仏と同盟しながら、一方でコミンテルンをリードして米英仏の国家を変革させるというのは、欺瞞だ。コミンテルンを解散するならという条件で、欧州の反ナチス同盟軍が実現した。
 スターリンは、第二次世界大戦でナチスを崩壊させれば、その後に再建できるとふんでの戦略的な妥協であった。仮にコミンテルンを解散させなかったら、英米仏はナチスと一緒になってソ連に襲いかかり、ソ連はヤツらの思惑通り、絶滅の危機に陥った。スターリンの苦悩の大胆な戦略が勝利した。

◆選挙に目がくらんだ党の哀れな自己矛盾

引用写真ca20220918c.png

 日本共産党は議会主義にのめりこむことで、ソ連共産党と手を切る。すでにソ連はフルシチョフの裏切りで国家が変質していた。コミンテルンは解散しても、日本共産党への指示や命令は続く。それを嫌がった宮本らは、自主独立を掲げて、距離を置くようになる。
 米国が核を持ち、広島と長崎に落とした。競争するようにソ連も核を持つ。核の脅威が拡大するなかで、部分核停条約という超大国同士の確約ができる。
 ソ連のこの動きに、宮本らは欺瞞だとして、反対の立場をとる。初めて、正面から生みの親のようなロシア共産党の方針に反対する。当時国会議員であった志賀義雄らは国会で賛成を表明する。ソ連派の追放が始まる。ロシア共産党と対立関係にはいる。
 中国との対立が始まったのは、文革だ。宮本は議会主義だから、中国にこっぴどく叩かれた。在中国の日本共産党関係者が襲撃をうけるにいたり、ここで関係は絶たれる。
 以後、ロシアとも中国とも表立っての批判攻撃のやりあいはないまでも、党としての関係は終わった。親が子を叱り飛ばすような指示や干渉がなくなった。日本共産党は、ロシアを社会主義を目指す陣営とは、とうにみていない。中国に対しても同じだ。つまり、社会主義を目指す国家は、世界から消えたとみている。

 議会主義とは、マルクスやレーニンが頭から嫌った思想だ。それは、敵の支配の道具を暴露し、利用するのではなく、敵の陣営の一員となってしまう、つまり、人民革命の思想を放棄しているからだ。
 そのような日本共産党とは、名前は共産党でも、内実は完全なただのヤツらの国家における一政党になっている。
 いったん、日本共産党を解党して、そのなかの議会主義派は、新たに別党を作ってスタートした方がはるかにわかりやすい。百年の歴史に離れがたい何かをひきづっているにすぎない。
 これを実行しないために、内外から執拗に追及されるのが、先に挙げた党名問題、民主集中制問題である。他に①天皇制廃止、②自衛隊と憲法問題がある。
 天皇制廃止は確かに、コミンテルンが日本に持ち込んだものだ。コミンテルンは、天皇制も含む王政について、否定するべきものとしている。
 それは、いうまでもなく、人民の平等という思想原則に反するものだからだ。王政にせよ、天皇にせよ、長い人民の被支配の歴史のなかで、マインドコントロールの目的から作られたものだ。不平等を認める奴隷根性の核心だ。
 人民の思想の中に、根強く存在する奴隷根性として「天皇は別格で尊い、いつまでも存続してほしい」というのがある。
 言い換えれば、エリートは一般ピープルと違って、賢く偉い。彼らによる支配を永遠に続けてほしい、というのと同じだ。
 人民の平等とはまったく逆のこの思想を認めるなら、革命など不要だ。つまり、この奴隷根性は温存してはならないのだ。
 これをレーニンは規定し、コミンテルンの原則にしたのだ。だから、日本共産党に天皇制廃止と言う名で、天皇の存在に対する奴隷根性の問題を提起した。
 当たり前のこのことを、避けようとするのは、その人がしっかりと奴隷根性をもっていて、その思想を自分から排するのを拒否しているのだ。「代官様がいい生活をしているのは、ワシらの誇りで嬉しい。永遠に続けて欲しい。ワシらは喜んで苦渋に絶えます」という思想だ。

 自衛隊をどう見るのか。言うまでもないことだが、自衛隊はヤツらの人民支配の暴力機関だ。それが、憲法に記載されているかいないかが問題ではない。ヤツらは支配に必要なものは、憲法や法の有無と無関係に持つ。それだけである。
 ヤツらの現憲法では、武装しないというのだから、明確な違憲であることには違いない。その自衛隊とい軍隊組織は、災害時に救助の活動もする。最近大災害が多いので、彼らの活躍も目立つ。
 政権は「北が攻めてくる」「中国が攻めてくる」などといって人民を脅迫する。攻めてきたらオマエは戦うのか、と問う。その時に、自衛隊と一緒になって、北朝鮮軍、あるいは中国軍と戦う、という答えに誘導する。
 忘れてはならない。第二インターナショナルの教訓を。大政翼賛会に参加するのか、という問いと同じだ。第二インターは「大政翼賛会に入り、自衛隊と一緒になって戦う」という選択をしたら、これが裏切なのだ。
 戦争は、地球支配者が仕掛けたもの。攻めてくる方も、攻められる方も、地球支配者がそそのかしたもの。双方の国の人民は、このときに、地球支配者から命令されている自国の権力と戦うのであって、相手国の人民を殺す方向で戦うのではない。
 これを「戦争を内戦に転嫁する」と表現したのはレーニンだ。革命党は人民に対し、このときには、時の権力を暴露して、人民にとるべき考え、戦争の主敵を訴えいくことを主張している。
 実際に他国が侵略してきたときには、地球支配者からの命令で国の権力者は、革命党、戦う人民を徹底的に弾圧していいる。戦前の日本では党は破滅状態だった。日本が襲撃拠点となった朝鮮戦争時には、戦う党は公職追放され、党は表の世界から消された。いやでも、非合法で戦闘する状態に追いやられた。
 この場合に、どのようにパルチザンを構築し、戦うかは未知との戦いで、これからも十分な心構えが求められる。
 ただ、この記事で何度も指摘していることであるが、決定的な力は人民権力しかない。そのような侵略をされるような事態がおこったら、その時点の人民権力の力量に応じた戦いしかできない。
 強固であれば、パルチザンが可能になる。内戦に転嫁し、表の人民権力エリアができる。自衛隊と一緒に戦うのではない。人民側の組織も、武器も自前のものになる。自衛隊内部の人民権力との連携も可能になる。弱ければ、ヤツらからさまざまな弾圧をうける。戦いの形態・様相が異なる。
 選挙で票を得る考えか、それとも人民権力の構築か。
 選挙で多数を得るのは、日本共産党が百年かかってもできないように、幻想だ。楽に見える。大衆の意識が変われば、一見できそうに見える。だが、これはヤツらの権力の真実、絶大な支配機構をわかっていない。
 すでに、オーエルの指摘した1984の世界が実現している。人民はロボット奴隷として、ヤツらを支えているのが現実だ。米国もそうだが、何年たっても見かけの支配者への投票は圧倒的に多い。決して、革命党の支持者は増えない。
 人民権力の構築を、現在は夢だ、不可能だという意見が多いのはわかる。それが現実なのは、事実だ。
 だが、地球支配者からの解放、戦争の根絶という、人民の根本的な目標を実現するのは、この革命思想しかない。この夢を信じないのであれば、革命は止めた方がいい。人民闘争の歴史は、必ずそれを実現する。
 人民権力さえちゃんと構築できれば、共産党が言うところの表の世界での、革命党の選挙での多数など簡単である。人民権力のない、人民自身の支配への加担という問題意識がない「選挙での多数獲得」などの無意味さを理解してほしい。
 人民権力の構築という革命の核心を追及することなく、表の政治での「多数の獲得」は、さらに今後百年経っても実現できない。

●人民生活と思考の5原則
  ①人に迷惑をかけない
  ②カネとモノ、利権のとりこにならない
  ③地球と未来に負荷をかけない
  ④戦争の根絶、安寧な生活
  ⑤人間としての誇りと尊厳